Ⅱ列王記23章28節〜25章30節「苦難を受け入れる中から生まれる希望」

2018年12月30日 

スポーツの美しさは常に勝利を目指して最善を尽くすことの中に現わされますが、同時に、どれほど優秀な選手も、必ずどこかで負けて引退します。その人の真の美しさはその後の生き方に現わされます。

神の御子が処女マリアを通して人となろうとされたとき、世界はかえって暗くなったように見えました。マリアとヨセフはナザレからベツレヘムへの苦しい旅を強いられます。二人はその旅先で、周りからよそ者として扱われ、彼らを迎える宿もありませんでした。

しかも、救い主の誕生を聞いたヘロデ大王はベツレヘム近郊の二歳以下の男子をみな殺します。幼子イエスはマリアとヨセフに抱えられてエジプトに逃げざるを得ませんでした。これはすべて、神が救い主を処女マリアから生まれさせたために起きたことです。

しかし、それはすべて、既にあった悪があぶりだされただけのこととも言えましょう。神の御子は邪悪な世界のただ中に住むために人となってくださいました。私たちの周りにも、一見、闇が増し加わるように見えるときがあります。しかし、それこそ救いが近づいているしるしかもしれません。

ダビデ王国の滅亡は、イスラエルの民の不従順に対する神のさばきとして起きました。ただそれが避けられなくなった時、バビロン帝国の支配にしなやかに従うことが求められました。そうすることで、神の民としての新しい再出発の道が開かれたからです。

バビロン捕囚の苦難なしにユダヤ人の真の信仰は生まれませんでした。マリアとヨセフは、救い主の誕生に伴う不条理をしなやかに受け止めました。そして、そこに希望が生まれました。

1.神のみことばを聞きながら、失敗をする王たち

イスラエル、ユダ王国を通して、神への真実さにおいてダビデに次ぐ王がヨシヤでした。ただその最後は空しい悲劇です。紀元前609年、エジプトのファラオ・ネコは滅亡直前のアッシリア帝国を支えて新興国バビロンと戦うためユーフラテス河畔のカルケミッシュに向かいます。その途上イスラエル領土を通過せざるを得ませんが、ヨシヤはネコの通過を阻もうとエルサレムから百キロも北のイズレエル平原の町メギドに「迎え撃ちに行き」ますが、戦力の圧倒的な差の中、ネコが「彼を殺し」ます (23:29) 。

この約百年前にヒゼキヤ王はアッシリアに対抗するためにバビロンの使者をエルサレムで歓待しましたが、預言者イザヤはそれがバビロン捕囚への道を開くと警告しました (20:17,18) 。ヨシヤのときすでにアッシリアはニネベを陥落させられていたのですから、バビロンの勢力拡大を恐れるべきだったのに、それが見えていませんでした。

ヨシヤはアッシリアの滅亡ばかりを願い過ぎて、アッシリアを支えようとするエジプトを敵に回してしまいました。アッシリア、バビロン、エジプトなど大国間の勢力争いには関与すべきではありませんでした。

これは武田信玄が織田信長と戦うために徳川家康の領地を通過した際に、家康が武士の面目にかけて、三方ヶ原で迎え撃ち、大敗北を喫したことに似ています。家康は辛うじて生き残りましたが、ヨシヤは殺されてしまいます。

戦う必然性がないのにも関わらず勝ち目のない戦いになぜ挑んだのか、後代の歴史家は首を傾げます。それは、ヨシヤが、「信仰の落とし穴……」にはまったのではないでしょうか。彼は自分が主(ヤハウェ)に熱心であることを自負していました。そのような人は、しばしば、自分の心の思いを神のみこころと誤解します。

歴代誌の並行箇所では、ネコは出陣しようとするヨシヤに使者を遣わし、「今日は、あなたを攻めに来たのではない」と伝えたにも関わらず、「ヨシヤは身を引かず……神の御口から出たネコのことばを聞かなかった」(Ⅱ歴35:21,22)と描かれています。神はときに、神の民の敵と思われる人の口を通しても語ってくださいます。その意味で、自分を正当化する自己義認こそ信仰の落とし穴でしょう。

その後、ヨシヤの子のエホアハズが王位を継ぎ、「彼は……主(ヤハウェ)の目に悪であることを行った」と描かれます (23:32) 。その結果、即位の三ヵ月後にファラオ・ネコに捕らえられ、アラムのダマスコよりはるか北の町リブラに幽閉され、その後エジプトに連行されて死にます (23:33,34) 。

彼は偉大な父の庇護のもとで苦労を知らずに育ち、主を恐れることも、民をあわれむことも、外交政策も知らずに自滅したのでしょう。

ファラオ・ネコは、もう一人のヨシヤの子エルヤキム(神は確立した)の名をエホヤキム(ヤハウエは確立した)に改めさせ、傀儡政権とします。しかし、それから三年目の紀元前605年頃、バビロン帝国のネブカドネツァルは、カルケミッシュでエジプト軍を打ち破り、エルサレムにまで攻め上って来ました。

エホヤキムは彼に屈服し、神殿の宝物を渡します。このときバビロンに連行された貴族のひとりに預言者ダニエルもいます (ダニエル1:1) 。これが第一次バビロン捕囚です。

その後、エホヤキムは「三年間」、ネブカドネツァルに仕えます (24:1) 。しかし同時に、それが主のみこころとは認めず、反逆の機会を狙い続けていたようです。この間、預言者エレミヤは、主がバビロンを用いてエルサレムをさばこうとしていると語り続け、反逆などを考えずに、主に立ち返ることを第一にするように勧め続けます。

ところが、エホヤキムは何と、エレミヤを通して与えられた主のみこころを記した巻物を暖炉の火に投げ入れて燃やしてしまいます (エレミヤ36章) 。

その後、エホヤキムの反逆を知ったネブカドネツァルはユダ王国の周辺諸国にエルサレムを攻撃させます。それがここでは、「そこで主(ヤハウェ)は、カルデア人……アラム……モアブ……アンモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた」と記されます (24:2) 。

何とバビロンの王ネブカドネツァルの背後に、主(ヤハウェ)ご自身がおられたのです。それは「預言者たちによって告げられたことばのとおり」であったと敢えて記されます (24:2) 。またそれがさらに、「マナセが流した咎のない者の血のためであった」とヒゼキヤの息子でヨシヤの祖父マナセの責任が特に問われています (24:4) 。エホヤキムはそれを知ろうとしませんでした。

歴代誌によるとエホヤキムは青銅の足かせにつながれてバビロンに連行されます (Ⅱ歴代36:6参照) 。ただ、彼が息を引き取ったのはエルサレムではないかと思われ、エレミヤはエルサレムの住民の誰もが、この王の死を悲しまないと預言しています (エレミヤ22:18,19) 。

彼は自分の身を守ることばかりを考え、民に重税を課しながら贅沢な生活を維持しつつ、エジプトやバビロンへの贈り物によって国の独立を保とうとしました。彼こそは国と国との信義を軽んじ、二股をかけて強い者に媚を売りながら下の者には横暴の限りを尽くす志のない悪王の代表です。神を知りながら神を恐れない者には、何の正義も期待できません

自分の足元の不安定さを直視せずに、強がってしまうような人はみな、非常に危ない所に立っています。信仰の核心とは、神のあわれみなしに生きられない自分の弱さを認めることです。

2.平気で嘘をつく人たちの代表 ゼデキヤ

その後、その子のエホヤキンは18歳で即位し、三ヶ月目にバビロン軍に包囲されますが (24:8,10)、戦いを避けて、すぐに降伏します。それによって王は捕虜とされ、主の宮の財宝と王宮の財宝もすべて運びだされます。

そればかりか「(ネブカドネツァル)はエルサレムのすべて、すなわち、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や鍛冶もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。彼はさらに、エホヤキンをバビロンに引いて行き……この国のおもだった人々を、捕囚として……バビロンに引かせた。バビロンの王は、すべての勇士たち七千人と、職人、鍛冶千人からなる勇敢な戦士たちすべてを、捕囚としてバビロンに連れて行った」 (24:14,16) とあるように、エルサレムから有能な人々や勇敢な戦士たちはいなくなりました。

これは、紀元前597年の第二次バビロン捕囚で、その中に預言者エゼキエルなどもいました。エホヤキンも「(ヤハウェ)の目に悪であることを行った」 (24:9) と言われる悪王ですが、バビロンにすぐに降伏した点では、主のみこころに従ったのかも知れません。彼は後にバビロンで釈放され、王宮で厚遇され、彼の名はイエス誕生の系図にエコンヤとして残されます (マタイ1:12) 。

そして、バビロンの王は21歳のエホヤキンのおじマタンヤを王に立て、その名をゼデキヤ(ヤハウェは義)と改めさせます (24:17) 。ここは名を与えたのかが誰かが重要ですが、名の意味も大切です。

彼は11年間王位に留まりましたが、第9年目の第十の月にバビロンの王に反逆します (25:1) 。それはエジプトの助けを得て国の独立を保とうとする偽預言者たちのことばに従ったためです。このことを歴代誌は、「彼はまた、彼に神にかけて誓わせたネブカドネツァル王に反逆した。彼はうなじを固くし、心を閉ざして、イスラエルの神、主(ヤハウェ)に立ち返らなかった」(Ⅱ歴代36:13)と記しています。

しかし、異教徒の王ネブカドネツァルは、主の民の王よりはるかに誠実でした。彼は裏切り者には厳しくても、投降者には優しかったからです。

このとき主は、預言者エレミヤを通して、「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。この町にとどまる者は、剣とききんと疫病によって死ぬ。出て行ってあなたがたを囲んでいるカルデア人に降伏する者は生き、自分のいのちを戦勝品として得る」(エレミヤ21:8、9)と語られました。

しかし、ゼデキヤはバビロンを裏切り、エルサレムに篭城して戦おうとします。それは、主が勝利を与えてくれるという偽預言者の声に従ったからですが、内心では自分の王位を守ることしか考えていなかったためです。

その少し前、ゼデキヤは主のみこころを求めようと、預言者エレミヤを召しだして尋ねました。エレミヤは、主(ヤハウェ)の御声に聞くこと、またバビロンの王ネブカドネツァルとの契約を守ることを勧めますが、ゼデキヤは不思議にも、「私は、カルデア人に投降したユダヤ人たちのことを恐れている。カルデア人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするのではないか、と」(38:19)と答えます。

彼は主ヤハウェ)や敵の王ネブカドネツァルよりも、同胞の民を恐れていました。それは、同胞こそがゼデキヤの変節によって苦しみ、この王が自分の身を守ることしか考えていないことに怒りを感じていたからです。

今から20年ほど前に、米国の精神科医スコット・ペックが記した、「平気で嘘をつく人たち」という本がベストセラーになりました。ゼデキヤはまさにその本に出てくるような人間でした。彼は人々から嫌われたエホヤキムとは対照的に、良い人間と見られたいという欲求が強かったようです。

人々の助言に従って預言者エレミヤの命を奪おうとしたり救おうとしたり、またエレミヤから主のみこころを聞こうとしたりなどと、いつも心が揺れているようですが、その名に反して心の内側には義も真実も見られません。平気で人を裏切ることができました。

そして約一年半の包囲の後、紀元前586年の「第四の月の九日(7月18日に相当)」にエルサレムは陥落します。その時のようすが、「都の中で食糧難がひどくなり、民衆に食物がなくなった」(25:3)と描かれています。このようなときは弱い者から順番に餓死します。そして、女が自分で養い育てた幼子を肉として食べるという悲劇まで起きます (哀歌2:20) 。

しかし、そこに至ってもゼデキヤは自分の身を守ることだけを考え、町から逃げ出します。しかし、彼はエリコの草原で追いつかれ、家来にも見捨てられ、捕らえられます (25:4,5) 。かつてイスラエルが約束の地で最初の勝利を収めた場所が、イスラエル王家最後の場となったのです。

バビロンの王はゼデキヤに子供の虐殺のようすを見させた上で、彼の目をつぶします。彼が最後に見たのは、息子が殺される姿だったというのは何という悲劇でしょう。これこそイエスが、「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失う」(マタイ16:25)と言われた通りです。自分の保身を第一にし、民を省みなかった王は、誰よりも悲惨な最期を遂げたのです。神は不真実な者を、ご自身のときにさばかれます。

私たちはゼデキヤのような人に猛烈に腹が立ちます。それは当然のことです。しかし、パウロは、「主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠されたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます」(Ⅰコリント4:5)と記しています。主の再臨のときにすべてが明るみに出されるのですから、「先走って」さばくことは控えるべきだというのです。

そしてまた、ダビデは、「悪を行う者に腹を立てるな(熱くなるな)。不正を行う者にねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ 青草のように枯れるのだから。主(ヤハウェ)に信頼し 善を行え。地に住み 誠実を養え。主(ヤハウェ)を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主(ヤハウェ)にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:1-4)と語っています。

それは、私たちの心が憎しみに捉えられると、知らないうちに憎むべき人と同じ発想に捉えられ自分自身が憎むべきことを行ってしまいかねないからです。今ここで、あなた自身が主に誠実を尽くすことこそが何よりも大切なのです。不条理を怒るのは当然ですが、さばきは主に任せ、自分に今、課せられていることを黙々と行うのが主のみこころです。

3.「カルデア人を恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。」

そして、ネブカドネツァルの家来は、「(ヤハウェ)の宮と王宮とエルサレムのすべての家を……火で焼いた……エルサレムを取り巻く城壁を打ち壊した」と、驚くほど簡潔に記されます (25:9,10) 。

そして、「親衛隊の長……は、都に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した投降者たちと、残りの群衆を捕らえ移した。しかし、……その地の貧しい民の一部を残し、ぶどうを作る農夫とした」と記されます (25:11,12) 。

その際、「カルデア人は、主(ヤハウェ)の宮の青銅の柱と、車輪つきの台と、主(ヤハウェ)の宮にある『海』を砕いて、その青銅をバビロンに運んだ……また……純金や純銀のものを奪った。ソロモンが主(ヤハウェ)の宮のために作った二本の柱……これらすべての物の青銅の重さは、量りきれなかった」(25:13-16)と描かれますが、かつて主(ヤハウェ)の栄光に包まれた主の宮は分解されてすべてバビロンに運ばれたのです。

なお、ヤハウェ)の契約の箱についてついては不思議に、何の記述もありません。それは主がご自身の宮の中には住んでおられなかったということの象徴と言えましょう。主の宮が滅んだのは、主がその宮を捨てられたからです。そして、これらをまとめるように、「こうして、ユダはその国から捕らえ移された」(25:21)と記されます。

なお、カトリック教会が旧約聖書続編として守ってきたマカバイ記第二2章4-8節には次のように記されています。神殿が廃墟とされる前に、主がエレミヤに「天幕と契約の箱を運ぶように命じ」、エレミヤはそれをモーセが最後に上ったネボ山の洞穴に隠しました。そしてその場所は、「神が民の集会を召集し、憐れみが生じるまでその場所は知らないまま」にされました。そして時が来ると、主がその場所を示してくださり、主の栄光と雲が現れるというのです。

ただ、これは霊感された書物とは言えませんから、契約の箱がどのようになったかは永遠の謎と言えましょう。私たちには神の御子イエスが、「主の栄光」を現してくださいました。とにかく、「契約の箱」の記述がないこと自体が、驚くべき謎と言えましょう。

主は、かつてソロモンが神殿を建てたとき、イスラエルの民が、自分たちの神に背を向けて離れ、ほかの神々を拝むなら、「わたしがわたしの名のために聖別した宮をわたしの前から投げ捨てる。イスラエルは、すべての民の間で物笑いの種となり、嘲りの的となる」(Ⅰ列王記9:7)と警告しておられましたが、それがまさに文字通り実現してしまったのです。

ユダ王国最後の四人の王のすべてが、「主の目に悪であることを行った」と描かれています。この悲劇はそれに対するさばきなのです。

その後、「ネブカドネツァルは、彼が残したユダの地の残りの民の上に」、ヨシヤの書記官として活躍したシャファンの孫の「ゲダルヤを総督として任命」します (25:22) 。

ゲダルヤは、「カルデア人の家来たちを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたは幸せになる」(25:24)と勧めました。そして、これこそ預言者エレミヤが繰り返し伝えた主のみこころでした。

ところが「王族の一人」のイシュマエルが謀反を起こし、「ゲダルヤを打ち殺し」ます。しかもそのイシュマエルも他の人々の復讐を受けて殺されます (エレミヤ41-43章) 。

そこに残ったユダヤ人は、エレミヤが「バビロンの王を恐れるな……彼はあなたがたをあわれんで……自分たちの土地に帰らせる」(エレミヤ42:11,12)と言ったことを退けてエジプトに逃れ、そこで滅びます。そのとき預言者エレミヤも意に反して連行されます。

しかし、そのような中で、ユダの王エホヤキンは捕囚の37年目に釈放され、バビロンの「王の前で食事をした」(25:29)という栄誉に預かる者とされました。列王記の最後は、「彼の生活費はその日々の分を、一生の間、いつも王から支給されていた」と記されています。これはヤハウェ)ご自身がネブカドネツァルを用いてダビデの子孫の王を守られたという意味です。

そのような恵みに四人の悪王の中で唯一あずかることができたのは、彼の負け方が良かったからです。預言者エレミヤは、このプロセスの中で繰り返し、「バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この都が廃墟になってよいであろうか」(エレミヤ27:17)と素直に降参することを勧めました。

そればかりか、バビロンの町々の平安(繁栄、シャローム)を祈るようにと命じられ、「その町の平安(シャローム)によって、あなたがたは平安(シャローム)を得ることになる」(同29:7)と語り続けました。

私たちの人生を豊かにするのは、「勝つこと」よりも、ときに、いかにしなやかに敗北を認められるかにかかっているのかも知れません。人は必ず、どこかで負けます。そのときの態度にこそ、その人の真価が現わされます。

そのときに負けを素直に認めて、自分に勝った人の平安(シャローム、繁栄)のために祈ることができるなら、あなたは真の友を得ることができることでしょう。なぜなら、「愛」とは、何よりも、目の前の人に向かって、「わたしの目には、あなたは高価で、尊い」(イザヤ43:4)と語り続けることだからです。

ヨシヤ王の最後の失敗から二十年後、坂道を転がりおちるようにイスラエルは滅亡に向かいました。彼の息子たちは、エジプトとバビロンを両てんびんにかけたあげく、両方から見捨てられるようにして、国を滅ぼしました。力を頼む者が、力に裏切られたのです。

そして、エルサレムを廃墟としたバビロン帝国自身もそれから50年も経たないうちに滅亡します。その後の王国も同じように滅びます。

主は、「暴力に信頼するな……強さが結果を生んでも、それに心を留めるな……力は神のもの」(詩篇62:10,11私訳)と語っておられます。それに対して、神の御子は全宇宙の創造主でありながら、あらゆる力を捨て、ひ弱な赤ちゃんとなられました。それは力の真の所有者が、父なる神であることを証しするためでした。

不思議にも、私たちの救い主が無力に十字架で息を引き取られた時、力を誇るサタンの敗北が永遠に定まったのです。