気づきと心の復活〜詩篇55篇

例年とは全く違う復活祭になりましたが、いかがお過ごしでしょう。家に閉じこもらざるを得ないというのもつらいものですね。

ただ、それを通して自分の心の傷つきやすさに気づき、それを主の御前に訴えることで、心の復活を体験する機会になれたらとふと思いました。

新渡戸稲造は日本の武士道とキリスト教精神に共通点があることを描き、その著書は国際的なベストセラーになりました。小生にとっては同じ大学の大先輩というだけで尊敬と親しみを覚えますが、武士道的な信仰のあり方という視点の危なさを感じることもあります。

武士道精神では、どのような状況下でも心の平静さを保つことができるように自分で自分を律することが求められます。しかし、ふと、「自分で自分を律することができるなら、どこに信仰の必要があるのだろう……」とも思います。私は長い間、心を平静に保つことができない自分の信仰の未熟さを責めてきました。しかし、だれからも勇士の代表と見られるダビデの祈りを知ったとき、ほっとしました。彼はこの詩篇で自分の気持ちを次のように表現しているからです。

私の心は奥底からもだえ、
死の恐怖に襲われています。
恐れとおののきにとらわれ、
戦慄せんりつに包まれました (4、5節)

彼は四つの並行文で、自分の恐怖心を優しく受けとめ、それを神に訴えています。自分の心の状態を、分析することも、言い訳することもなく、そのままことばにしています。それこそ、感情に振り回されないためのステップではないでしょうか。ライオンを打ち殺しその口から羊を救い出したこともあるというダビデが、自分の気持ちを、ひとりぼっちで身体を震わせている少女のように描いており、その微妙な感情を優しく丁寧に受け入れています。

感情を、いじることも解釈することもなく、自分のたましいに向かって、「おまえは不安なんだね……さびしいんだね」と言ってそれを優しく受けとめながら、ただ、「主よ。私は不安です……さびしいです」という祈りに変えることができるなら、そこに新しい世界が広がってきます。それは、心の奥底で神との交わりを体験する絶好の機会になります。

しかし、自分の気持ちを優しく受けとめられない人は、ほかの人の気持ちも受けとめられないばかりか、神との交わりも浅いものに留まってしまうのではないでしょうか。

それに続く、「ああ、鳩のような翼が私にあったなら。そうしたら、飛び去って、休みを得ることができるのに」という祈りを最初に読んだとき、思わず微笑んでしまいました。それは私が常日ごろ、自分に向かって「この問題から逃げ出そうとせずに、しっかりと向き合え!」などと叱咤しったしてきたからです。しかし、私よりはるかに勇敢なダビデは、逃げ出したいような自分の気持ちにも優しく寄り添っています。

しかもそのうえで、逃げ場のない自分の現実を描きます。彼の住む町の中には、「暴力と争い」「不法と苦しみ」「虐げと欺き」が満ちているというのです (9-11節)。人によっては、現在の職場がそのような環境かもしれません。逃げ出したくても、生活のためには逃げられません。そればかりか、最も近しいはずの人が最も恐ろしい敵となっていることだってあり得ます。

身近な人が、精神的な虐待を加えてくるとき、どこに逃げ場があるでしょう。彼らは多くの場合、自分がどれほどひどいことをしているかに気づいてはいません。悪意を抱いていたとしても、巧妙に隠しながら、「滑らか」で「優しい」ことばを用いて語りかけ (21節)、「私はあなたのためを思って……」などと言いながら、実際には「そのままのあなたには生きている資格がない」という隠されたメッセージを伝え、生きる気力を奪い取っているのかもしれません。

ただし、ダビデは逃げ出したいと告白しながらも、「荒野」を「隠れ場」と描いています。それは人の目からは、だれの保護も受けられない孤独で不毛な場所でしょうが、だからこそ「神だけが頼り」となります。つまり彼は、「翼が私にあったなら……」という白昼夢に逃げているようでも、「あらしと突風」のただ中で、そのたましいは神のみもとに引き上げられているのです。それは、「密室の祈り」と呼ばれる一対一で神に向き合うときに体験できる恵みのときです。

2001年にスイスで開かれたハンス・ビュルキ先生による牧師向けのセミナーで、私は自分の気持ちも他者の気持ちもあるがままに受け止めることができていないということに深い気づきが与えられました。ある分かち合いの席で、私がほかの人に不快感を与える発言をしてしまったとき、ビュルキ先生はそこに隠された私の問題を鋭く察知し、厳しく突っ込んでこられました。私は皆の前で恥をかかされた気持ちになりました。

そのとき、先生は、皆に向かって「彼に安易ななぐさめのことばをかけてはならない」と命じられました。また私には、「いた感情をいじってはならない。自己弁護してはならない。受けるべきケアーを受けられなくなる……」と言われました。

しばらく悶々もんもんとした気持ちでいましたが、徐々に予期しない形で不思議な慰めが与えられ、一週間近くたって黙想のときに読まれたみことばが心の奥底に迫って、感動に満たされました。後で先生が、「説明は、多くの場合正しくない。弁解の延長線上にあるからだ。自己弁護する者は、自分や人を非難している」と教えてくださいました。

私はそれまで、何か悪いことが起こると、自己弁護をしたり、人に慰めを求めたり、また、自分で自分をカウンセリングし続けてきました。本当の意味で、問題を抱えたままで神の御前みまえに静まり、神の解決を待ち望むということができていませんでした。

しかし、ダビデは、この祈りを通して、恐怖におびえた心を、そのまま神にささげました。その結果、彼の心は、まさに鳩のような翼を得て、神のみもとに引き上げられ、安らぐことができました。そして、彼は自分のいのちをねらう人々の手から逃れるときに、驚くほど冷静な判断を下しながら、同時に、明日への布石を打つことができました。

1-8節の祈りを十九世紀ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーンが「わが祈りを聴きたまえ」(hear my prayer)という十分間余りの曲にしています。暗く重い調子で始まった音楽が、「ああ、鳩のような翼が私にあったなら……」というところから、すみきった希望の調子に変わります。それは、私たちが自分の暗く沈んだ気持ちを正直に神に訴えながら、しだいに、たましいが神のみもとに引き上げられ、やすらぎを得てゆく展開を表しています。

全能の神の助けを前提としない武士道の世界では、心の内側に湧き起こった感情を自分で制御する必要がありますが、私の場合は、そうしようとすればするほど、心に空回りを起こしました。また、そこには、人の前で心の平静を取り繕おうとする偽善が生まれる可能性があります。

しかも、心理学的には、不安こそ、怒りの第一次感情であると言われますが、不安を押し殺してばかりいると、不機嫌をき散らして周りの人を傷つけたり、また、自分を責めてうつ状態になることがあります。

あなたはどうでしょう。神ご自身があなたの心の奥底にご自身の恵みを注ぎたいと願っておられます。妙な強がりを捨て、あわれみに満ちた神に心を開いてみてはいかがでしょう?


以下の曲をお聞きください。歌詞は詩篇55篇1-8節の意訳です。もともとドイツ語で作られたものが英訳されて歌われているので、曲に合わせて意訳されている部分があります。

メデルスゾーン作 Hear my Prayer

Hear my prayer, O God,
神よ。私の祈りを聞いてください。
incline Thine ear.
あなたの耳を傾けてください。
Thyself from my petition do not hide;
私の願いから身を隠さないでください。
Take heed to me;
私にみこころを留めてください。
hear how in prayer I mourn to Thee
私は祈りの中でどんなに嘆いているかをお聞きください。
Without Thee all is dark;
あなたなしにはすべてが暗く、
I have no guide.
何の導きもありません。
Hear my prayer, O God,
神よ。私の祈りを聞いてください。
incline Thine ear.
あなたの耳を傾けてください。

The enemy shouteth the godeless come fast;
敵は叫び、不信仰な者たちは迫っており、
Iniquity, hatred upon me they cast.
不正と憎しみを私に投げかけています。
The wicked opress me-ah,
悪者は私を迫害しています。
where shall I fly?
どこへ逃げることができるでしょう。
Perplexed and bewildered,
とまどって途方にくれています。
O God, hear my cry!
神よ。私の祈りをお聞きください。
O God, hear my cry!
神よ。私の祈りをお聞きください。

My heart is sorely pained within my breast,
私の心は、うちにもだえています。
My soul with deathly terror is opressed.
私のたましいは死の恐怖に圧倒されています
Trembling and fearfullness upon me fall.
恐れとおののきが 私を包んでいます。
With horror overwhelmed,
私はひどくおびえています。
Lord , hear me call!
主よ。私の叫びをお聞き下さい。
Lord , hear me call!
主よ。私の叫びをお聞き下さい。

O for the wings
ああ、翼があったなら、
wings of a dove!
鳩のような翼が私にあったなら
Far away, far away would I rove;
はるか遠くへ、遠くへ逃れ去るものを……。
In the wilderness build me a nest,
荒野の中に私は宿を作るものを……。
And remain there for ever at rest.
そして、そこに留まり、永遠に休みを得るものを……。