Ⅰ列王記7章〜8章「救い主を指し示すソロモンの神殿」

2018年5月27日

イエスの時代の人々は外面的には壮麗な神殿を見ながらその神殿が主(ヤハウェ)の栄光に満たされることを待ち望んでいました。それをユダヤ人はシェキナー(Shekinah)と呼びました。それはモーセが建てた幕屋にもソロモンが建てた神殿にも現わされたものです。

そのような中でイエスは、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」(ヨハネ2:19)と言われました。これはイエスが、十字架にかけられる告訴理由になり、それで嘲られましたが、三日目に死人の中からよみがえれたとき、真の神殿が完成したのです。

福音記者ヨハネは「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みと栄光に満ちておられた」(1:14)と記していますが、イエスこそシェキナーの現れだったのです。それは「恵みとまこと」として現わされましたが、人々は理解しませんでした。

ソロモンの神殿はイエスの時代に神殿にはるかにまさるものでしたが、「本物の模型」(ヘブル9:24)に過ぎませんでした。ソロモンは与えられた知恵によってそれを理解していました。

1.「神殿を建てるのに七年かかった……十三年かかって自分の宮殿全部を完成した」

「ソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した」(7:1)は、直前の、「神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった」(6:38)との対比で、彼の危うさを示します。

しかも、「レバノンの森の宮殿」(7:2)は、「神殿」との比較で、長さで1.67(44m)、幅で2.5倍(約22m)にも及びます。つまり、ソロモンは、神殿の約二倍の時間をかけ、その四倍余りの大きさの宮殿をはじめ、それとは別に「王座の広間」(7:7)や自分の住む家とパロの娘のための家を建てたというのです(7:8)

これらは政治の集会場所と生活の空間であり、祭司が奉仕のためにしか入れない神殿と大きさを比較することも無意味ですし、神殿内部の豪華さは宮殿とは比較にならなかったでしょうが、列王記の著者は、このような記述によって、ソロモンの心が神の栄光と自分の栄光とに分裂していることを描こうとしています。

ただし、713節からは神殿に付属する部分や調度や備品に関する工事の継続が記され、51節になって、「こうして、ソロモン王が主(ヤハウェ)の宮のためにしたすべての工事が完成した」とあるように、神殿全体が七年で完成したと誤解してはなりません。しかも、準備はダビデの時代に始まっていたのですから。

ソロモンがツロから呼んだ青銅の細工師のヒラムは、ツロの王と同じ名前ですが、ナフタリ族のやもめの子で、父はツロ人でした。彼はイスラエル人の枠から外れながらも、「青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた」ので、ソロモンのもとで「いっさいの細工を行なった」のでした(7:14)。その意味で神殿は当時の技術の集大成でした。

ヒラムはまず、18キュビト(約8m)もの高さの「青銅の柱」を二本作りました。その太さは周囲5.3m(直径1.9m)もあり、その上に5キュビト(2.2m)の高さの美しい飾りの青銅の「柱頭」をつけ、各柱にはヤキン(確立する)、またボアズ(力をもって)という名がつけられました(7:15-22)

それから「鋳物の海」が作られましたが、それは直径が約10キュビト(4.4)深さが5キュビト(2.2)もある巨大なものでした。これは三頭ずつ東西南北に向いた十二頭の牛の鋳物の上に置かれました(7:23-26)。この容量は二千バテ(46,000リットル)にも及び、これは「祭司たちが身を洗うためのもの」でした(Ⅱ歴代誌4:6)

また、次に青銅で移動式の十の「台」とその上の「洗盤」が作られました。それぞれの洗盤も直径1.8mという大きなもので、それはケルビムと雄獅子と牛の上に置かれていました(7:27-37)。これは「海」の五十分の一容量で、「全焼のささげ物に用いるものがすすぎ清められる」ための器でした(同歴代誌)。

また、ささげものやいけにえを処理するために用いられる「灰つぼと十能と肉刺し」が作られました。

そして、「ついで、ソロモンは神の宮にあるすべての用具を作った」(7:48)とあります。これは一台の香をたく祭壇、供えのパンを載せる机、燭台が十台ずつなどですが、すべてが純金で作られ、驚くほど豪華なはずですが、それについてはごく簡単に記されます。これは宮の中の器具ですから純粋なイスラエルの金細工人が作ったと思われます。

ソロモンは、杉材の調達においても、また青銅の細工師に関しても、同盟関係にあったツロの助けを受けました。それはダビデ時代から続いているものであり、ツロの王もイスラエルの神、主(ヤハウェ)をあがめつつ協力していることでした。この書はその協力関係を敢えて好意的に強調していると思われます。

一方、ソロモンが大量に輸入した杉材を用い、十三年もかけて「レバノンの森の宮殿」を作ったことは、民全体に大きな負担をかけ、後の北王国の分裂の種となりました。

伝道者の書で彼は、「この目が欲するものは何ひとつ拒まず、あらゆる快楽にこの心を開いていた。実に、私の心は、これらすべての労苦の中で喜んでいた……しかし、私が、この手のわざと、労苦の結果のひとつひとつを振り返ったとき、見よ。すべては空しく、風を追うようなもので、日の下に益になることは何もなかった」(2:10,11私訳)と、この大事業の後で、空しさを覚えたことを告白しています。

何という皮肉でしょう。ソロモンは周辺地域との平和を保ち、民族を超えた協力関係を構築しましたが、彼が事業の拡大の後に感じた空しさからも学ぶべきです。

2.「主(ヤハウェ)の栄光が主(ヤハウェ)の宮に満ちた」

「主(ヤハウェ)の契約の箱」が町の南から北のモリヤ山上の神殿へと運び入れられたのは「第七の新月の祭り(仮庵の祭り、レビ23:33-42)」(8:2)でしたが、どの年かは不明です。

祭司たちはイスラエルの全長老が集められた中で「契約の箱」を担いました(8:3)。その箱はそれまで古いダビデの町の王宮近くに置かれていたと思われますが、そこから北に700mあまりの昔のオルナンの打ち場に建てられた神殿に移動されました(Ⅰ歴代誌21:22,22:1)。

箱が進む先には数えられないほどの羊や牛がいけにえとして献げられ、ついに至聖所のケルビムの翼の下に運び入れられます(8:6)。なおここで敢えて「箱の中には二枚の石の板のほか入っていなかった」(8:9)と記されます。私たちの「聖書」はそれ以上のものですから、恐れをもって扱うべきでしょう。

そして祭司たちが聖所から出てきたときの不思議が、「雲が(ヤハウェ)の宮に満ちた。祭司たちはその雲のために、立って仕えることができなかった。(ヤハウェ)の栄光が(ヤハウェ)の宮に満ちたからである」(8:10,11)と描かれます。

「真っ暗な雲」(出エジ14:19,20)が満ちることは「栄光」が満ちることでした。「栄光」は「重さ」と同義語で、明るさ(「あ!軽い」)よりも恐怖心を引き起こします。これは、モーセのもとで「会見の天幕」が完成したときと同じ情景でした(40:34,38)。そのときの「栄光の雲」は、イスラエルの民を地上の約束の地へと導きましたが、今、ここに現れた主の栄光は、人々の心を天上の栄光へと導くと言えましょう。

このときソロモンは、「主(ヤハウェ)は、黒雲の中に住む、と言われました。私は、あなたの御住まいである家を、確かに建てました。御座がとこしえに据えられる場所を」(8:12,13)と語ります。これは主が、見ることも近づくこともできない方でありながら、その栄光をご自身が王として支配するイスラエルという国を通して現されるという意味です。

それからソロモンは「イスラエルの全会衆を祝福し」つつ、その歴史を振り返った話をします。

そこで彼は、主が「わたしは、わたしの名を置く家を建てるために……ダビデを選び……主(ヤハウェ)はお告げになった約束を果たされたので、私は……主(ヤハウェ)の御名のためにこの家を建て、(ヤハウェ)の契約の箱が納められている箱のために、そこに場所を設けた。その契約は、主が私たちの先祖をエジプトの地から導き出されたときに、彼らと結ばれたものである」(8:1620,21、Ⅱサムエル7:5-16参照)と述べます。

つまり、神殿は人間のわざではなく、歴史を支配する神の一方的なみわざであるというのです。そして、「ソロモンはイスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、天に向かって両手を伸べ広げて」(8:22)、人々に聞かせるように祈ります。

そこで彼は主(ヤハウェ)に向かって、「あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵み(真実、ヘセド)を守られる方です」(8:23)と賛美しつつ、ダビデ王家が永遠に存続することを祈ります(8:25)。ただそこで、ダビデが主「の前に歩んだように」主の「前に歩みさえするなら」と主が言われたことを思い起こさせます。

私たちはみなダビデの罪や父親としての愚かさを知っています。しかし、彼は神の前に正直に歩み、神にすがり続けていました。その姿勢に倣うことが求められているのです。彼は聖人というより自分の弱さを心の底から自覚した人でした。

私たちも何度も罪を犯しながらも、それを正直に認め、神にすがり続けるなら、ダビデの子孫と見ていただけ、神の約束の成就を期待できるのです。事実イスラエルは何度も神の命令に背き続けましたが、神はイエスをダビデの子として立て、王家への約束を成就されたのです。

主の「契約と恵み(真実、ヘセド)」こそ神殿の中心です。そして今、主は私たちと「新しい契約」を結んでくださいました。私たちは、「生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたキリストの手紙」(Ⅱコリント3:3)であり、「主の御霊は……私たちを……栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えて」くださいます(3:17,18)

私たちの心また交わりのうちに御霊であるヤハウェご自身が住んでくださいました。それこそが新約の圧倒的な恵みです。そして、私たちに求められることは、「御霊に対する冒涜」をしない、「聖霊に逆らうことを」言わないことです(マタイ12:31,32)。それは神の赦しを拒絶することに他ならないからです。

また私たちには、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい」という命令と並んで、「御霊を消してはいけません」と勧められています(Ⅰテサロニケ5:16-19)。これは私たちが自分の肉の思いで心を一杯にして、神の前に静まることができないときに起こる悲劇でもありましょう。

3.「地上のすべての国々の民が、主(ヤハウェ)こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるため」

その上でソロモンは、「神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです」(8:27)と認めつつ、「『わたしの名をそこに置く』とあなたが言われたこの場所に、夜も昼も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向ってささげる祈りを聞いてください……天においてこれを聞いてください。聞いて、お赦しください」(8:29,30)と祈ります。

その後の七つの祈りそれぞれで、「天でこれを聞き……」してください」と繰り返されます。

第一は、3章での二人の遊女の争いのように、どちらが有罪なのかが分からないケースの裁判において公平なさばきがくだされることです(8:31,32)。その際は、のろいをもたらす苦みの水の害によって罪が明らかにされたという記事にあったように、「のろいの誓いを立てるように求められ」ました(民数記5:11-22参照)

第二は、イスラエルが神への罪を犯した結果として敵に敗北するようなときに、反省した彼らを助けて欲しいと願うものです(8:33,34)。これはアカンの罪によってヨシュア軍がアイとの戦に敗北した事例を思い起こしたものです(ヨシュア7)

第三は、罪へのさばきとして雨が降らなくなった場合、立ち返った彼らに、「歩むべき良い道を教え」てくださるようにとの願いです(8:35,36)。これは後の北王国の王アハブの偶像礼拝へのさばきとして飢饉が起きたときの預言者エリヤの対応に示されます(1718)

第四は、「疫病や………いなご……が発生したとき……敵がこの地の町を攻め囲んだとき……それぞれ自分の心の痛みを知って、この宮に向かって両手を伸べ広げて祈るなら……一人ひとりに、そのすべての生き方に従って報いてください」という願いです(8:37-40)。その結論では「彼らが……いつもあなたを恐れるように」と敢えて述べられます。のちのヨエル書がこのテーマをもとに記されます。

第五は、驚くべきことに「あなたの民……でない異国人……が、あなたの御名のゆえに、遠方の地から来て……この宮に向かって祈るなら」と言われます(8:41-43)。イザヤ6566章はこのテーマで記されます。

またイエスはイザヤ567節を引用し、「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」と言われました。主が異邦人の庭から商売人を追い出したのは「異国人の祈り」を守るために他なりませんでした(マルコ11:17)。これこそ新約への窓です。

第六は「あなたの民が敵との戦いのために出て行くとき、遣わされる道で、あなたがお選びになった都……宮に向かって主(ヤハウェ)に祈るなら」(8:44,45)と、神によって召された戦いでのことで、それまでと趣旨が異なります。詩篇4243篇にはこのテーマが歌われています。

私たちも主に誠実に従ったつもりでも災いに会い、自分の信仰が嘲りの対象になることがあります。そのような絶望的な状況の中で、なお神殿での礼拝の回復を待ち望んで祈り、最終的な勝利を体験できます。

第七の祈りは、先とは異なり、彼らが罪を犯して、神の怒りを受け、「敵国に捕虜として捕らえられて行き……そこで我に返り」という場合のことです(8:46-53)。それはこの三百年近く前の申命記2849節以降の預言を思い起こすことであり、この約四百年後にバビロン捕囚として実現することです。

「我に返り……あわれみを乞い」、自分を「罪ある者」と呼ぶことは、ルカ1517-19節の放蕩息子の反省の姿に重なります。

しかも、「捕らわれて行った敵国で、心のすべて、たましいのすべてをもって、あなたに立ち返り……この宮に向かって、あなたに祈るなら」(8:48)という勧めを、後にダニエルは捕囚の地で実行しました。彼は礼拝を禁止されながらも、エルサレムに向って、日に三度ひざまずいて祈っていました(ダニエル6:10)。イスラエルの民は、捕囚を通して、主を恐れることを学び、再び約束の地に戻ることができました。

ソロモンは85153節で出エジプトの歴史を振り返りながら、「彼らはあなたの民……ご自分のゆずりの民」であると言いながら、将来的に敵国で捕囚となるようなことがあっても、その地から回復されることを願っています。しかしこれは、モーセが申命記301-5節で約束している「新しい出エジプト」(new Exodus)の救いの希望でもあります。

なお、この第七の祈りの始まりに、「罪に陥らない人は一人もいません」(8:46)と敢えて述べられているのは興味深いことです。

後に使徒ヨハネは、「もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり」と言いつつ、「義なるイエス・キリスト……こそ、私たちの罪のための……宥めのささげ物です」と宣言します(Ⅰヨハネ1:10-2:2)

パウロは、「神はこの方を……宥めのささげ物として公に示されました」(ローマ3:25)と記しますが、ここは脚注にあるように「宥めの蓋」が原文の直訳です。それこそ神殿の心臓部です。ヘロデの神殿には契約の箱がありませんでしたが、イエスご自身が契約の箱の上の「宥めの蓋」となってくださいました。

ソロモンの神殿において、大祭司は年に一度、至聖所に入り、民の罪全体の贖いのために、雄やぎの血を「宥めの蓋」の上と前に血をかけることによって、「イスラエルの集会全体のための宥め」を行いました(レビ16:15,17)

なおヘブル人への手紙924節では、「キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです」と記されています。まさに、イエスご自身がソロモンの神殿でも成し遂げられなかったことを成し遂げ、神殿を完成してくださったのです。

神がモーセに契約の箱の上に「宥めの蓋」を載せ、その両端にケルビムを置き、その翼で「宥めの蓋」を覆う目的は、神がそこでモーセと会見し、「イスラエルの子らに向けてあなたに与える命令を、その『宥めの蓋』の上から、あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る」と言われました(25:22)

そして神は今、新しい「宥めの蓋」となられたイエスを通して私たちに語りかけてくださるのです。

そして、ソロモンは、これらの祈りの目的を、「こうして、ついに地上のあらゆる民が、主(ヤハウェ)こそ神であり、ほかに神はないことを知るに至りますように」(8:60)とまとめています。

しかも、Ⅱ歴代誌71節では、「ソロモンが祈り終えると、天から火が下ってきて、全焼のささげ物と数々のいけにえを焼き尽くし、(ヤハウェ)の栄光がこの宮に満ちた」と描かれます。まさにこのソロモンの祈りは、主に喜ばれ、主はこの祈りを聞いてくださいました。だからこそ、この祈りの真実は聖書全体を通して証しされています。

そして今や、全世界の人々が、真の神殿となられたイエスの御名を通して主(ヤハウェ)に向って祈るようになりました。ソロモンは、その神殿建設からこの祈りに至るまで、神から与えられた知恵でイスラエルという民族の枠を超えています。

ソロモンが建てた神殿は、主がこの地に平和をもたらしてくださった象徴でした。ですから、そこでは神の民の枠を超えた人々の協力が強調されます。しかし、彼は異邦人との交わりを深めながら、その影響を受け巨大な宮殿への思いを膨らませてしまったのでしょう。その過ちは、真のダビデの子がソロモンではなくイエスであることを示すものです。

しかし、神はそれにも関わらず、ソロモンを用いてご自身の神殿を建てることによって、私たちの心をもっとすぐれた天上の宮に向けさせているのではないでしょうか。その神殿はイエス・キリストを指し示しています。

ソロモンはダビデ以上に欠けだらけの王でしたが、神は彼を用いて、新約への道を開く、歴史を貫くような祈りをさせてくださいました。その神殿は何よりも彼らに祈ることを、また主を恐れることを教えるためのものでした。

イエスの時代の人々は当時の神殿に、神の栄光の現れることを待ち望んでいました。そしてイエスの十字架と復活こそ天の神殿を完成させる、シェキナーの現れでした。ですから今、「私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます」(ヘブル10:19)と告白するのです。