2018年10月21日
福音自由教会の信仰告白には、極めて保守的で排他的に見える部分と、非常に幅の広い自由なところがあります。聖書を誤りのない神のことばと信じることは、この世の価値観と衝突することがありますが、私たちは安易な妥協はしません。
しかし、同時に、イエスを自分の救い主として受け入れている人は、どんな背景を持つ人でも受け入れます。ある意味で枠にはまらない人だからこそ、枠にはまらない人に、主の救いを証しできるからです。改めて、「すべての人の救いを望む神」にある多様性を考えてみましょう。
1.「きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛」
この手紙は「牧会書簡」と呼ばれ、人々をどのように導き、教会を形成するかに関しての具体的な教えが記されています。もともとパウロが自分の働きの後継者であるテモテに個人的に書いた手紙です。書かれた時期はパウロがローマ皇帝に上訴して、解放された直後だと思われます。それは紀元62-64年ごろ、二回目に囚われて死刑にされる数年前のことでしょう。まさにパウロの最後の教えです。
テモテに関しては、「あなたは年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい」(4:12)と敢えて記されていますから、このとき30<代前半だったかと思われます。パウロは彼を第二回目の伝道旅行の初めに見出しました。彼の祖母ロイス、母のユニケから「偽りのない信仰」を受け継ぎましたが(Ⅱテモテ1:5)、父はギリシャ人でした。ただ、その背景は、ギリシャ人に福音を伝えるために豊かに生かされたことでしょう。
テモテはエペソ教会の牧会を任されていましたが、そこには「偽教師」の影響がありました。その「違った教え」(1:3)の内容は正確には分かりませんが、「果てしない作り話と系図に心を寄せ」させるもの、また「むなしい議論に迷い込」ませ、モーセの律法をゆがめて教えていたのだと思われます。
それに対し、正しい教えは何よりも「愛」を目指させるもので、それは「きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる」と記されています(1:5)。つまり、「違った教え」の特徴は、日々の生活の中に、「愛」を生み出すことがないという生活に根差した基準が記されているのです。
なおそれを生み出す「きよい心」とは透明度の高い心とも言えます。
また「健全な良心」とは、「正しく機能する心の痛みの機能」とも言え、悪事を行ったときに健全に反省できる心の作用を指します。これは自分の罪に居直って、周りの人を非難ばかりする心と対照的です。
また、「偽りのない信仰」とは偽善とか見せかけの信仰と対照的なものと言えましょう。
なお、1章8-10節では、「律法」を「適切に用いる」ことが記されていますが、その目的は、価値観が多様化する中で、すべて「真実の愛」に背く生き方を指摘することにあります。ここに記されていることは当然の普遍的な道徳の規準のように思えますが、現代の話題になっていることもあります。
たとえばここでは、「男色をする者」(1:10)が否定されていますが、ホモ・セックスは大昔からどの国にもあったことで、権力者もしばしば行っており、暗黙のうちに認められていた行為とも言えます。それが、どうして「罪」なのかという疑問に関しては、私たちは単純に、それは創造主の教えに反するからとしか言いようがありません。
ただそのような言い方は、創造主を信じない人には通じないことですので、この世の法律論議とか人権論議においては、創造主の存在を前提とできませんので、議論の仕方には注意が必要です。
パウロは自分がかつてクリスチャンを迫害する者であったことを1章13節において、「私は以前には、神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者でした」と反省しています。
ただ同時にそれを前提に15節では、多くの人々に希望を与え続けた福音として、「『キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた』ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」と記しています。
これは罪の自覚と並行する告白であり、これこそ私たちにとっても信仰の核心です。
そのように導いてくださった神のみわざをパウロは引き続き、「しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした」(1:16)と記しています。私たちが信仰に導かれたのも、同じ理由によっています。
なお、「永遠のいのち」とは、現在の不自由ないのちが永遠に続くことではなく、「新しい天と新しい地」において実現する、復活後のいのちを、今このときから味わうことができることを意味します。それは何よりも、日々の祈りの生活の中で「神の子」とされていることの祝福を味わうことです。
それは、獲得したものではなく、一方的に与えられたものですから、その恵みに身を任せるという姿勢が大切です。
2.「彼らをサタンに引き渡しました」
それらを前提として使徒パウロは、このとき若いテモテに「私の子テモテよ」(1:18)と呼びかけながら、「立派に戦い抜く」ことを命じます。テモテは若いことや、その生い立ちから、断固たる姿勢を取りにくかったからなのかもしれませんが、安易な妥協は信者全体に悪い影響を及ぼすと思われました。
パウロはそのために何よりも、「信仰と健全な良心を保つ」ことを勧めます。18,19節の文章は解釈が難しい面がありますが、3-5節を前提とすると意味は明らかです。それは「きよい心と健全な良心と偽りのない信仰」に反する「違った教えを説く」ことに対する霊的な戦いです。そして、その戦いを回避しようとすると「信仰の破船にあう」ことになります(1:19)。
たとえば最近話題になっているのはLGBTの問題です。残念ながらそれが人権の問題として論じられていますが、それ以前に私たちは聖書が描く家庭(ファミリー)とは何かという観点から論じる必要があります。健全な子供が育つためには父と母が互いに愛し合う関係が何よりも大切です。そのために聖書は、結婚以外のすべての性的な交わりを避けるようにと勧めています。
それは、子孫を残すために一夫多妻を認める家中心の文化にも対抗する教えでもあります。
特にここでは「健全な良心」ということばに焦点が合わされます。私たちは唯一の神に創造された者として、ある程度の価値観を共有しています。それに反した行為をしたとき、良心の呵責を感じるというのが健全な良心の作用です。
たとえば、「万引き家族」という映画がありましたが、そこで大人が子供に向かって「俺には万引き以外の何も教えるものがない」という趣旨のことばがありました。それはとても残念なことです。万引きをしても心が痛まなくなるということは、「良心が麻痺すること」だからです。
しかし、そこには別の逆説がありました。「万引き家族」には、互いを本当の意味で大切に思い支え合う「いたわりあい」の「愛」がありました。それは、少しでも裕福になることを求めて、子供の人格を軽んじる人々への警告の映画でもありました。それは別の意味で、良心が麻痺してしまっている社会の現実を指していました。
私たちにはみな、生まれながらどこかある種の社会の基準から外れているところがあります。ですから、性同一性障害を始めとして、生まれながらの生き難さを抱えている人に、優しい目を注ぐ必要があります。神の目には、レズやゲイよりも、はるかに恐ろしい罪があります。それはお金のために人を人とも思わない生き方です。
しかし、だからと言って、「万引き家族こそが真の家族である」などとは言えないのと同じように、男同士の結婚や女同士の結婚を、安易に正当化してはいけないのかと思います。それに対し私たちは、「それは聖書の描く家族の姿とは異なると思います」と、優しく言い続けることが必要でしょう。
ただ、聖書を神のことばと信じない自由も、大切な基本的な人権でもあります。ですから、私たちはLGBTが人権の問題として議論されているとき、その同じ土台で議論をしないように注意する必要があります。
ただ、ここで大きな議論になるのが、パウロが「信仰の破船にあった」人の代表として、具体的に「ヒメナイとアレキサンドロ」という名をあげ、「彼らをサタンに引き渡しました」と記していることです(1:19,20)。
ただこれは人を「地獄に落とす」ことではありません。同じ表現がⅠコリント5:5に登場します。そこでは、「淫らな行い」を正当化していることが非難され、特に「父の妻を妻にしている」ような者を、「その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それによって彼の霊が主の日に救われるためです」と記されます。つまり、それは、その人に罪の重さを自覚させることによって、麻痺した良心を健全に回復させ、反省を促し、それによって救いに導くことを指しています。
それは具体的には、教会戒規を指します。それは聖餐式に預かることを停止させる陪餐停止や、また教会員名簿から「除名する」ことなどとして現わされます。
なお、私たち福音派の教会では、「聖書をその原典において誤りのない神のことばと信じる」と告白しています。ですから、聖書は時代遅れの書物で、現代の善悪の基準には用いることができないと公然と主張する人は、聖餐式に預かっていただくこともできませんし、洗礼を授けることも、教会員として受け入れることもできません。
ただそれにしても、主を礼拝することを平然と軽んじる人や、互いに愛し合うことを否定する人などは、戒規の対象にしようもありませんが、神の目には大変な罪人であると言えます。
一方で、同性愛行為を止められないけれども、主との交わりを求めて礼拝に来たいと願う人を、教会は決して排除してはなりません。
また、「私は肉体的には男性ですが、心は女性です」と悩みながら、それに対する解決として女装している人をも、私たちは排除してはいけないはずです。
なぜなら、イエスも明らかな売春婦と思われる人が、「イエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐう」という行為に身を任せたからです(ルカ7:38)。イエスは彼女の行為に関して、「この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから」(同7:47)と、かえってその信仰を称賛されました。
ただ、「キリスト教は愛の教えであるから、同性愛を否定するほうがおかしい。同性愛は神に喜ばれている。自分の肉体的な性に違和感を覚えるなら、性転換手術を行うことを神は喜んでくださる」など積極的に主張する人がいたら、そのような人を教会員として受け入れることはできません。
しかし、同時に、そのような方は、「信仰は個人の心の問題だから、みんなが集まる礼拝に来る必要など、まったくない」などという人よりも、罪のレベルが軽いのかもしれません。聖書の教えの第一は、「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主(ヤハウェ)を愛しなさい」(申命記6:5)だからです。
多くの教会は、聖書が語る罪を犯しながらも、反省の心をもって神を求める人を決して礼拝から排除はしません。しかし、罪に居直って、自分を正当化し、聖書の教えを自分の都合の良いように解釈し、それを宣伝する人を私たちは受け入れることはできません。
ときに、福音自由教会のことを、「福音不自由教会」などと嘲る人がいますが、私たちは聖書信仰に関しては極めて保守的な流れであることは初代教会の流れに従っているだけです。
3.「すべての人が救われることを望む救い主である神」
2章1、2節には、原文の語順では、「そこで、私は勧めます、すべてにまさって。願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい、すべての人たちのために。王たちと高い地位にあるすべての人のために。それは、平安で落ち着いた生活を私たちが送るためです。それはいつも、敬虔で品位を保ちながらのことです」と記されています。
私たちの礼拝では、政治指導者に神の知恵が与えられるようにといつも祈っていますが、それはこのみことばに従ってのことです。それは、現政権を、神のみこころに反する横暴な政権だと思っていたとしても、なすべき務めです。
この背景には、エレミヤ29章4-7節で、エルサレムを滅ぼし、ユダヤ人を捕囚の民としたバビロン帝国に関して、主が、「その町の平安を求め、その町のために主(ヤハウェ)に祈れ、その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから」と記されていることがあります。
敵の国の平安(シャローム)を求めることが、神の民にとっての平安に結びつくというのです。
2章3、4節ではさらに、「それは良いことであり、受け入れられることです、御前において、私たちの救い主であり神である方の」と記され、「その方は、すべての人のために望んでおられます。 救われること、また、真理を知るようになることを……」と続きます。
つまり、神は、異教徒や、異教の支配者を含むすべての人の「救い」のために「祈る」ことを求めておられるというのです。
これは、当時のユダヤ人たちがしばしば異教徒に対する「神のさばき」が行われることを願ったのと正反対です。また、イエスの時代のユダヤ人は、ローマ帝国に神のさばきが下され、目に見えるダビデ王国が再建されることを願っていました。
しかし、イエスはローマ帝国の兵士の中に、「一ミリオン(1,500m)行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい」と命じられました(マタイ5:41)。これは、ローマ軍に奉仕することの勧め</spanに他なりません。
2章5、6節では、「神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストはすべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められたときになされた証しです」と記されます。
この背後には、イザヤ19章20節があると思われ、その七十人訳では、「それはエジプトの地で、主(ヤハウェ)の時代のためのしるしとなり、証しとなる。彼らが虐げられて主(ヤハウェ)に叫ぶと、主は彼らのために彼らを救う人間を送られる。その方はさばきつつ、彼らを救う」と記されています。
「人としてのキリスト(救い主)」という表現はここに由来すると思われます。神ご自身が「救い主」なのですが、その神が「神と人との仲介者」として、御子を人の姿でこの世に送ってくださいました。それは私たちを奴隷状態から「贖う」ためでした。「贖い」の原型は出エジプトです。
イエスは新しい「神の子羊」として、富と権力の連合王国である大バビロンの支配から解放してくださいます。それは初代教会においては、クリスチャンがローマ帝国の支配下で苦しみながら、同時に、ローマ帝国の剣の脅しから自由になっている姿として現わされました。
奴隷は、死の脅しを恐れながら、自分の意思を殺して生きますが、キリストの死によって「死の恐怖」から「解放」された者には「脅し」の力は通用しません(ヘブル2:14,15)。
クリスチャンがそれでも人に仕える生き方を何よりも大切にするのは、それがキリストに倣う道だからに他なりません。私たちはキリストにある自由人として、神の平和の実現のために互いに仕え合うのです。
イスラエルの神こそがこの世界全体にとっての「救い主」であられました。そして、イエスの弟子たちは、ローマ帝国の平安のために祈りました。どれほど迫害されても、ローマ皇帝の平安のために祈りました。
その結果、イエスから約280年後の紀元312年、コンスタンティヌスは夢でキリストのしるしの二文字を見て、「このしるしにより勝利をおさめよ」とのお告げを受けて、それを軍旗として競争者に打ち勝ち、ローマ帝国の唯一の皇帝になります。
彼はキリスト教徒が、ローマ皇帝を神として拝むことには命がけで逆らいながらも、彼らがローマ皇帝の平安(シャローム)を求めて祈っていることを知り、クリスチャンを改宗させるよりは彼らを味方にした方が、帝国が安定するということに気づいたのです。
彼の信仰はその打算から始まったとも言われます。それは、皇帝ディオクレチアヌスによる大迫害の直後の大転換でした。
福音自由教会の教会形成の原則に、「信者のみ、しかし、すべての信者(Believers only but all believers)」という原則があります。
それは、教会員となる資格に、イエスを救い主として受け入れたという明確な信仰告白がなければならないという厳しい原則と同時に、イエスを救い主として信じる人であれば、その人が幼児洗礼を肯定する人でも、それを否定する人でも、天皇を敬う人でも、天皇制を否定する人でも、大富豪であってもホームレスであっても、二重の選びを強調するカルバン主義者であっても、自由意思を尊重するアルミニウス主義者であっても、カトリックとの協力を大切にする人でも、それを否定する人でもあっても受け入れることを意味します。
そこからより多くの人々に届く福音の豊かさが発信されます。
プロテスタント教会の歴史は、聖書解釈を巡って分裂に次ぐ分裂を重ねてきました。しかし、その一方で、すべての国民を自動的にクリスチャンとみなすというような、個人の信仰の自由を否定するようなことをしてきました。
それに対して、福音自由の父祖は、人は、イエスを救い主として、主体的に、自分の意志で告白する必要があるということを主張し、聖餐式の際には、イエスの復活を文字通りに信じ、イエスを公の場でも救い主として認めていない人は、聖餐式に預からせないということを明確にしました。そのため、すべての国民に幼児洗礼を授け、すべての国民をクリスチャンとみなすという国教会から破門されました。
しかし、それこそが初代教会の原則だったと言えましょう。カトリックの「ミサ」という名は「解散、退出」に由来し、聖餐式が始まる前に、「求道者はこの場から去ってください(イテ・ミサ)」と述べたことから始まったと言われます。
誰が信者で、誰が未信者であるかには極めて明確な違いがありました。たとえば、「主の祈り」は、洗礼を受けて初めて口で唱えることが許されるというものであったとも言い伝えられています。
使徒の働き5章12,13節では「皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に加わろうとしなかったが、民は彼らを尊敬していた」と記されています。
つまり、「心をひとつにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにする」(同2:46)という信者の交わりを未信者の方々は遠巻きに眺め、しかも信者の交わりに尊敬の思いを抱いていたというのです。「信者どうしが互いに愛し合うこと」こそが、この世の人々を引き寄せる最大の「伝道」になっていました。
様々な異なった背景をもった人々が政治信条の違いや聖書解釈に関しての歴史的な論争のどれに属するかを超えて、イエスを主と告白することのみにおいて互いに愛し合うことができるという不思議こそ、まわりの未信者の方々を寄せ付ける魅力になります。
その際、大切なことは、歴史的に見解の相違が認められてきたことに関しては目くじらを立てて論争しないということです。私たちはそれぞれ違いがあるからこそ、社会の異なった立場の人や異なった政治思想、異なった背景の人に届くことができます。
この世から明確に分離しつつ、同時に、信者どうしの多様性を何よりも尊重するというバランスを求めましょう。