2018年4月22日
昔から、「人生の最後に、もっとたくさん仕事がしたかったと思う人は誰もいない」と言われますが、「人々が愛を与え、また愛を受け取るのを助けるために、職場や製品に、もっと自分の時間、熱意、スキルを使いたかった」という人はいるのではないでしょうか。
ニューヨーク中心部にあるリディーマー教会のティモシー・ケラー牧師は、「無関心は、『それは、自分にとってどんな得があるのか』という費用対効果分析だけを基本に人生を生きることです……無関心とは、最も目立たない種類の偶像礼拝なのです。
それは、人生の中心に冷笑的な自分自身を置くことであり、あなたの仕事の主たるエネルギーの裏には、最もひどい悪徳や罪のすべてがあるのです」と言って、その自分の利益を第一とする「無関心」の思いの根本を古典的な七つの大罪の「怠惰」と呼び、それが他の「暴食、色欲、強欲、憤怒、傲慢、嫉妬」の罪に現れると分析しています。
私たちが自分に対する神の期待を忘れると、競争意識や不安に駆り立てられ、本当の意味で、自分に与えられた賜物を喜び、何かのために生かされているという人生の充実感を味わうことができません。
神が創造した世界に対する「愛」を忘れた、目的のない自己実現には、人生の空虚さが付きまといます。
1.アドニヤは、「私が王になる」と言って、野心を抱き……
「ダビデ王は年を重ねて老人になって」(1:1)、「衣をいくら着せても温まらなかった」ので、家来たちは「王の懐に寝させて王が暖まるように」と、「国中に美しい娘を探し求め」ました(1:2,3)。そして、ガリラヤ湖南西部のイッサカル族の町のシュネムから「アビシャグを見つけて」、王に仕えさせました。
ただそこで、「王は彼女を知ることはなかった」(1:4)と敢えて記されます。これは男性としての機能が衰えたことを意味します。
このとき、ハギテから生まれたアドニヤが、「私が王になる」と言って「野心を抱き」、戦車や騎兵をそろえます(1:5)。彼は父ダビデの「心を痛める」ことがなかった息子で、「非常に体格も良く、アブサロムの次に生まれた子」、ヘブロンで生まれた六人の息子の第四番目でした(Ⅱサムエル3:2-6)。
このとき次男も死んでいたと思われ、彼が最年長の子として、王位を願うのは人間的には当然とも言えました。それにしてもアドニヤとアブサロムには共通点があります。それはダビデの権力に陰りが見えたとき、自分の外面的な魅力や人間的な基準に頼り、神のみこころを尋ねようともせずに、自分の意志で王になれると思ってしまっている点です。
そしてアドニヤは、ダビデがソロモンに目を留めているのを知って、実力者の将軍ヨアブと、大祭司エブヤタルに頼りながら、エルサレムのすぐ東南のエン・ロゲル近辺で祝宴を開き、「王の家来であるユダのすべての人々を招いた」(1:9)というのですが、そこにダビデの勇士たちも、他のイスラエルの人々も招かれてはいません。
彼は自分の身近な人々から支持者を集めても、イスラエル王国全体への視点が欠けています。
一方、預言者ナタンは、ソロモンの誕生の際、「主(ヤハウェ)はその子を愛された」(Ⅱサムエル12:24)とのみこころをダビデに告げていたほどの人でした。それで、ソロモンの母バテ・シェバにアドニヤの動きを知らせ、ダビデ王のもとを尋ねてこれを告げるように助言します。
彼女は、寝室にいる王を訪ね、「あなたは……主(ヤハウェ)にかけて……『ソロモンが……私の王座に着く』と……お誓いに」なったのに、「今、アドニヤが王となっています……あなたはそれをご存じではないのです」と訴えました(1:17,18)。
最後の部分は、「王よ、あなたはそれを知らないのです」と記され、4節の「王はアビシャグを知ることがなかった」に対応し、王としての能力の陰りを示唆している表現とも言えます。それは、王が自分の後継者を公に告げないと大変なことになるという警告です。
そして、そこに預言者ナタンが入ってきて、アドニヤが王座に就くのは王の意思かと尋ねました。そして、誰が王の後継者となるのかについて、預言者である自分にさえ告げていないと、問題を指摘します。
ダビデはバテ・シェバに、「あなたに誓ったとおり、きょう、必ずその通りにしよう」(1:30)と言います。つまり、ダビデは確かにバテ・シェバにはそのように誓っていたのです。その上で彼は、祭司ツァドクと預言者ナタン、護衛長ベナヤの三人を召します。彼らは王の命令に従って、ソロモンをダビデの雌ろばに乗せて、王宮のすぐ東にあるギホンの泉のある場に下り、彼に油を注いでイスラエルの王に任じました。
この直後、民は大声で「ソロモン王。ばんざい」と叫びます。しかも「民が笛を吹き鳴らしながら、大いに喜んで歌ったので、地がその声で裂けた」と記されるほど、ソロモン王の即位は公然の事実となってしまいました(1:38-40)。
アドニヤとともにいたヨアブは、「なぜ、都で騒々しい音がするのか」(1:41)と言います。そのとき祭司エブヤタルの子ヨナタンはアドニヤに、「われらの君、ダビデ王はソロモンを王とされました」と言ったばかりか、民がそれを喜んだので「都が騒々しくなった」と経緯を説明しました。またダビデ自身が寝台で家来たちの前で主を礼拝しながら、ソロモンの即位を喜んでいる様子を伝えます(1:47,48)。
これを聞いた「アドニヤの客たちはみな身震いして」立ち去ります(1:49)。アドニヤは命乞いをするために主の祭壇に行き、その角を握りつつ、ソロモン王に自分を殺さないと誓って欲しいと訴えます(1:51)。
それに対しソロモンは、誓うことを避けながら、「彼のうちに悪が見つかれば、彼は死ななければならない」(1:52)と言います。そして人を遣わしてアドニヤを祭壇から降ろさせ、兄である彼が「礼を」したことに、「家に帰りなさい」と冷たく答えます(1:53)。
ソロモンは王に任ぜられるまでは沈黙を守りましたが、敵の陣営に属したはずの祭司エブヤタルの子ヨナタンが、「ソロモンはすでに王の座に就きました」(1:46)と告げた後の言動は、神によって立てられた王としての威厳に満ちていました。ソロモンは、兄であるアドニヤの卑屈な、王の権威に媚びている態度に惑わされることなく、冷徹なことばを発しました。
一方、アドニヤはイスラエルの王を立てるのは主(ヤハウェ)ご自身であることを忘れて人間的な動機で動きました。彼を支持した将軍ヨアブも祭司エブヤタルも、まるでダビデが王としての判断能力を失ったかのように勝手に判断し、王権の人間的な安定を望んだのだと思われます。
彼らは、主がご自身のみこころをダビデに特別に示し続けてきたという経緯を忘れているかのようです。
ソロモンに関してはⅠ歴代誌で、主ご自身がダビデに、「見よ。あなたにひとりの男の子が生まれる。彼は穏やかな人となり、わたしは周りのすべての敵から守って彼に安息を与える。彼の名がソロモン(平和を意味するシャロームの派生語)と呼ばれるのはそのためである」(22:9)と語っておられました。
つまり、ソロモンが王となるのは、生まれる前からの神のご計画だったのです。預言者ナタンが積極的に行動したのもそれを知っていたからです。
そして、そのご計画は私たちにも当てはまります。それは、「神は、世界の基の据えられる前から、この方にあって私たちを選び……ご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」(エペソ1:4,5)と記されているからです。
私たちはひとりひとり、目的をもって生かされ、神からの固有の使命を与えられて神の子どもとされました。その意味では私たちとソロモンは同じです。
アドニヤは何をするために王になろうとしたのでしょう。彼は単に、支配する側に立ちたいと思っていただけではないでしょうか。これは世の多くの人も同じかもしれません。敗北者になることを恐れているだけで、使命を忘れています。
2.「こうして王国はソロモンによって確立した」
ダビデは、死ぬ日が近づいたとき、息子のソロモンに遺言を残します。その第一は、「あなたの神、主(ヤハウェ)への務めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい……」(2:3)です。「務め」とは、原文で「守るべきもの」と記されます。
つまり、「守る」が三回も繰り返されているのですが、その中心的な意味は「注目する」です。それは、主がモーセの後継者ヨシュアに、「このみ教えの書(モーセ五書)を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ」(1:8)と言われたことと同じです。つまり、みことばに心の目を向け続ける結果として、それを実行することが可能になり、「何をしても、どこへ向かっても、栄える」(2:3)ことができるのです。
残念ながら、みことばを味わうというプロセスを忘れて信仰の破船に会う人が多くいます。なお、ダビデはここでさらに、主が自分に、「もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、いのちを尽くして、誠実にわたしの前に歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない」(2:4)と言われた「約束」を忘れないようにとソロモンに念を押しています。
次にダビデは、自分が果たせなかったさばきをソロモンに委ねます。その第一は将軍ヨアブです。ダビデはかつて前王サウルが自滅したとき彼の将軍アブネルと和解をし、また息子アブサロムの反乱を鎮めた際も、その将軍アマサと和解をしました。しかし、ヨアブは自分の立場を守るために、彼らを卑怯なだまし討ちにしました(Ⅱサムエル3:27、20:10)。
ダビデは彼を「私にとっては手ごわすぎる。主(ヤハウェ)が、悪を行なう者に、その悪にしたがって報いてくださるように」(同3:39)と言いながら時を待ちました。そして今、ヨアブはアドニヤに味方し、自滅への道を歩みだしています。それでダビデはソロモンに、「あなたは自分の知恵に従って行動しなさい。彼のしらが頭を安らかによみに下らせてはならない」(2:6)と言い残しました。
ただし、ダビデは、主が「復讐と報復はわたしのもの」(申命記32:35)と言われる原則に従ってこれを語っていますから、このことばは、ソロモンに復讐や報復を頼んだのではなく、主のさばきを冷静に執行するようにとの遺言です。
またダビデは、アブサロムの反乱で都を追われたときの恩人ギルアデ人バルジライの子らには、「恵みを施す(ヘセッドを行なう)」(2:7)ことを命じます。
その一方、自分を激しく呪ったベニヤミン人のシムイに関しては、「彼を咎のない者としてはならない」(2:9)と命じました。ダビデはアブサロムの反乱後、イスラエル全体の安定のためにベニヤミン族に影響力を持つシムイに関しては、「あなたを剣で殺さない」と、主にかけて誓わざるを得なくなったことを振り返りつつ、ソロモンには、「あなたは知恵ある人だから、どうすれば彼の白髪頭を血に染めてよみに下らせられるかがわかるだろう」と不気味なことを言います。
ダビデはソロモンの知恵を評価しましたが、それは人間的な復讐心以前に、主のさばきを王として執行することへの期待でした。
この後、ダビデは四十年間のイスラエル王としての働きを全うして、葬られ、「ソロモンは父ダビデの王座に着き、その王位は確立した」と記されます(2:11,12)。
そして、この章の終わりにも「こうして、王国はソロモンによって確立した」(2:46)と記され、それにはさまれるように、ヨアブとシムイが自滅する様子が描かれます。
それに先立って、アドニヤはあるときソロモンの母バテ・シェバにとりなしを頼んで、ダビデの最後の未亡人アビシャグを妻に欲しいと願います。なおその際、アドニヤがバテ・シェバに言ったことばが問題です。
彼はソロモンが王になったことに主(ヤハウェ)のみわざがあったことを認めているようでも、「ご存知のように、王位は私のものでしたし、イスラエルはみな私が王になることを期待していました。それなのに、王位は転じて、私の弟のものとなりました」(2:15)と、まるで主が本来あるべき秩序をひっくり返したかのように言っています。
これは、主のみこころよりも、人間的な常識を重んじる発想であり、自分にはなお、「王位を願う」(2:22)権利があると主張しているのと同じです。事実、当時の感覚では、前王の妻を自分の妻とすることは王位後継者のしるしともなりえたからです。
優しいバテ・シェバはアドニヤの真意を見抜けませんでしたが、ソロモンはすぐにそれを見抜きました。ソロモンは以前、アドニヤへのさばきを保留して、「彼のうちに悪が見つかれば……」(1:52)と言っていましたが、愚かなアドニヤは自分で心に隠した悪意を現わしてしまったのです。
その後、彼を支持した祭司エブヤタルに関しては、罷免するにとどめました。それは彼の父が、ダビデを助けてサウルから殺されたノブの祭司アヒメレクであり(Ⅰサムエル21,22章)、その家を滅ぼすことはダビデ家の信義に反すると思えたからでしょう。しかし、この祭司の家の没落は、かつて主がシロで祭司エリに語ったことの成就でもありました(2:26、27,Ⅰサムエル2:31-33)。
一方、この話を聞いたヨアブは、「主(ヤハウェ)の天幕に逃げ、祭壇の角をつかみ」ます(2:28)。祭壇は聖所の庭にあるいけにえを焼く所で、その角をつかむとは、主の保護を求めるしるしでした。
アドニヤのときは当面の逃げ場になりましたが、ヨアブの場合は「善良なふたりの者……を虐殺した」という罪があるので(2:32)、ソロモンはダビデの護衛長だったベナヤを遣わし、彼を討ち取ります。祭司エブヤタルの代わりにツァドクが立ち、ヨアブの代わりにベナヤが軍団長に任命されます。
その後、ソロモンはシムイを呼び寄せ、エルサレムに家を建てて住み、そこから出ないとの誓いを立てさせます(2:36)。それは彼が都の外に出てベニヤミン人を扇動する恐れがあったからです。彼はそれを了承しますが、三年後に自分の奴隷が逃げたのを追いかけてこの誓いを破り、死刑に処されます。
その際ソロモンはシムイに、「主(ヤハウェ)はおまえの悪をおまえの頭に返される」(2:44)と、これが主のさばきであることを改めて強調します。このようにしてソロモンは、ヨアブとシムイに関するダビデの遺言を果たします。ここにはソロモンの機会を逃さない冷徹さを見ることができます。
しかし、彼はダビデの第一の遺言をどれだけ真剣に受け止めたでしょう。彼自身が「ソロモン王は祝福され、ダビデの王座は主(ヤハウェ)の前でとこしえまでも堅く立つ」(2:45)と言っていますが、それはあくまでも、主がソロモンではなくダビデの誠実に報いた約束でした。
3.「あなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください」
3章の始まりには、「ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり、ダビデの町に連れてきて……」(3:1)と不気味なことが記されます。これは、彼がエジプトと対等な力を持った象徴でもありますが、主のみこころよりも政略を優先し、異教徒を妻として堕落するきっかけでもあります。
また彼は、「高き所」(3:2-4)というカナン宗教の祭壇を利用した礼拝を続けていました。なお、ギブオンにはまだ契約の箱以外の「主(ヤハウェ)の幕屋と全焼のささげ物の祭壇」が残されていました(Ⅰ歴代誌16:39,21:29)。
そこでソロモンは、「千匹の全焼のささげ物を献げた」というのです。それに応答するように、「ギブオンで主(ヤハウェ)は夜の夢のうちにソロモンに現われ」、不思議にも、「あなたに何を与えようか。願え」と言われます(3:5)。
このときソロモンは、自分の王座は、主と父ダビデの関係から生まれていることをまず認めながら、自分に関しては、「私は小さな子どもで、出入りする術を知りません」(3:7)と指導力の不足を謙遜に告白します。
その上で、「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください」(3:9)と願います。彼は、「私の民」と言わず「あなたの民」と呼びながら、単なる知恵ではなく、神と人の声を「聞き分ける心」を求めています。それは自分の利害ではなく、主から委ねられた働きを全うするために必要なものであり、「これは主のみこころにかなった」ものでした(3:10)。
それに続く主のことばは感動的で、私たちへの示唆に富みます。結果として主は「知恵と判断の心」ばかりか、「富と誉れ」までもお与えくださいました(3:12、13)。
ただ同時に、「あなたの父ダビデが歩んだように……掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう」と警告を与えます(3:14)。
その後、ソロモンはエルサレムにもどり、「主(ヤハウェ)の契約の箱の前に立って、全焼のささげ物……交わりのいけにえを献げ……すべての家来たちのために祝宴を開いた」というのです(3:15)。それはソロモンが人々の前に、イスラエルの真の王はヤハウェご自身であることを証しすることでもありました。
主はソロモンの行動を細かく正すよりも、何よりも、主を恐れるという心を育もうとしています。
その直後ソロモンの知恵が証明される裁判が記されます。二人の遊女が一緒の家に住み、同じ時期に生まれた乳飲み子を持っていました。一人の女は夜の間に、誤って子供の上に伏して殺してしまい、自分の死んだ子を別の女の生きている子と取り替えます。
もう一人の女が目覚めると、互いに生きている方が自分の子だと訴え合いました。そこで王は、剣を持ってこさせ、「生きている子を二つ切り分け」、分け合うように命じました(3:25)。そのとき、生きている子の母親は、死を見るよりは自分の子をあきらめると言ったので、どちらがその子の母かが分ったとのことです。
これは、彼がそれぞれの母親の気持ちを「聞き分ける心」を与えられていたからこそできたことです。単なる知恵ではなく、「聞き分ける心」を私たちは求めるべきでしょう。
ソロモンは主から与えられた自分の使命を自覚するところから、主に助けを求めました。私たちにもそれぞれ自分の能力の不足を悲しむことがあるでしょうが、それは多くの場合、人との比較で感じられているものではいないでしょうか。
何よりも大切なのは、主に召されたものとしての生き方、主から与えられた使命を覚えることです。主は、私たちを人より偉大にするためにではなく、ご自身の働きを、私たちを通して実現するために、必要な賜物を与えてくださるのですから。しかも、主は必要な助け手をもお与えくださいます。
アドニヤもヨアブもエブヤタルもシムイも、自分の利害を優先し、神の召しを軽んじて自滅しました。ソロモンはこのとき、自分が神に忠実である限りにおいて王権が安定することを悟っていました。
そこには不純なものも既にありましたが、神は子どもを育てるように彼に接し、彼の良い願いを評価し、「知恵と判断の心」を授けました。神ご自身がソロモンを立て、彼がそれを自覚していたとき、イスラエルは繁栄しました。
ときに、「私は日々の生活に忙しく、使命など考える余裕がない」と思われる方もいるでしょう。しかし、それは日々、身近な隣人の声を「聞き分ける心」から必然的に生まれる「生き方」です。
ナチスの強制収容所を生き抜いたユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルは、「私は人生にまだ何かを期待できるか」と問う者に対し、「人生は私に何を期待しているか」と問い直すように勧めます。そして「しあわせは目標ではなく、結果にすぎない」、「人生の問い」に答える中から、「おのずと湧く」と言いました。
そして、社会的に尊敬される人々が、「人生を仕事と心得ている」ことに対し、「宗教的な人間は」、「仕事を課す」方がどのような方かを知ったうえで、「人生は神が課した使命だと知って生きている」と記しています。私たちに生きることの使命を課してくださる方は、私たちの創造主であり、私たちにとっての最善をご存知の方であられます。