本書はヘブル語聖書では旧約聖書の最後で、エズラ、ネヘミヤ記の続き的な意味で、ユダヤ教の伝承ではエズラが記したと解釈されてきました。ただ、現代はエズラの後の著者であるとの見方が多くなっています。
これが現在の聖書でサムエル記、列王記に続くのは、ギリシャ語七十人訳で「省略した記録」という名で呼ばれ、その二つの書を補完する意味が強いと解釈されたからです。全体的な意味からすると、バビロン捕囚後にイスラエルの民に対する神の特別な選びを意識させ、神の民としての誇りのうちに生きるように導く意図があったと思われます。旧約の総まとめ的な意味で読むことができます。
あなたはどれぐらい昔からの系図を思い浮かべられるでしょう。私たちの齢が七十年、八十年であっても「そのほとんどは、労苦とわざわいです」(詩篇90:10) という現実があります。
私たちは先祖からの様々な負の遺産を受け継いでいます。しかし、神を愛する者には「恵みを千代(2万年?)にまで施す」と約束されています (出20:6)。あなたから祝福の時代が始まります!
一方、イスラエルの系図には、創造主への反抗から生まれた「のろい」が「三代、四代にまで及ぼ」(同5節) された現実をも見ることができます。ただそれ以上に短期的な「痛み」を超えた、神を愛する者たちの子孫への祝福の歴史を見ることができます。
1.アブラハムに至る系図、アブラハムから始まる他の民族
1章1節の系図は、人類全体の父祖アダムから始まります。これはルカによる福音書でのイエスの系図 (3:23-38) がヨセフから次々と遡ってエノシュ、セツ、アダムにまで至るものの原点と言えます。
アダムにはカインとアベルが生まれますが、カインがアベルを殺し、カインが神の「のろい」を受けたので、アダムの「似姿として、彼のかたち」としての「祝福」は、「セツ」に受け継がれます (創5:2、3)。
アダムから七代目のエノクは「神とともに歩み」、死を見ることなく神のみもとに引き上げられます (創5:21-24)。そして十代目の「ノアは正しい人で……神とともに歩んだ」(創6:9) と描かれます。
ノアのとき神のさばきによる大洪水が全地を滅ぼしますが、ノアと三人の息子セム、ハム、ヤフェテの家族だけが生き延びることができました。
5-7節はヤフェテの系図です。創世記9章24節によると、「神がヤフェテを広げ、彼がセムの天幕に住むようになれ」と記されています。その子孫は現在のインド・ヨーロッパ語族が支配する広大な地に広がります。
ヤワンとは現代のギリシャ、ティラスはイタリア、タルシシュとはスペインだと思われます。この広大な地域は後にユダヤ教から派生したキリスト教が支配する地域になりますので、そのように広がる民が、ユダヤ人の先祖の「セムの天幕に住む」ということばがそれによって成就したとも考えられましょう。
8-16節にはハムの子孫が描かれます。クシュはエチピア、ミツライムはエジプト、プテはリビヤ、カナンは約束の地の先住民を指します。
ハムは葡萄酒に酔った父ノアの裸を見たことで、ハムの末子カナンが「のろい」を受けるようになります (創9:25-27)。これがセム族のイスラエルがカナンを支配する根拠にされます。なお、ハム族は現代のアフリカ人の祖先とも考えられ、アフリカ人を奴隷とする根拠が創世記9章から説明されることがありましたが、厳密には「カナンは彼らのしもべとなるように」(創9:27) と、セム族の子孫によるカナン支配の正当性が示唆されているに過ぎません。
なお、10節でハムの長男クシュの子のニムロデが「地上で最初の勇士となった」と記されますが、ハムの子孫は強大な王国を築いていることは興味深いことです。どちらにしてもヤフェテの子孫がハムの子孫を奴隷化することを正当化する根拠などはどこにも記されていません。
また日本人の起源を読み取ることもできません。これは当時の民族関係の原点を説明するものに過ぎないからです。現代の世界情勢に結び付けることは聖書の趣旨に反します。
17-23節にはセム族の系図が記されます。エラムは後のペルシャ帝国、アッシェルはアッシリア帝国の発祥地です。アルパクシャデはユーフラテス川の南の地域だと思われますが、18節ではこの子孫として「エベル」が生まれたと記され、そこから「ヘブル人」という呼び名が生まれます。
19節では「エベルには二人の息子(ペレグとヨクタン)が生まれ」、20-23節にはヨクタンの子孫がアラビア半島南部に広がると描かれます。後にソロモンを訪ねてくるシェバの女王は、ヘブル人と兄弟関係にあったということになります。
24-28節にはペレグからアブラハムに至る系図が記され、28節では誕生の順ではなくイシュマエルがイサクの次に記されます。イシュマエルは本来、アブラハムの長男のはずですが、サラの女奴隷ハガルの息子であったためです。
ただ29-31節ではイシュマエルに十二の子が生まれ、彼らがアラビア半島全域に遊牧民として広がる様子が描かれます。「神が彼とともにおられた」からです (創21:20)。なお、現在のイスラム教では、イシュマエルこそがアブラハムの正当な信仰を受け継いだ民の父とされています。
32、33節ではアブラハムの別の側女ケトラの子たちのことが記され (創25:1-4参照)、ミディアンの名が登場します。モーセが結婚したツィボラはミディアンの祭司の娘でした。しかしモーセは後に、ミディアン人の娘たちがイスラエルの民を偶像礼拝に招き込んだということで討伐を命じます。
34節では「イサクの子はエサウ、イスラエル(ヤコブと記されることが多い)」と、神に与えられた名が記されています。そして35~37節ではエサウの子孫が記され、後にイスラエルの荒野の旅の最初に攻撃を仕掛けてきたアマレクの名も登場します。
38-42節のセイルの系図は、エサウの子孫と同じ土地に住んでいたということで記されるのでしょう。そして43-54節にはこの地エドムの混乱の様子が描かれます。一代ごとに王家と出身地が変わることは、ダビデ王家との対照を示したものと言えます。バビロン捕囚の時期に、エドム人はイスラエルの滅亡を手助けし嘲笑ったということで、オバデヤ書で彼らに対する神の厳しいさばきが記されています。
これらの記述を通して、イシュマエル人もミディアン人も、アマレク人もエドム人も、みなアブラハムの子孫であるということが明らかにされます。みな神の祝福を受け継ぐべき子であったのです。
それ以前に、神はアダムの子のセツを祝福し、ノアとその息子たちを大洪水の中から救い出し、セムの子孫からアブラハムを選び出しておられます。すべての人々は神に祝福された者たちの子孫だったのです。
2.ユダ族の初期の系図
2章1、2節ではイスラエルの十二部族の名が記されますが、この順番は創世記35章23-25節をもとに、レアの子、ラケルの子、ラケルの女奴隷ビルハの子、レアの女奴隷ジルパの子の順番で記されています。ただし、それからするとダンの名は、ベニヤミンの後に記されるべきはずとも言えましょう。
2章3節から4章23節まではすべてユダ族の系図です。皮肉にも3節ではユダの3人の息子が何とカナン人の女から生まれたと記されます。そして、長男も次男も神の怒りを受けて死にます。
ユダはその原因が、エルの妻であったタマルに原因があるかと疑って、三男に嫁がせるのを躊躇しました。タマルは自分がアブラハムの子孫の子を産むことができなくなることを恐れて、遊女の姿になって舅(しゅうと)のユダと関係を結び、双子のペレツとゼラフを産みます。本来、父と息子の妻が関係を持つことなど石打ちの刑に値することですが、4節では「ユダの嫁タマルは」ということでそれが示唆されているに過ぎません。
9-11節ではペレツの長男ヘツロンの次男ラムの家系からボアズが生まれたと記されます。彼はモアブの女ルツを娶り、その孫としてダビデの父エッサイが生まれます。なお、ダビデはエッサイの八番目の子のはずですが (Ⅰサムエル16:10-13)、 15節では「七男」として描かれます。それは七が完全数だからかもしれません。
そして16節では、ダビデの将軍ヨアブの母がダビデの姉のツェルヤであるという関係がここで分かりやすく描かれます。またその妹アビガイルの息子はアマサで、ダビデに反抗したダビデの三男アブサロムの将軍となり (Ⅱサムエル17:25)、後にダビデと和解しますが、ヨアブに暗殺されます (同20:4-10)。
2章18節から先のヘツロンの子ラムの弟カレブの家系が描かれますが、彼はヨシュアの時代のカレブよりずっと前の別人です。20節ではこの家系からウリの子ベツァルエルが生まれたと記されますが、彼こそは神の幕屋のすべて器具を整えた最高の工芸家であり、ダビデの家系との密接性が見られます。
21-23節はユダ族のヘツロンとマナセの子のギルアデ氏族との結びつきが描かれますが、その意味は不明です。
25-41節ではヘツロンの長男エラフメエルの家系が記されますが、最後のエリシャマはダビデと同時代に人物だったと推測されます。
42節から55節は先のヘツロンの三男カレブの家系を補って記しているものですが、49節での「カレブの娘はアクサであった」とは、ヨシュアの時代のカレブを指していると思われ、その意味は分かりません。
50節では、カレブの長子フルがエフラテによって生まれ、そこからキルヤテ・エアリムという町の父ショバルが生まれたと記されます。これはエルサレムの西の町で、後にペリシテ人のもとから戻ってきた神の契約の箱が20年間置かれます。
51節ではフルの子としてベツレヘムの父サルマが生まれたと記されますが、この町で後にダビデが生まれます。
55節では、サルマから生まれた子孫として「ヤベツに住んでいた書記の諸氏族のティルアテ人……」という記述が登場します。ここではヤベツが町の名前として登場しますが、その町の父が、4章9、10節のヤベツかと思われます。
ここではユダの孫のヘツロンの三人の子の家系が詳しく描かれます。ダビデ家はその次男ラムの子孫です。長子の家系の名は知られていませんが、三男カレブの子孫はその子孫から生まれた町の名とともにダビデの物語に重なります。そこにスキャンダルから始まったユダ部族への神の祝福が見られます。
3.ダビデからバビロン捕囚後の家系
3章1-9節にはダビデの子たちの名前が記されます。1-4節では特にヘブロンで生まれた子たちが記されます。長男はアムノン、三男はゲシュルの王女から生まれたアブサロム、四男はハギテの子のアドニヤです。これらの三人はみな後にダビデ家の問題の種になります。
しかも、ダビデはヘブロンでの七年半のうちに六人の女性から六人の息子たちを生んだと描かれています。
さらにエルサレムでは9人の息子たちが生まれたと記されます。その名の順番はⅡサムエル5章14-16節とほぼ同じですが、そこでは11名の名前が記されていました。
不思議なのは、どちらでも、ソロモンがエルサレムで生まれた4番目であると記されていることです。しかも、5節ではその母が「アンミエルの娘バテ・シュア」と記されますが、サムエル記では、「ヒッタイト人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバ」と記されています (Ⅱ-11:3)。この二人の女性は同じ人物のはずですが、ソロモンが彼女の息子の4番目に記されるのは、4という数字に完全数的な意味があるからとも考えられます。
また9節の終わりには「タマルは彼らの姉妹であった」とのみ記されますが、長男アムノンがタマルをレイプしたことは周知の事実です。バテ・シェバ事件を含め、歴代誌の著者はスキャンダルを省くことで、読者の目を人間的な物語から、神の選びの物語へと変えています。
3章10-16節にはその後のダビデ家の系図が記されます。12節のアザルヤはウジヤという名前で知られています。
15節にはヨシヤの四人の子の名が記されます。彼はイスラエルの民をまことの神に立ち返らせた英雄ですが、エジプト王ネコの侵略を迎え撃って非業の死を遂げます。
列王記によるとヨシヤの後を継いだのはエホアハズですが、それはここでは四男のシャルムを指すと思われます。シャルムはエジプトに捕囚とされて死にますが、その後を継ぐのがヨシヤの次男エホヤキムです。
そして、彼の子は列王記ではエホヤキンと記されますが、ここではエコンヤという名で記されます。マタイの福音書のイエスの系図では、「バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ」と記されています (1:11)。
17-24節にはバビロン捕囚後のエコンヤ以降の系図が記されます。特に19節の「ゼルバベル」に関しては、ハガイ1章1節では捕囚帰還後のエルサレム神殿の再建の指導者が、「シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベル」と記されています。ただここでは、彼はペダヤの子で、シェアルティエルの孫ということで記されています。
19節には二人のゼルバベルの息子の名が記され、20節には五人の名が記されていますが、この五人をゼルバベルの子として位置付けるべきかどうかについては異論もあります。
それよりも注目すべきなのは、エコンヤ、ゼルバベル以降の子孫が増え続けていることです。ちなみに、マタイの福音書ではゼルバベルの子はアビウデと記されていますが、その名はここには登場しません。つまり、これでも限られた名しか記されていないという意味になります。
またエコンヤから最後のアナニまで少なくとも9世代があると計算できますから、それからすると歴代誌の著者は、紀元前400年ごろの、エズラ以降の人と見ることができます。エズラによる宗教改革は紀元前458年ごろと考えられているからです。
この時代の神の祝福は、多くの子が生まれることで表されていました。ダビデの子が多く記録されるのはそのためです。
また、神がダビデ王家を守り通すと約束されたことが、ヨシヤ王に四人の子が与えられ、バビロン捕囚以降も、彼の孫エコンヤから数えきれないほどのダビデの子孫が生まれたと記されます。
4.ユダから約束の地占領の時代の系図 ヤベツの祈り
4章1-4節の系図は、つながりも意味も良くわかりません。ただ4節のエフラテは2章19節ではカレブの妻で、その子のフルがここでは「ベツレヘムの父」と呼ばれています。ただ2章51節では「ベツレヘムの父」と呼ばれているのは「フルの子サルマ」で、ここでのフルの子にその名は登場しません。
5節の「テコアの父アシュフル」とは、2章24節のヘツロンがアビヤによって生んだ子を指し、その続きがここで記され、その二人の妻からさらに多くの子たちが生まれます。
8節の「コツ」は7節のヘルナの子として理解することができます。9節の「ヤベツ」は誰の子であるかも記されませんが、2章55節に記されたヤベツという町を開いた、ヘツロン、カレブ、フルの子サルマの子孫であると考えられます。
4章11、12節の系図の意味はよくわかりませんが、13節の「ケナズの子オテニエル」とは、士師記3章9節に登場する第一の士師で、同1章12、13節によるとカレブの娘アクサと結婚します。
4章15節のエフンネの子カレブとは、ヨシュアとともに約束の地を占領する勇敢な指導者です。
16-20節の系図の意味も分かりません。最後の21~23節では、2章3節のユダの三男シェラの系図が描かれます。
4章9節では「ヤベツは彼の兄弟たちの中で最も重んじられた」と記されます。「重んじられた」とは、神の栄光にも用いられる動詞の受身形です。ただ、「ヤベツ」という名には、母が「私が痛みのうちにこの子を産んだから」とあるように「神が痛ませた」という否定的な意味があります。
しかし、彼はそこに神の愛の御手を認め、それを逆転させるように「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることがないようにしてください」と祈ります。
そこではまず原文で、「祝福をもって祝福してください!」という「祝福」ということばを重ねた願いが訴えられています。
その第一は、「地境を広げてくださるように」という願いです。ヨシュア記の時代に、イスラエルの民は各地の中心的な都市を制圧することはできましたが、まわりにはカナンの異教徒たちが満ちていました。たとい相手が鉄の戦車を持っていても、その異教徒たちを追い出して、地境を広げることが求められていました。しかし、それが不徹底であったために、後にイスラエルの民はカナンの偶像礼拝の文化に呑み込まれてしまいました。
現代の「地境」とは責任範囲という意味にも理解できます。それは私たちにとっては、「働きの範囲を広げてください」という祈りになります。これはバビロン捕囚後の民が、ペルシャ帝国の庇護のもとで、皇帝のご機嫌を伺いながら細々と生きるのではなく、土地の真の支配者はイスラエルの神であることを認め、神が土地の境界をさらに広げてくださるようにという大胆な願いです。
次に「神の御手が私とともにあることで、わざわいから離され、私が痛むことがないように」という、自分が神の平安に包まれることの願いが祈られます。
その核心は、「神の御手が私とともにあるように」という願いです。そこには、神の力強い御手が私をあらゆるわざわいから守り、私が痛むことがないように守ることができるという確信があります。
もちろん、私たちはこの地でわざわいとそこから生まれる痛みを避けることはできませんが、できるだけ日々の生活が平穏で、痛みを体験せずに済むことを願うのが自然な人情です。そして、全能の神の御手はそれを可能にしてくださいます。
ですから、たとい私たちがわざわいに会って痛みを覚えるとしても、それは力強い神の御手の中で起きており、それが私たちを滅ぼすことはないと確信することができます。
詩篇34篇19-21節では、「正しい者のわざわいは多い」と、逆説的に記されながら、同時に「しかし、主 (ヤハウェ) はそのすべてから救い出してくださり、彼の骨のことごとくを守られ、その一つさえ砕かれることはない。わざわいは悪者を殺し、正しい者を憎む者は罪に定められる」と記されます。
神を恐れる「正しい者」に対して「わざわい」の力は無力化される一方で、神を拒絶する悪しき者に対しては、わざわいは滅びの力として作用します。それはわざわいに会うたびに謙遜にされ、人の痛みに共感できるようになる人と、そのたびに社会や隣人への恨みが積み重なる人との差のようなものです。
その結論は、「神は彼の願ったことをかなえられた」と記されます。ヤベツは、神が自分の誕生を敢えて苦しみに満ちたものにされたということを前提に、神はその真逆も可能にされると信じました。
日本的には、「運命だと思って諦めよう!」ではなく、苦難を与えた神は、それに見合った驚くべき祝福をも与えることができるという意味です。苦しみに見合う大きな祝福を期待できるということこそ、驚くべき希望です。
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ローマ8:28) という告白は、ヨセフ物語などで特に明らかなように、イスラエルの民全体の歴史の中で確信されることです。
現在の私たちが「痛み」を覚えているとしても、それも神の御手の中で起きていることを信じられるなら、同時に、神はその痛み苦しみの記憶を補ってあまりあるほどの「祝福」を与えることができます。
ヤベツは、神が自分の誕生に「痛み」を与えたことを知っているからこそ、同時に、神は彼の地境を広げ、その人生を祝福に満たしてくださることを信じ、それを求めて大胆に祈りました。真正面から、神の祝福を求めて祈ることを恥じる必要はありません。