You raise me up(あなたは私を高くしてくださる)〜詩篇55篇

昨日は詩篇55篇1~8節の祈りを19世紀ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーンが「わが祈りを聴きたまえ」(hear my prayer) という十分間余りの曲にしていることをご紹介しました。暗く重い調子で始まった音楽が、「ああ、鳩のような翼が私にあったなら……」というところから、すみきった希望の調子に変わります。

それは、私たちが自分の暗く沈んだ気持ちを正直に神に訴えながら、しだいに、たましいが神のみもとに引き上げられ、やすらぎを得てゆく展開を表しています。それは、神の前に独りぼっちになることから生まれる恵みです。

その上で、16節には不思議な展開が描かれます。それは、「私が、神に呼ばわると、主 (ヤハウェ) は私を救ってくださる」(16節) という告白です。それは、この「私」が、神のご性質を漠然としか知らないまま、ただ切羽詰って、「神様!」と呼ばわるようなときにも、主 (ヤハウェ) は、「わたしは『わたしはある』という者である」(出エジ3:14) というご自身の名を示しながら、親しく私に答えてくださるという意味と解釈できます。

さらに「夕、朝、真昼、私はうめき、嘆く。すると……」(17節) とは、私たちが一晩中ばかりか翌日の昼まで「うめき、嘆き続ける」様子を、神はじっと聴き続けた上で、初めて答えてくださるというリズムが表されているようです。神の答えは、遅すぎるように感じるのが常だからです。

私たちは、「主は私の声を聞いてくださる」という実感を味わう前に、余りにも早く訴えるのを諦めてしまってはいないでしょうか。

私たちの目の前には、神が「私の訴えから、身を隠しておられる」(1節) と思える現実が繰り返し起こるかもしれません。しかし、ダビデは、苦しみのただ中で、諦めることなくじっと祈り続けることを通して初めて、自分の訴えの声が確かに神に届いていたことを、繰り返し体験することができました。それは頭での理解ではなく、腹の底からの確信となりました。私たちも同じ体験をすることができます。

さらに「主は、迫り来る戦いから、このたましいを平和のうちに贖い出してくださる」(18節) と告白しながら、自分の敵が、なめらかなことばで自分を傷つけるようすが描かれます。

そして、このような「私」を中心とした祈りの後に、突然、「ゆだねよ!主 (ヤハウェ) に、あなたの重荷を」(22節) と、他の人への勧めが記されます。

これは、神の沈黙に悩んでいたダビデが、「私の祈りは答えられた!」という実体験を経た上で、周りの人々や後世の人々に、神への信頼を訴えるものです。信仰は人のわざではなく神が生み出してくださるものです。しかも、「ゆだねる」の本来の意味は「放り投げる」ことで、自分の思い煩いや恐怖感を、そのまま全宇宙の支配者であるヤハウェの御前に差し出すことです。わたしたちは、「あなたの御心のままに……」と祈る前に、自分の混乱した感情を、正直に、あるがままに注ぎ出す必要があるのではないでしょうか。

マルティン・ルターはこれに関して次のように記しています。「このようにゆだねる(放り投げる:Werfen)ことを学ぶことができた者は、それが確かに真実であることを体験している。しかし、そのような委ねる(放り投げる:Werfen)ことを学ぶことができなかった者は、投げ捨てられた (verworfen)、仲たがいさせられた (zerworfen)、屈服させられた (unterworfen)、投げ落とされた (abgeworfen)、ひっくり返された (umgeworfener) 人間のままに留まらざるを得ない」

それにしても、それに続く「主は、あなたのことを心配してくださる」(22節) とは、何と優しい表現でしょう。これは「あなたを支える」とも訳されますが、神の救いは、あなたの重荷を取り去ることではなく、重荷や思い患いを抱えたままのあなたを支えることだからです。現代の飽食な世界の問題は、「悩みを抱える力」が衰えていることですが、その力を神は与えてくださいます。

ペテロはこの詩篇の結論部分を次のように要約しています。

みな互いに謙遜を身につけなさい。『神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる』のです。ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテロ5:5-7)

 
ここで、「神は……あなたがたを高くあげてくださいます」ということばを、「あなた(神)は、私を高く上げてくださいます」と読み替えると、「You raise me up」という有名な歌になります。以下のサイトで歌詞と翻訳見て聞くことができます。

私たちの教会では次のように歌っています。

  1. 心が沈んでしまい、せつなくうめく時に
    私はひとりたたずむ、あなたが来られるまで
    あなたは、私を支え、高めて下さるから
    そびえたつ山さえも、恐れず上って行く
  2. 心が騒ぐばかりで すべてがむなしい時
    不思議な御手に包まれ 永遠の愛を知る
    あなたは 私を支え 背負って下さるから
    あらし吹く海さえも 恐れず進んで行く
  • You raise me up, so I can stand on mountains
     あなたが私を高くしてくださるから、
     私は山々の上にも立っていられる
    You raise me up to walk on stormy seas
     あなたが私を高くしてくださるから、
     私は荒ぶる海にも歩み出られる
    I am strong when I am on your shoulders
     私は強くなることができる、
     あなたが私を背負ってくださるなら
    You raise me up to more than I can be.
     あなたは私を高くしてくださる、
     私以上の私になれるまでに

英語を歌う 二回繰り返し 最後の一行は最後に繰り返し


最後に、祈祷課題ですが、昨年私たちの教会でのゴスペルチャリティーコンサートでバングラデシュの新生クリスチャンの訓練施設のための献金をしましたが、今回のウイルス感染で人道支援団体「ウットラン」というところが医療活動支援に積極的に関わっているとのことです。バングラデシュでも外出規制が続いており、日雇い労務者の方々や農村地帯の劣悪な衛生環境のところに、緊急支援が必要とのことです。関心のある方には具体的な支援方法などをお知らせいたします。私たちが関わっている 声なき者の友の輪 (FVI) を通して支援に加わることができます。