多くの日本人はソロモンの栄華の記事を読みながら、平家物語の有名な始まり、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」を思い起こすかもしれません。
しかし、イザヤ書66章では「新しい天と新しい地」の祝福が、主がエルサレムに「川のような繁栄を与え、あふれる流れのように国々の栄光を与える……すべての国々から」の人々があらゆる富を「主 (ヤハウェ) の宮に携えて来る」こととして描かれます(12、20、22節)。
私たちがこの地で平安と繁栄を味わっているとき、その儚(はかな)さを思うか、それともそれを「新しい天と新しい地」の前味として理解するのかで、人生に対する向き合い方が大きく変わります。ソロモンは最終的にイスラエル王国を分裂に導きましたが、歴代誌は彼のそのような負の遺産よりも、エルサレムの神殿とこの町の繁栄のために、彼が豊かに用いられたという視点から描かれています。
私たちも様々な失敗をするかもしれませんが、その心が主に向けられているとき、私たちの労苦は無駄にはなりません。人生の儚さよりも、最終的なゴールを意識して生きたいものです。
1.「神の人ダビデの命令がこうだった……ソロモンの働きの全ては遂行された」
8章1-6節ではソロモンによる国土建設事業が描かれ、6回に渡って「建てた」ということばが繰り返されます (1、2、4、4、5、6節)。まず、「ソロモンが主 (ヤハウェ) の宮と王宮との二つの家を二十年かけて建て終えた」(8:1) と、彼の大建築工事が振り返られます。
列王記はこの時のことを、ソロモンはレバノン杉と大量の「金」への返礼として「ガリラヤ地方の二十の町」を与え、それにヒラムが不満を述べたと描いています。それはまるで、神がイスラエルに割り当てた土地を「金」と引き換えにしたかのように読むことができましたが、8章2節では「ソロモンは、ヒラムが彼に返した町々を建て直し(建て)、そこにイスラエル人を住まわせた」と記されます。
これはこれらの土地がヒラムからソロモンの手に戻され、ソロモンは神が与えでくださった土地を再建したという意味と理解できます。これはソロモンの名誉が回復された書き方になっていると言えます。
また3節では「ソロモンはハマテ・ツォバに出て行き、これに打ち勝った」と記されますが、これは列王記にはない画期的な勝利です。これはダマスコの193㎞も北の地域を占領したことで、さらに「彼は荒野にタデモルを建て、倉庫の町々をすべてハマテに建てた」(4節) と記されます。タデモルはダマスコの北西200kmにある地で、ハマテはユーフラテス川の南の地域です。
また「彼はまた、上ベテ・ホロンと下ベテ・ホロンを建てた」とありますが、これはエルサレムの西北西20㎞にある交通の要衝の地です。6節のバアラテはキルヤテ・エアリムの別名 (Ⅰ13:6)で、エルサレムの西十数㎞の交通の要衝の地です。
そして6節の終わりでは、「ソロモンが……建てたいと切に願っていたすべてのもの」を「……建てた」と5節から続く文章が閉じられます。ここには、ソロモンが自分の支配地に願っていた建設工事を全うしたと強調されています。
7-10節では、上記の建設工事に関わった人々に関して、「イスラエル人が滅ぼし尽くさなかった人々の子孫……を、ソロモンは苦役に徴用した」と記されていますが、これはⅠ列王記9章21節での「イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した」という表現よりも、かなり穏やかな表現になっています。
列王記では、聖絶すべき人々の労働にソロモンが頼ったという否定的なニュアンスになっているのに対し、歴代誌では外国人との協力関係を前向きに捉えるニュアンスがあります。
8章11節でも、エジプトの支配者である「ファラオ」の「娘」をダビデの町の外の「彼女のために建てた家に連れ上った」その理由が、「主 (ヤハウェ) の箱が入れられたところは聖だから」と記されます。
これは、Ⅰ列王記ではソロモンがファラオの娘のために豪邸を建て (7:8)、彼女がそこに移動したときに「ミロ(テラス)を建てた」(9:24) と、彼女への特別待遇を強調しているのとは対照的です。つまり、列王記ではソロモンがエジプトの王との同盟関係に頼るニュアンスがある一方、ここでは神殿の領域を聖別したことが強調されます。
12-15節でも神殿での礼拝のようすが、「モーセの命令どおりに……父ダビデの定めにしたがい……神の人ダビデの命令がこうだったから」という説明と共に、「全焼のささげ物を献げた」すべての時期や、祭司やレビ人、門衛の奉仕内容が記されます。
そして16節では「ソロモンの働きの全ては遂行された」(私訳)と記されています。これは「主 (ヤハウェ) の宮の完成」とは、建設工事ばかりか「ダビデの命令」に沿った形でレビ人の「賛美と奉仕」が全うされたことをも含んでいたということです。これはⅠ列王記9章25節の簡潔な表現と対照的です。
歴代誌では、神殿建設と礼拝における「ソロモンの忠実さ」が強調されて描かれます。
2.「主はあなたを喜び……あなたの神、主 (ヤハウェ) のために王とされた」
8章17節~9章12節までは、ソロモンが地中海貿易とアラビア半島からエチオピアにつながる紅海貿易の中継地として繁栄するという観点から見ることができます。これは現代のスエズ運河が果たす役割を、ソロモンがイスラエルの地の利を生かして行ったことを意味します。これは列王記とほぼ同じ記事です。
8章17節では、ソロモンが死海のはるか南、現在のアカバ湾の入り口の「エイラトへ行った」と記されます。ここは現在のイスラエルの最南端のリゾート地の港町です。ソロモンがここに目を向けたのは、ツロの王ヒラムの助けを得て、アラビア半島とエジプト、エチオピアに至る紅海での交易を展開するためです。
シナイ半島を挟むため、地中海と紅海の船の行き来は不可能ですが、これによってイスラエルの陸地の通商路を経て、地中海の果てのスペインとインド洋に至る交易路が結びつくことになりました。このヒラムが助けた船団はオフィル(位置不明、エチオピアの東岸、イエメンの対岸あたりと思われるがインドのボンベイという説まである)という所から金450タラント(約15.3トン、現在の価格で765億円)をも得てきたと報告されます。
ヒラムは2章では対等の同盟者として描かれましたが、あらゆる面でソロモンの意向に従い、海上貿易を助けています。
9章では、そのような中で「シェバの女王」がソロモンを訪ねたことが描かれます。シェバはアラビア半島の南西端、現在のイエメンあたりに位置した国であったと思われ、砂漠に覆われた半島の中でも例外的に土地が肥沃で、海峡を隔てたエチオピアとの通商によっても栄えていました。
女王は「非常に多くの従者を率い、バルサム油(香油)と多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た」のですが (9:1)、そこには「ソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試そう」とする動機がありました。
しかし、「ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた」というのです。そればかりか彼女は宮殿の様子や「主 (ヤハウェ) の宮に上る階段」(別訳「主の宮での全焼のささげ物」)を見て、「息も止まるばかり」(9:4) になり、「私にはあなたの知恵のすばらしさを半分も知らされていなかった」(9:6) と感動します。
さらに彼女は、ソロモンの家臣たちが彼の知恵を聞くことができること自体が「なんとしあわせでしょう」と感心して言ったこと、また「あなたの神、主 (ヤハウェ) がほめたたえられますように」と、主を賛美したことが描かれます (9:7、8)。
さらに歴代誌特有の記述としてソロモンが王座に就けられた目的が、「あなたの神、主 (ヤハウェ) のために王とされた」と記されていることです。ここには新約で繰り返される「神の王国」のイメージが示唆されているとも言えます。
なお、イエスはこの南の女王が「ソロモンの知恵を聞くために地の果てから来た」と彼女の信仰を評価し、彼女は終わりの日にパリサイ人や律法学者を「罪ありとします」と言われました (マタイ12:42)。
彼女の贈り物で特に際立っていたのは、「百二十タラントの金」(ヒラムの場合と同じ量で約4トン)と、「かつてなかった」ほどの「非常に多くのバルサム油」でした (9:9)。これは木から採取される香油で、非常に高価なものでした。
また「オフィルから金を積んできた」(9:10) と言われる「ヒラムのしもべ」の船団も、香木である「白檀(びゃくだん)」を大量に運び込んだと描かれています。このように香油や香木が珍重されるのは、生活必需品が十分に満たされていることの象徴とも言えましょう。
そして、「ソロモン王は……シェバの女王が……求めた物は何でもその望みのままに与えた」(9:12) と、彼の並外れた豊かさが強調されています。
9章13節では「一年間にソロモンのところに入ってきた金の重さ」は「666タラントであった」と記されますが、これは21.6トンに相当します(約1,000億円)。
それに加えて、「アラビアのすべての王たち」(9:14) からの貢ぎ物があったと描かれているのを見ると、シェバの女王との交流は氷山の一角のようなものでした。
9章16-20節の最初と最後では、「レバノンの森の宮殿」が純金で満ちていたようすが描かれます。またそこではソロモンの「王座」が象牙の上に純金をかぶせた巨大なもので、「どこの王国でも作られたことがなかった」途方もない豪華なものであること、また飲み物の器までもが金であることが描かれています。
なお、9章21節では、「王にはヒラムのしもべたちを乗せてタルシシュへ行く船があり」と描かれていますが、「タルシュシュの船」に関しては、スペイン南部の地名と思われる地との貿易専用の船団なのか、遠隔地との貿易が可能な大きな船の船団という意味なのかという異なった解釈があります (8:17、18参照)。
どちらにしても、中心的な意味は、ソロモンが地中海貿易で繁栄していたツロの王ヒラムに海上貿易を依存する代わりに、独自の大船団を所有し、往復に三年かかるような遠方との交易を独自に行っていたことが強調されていることでした。
伝道者の書の11章1節の「あなたのパンを水の上に流せ。多くの日々がたってから、あなたはそれを見いだすのだから」(私訳)ということばはこの海上貿易を前提としたことばかと思われます。ソロモンは主にあって大胆にリスクを引き受け、それによって前人未到の富を築き上げたのです。
その上で、「ソロモン王は、富と知恵において、地上のどの王よりもまさっていた。地上のすべての王は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた」(9:22、23) と、神から授けられた聖書的な知恵自体が、何よりの富の源となったことが記されます。
つまり、知恵と繁栄自体は、神の栄光を現すものとも言えましょう。世界中の人々が、イスラエルに贈り物を携えて来ること、また平和のうちに海の果てとの交流が盛んになることは、すべて神の民にとっての憧れであり、神の祝福のシンボルでした。
3.「ソロモンはエルサレムで四十年間、全イスラエルの王であった」
9章29節には「ソロモンについてのその他の事柄、それは最初から最後まで」、三つの記録に記されているとその書の名が記されています。これらの書名はⅠ列王記11章41節には記されず、その章では、ソロモンの外国人の妻たちが、彼の心を外国の神々に向けてしまったことばかりが描かれています。
それに対するさばきとして、ソロモンに敵対する者たちが神によって立てられますが、その代表がエフライム人のヤロブアムであり、彼に反乱を神の御旨として勧めたのが、ここでの「シロ人アヒヤの預言」です。ですから当時の読者は「アヒヤ」の名を見るだけで、Ⅰ列王記11章全体の記事を思い起こしたことでしょう。
しかし歴代誌の著者は、ソロモンがダビデの礼拝形式を忠実に受け継いだことと、神がソロモンに並外れた知恵を与えることで、イスラエル王国の繁栄を導いたということに注目させます。
また本書では、外国との協力関係に関してもより積極的に描いています。それは特に詩篇72篇に記された「ソロモンのため」の「ダビデの祈り」を、主が聞き入れて、ソロモンの支配を豊かに祝福されたという意味と理解できます。
「ソロモンはエルサレムで四十年間、全イスラエルの王であった」(9:30) という記述に、詩篇72篇10、15節の「タルシュシュと島々の王たちは貢ぎを納め シェバとセバの王たちは贈り物を献げます……どうか 王が生き続け 彼にシェバの黄金が献げられますように。王のためにいつも彼らが祈り 絶えず王をほめたたえますように」というダビデの祈りの成就を見ることができます。
ただ、その間の12-14節には理想的な王の姿が、「王が 叫び求める貧しい者や 助ける人のない苦しむ者を救い出すからです。王は 弱い者や貧しい者をあわれみ 貧しい者たちのいのちを救います。虐げと暴虐から 王は彼らのいのちを贖います。王の目には 彼らの血は尊いのです」と描かれます。
そしてソロモンの後継者レハブアムが、それと逆の行動をしたことが歴代誌10章に描かれます。しかも、それこそソロモンが残した最大の負の遺産でした。
北の十部族のリーダーとなったエフライム人ヤロブアムが、ダビデの孫のレハブアムに訴えたことの中心は、「あなたの父上(ソロモン)は、私たちのくびきを重くしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください」(10:4) というものでした。
ここにはソロモンが「全領地に建てたいと切に願っていたすべてのもの」を、また自分の「森の宮殿」や「ファラオの娘」や他の妻たちのために多くの豪華な家を建てたということの背後で、民への税金が増し加わり、また彼らに過酷な労働を強いたということが示唆されています。
なお、Ⅰ列王記11章28節では、ヤロブアムに関して「ソロモンはミロを建て、彼の父ダビデの町の破れ口をふさいでいた。ヤロブアムは手腕家であった。ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させた」と描かれています。
ヤロブアムはエルサレムでの建設工事に携わりながら、ソロモン王の驚くべき繁栄と民衆の貧しさとのギャップを目の当たりに見て、ソロモンの目が、ダビデが祈っていたようには、民衆に向けられていないことに疑問を持ったことでしょう。
ソロモンは驚くべき大量の金を手にしましたが、本来それらはイスラエルの民全体を潤すために用いられるべきでした。ソロモンの行動は、かつて神がモーセを通して、将来の王制に移行することを予測しつつ、「王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない……自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない」(申命記17:16、17) と命じられていたことに、ことごとく反しています。
ところが富と権力がソロモンを惑わせ、傲慢にしたと言えましょう。お金の使い方に賢くなることは、豊かになるための秘訣ですが、お金を何に使うかというビジョンがない人は、お金で身を滅ぼし、周りを破滅させてしまいます。
4.「……レハブアムに力添えした。三年の間、彼らがダビデとソロモンの道に歩んだから」
ヤロブアムたちの訴えを聞いたレハブアムは、まず「ソロモンに仕えていた長老たち」(10:6) に相談します。彼らは王に、「この民に優しくし……好意を示し……親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう」と的確に答えます (10:7)。
しかし、レハブアムに仕えている若者たちは、「くびきをもっと重くし……」、「むち」の代わりに「さそりを使う」と言うように勧めます (10:11)。そして王は三日目にイスラエルの民に向って「厳しく答え」、若者たちの助言どおりに、「私はおまえたちのくびきを重くする(別訳「父はおまえたちのくびきを重くしたが」)。私はそれをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのなら、私はさそりを使う」と答えます (10:14)。
それはかつてエジプトの王ファラオが、苦役に悩むイスラエルに答えたのと同じように、力によって民を抑えることでヤロブアムの指導力を削ぎ、反抗する気力をなくそうとする政策でした。
それは当時の王国の常識でしたが、イスラエルの王制は神が立てたものでした。そこにレハブアムの信仰の未熟さが見られますが、ここではその理由が「神がそう仕向けられたからである。それは、かつてシロ人アヒヤを通して……告げられたことばを主 (ヤハウェ) が実現するため」と記されます (10:15)。
その結果が「全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見てとった。そこで民は王にことばを返し」、「ダビデのうちには、われわれのためのどんな割り当て地があろうか……」と言って「自分たちの天幕に帰って行った」(10:16) と記されます。
これはかつて、ダビデがアブサロムの反乱を鎮めた後、イスラエルの民が彼に言ったことばとほぼ同じで (Ⅱサム20:1)、ユダとイスラエルの分裂の根の深さを象徴します。その結論が「このようにして、イスラエルはダビデの家に背いた。今日もそうである」と記されます (10:19)。
その後、レハブアムは王位の回復を目指し、ユダとベニヤミン両部族の精鋭18万人を召集して北に攻め入ろうとします。
しかし、主が神の人シェマヤを遣わし「あなたがたの兄弟たちと戦ってはならない……わたしが、こうなるようにしむけたのだから」(11:4) と語ります。そこで、彼らは主のことばに聞き従います。
その後は歴代誌独自の記述として、レハブアムが防備の町々を建て、王権を安定させるようすが描かれます (11:5-12)。そこで何よりも強調されるのは、「イスラエル全土の祭司たちとレビ人たちは……自分たちの放牧地と所有地を捨てて、ユダとエルサレムに来た」と描かれていることです (11:13、14)。それはヤロブアムが、「主 (ヤハウェ) の祭司としての彼らの職を解き、自分たちのために祭司を任命して」、偶像を造ってそれに「仕えさせた」からです (11:14、15)。
さらに続けて、「イスラエルの全部族の中から、イスラエルの神、主 (ヤハウェ) を尋ね求めようと心に決めた者たちが……エルサレムに来た。彼らは三年の間、ユダの王権を強固にし……レハブアムに力添えした。三年の間、彼らがダビデとソロモンの道に歩んだからである」と記されます (11:16、17)。
列王記ではレハブアムの母がアンモン人で、王は民の偶像礼拝に加担していたかのように記されますが、ここではレハブアム王が、分裂後の王国の神殿礼拝を守ったようすが描かれています。
後にエルサレムの城壁を再建したネヘミヤは、ソロモンの罪を、異国人を娶ったことと描き「彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、その彼にさえ異国人の女たちが罪を犯させてしまった」と言いますが (13:26)、それこそ列王記的な結論です。
しかし、歴代誌は不思議にこのことに関しては沈黙したままで、ソロモンの功績を、神殿建設とダビデの礼拝の形を実現し、エルサレムを全世界の憧れの都としたという面に焦点を合わせて描きます。また王国を分裂させたレハベアムに関しても、分裂後の王国の神殿礼拝を守った者として描きます。
ソロモンの罪もレハベアムの罪も周知の事実であった時に、敢えてそれに沈黙したまま、彼らの功績に目を向けさせることで、著者はユダヤ人の誇りを回復させようとしています。
ただし、彼らの王としての最大の失政が、民の苦しみに目が向けられていないこととして描かれます。その点で、イエスが真のダビデの子として登場することへの期待も言外に記されているのです。