私たちの周りには、ときに、みんなから愛される人であるのに、人々を悲惨な世界に巻き込む人がいるのではないでしょうか。ユダの王ヨシャファテはそのような人でした。彼は預言者エリヤからもエリシャからも高く評価されていると同時に、北王国イスラエルの悪王トリオのアハブ、ヨラム、アハズヤから頼りにされていました。
彼はアハブの娘アタルヤを息子のヨラムの嫁に迎えさせましたが、彼が結んだこの北王国との連合関係が、エルサレムを破滅に追いやります。アタルヤが六年間ダビデ王家を乗っ取り、そこにアハブの偶像礼拝のカルチャーが持ち込まれました。
しかし、主に愛されたヨシャファテは、その暗闇からの脱出の道をも備えていました。彼は主のみことばに忠実な人々をも残し、祭司とレビ人のグループがダビデの子孫をひそかに守り育て、ダビデ家を復興させました。ここに神の不思議な導きを見ることができます。
私たちもどこかで大きな過ちを犯すかもしれません。しかし、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ロマ8:28) という真理は、この場合にも当てはまりました。「主を愛する」ことこそ、すべての始まりです。
1.「もし、さばき……疫病……などのわざわいが……襲うなら、私たちは……御前に立ちます」
19章で、ヨシャファテは主の律法に立ち返り、主に仕えるレビ人や祭司を、各地のさばき人として立て、またエルサレムにおいても、自分から独立した最高裁判所の機能を作り出したことが描かれていました。
そしてその11節では、「主 (ヤハウェ) の事柄全体に関して責任を持つ」「さばき人」と、「王の事柄全体に関して責任を負う」「さばき人」という、信仰と政治の支配の分離組織まで作り上げたことが描かれていました。
20章1節では、「その後のことであった。モアブ人とアンモン人、および彼らに合流した一部のアンモン人が、ヨシャファテと戦おうとして攻めて来た」と記されます。これがどのような時代背景で起こったことなのかについては様々な見解があります。ただ、次のように解釈することができるかと思われます。
Ⅱ列王記3章では北王国イスラエルの王、アハブの子ヨラムが、ユダの王ヨシャファテの第18年に即位し、それからまもなく、イスラエルに貢ぎを納めることを拒絶した死海の南東部にあるモアブ王国を再び服従させるためにヨシャファテとエドムの王を誘い込んで、死海の南を通って攻撃を仕掛けました。
その際、荒野の道を当回りしたため、水が不足し、戦うことができなくなった時、預言者エリシャが呼び出され、彼はあくまでもヨシャファテを助けるというつもりで、主 (ヤハウェ) に助けを求め、その結果としてモアブを打ち破ることができました。
ただそこで、モアブの王は自分の息子を全焼のささげ物とすることで、モアブの軍隊にイスラエル連合軍への激しい怒りを引き起こさせ、イスラエル連合軍はそれぞれの国に帰って行きました。
歴代誌の記事は、このことの続きとして理解するべきかと思われます。モアブの王は、今度は北のアンモンと南のエドムを誘って死海の南を迂回して死海西部の中間地点の要衝、エンゲディに攻撃を仕掛けてきました。
なお、一節最後の「一部のアンモン人」とは、ヘブル語からの忠実な訳ですが、ギリシャ語七十人訳では「メウニム人」と記されます。彼らはⅠ歴代誌4章41節に登場しますが、その由来は分かりません、ただ、10、22、23節では「アンモン人、モアブ人、およびセイル山の人々」という記述があり「セイル山」とはエドムの地なので、これをエドムを含めた連合軍と理解するとこの攻撃の大きさが分かります。その際、2節の「海の向こうのアラムから」とは「海の向こうのエドムから」という写本で理解すべきでしょう。
その攻撃の知らせを受けて、「ヨシャファテは恐れた。そして心に決めて主 (ヤハウェ) を求め、ユダの全土に断食を呼びかけた。ユダの人々は集まって来て、主 (ヤハウェ) の助けを求めた」(20:3、4) と記されます。
そこで「ヨシャファテは、主 (ヤハウェ) の宮にある新しい庭の前で、ユダとエルサレムの集団の中に立って」、「私たちの父祖の神、主 (ヤハウェ) よ……あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか」と訴えます。
そして、9節では神殿奉献の際のソロモンの祈りを引用して、「もし、さばきの剣、疫病、飢饉などのわざわいが私たちを襲うなら、私たちはこの宮の前、あなたの御前に立ちます……そして、私たちは苦難の中からあなたに叫びます。あなたは聞いて、お救いくださいます」と祈ります。
全世界も東京も、今、「疫病」に襲われています。そこで、私たちは主の宮に集まって、ともに祈りたいと思いますが、自分たちが感染媒体になって、体力のない方々に感染を広げるようなことは絶対に避けるべきです。そのため、集会の持ち方をどのようにすべきかを深く悩みます。
しかし、今回のように場所は分かれていても、ともに同じ時間に、主に向かってお祈りできることは何と素晴らしいことでしょう。
ただ、そのとき「主 (ヤハウェ) の霊が……レビ人ヤハジエルの上に臨んだ」(20:14) という主ご自身の明確な指示が与えられます。そこで主 (ヤハウェ) のことばが、「この大軍のゆえに恐れてはならない、おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである……堅く立って、あなたがたとともにおられる主 (ヤハウェ) の救いを見よ。ユダとエルサレムよ、恐れてはならない。おののいてはならない。明日、彼らに向かって出陣せよ。主 (ヤハウェ) はあなたがたとともにおられる」と告げられます (20:15-17)。
その後、ヨシャファテは出陣に際し、「民と相談し、主 (ヤハウェ) に向かって歌う者たちと、聖なる装いをして賛美する者たちとを任命した」と描かれます (20:21)。
そしてその賛美の目的が、「武装をした者の前に出て行って、こう言うためであった」と記され、そのことばが「主 (ヤハウェ) に感謝せよ。主の恵み(ヘセド、契約の愛)はとこしえまで」と記されます。これは聖書に繰り返される賛美の典型的なことばです。
そしてその後、「彼らが喜びと讃美の声をあげ始めると、主 (ヤハウェ) は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアンモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた……彼らは互いに戦って滅ぼしあった」 (20:22、23) と記されます。主が送り込まれた「伏兵」の意味は分かりませんが、とにかくユダの軍隊が戦いに入る前に、三つの民族が同士討ちで滅ぼしあったというのです。
その結果が、「ユダの人々が……大軍を見渡すと、なんと、死体が野に転がっていた。逃れた者は一人もいなかった」という状況になっていました (20:24)。その後、「人々は……ヨシャファテを先頭にして、喜びのうちにエルサレムに凱旋した……彼らは琴、竪琴、ラッパを携えてエルサレムに入り、主 (ヤハウェ) の宮に行った」(20:28) と記されます。
私たちは、「主 (ヤハウェ) への感謝」は結果を見た後にするものと考えがちですが、ここでは戦いに先立って、主の永遠のご支配に感謝しています。そして、もちろん、戦いの後にともに主に感謝しています。
そしてこの戦いの結果が、「主 (ヤハウェ) がイスラエルの敵と戦われたと聞くと、地のすべての王国に神の恐れが下った。ヨシャファテの治世は平穏であった。神は周囲の者から彼を守り、安息を与えられた」(20:29、30) と記されています。そして彼が「35歳で王となり、エルサレムで25年間、王であった」とその人生がまとめられます (20:31)。
しかし、私たちの目には、ヨシャファテの生涯は、戦いの連続です。北王国のアハブによるアラムとの戦いに、また、その子ヨラムのモアブとの戦いに巻き込まれて、死の危険と隣り合わせになりました。また、国内の偶像を大胆に取り除いたときに、多くの抵抗に会ったことでしょう。最後のこのモアブ連合軍との戦いも、人間的に考えるとパニックにならざるを得ないものでした。
そうすると、パニックに陥れるような状況と、「平穏(静けさ)」、「安息(休息)」というのは両立しているのかとも思わされます。これらのことばは平和(シャローム)とは全く異なったことばですが、「平和と平穏」(Ⅰ歴代22:9) などと並行的に用いられることがあります。これは、ヨシャファテが主に信頼したことに神が答えてくださったという意味です。
多くの人々は平穏無事な人生を願いますが、第二次世界大戦後の日本が75年間享受してきたような成長とそれなりの平和という時代は、歴史的には、極めて例外的です。今回の新型コロナウィルスは、私たちが住むこの世界は、エデンの園の外にある、神の救いを待ちながら「うめいている」状態であることを覚える良い機会ですが、それは「産みの苦しみ」(8:22) です。
人間が作り出す平和には限界があります。真の平和 (シャローム) は、神から与えられるものです。しかし、それはヨシャファテの生涯に見られるように、愚かな過ちを犯しながら、そのたびに必死に神に立ち返り、神にすがることを通して与えられるものでもあります。
2.「主 (ヤハウェ) は……契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼされることを望まれなかった」
20章34節以降に、ヨシャファテが北王国イスラエルの王アハブの息子「アハズヤと同盟を結んだ」と記されます。19章2節で、アハブとの同盟を、主から厳しく戒められ、深く反省していたはずなのに、何と愚かなことでしょう。その目的が、「タルシュシュに行く船団をつくるため」(20:36) であったというのですが、それはソロモンに倣って、地中海貿易に踏み出すことを意味します。
それに対して預言者のことばは明確で、「あなたがアハズヤと同盟を結んだので、主 (ヤハウェ) はあなたが造ったものを打ち壊されます」(20:37) というものでした。そして、「船は難破し、タルシュシュに行くことができなかった」と記されます。
そして21章ではヨシャファテの子のヨラムの治世のことが描かれます。ヨシャファテは七人の息子たちが平和に生きられるように、支配する町を分散して与えたのですが、長男のヨラムが王位に就くと、彼は「兄弟たちをすべて剣にかけて殺し、イスラエルの首長たち数人も殺した」(21:4) というのです。
そして「ヨラムは32歳で王となり、エルサレムで8年間、王であった」(21:5) という表現と共に、その生涯が、「彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻であったからである。彼は主 (ヤハウェ) の目に悪であることを行った」(21:6) とまとめられます。これはエルサレムの王が、主に逆らった北王国の生き方に倣ったという描写です。
何とエルサレム神殿を持つ民が、偶像礼拝に走り出したのです。それは何よりも、11節に「彼はユダの山々に高き所を造り、エルサレムの住民に淫行を行わせて、ユダを迷わせた」と記されているように、南王国ユダの住民を偶像礼拝に走らせた罪です。そして、このようになった最大の原因は、ヨシャファテが北王国のアハブと同盟を結び、彼とイゼベルの娘アタルヤを、ヨラムの妻に迎えたからです。ヨシャファテは最高の王の一人であるとともに最悪の判断ミスをしてしまいました。
ただ、それでも「主 (ヤハウェ) はダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼされることを望まれなかった」(21:7) と記されます。ここにその後の悲惨の中に希望を見ることができます。
それにしても11-15節に、あの預言者エリヤからの書状が引用され、ヨラムに対するさばきが宣告されます。その際、「あなたが、あなたの父ヨシャファテの道にも……アサの道にも歩まず、イスラエルの王たちの道に歩み。アハブの家が淫行を行わせたように、ユダとエルサレムの住民に淫行を行わせ、また、あなたよりも善良な……父の家の兄弟たちを殺した」と非難されています。エリヤがヨシャファテを高く評価していたことが印象的です。
ただ、さしあたりはユダ王国の悲惨が拡大します。9、10節にあるように南の王国エドムがユダの支配から完全に脱します。また21章16、17節では、「主 (ヤハウェ) は、クシュ人の近くにいたペリシテ人とアラビア人の霊を奮い立たせて、ヨラムに敵対させたので、彼らはユダに攻め上って侵略し、王宮で見つかったすべての財産をはじめとして彼の子や妻たちまでも奪い去った。そのため、彼には末子のエホアハズのほか、息子は一人も残らなかった」と記されます。
自分の妻や息子たちが奴隷にされるのを彼は見守るしかなかったのです。そればかりか、「主 (ヤハウェ) は不治の内臓の病で彼を打たれた」(21:18) と記され、彼は二年後に死にます。
そして、その死に際して、人々から全く惜しまれることもなく、「王たちの墓に」さえ「納め」てもらえなかったというのです。歴代誌の中で、これほど惨めな最期を迎えた王は初めてです。
3.「見よ、主 (ヤハウェ) がダビデの子孫について約束されたとおり、王の子が王となる」
そして、22章初めでは、ヨラムの末子のアハズヤ(先にはエホアハズと記された)が王となったことが記され、2節では「彼の母の名はアタルヤといい」と初めてその名が登場します。そして、アハズヤが北王国の悪王「アハブの道に歩んだ」と記され、その理由が、「彼の母が助言者となり、悪を行わせたのである」と記されています (22:3)。
そればかりか「アハブの家の者が助言者となり、彼を滅びに至らせた」さえ描かれます (22:4)。そして、「彼は……イスラエルの王アハブの子ヨラム」とともにアラムと戦い、敗北するというヨシャファテと同じ過ちを繰り返します。
ただこのときは、「主 (ヤハウェ) がアハブの家を絶ち滅ぼすために」、預言者エリシャによって「ニムシの子エフー」に油を注いでいました(22:7、Ⅱ列王9:6、7)。そして、エフーはアハブの家の者たちを殺しますが、このときにユダの王アハズヤまでも殺してしまいます (22:9)。
驚くべきことは、その後、「アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちにユダの家に属する王の一族全員を滅ぼした」(22:10) と記されます。これは北王国でアハブの家が滅ぼされたことを聞いたアタルヤが、ユダ王国を通してアハブの家を復興しようという試みと理解できましょう。
幸い、そのときヨラム王の娘で祭司エホヤダの妻であるエホシェバが、「殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し」ました (22:11)。そして「ヨアシュは……神の家に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤが国を治めていた」(22:12) という状況になります。まさに、首の皮一枚でダビデ王家が続いている状態です。
不思議にも、ヨアシュは主 (ヤハウェ) の宮の中で神の民によって匿われていました。そこに21章7節にあった、主ご自身がダビデの家を守っておられるという断固たる意志を見ることができます。神の救いが見えなくなるようなときにも、そこで主に拠り頼み続けるなら、主は私たちを守り通してくださいます。
悪女アタルヤの圧制の中で、たった一人のアハズヤの息子ヨアシュが、王女エホシェバによって救い出され、六年間もの間、乳母とともに主 (ヤハウェ) の宮の中に匿われていたことは、幼子モーセのいのちがエジプトの王ファラオの娘によって守られたことに似ています。そこに圧倒的な神の御手が働いています。
なおエホシェバの夫が祭司エホヤダであるということは (22:11)、列王記には記されていません。とにかく、「七年目に、エホヤダは奮い立って、百人隊の長たち(五人)を連れて来て、自分と契約を結ばせた」(23:1) と記されます。そればかりか、ユダ全土からレビ人を集めます (23:2)。
そして、「全会衆は神の宮で王と契約を結んだ」と記され、その契約の内容が、「見よ、主 (ヤハウェ) がダビデの子孫について約束されたとおり、王の子が王となる」というものでした (23:3)。その上でエホヤダは、主の宮での奉仕ばかりか、王の護衛の任務にレビ人たちをつかせ、「レビ人は、それぞれ武器を手にして王の周りを囲め、宮に入ってくる者は殺されなければならない」と命じました (23:7)。
ここにヨシャファテがかつて、レビ人と祭司たちの中から「主 (ヤハウェ) のさばき」をつかさどる指導者をエルサレムに立て、またユダの全域にそのような「さばき人」を立てていたことが生かされています (19:5、8、11)。
祭司エホヤダがユダ全体の中央裁判所の指導者として機能し、また全国に、彼の指導に従う者たちが置かれ、彼らは政治権力者から独立していることができたのです。これは申命記に17章8-13節のみことばをヨシャファテが具体化していたことの結果と言えましょう。
そして祭司エホヤダと民は、「王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書を渡し……彼に油をそそぎ」ました (23:11)。王冠とモーセの律法がセットにされたのです。それは王の第一の使命が、主の御教えに従うことにあるということを示すためです。その際、「人々は……手をたたいて『王様万歳』と叫んだ」と列王記には描かれます (Ⅱ11:12)、人々の心は一気にアタルヤからヨアシュに移ります。
興味深いことに13節では「王の傍らに隊長たちやラッパ奏者たちがいて、民衆がみな喜んでラッパを吹き鳴らし……歌い手たちは楽器を手にして賛美の指揮をしていた」と敢えて記されています。これはアタルヤにとっては「謀反」ですが、主の目には、主への賛美の中で、ダビデ契約が守られた瞬間です。
その後アタルヤは主の宮から引き出され、王宮で殺されました。これこそこの世の権威が、主の権威によって覆された瞬間です。私たちも、神の命令に忠実に生きようと思うなら、この世の権威に逆らうべきときがあることを忘れてはなりません。
その後、祭司エホヤダは、「すべての民および王との間で、彼らが主 (ヤハウェ) の民となるという契約を結ばせた」(23:16) と記されます。これは主の律法をもって国を治めるという神の民の原点に立ち返ることでした。
そして、人々はバアルの祭壇と像を徹底的に壊しました。このとき王に立てられたヨアシュは七歳でした。しかし、ヨシャファテが残した組織が、ここで王を守り、王を立て、補佐する形で機能したのです。
以前、ヨラムがアタルヤを娶ってユダ王国にバアル礼拝を持ち込んだとき、「主 (ヤハウェ) はダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると約束されたからである」(21:7) と記されていました。
ダビデの血筋の者がアタルヤによって皆殺しにされたと思われたとき、人々は主の真実を疑ってしまったことでしょう。しかし、主は、人の手を通して、たった一人のダビデの血筋を保っておられ、ご自身のときに彼を王として立てられました。まさに幼子が横暴な権力者を打ち破ったのです。
イエスの誕生も、ときの権力者ヘロデによる幼児虐殺と結びついています。私たちは、「神がおられるなら、なぜ、このような不条理が起きるのか……」と思うことがあるかもしれません。しかし、神のご支配の現実は、悪が完全な勝利を治めることはないということの中にこそ見られます。神はどのようなときにも、小さな「ともしび」を残しておられます。そして、神の大逆転は必ず起きるのです。
私たちは今、新型コロナウィルスの蔓延という暗闇の中にいます。先が見えません。しかし、私たちは主が残しておられる「ともしび」から目を離すことなく、主にあってこの難局を乗り越えて行きたいと思います。