Ⅱ歴代誌5〜7章「主 (ヤハウェ) の栄光が主 (ヤハウェ) の宮に満ちるために」

2020年1月19日

あなたの心の願いは何でしょう。ダビデの何よりの願いは、「いのちの日の限り、主 (ヤハウェ) の家に住み。主 (ヤハウェ) の麗しさを見つめ、その宮で、深く静まること」でした (詩篇27:4私訳)。彼はそのために神殿を建てようとしたのではないでしょうか。

一方、イエスの時代の人々は、ヘロデ大王が建てた外面的には壮麗な神殿を見ながら、その神殿が主 (ヤハウェ) の栄光に満たされることを待ち望んでいました。それをユダヤ人はシェキナー (Shekinah) と呼びました。それはモーセが建てた幕屋にもソロモンが建てた神殿にも現わされたものです。

そのような中でイエスは、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」(ヨハネ2:19) と言われました。これは主が十字架にかけられる告訴理由になり、それで嘲られましたが、主の復活によって、真の神殿が完成したのです。

福音記者ヨハネは、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」(1:14) と記していますが、イエスこそシェキナーの現れだったのです。それは「恵みとまこと」として現わされましたが、人々は理解しませんでした。

ソロモンの神殿はイエスの時代に神殿にはるかにまさるものでしたが、「本物の模型」(ヘブル9:24) に過ぎませんでした。ソロモンは与えられた知恵によってそれを理解していました。そして今、私たちはイエスの御顔に現わされる「神の栄光」を慕い求めるように召されており、それを知るための聖霊という「宝を土の器の中に入れています」。

1.「主 (ヤハウェ) の栄光が主 (ヤハウェ) の宮に満ちた」

エルサレム神殿のすべての工事が完了したのは、ソロモンの治世の第11年目(紀元前960年)の第八の月でした (Ⅰ列王6:38)。そして彼はイスラエル全土から各部族の指導者たちをエルサレムに召集しました (5:2)。それは「 (ヤハウェ) の契約の箱」をダビデの町から北に700m余りのモリヤ山上の神殿へと運び入れられるためでした。そこは昔、ダビデが自分の罪を悔いて、全焼のいけにえを献げたとき、天から火が下った場所です (Ⅰ歴代誌21:22-22:1)。

しかもこのときは「第七の新月の祭り」(5:3、レビ23:24参照) と記されますから、年に一度の「贖罪の日」の10日前、仮庵の祭りの15日前の大切な時期です。

レビ人たちはイスラエルの全長老が集められた中で「契約の箱」を担ぎました (5:4)。その箱はそれまで古いダビデの町の王宮近くに置かれており、そこから北に。箱が進む前では「数えることも調べることもできなかった」ほどの「羊や牛」が「いけにえとして献げ」られ、ついに至聖所のケルビムの翼の下に運び入れられます (5:7)。

なおここで敢えて「箱の中には、二枚の石の板のほかには何も入っていなかった」(5:10) と記されます。入っていたのは十戒の板だけで、「マナの入った金の壺」や「アロンの杖」は不明です (ヘブル9:4)。それは列王記も同じです。とにかく歴代誌が記された時に「契約の箱」は行方不明になっていました。

旧約外典マカバイ記2章4-8節では、バビロン帝国に神殿が壊される直前、預言者エレミヤは、主の命令によって神の箱を、モーセが最後に約束の地を見渡したネボ山の洞穴に隠したと記されています。そこでは主が憐れみを示してくださるとき、モーセやソロモンのときのように「主の栄光と雲が現れるだろう」と記されていました。

これはイエスの時代の人々が信じ、期待していたことです。黙示録11章19節には、「天にある神の神殿が開かれ、神の契約の箱が神殿の中に見えた」という終わりの日の預言が記されます。

この書では特に、ダビデが整えたアサフ、ヘマン、エドトンを指導者とするレビ人の聖歌隊による賛美が描かれます。その人数は、120人の祭司たちがラッパを吹き鳴らす中ですから、四千人いたのかもしれません (Ⅰ歴代23:5)。

彼らはシンバル、琴、竪琴を演奏し、「歌い手たちが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主 (ヤハウェ) を賛美し、ほめたたえ、『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでESV訳:For he is good, for his steadfast love endures forever) 』と主 (ヤハウェ) に向かって賛美」しました (5:13)。

ここでは、そのような賛美への応答かのように、「そのとき、雲がその宮、すなわち主 (ヤハウェ) の宮に満ちた。祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。(ヤハウェ) の栄光が (ヤハウェ) の宮に満ちたからである」(5:13、14)  と描かれます。

栄光」は「重さ」と同義語で、明るさ(「あ!軽い」)よりも恐怖心を引き起こす「真っ暗な雲」(出エジ14:19、20) として描かれます。これは、モーセのもとで「会見の天幕」が完成したときと同じ情景でした (同40:34、38)。そのときの「栄光の雲」は、夜は「火の柱」、昼は「雲の柱」として現れ、イスラエルの民を地上の約束の地へと導きましたが、今、ここに現れた主 (ヤハウェ) の栄光は、イスラエルの民を「祭司の王国、聖なる国民(くにたみ)」として整えるという意味がありました。

このときソロモンは、「 (ヤハウェ) は、黒雲の中に住む、と言われました。そこでこの私はあなたの御住まいである家を建てました。御座がとこしえに据えられる場所を」(6:1、2) と語ります。これは主が、見ることも近づくこともできない方でありながら、その栄光をご自身が王として支配するイスラエルという国を通して現されるという意味です。

それはたとえばこれから240年後のヒゼキヤ王の時代に、アッシリア帝国の大軍がエルサレムを包囲した際、「 (ヤハウェ) は御使いを遣わして、アッシリアの王の陣営にいたすべての勇士、指揮官、隊長を全滅させた」(32:21) ということに現わされました。

詩篇46篇1節では、「神はその(エルサレムの)ただ中におられ その都は揺るがない。神は朝明けまでに これを助けられる」と歌われています。

ただし、すべての人間は、物事がうまく運んだときは自分を誇り、やがて主の恵みを忘れるようになる傾向があります。それこそがイスラエルの悲劇でした。その後、ヒゼキヤも高ぶり、バビロン帝国と手を結び、彼の息子のマナセはエルサレム神殿の中に異教の偶像を立てることまでして、イスラエルの滅亡への道を突き進みます。

本書では「 (ヤハウェ) の栄光」の現れがレビ人による聖歌隊の賛美とセットで描かれる一方で、その最後では、「祭司長全員と民も、異邦の民の忌み嫌うべきすべての慣わしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムに聖別された主の宮を汚した」と記され、それが「神の宮は焼かれ……破壊された」という悲劇に結びつきます (36:14、19)。

イエス時代のヘロデ神殿は「契約の箱」もないまま、外側だけが輝いていましたが、その約40年後の紀元70年に廃墟とされ、イスラエルの民は全世界に散らされます。

彼らはその後、主の栄光がエルサレム神殿に現わされたこの第七の月の新月の日を、一年の始まりの日に置き換え、それから十日目の贖罪の日までを、ひたすら身を慎み、善行に励むように勧められるようになりました。

2.「ダビデの誠実」または「ダビデへの誠実」のゆえに、「ダビデの子イエス」が現れた

それからソロモンは「イスラエルの全会衆を祝福し」つつ、その歴史を振り返ります。

そこで彼は、主ご自身が「わたしは、わたしの名を置く家を建てるために……エルサレムを選んで……わたしの名を置き、ダビデを選んで、わたしの民……の上に立てた」と言われたと引用し、「 (ヤハウェ) はお告げになった約束を果たされたので、私は……主 (ヤハウェ) の御名のためにこの家を建て、(ヤハウェ) の契約が納められている箱をそこに置いた。その契約は、主が、イスラエルの子らと結ばれたものである」と述べます (6:5-6、10-11)。

つまり、神殿建設は人間のわざではなく、歴史を支配する神の一方的なみわざであるというのです。

そして、「彼はイスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を伸べ広げた」(6:12) と描きながら、敢えてソロモンがそこに立つために作った青銅の足台の大きさを、長さと幅が5キュビト (2.2m)、高さが3キュビト (1.3m) もあったと記します。

それは王である彼が全会衆の前でひざまずき、天に向かって両手を伸べ広げている姿が、人々の目に見られ、その祈りのことばが聞かれるようにするためでした。

そこで彼は (ヤハウェ) を「あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵み真実、ヘセド)を守られる方です」(6:14) と賛美しつつ、ダビデ王家が永遠に存続することを祈ります (8:16)。

その際、主はダビデに「あなたがわたしの前に歩んだようにあなたの子孫がその道を守り、わたしの律法に歩みさえするなら」(6:16) という条件を示し、ダビデの歩みを子孫たちにとっての模範とさせました。

私たちはみな彼が忠実な家来の妻を奪って騙し討ちにし、息子たちの罪に対しても無能な父親であったことを知っています。ダビデは聖人というより自分の弱さを心の底から自覚した人でした。私たちも何度も罪を犯しながらも、それを正直に認め、神にすがり続けるなら、ダビデの子孫と見ていただくことができます。

詩篇27篇8節に不思議な対話が描かれます。主 (ヤハウェ) がダビデに「わたしの顔を慕い求めよ」とささやき、彼の心がすぐに「あなたの御顔を、主 (ヤハウェ) よ、私は慕い求めます」と応答するというものです。彼の心は何よりも数々の詩篇の中に記されていますが、これこそ核心ではないでしょか。

以前、マザー・テレサがメンターである神父に宛てた手紙が公開されました。そこには彼女の赤裸々な葛藤と心の闇が記されていました。無神論者は大喜びしましたが、正直な信仰者は大きな慰めを受けました。

彼女の崇高さは、霊的な暗闇の中で、主の御顔を慕い求める真剣さにありました。その表情が「Come Be My Light」という本の表紙になっています。私たちの心の中には不信仰な思いと同時に非常に醜い思いも隠されています。

マザーテレサ
Come Be My Light

しかし、聖書に描かれたイエスの姿を思い巡らし、「主の栄光を鏡に映すよう(間接的)に見続ける」ことで、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられてゆく」と約束されています (Ⅱコリント3:18別訳)。

それは今、「神の栄光」は「キリスト・イエスの御顔」に見られ、それを聖霊ご自身が「私たちの心を照らし」て知らせてくださるからです。私たちはそのような「宝を土の器の中に入れている」のです (同4:6,7)。

その上でソロモンは、「神は……地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです」(6:18) と認めつつ、「あなたの御名をそこに置くと言われたこの場所に、昼も夜も昼も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向ってささげる祈りを聞いてください……天からこれを聞いてください。聞いて、お赦しください」(6:20) と祈ります。

その後の七つの祈りそれぞれで、「天からこれを聞き……してください」と繰り返されます。そしてその内容に関してはⅠ列王記8章31-49節と全く同じです。

第一は、どちらが有罪なのかが分からないケースの裁判において、主の公平なさばきが明らかにされることです (6:22、23)。

第二は、イスラエルが神への罪を犯した結果として敵に敗北するようなときに、反省した彼らを助けて欲しいと願うものです (6:24、25)。

第三は、罪へのさばきとして雨が降らなくなった場合、立ち返った彼らの「罪を赦し……歩むべき良い道を教え」てくださるようにとの願いです (6:26、27)。

第四は、「疫病や……いなご……が発生したとき……敵がこの地の町を攻め囲んだとき」という場合の願いです (6:28-30)。

第五は、驚くべきことに「あなたの民……でない異国人……が……遠方の地から来てこの宮に向かって祈るなら……その異国人が……願うことをすべて、かなえてください」と言われます (6:32、33)。イザヤ65、66章はこのテーマで記されます。またイエスはイザヤ56章7節を引用し、「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」と言われました。主が異邦人の庭から商売人を追い出したのは「異国人の祈りを守るために他なりませんでした (マルコ11:17)。

第六は「あなたの民が敵との戦いのために出て行くとき、遣わされる道で、あなたがお選びになった都……宮に向かって主 (ヤハウェ) に祈るなら」(6:34、35)と、神によって召された戦いでのことです。私たちも主に誠実に従ったつもりでも、様々な嘲りを受けることがあります。その絶望的な状況の中で、なお神殿での礼拝の回復を待ち望んで祈り、最終的な勝利を期待できます (詩篇43篇)。

第七の祈りは6章36節で「もし彼らがあなたに罪を犯すならー罪を犯さない人は一人もいないのですがーあなたが怒って彼らを敵に渡し」という語順で、バビロン捕囚の必然性が記されています。つまり、神は民の不従順に激しく怒る一方で、どうしても罪を犯してしまう弱い信仰の民の、赦しの道が最初から前提とされています。

そこでは、彼らが敵の国に捕虜として捕らわれて行き……(そこで)我に返り……あわれみを乞い、『私たちは罪ある者です。不義をなし、罪を行いました』と言い」と、彼らの悔い改めが預言的に記されています (6:36-39)。これは、ルカ15章17-19節の放蕩息子の反省の姿に重なります。

しかも、「捕らわれて行った捕囚の地で、心のすべて、たましいのすべてをもってあなたに立ち返り……この宮の方に向かって祈るなら」(6:37) という勧めを、後にダニエルは捕囚の地で実行しました。

彼は礼拝を禁止されながら、エルサレムに向って日に三度、ひざまずいて祈っていました (ダニエル6:10)。

6章40-42節にも特徴的なことが記されます。「 (ヤハウェ) よ 立ち上がってください。あなたの休み所にお入りください。あなたとあなたの御力の箱も」という祈りは、詩篇132篇8節とほぼ同じで、主がエルサレム神殿に王座を置き、そこから世界を治めてくださるようにとの願いです。

しかし、歴代誌が記された時代、契約の箱は失われていました。それでここでは、「あなたのしもべダビデ誠実な行いの数々を思い起こしてください」と訴えられますが、これは「ダビデへの誠実を思い起こしてください」と訳すこともできます。「ダビデの誠実さ」か「ダビデへの誠実」か、どちらにしても(ヤハウェ) とダビデとの特別な関係のゆえに、歴代の「油注がれた者たち」であるダビデの子孫の王たちの「」を退けないでくださいと祈られているのです。

これは、後のイスラエルの王たちが神に逆らったとしても、ダビデとの特別な関係のゆえに、彼の子たちが王であり続けるようにとの願いで、イエスがダビデの子として登場することにつながります。

エルサレム神殿は、罪の赦しを保証する施設で、その中心は契約の箱ですが、それが失われてもなお、ダビデ契約が無効にされることなく、ダビデの子による救いの道がここに示唆されています。

不思議にもソロモンは、自分の建てた神殿が無くなる、その後の神の赦しのご計画にまで思いを馳せたのです。

3.「わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒す」

7章1、2節では、「ソロモンが祈り終えると、天から火が下ってきて、全焼のささげ物と数々のいけにえを焼き尽くし、(ヤハウェ) の栄光がこの宮に満ちた。祭司たちは主 (ヤハウェ) の宮に入ることができなかった。主 (ヤハウェ) の栄光が主 (ヤハウェ) の宮に満ちたからである」と描かれます。

それを見た「すべての人々は……膝をかがめて顔を地面の敷石に付け、伏し拝んで、『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでと主 (ヤハウェ) をほめたたえ」ました。

この二回目の主の栄光の現れは歴代誌独自の記述で、ソロモンの祈りが主に喜ばれた証しと言えましょう。そして、この後のイスラエルの歴史は、それが聞き届けられたことの証しになっています。

そして今や、全世界の人々が、真の神殿となられたイエスの御名を通して主(ヤハウェ)に向って祈るようになりました。私たちもソロモンの祈りに倣って、全世界の救いのために祈るべきでしょう。

それから王とすべての民は、牛二万二千頭と羊十二万匹という途方もない量のいけにえを、 (ヤハウェ) の宮の前庭の中央部を聖別し、献げました。

その際ここでは特に「レビ人もダビデ王が作った主 (ヤハウェ) の楽器を手にして、『主 (ヤハウェ) の恵みはとこしえまで』と主 (ヤハウェ) をほめたたえた」と記されます (7:6私訳)。

8-10節には、イスラエルの最北端のレボ・ハマテから最南端のエジプト川に至るまでの地域からの非常に多くの会衆とともに、七日間にわたって上記のいけにえによる祭壇の奉献と、その後には七日間仮庵の祭りを祝ったことが記されますが、不思議に、この月の十日目の贖罪の日に関しては沈黙されたままです。それは、この日が契約更新のような意味があり、この奉献のときには不要だったからです。

11、12節の、 (ヤハウェ) のソロモンへの「現れ」は、宮殿をも建て終えた時ですから、神殿の奉献から13年が経過した時だと思われます。

そして13-16節の主のことばこそ、この歴代誌の心臓部分とも言われます。まずイスラエルの不信の罪に対し、雨が降らず、バッタの被害や疫病というさばきが下されたとき、主 (ヤハウェ) の民に求められていることは「自らへりくだる」ことです。そして、その現われが、「祈って、主 (ヤハウェ) 御顔を慕い求め、悪の道から立ち返る」ことです。

そのとき、主ご自身が「親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒す」と約束されました。そしてエルサレム神殿は、主ご自身が聖別された祈りの場でした。そのことを主は、「わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある」と表現されました (16節)。

17-22節で、主はモーセ契約の場合と同様に、祝福とのろいの選択をソロモンに迫ります。祝福はダビデの王座が永遠に続くことですが、これは彼らの不従順にも関わらず反故にされることはなく、ダビデの子イエスにおいて成就します。

一方「のろい」は「あなたがた」というイスラエルの民全体に語られたもので、彼らが約束の地から追い払われ、神殿が廃墟とされ、「すべての民の間で物笑いの種とし、嘲りの的とする」ということです。そしてこの宮を見る人々は、主の無力さを嘲る代わりに、イスラエルが自分たちの神を捨て、「ほかの神々に頼り、それを拝み、それに仕えた」ことに対する、主のさばきであると理解するというのです。

現代の私たちはエルサレムを訪問するとき、昔の神殿の影も形も見えないばかりか、そこにイスラム教のモスクが建っていることを見て、彼らが救い主を退けたことの結末を知ることになります。

しかし、私たちはそこで絶望する必要はありません。ダビデの子として現れたイエスは、私たちすべての罪を贖うために十字架にかかり、三日目によみがえって、天の神殿を完成してくださいました。

神の栄光(シェキナー)はイエスの生涯と十字架と復活において現わされました。そして「私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます」(ヘブル10:19)。それで、栄光の現われの一部を今、見ることが許されます。

ソロモンは神殿奉献の際、聖霊による最高の祈りをささげました。そこにはバビロン捕囚のさばきと、それからの救いまでもが描かれます。

イエス時代のイスラエルがローマ帝国の支配下にあったことは、当時のエルサレム神殿に神の栄光(シェキナー)が戻っていないこと、彼らがまだこの世の権力者の奴隷になっていることの現れでした。

しかし、真のダビデの子のイエスは、十字架と復活によって神の栄光(シェキナー)を現し、天の神殿を完成し、私たちをこの世の富や権力の背後にあるサタンの支配から解放してくださいました。

私たちはこのままでイエスと同じ神の子の立場が与えられました。私たちは今、イエスの御名を通して天の父なる神に賛美をささげ、祈ることができます。

ソロモンによるエルサレム神殿の前での賛美と祈りが天に届いたように、私たちの賛美と祈りは天に届き、神の栄光(シェキナー)がやがてこの地に満ちます。私たちは今、日々の生活の中でも、霊の目によって主の栄光の現れの一部分を見ることが許されています。