2018年4月8日
1961年のことですが、17歳の女の子が自殺企図のため閉鎖病棟に閉じ込められ、壁や床に自分の頭を打ち付けていました。それから6年後のある夜、ある教会堂の十字架の前でお祈りしているとき、不思議に目の前の十字架が輝き出し、神の愛が自分に迫って来る体験をしました。その直後に、自分の口からふと、「I love myself・・」という言葉が出てきました。自分自身を愛するという思いは、初めての体験でした。
彼女はその後、心理学を極めて医者になり、境界性パーソナリティ障害者の弁証法的行動療法を生み出します。彼女の名はワシントン大学教授マーシャ・リネハンです。2011年6月23日のニューヨークタイムス誌インタビュー記事が話題になりました。
ただ彼女は、「私の宗教体験は自分を変革したが、同じことが起きるとは誰にも約束できない。ほとんどの人にとっての変革は、ゆっくりとしたもので、自分でも気づかないうちに起きる」とも語っています。そして私たちにとっても、自分のあるがままの姿を受け入れることと、自分の生まれながらの意思を超えた行動の変化は、私たちの信仰の歩みの鍵かと思います。
私たちは自分に対する神の愛を味わった結果として、他の人に仕える自由を持つことができます。マルティン・ルターは宗教改革の原動力となった伝道文書「キリスト者の自由」において、
「キリスト者はすべてのことの上に立つ自由な君主であり、誰の下にも置かれていない。
キリスト者はすべてのことに仕えることができるしもべであって、誰の下にも置かれている」(私訳)という不思議な対比が両立していると言いました。
つまり、キリスト者とは「王であると同時にしもべ」なのです。
その不思議を私たちはダビデの生涯に見ることができます。彼はサウル王から命を狙われて逃げ続け、息子アブサロムに追われているとき、神の助けを誰よりも身近に感じ、多くの詩篇を記し、その心は誰にもまさって高貴な王でした。しかし、この世的な意味での王として高ぶりの思いを持ったとき、誰よりも卑怯な人間に成り下がりました。
私たちもこの地を治める王としての責任が委ねられています。その際、ダビデは、この地に生きる私たちにとっての模範と限界を指し示します。
21章~24章には、彼の生涯をひとくくりにまとめるような構成が見られます。第一に主の刑罰とそれへの対処(21:1-14)、第二にダビデを助けた人々(21:15-22)、第三にダビデの賛美(22章)、第四に再びダビデの賛美(23:1-7)、第五に再びダビデの勇士たち(23:8-39)、第六に再び主の刑罰とそれへの対処です(24章)。これはヘブル詩に多くあるABCC’B’A’の形です。
そして最初と最後の物語の結論は、「神(主)はこの国の祈りに心を動かされた」(21:14,24:25)と記され、最後の祈りの場はエルサレム神殿につながります(Ⅰ歴代誌21:26、22:1)。
それぞれの記事がいつの時期かは分りませんが、このような構成を通して、著者が伝えようとした核心が浮き彫りにされます。
第一の記事は、前王サウルの失政の後始末です。あるとき三年間のききんが続きましたが、それは神の怒りの現われだと思われました(参照:申命記11:17)。ダビデは、「主(ヤハウェ)の御顔を求め」ますが、すると主は、サウルがギブオン人との盟約を破って彼らを「殺戮した」ことが原因だと言われました(21:1,2)。
これは数百年前にヨシュアが約束の地に入って間もなく、「彼らを生かしておく盟約を結んだ」(ヨシュア9:15)ことに反します。それは騙された結果ではありましたが、主の名によって結んだ契約を破ることは、「御怒り」を買うことでした(同9:20)。しかしサウルは、誤った熱心さによって、この契約を軽蔑し、その結果がダビデの時代に現されたというのです。
それでダビデはギブオン人の怒りを「宥め」るために何をすべきかを彼らに尋ねます(21:3)。彼らはサウルの子供七人を引き渡させ、「主(ヤハウェ)のために・・さらし者にする」ことを要求します(21:6,9)。王は強大な特権を持つがゆえに、その子孫に驚くべき悲劇をもたらすことがあることの一例です。
ただし、人身御供はカナンの慣習で、神はそれを禁じておられました。つまり、ダビデが主の怒りではなく、ギブオン人の怒りを宥めようと動いたためにこのような悲劇が起きたのです。
ここでは特に、サウルの側女だったリツパのふたりの息子たちへの思いが印象的です。さらし者にされるというのがさばきでしたから、彼女には、死体の傍らに座って、「昼には空の鳥が、夜には野の獣が死体に近寄らないように」(21:10)することしかできませんでした。
その期間は「刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで」と記されていますが、彼らが殺されたのは「大麦の刈り入れの始まったころ」、つまり、過越しの祭りの前の時期で春の雨を待ち望む時期でした。リツパは、自分の息子たちの犠牲によって神の怒りが宥められて、雨が再び降ることを祈る思いでそこに留まり続けました。
その母の姿がダビデの心を動かしました。彼はこの時になって、サウルとヨナタンの骨をヨルダン川の東ヤベシュ・ギルアデの人々から引き取りに行きます。二人ともかつてはペリシテ人によってさらし者にされていましたが、ヤベシュの人々はサウルの恩に報いるため、命がけで二人の遺骸を運び、自分たちの土地に葬りました。
そして、今回の王の姿勢を見た人々は、「さらし者にされた者たちの骨を集め」(21:13)、ともにベニヤミンの地のサウル家の墓に丁重に葬りました。
その結果、「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」(21:14)と記されます。これは神が、人間のいけにえにではなく、リツパの母としての姿、またダビデとその家臣たちの謙遜な姿勢に心を動かされたという意味でしょう。神は「わたしが喜びとするのは真実の愛、いけにえではない」(ホセア6:6、マタイ9:13)と言われるからです。
日本人は時に死者の祟りを恐れて丁重な葬儀をしますが、神は私たちの心の奥底にある「真実の愛」を見ておられます。
第二の記事はペリシテ人との戦いに関することです。これがいつのことかは分りません。8章1節では、「ダビデはペリシテ人を打って、これを屈服させた」と記されていました。しかし、ここでは「ダビデは疲れていた」と描かれ、「ラファの子孫のひとりであったイシュビ・ベノムは、『ダビデを討つ』と言った」と敢えて記されます(21:15,16)。ラファとは「巨人」とも訳される言葉で、彼の持っていた槍の穂先の重さは約3.5㎏でした(ゴリヤテの半分の重さ、1サム17:7)。
「しかし、ツェルヤの子アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺し」ました(21:17)。そしてダビデは部下たちから、「もう・・戦いに出ないでください」と要請されます。その後も、フシャイ人シベカイの活躍が描かれます(21:18)。
また「ベツレヘム人・・エルハナンは、ガテ人ゴリヤテを打ち殺した」(21:19)と描かれますが、Ⅰ歴代20:5では「ゴリヤテの兄弟ラフミ」と記されています。また続けてダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが手足の指六本ずつを持つ巨人を倒したことが記されます(21:20,21)。
つまり、ダビデはペリシテの巨人にまさる勇士たちに囲まれていたのです。私たちも様々な危険にさらされることがありますが、神は目に見える人を助け手として遣わしてくださいます。
第三の記事の22章は、詩篇18篇と基本的に同じです。冒頭に記したリネハン教授が体験したことの原型がここに描かれていると言えます。それをダビデはまさにこのままを霊の目で見ることができ、その体験が彼の生涯を支えたのかもしれません。だからこそ二度も記されたのでしょう。
その中心テーマは、「主(ヤハウェ)を呼び求めると・・・主はその宮で私の声を聞かれ・・主は、天を押し曲げて降りて来られ・・・天から雷鳴を響かせ・矢を放って、彼ら(ダビデの敵)を散らし・・かき乱された‥高い所から御手を伸ばして私を捕らえ・・・広い所に連れ出し、私を助け出されました。主が私を喜びとされたからです」というものです(22:4,7,10,14,15,17,20)。
ダビデは自分の叫びが天の神に届き、神が圧倒的な力をもって彼を救い出してくださるということを詩的に表現しています。その上で、彼は自分の側にはサウルから命を狙われる理由がなかったことを述べながら、神が公正なさばきを下してくださることへの信頼を告白しています。
そればかりか、彼は神に向かって、「あなたの謙遜は、私を大きくします・・・戦いのために私に力を帯びさせ・・・民の争いから私を助け出し、国々のかしらとして保たれました」(22:36,40,44)と、神の謙遜が自分を王にしてくださったと不思議な表現をします。
これは自分がイスラエルの王でありながら、真の王は、主(ヤハウェ)ご自身であることを心の底から告白したものです。私たちも様々な苦しみに会いますが、私たちの「叫び」は、天の神に届き、神がご自身の時に圧倒的な力をもって救い出してくださいます。それが神秘体験として現れることもありますが、日常生活に同じ原則を発見することが何より大切です。
第四の記事はもう一つの賛美で、「ダビデの最後のことば」(23:1)と記されます。彼は「主(ヤハウェ)の霊は、私を通して語り、そのことばは私の舌の上にある」と、自分が神の道具として立てられていることを認めます。
また、国を治める原点は「神を恐れる」ことにあると告白し(23:2,3)、そのように生きる者を「雲一つない朝の光のようだ」(23:4)と描きます。それこそ、イエスが「ダビデの子」として現わした生き方でした。
そしてダビデは、自分の家が立ち続けるのは、人の力ではなく、「神が永遠の契約を私と立てられたからだ」(23:5)とすべてが神のみわざであると認めます。しかもこの契約は、ダビデの罪によっても反故にされませんでした。
それで彼は、「神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか」(23:5)と神のみわざを要約しつつ、自分の家が主ご自身によって育てられ、立てられていることを謙遜に認めています。一方で、神に逆らう「よこしまな者たちはみな…火で焼き尽くされる」(23:6,7)と宣言されます。
第五の記事は、再びダビデの勇士たちの紹介です。最初に三勇士が描かれますが、そのトップはヨシェブ・バシェベテで、「彼は槍を振るって一度に八百人を刺し殺した」と記されます(23:8)。
第二はエルアザルで、「自分の手が疲れて、手が剣にくっつくまでにペリシテ人を討った」(23:10)と記されます。
また第三のシャンマは、「兵はペリシテ人の前から逃げた」という中で、「畑の真ん中に踏みとどまってこれを守り、ペリシテ人を討った」と記されます。
そしてこのふたつの場合とも、「主(ヤハウェ)は大勝利をもたらされた」(23:10,12)と強調されます。つまり、三勇士とも、ひとりでイスラエルの戦いの形勢を逆転させるほどのめざましい働きをしたのですが、その背後に神がおられ、それは神が与えた勝利だというのです。
その上で、三勇士とダビデとの心の結びつきが描かれます。時期は不明ですがダビデが「アドラムのほら穴」にいて、ペリシテ人の先陣は彼の故郷のベツレヘムにいましたが、ふと彼は、「だれかが私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらよいのだが」(23:15)と言いました。
それは、ふとした独り言だったと思います。それを聞いた三勇士は、ペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの水を汲んできました。
それを受けたダビデは、「それを飲もうとはせず、それを主(ヤハウェ)の前に注いで」、その水を彼らの「いのちをかけて・・の血」と呼び、彼ら自身を自分ではなく主に結びつけます(23:16、17)。
そしてここにようやくツェルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイが登場しますが、彼は「三十人のかしら」(23:18)と紹介されますが、原文には解釈の余地もあります。「彼は槍を振るって三百人を刺し殺した」と記されながらも、「あの三人には及ばなかった」と描かれます。
しかもその兄弟ヨアブの名が省かれています。人間の歴史の中ではヨアブは常に一番に出てくるダビデの大将軍なのですが、彼は、神からの名誉のリストから省かれているのです。神は人が見るようには人をはかりはしないことの証しでしょう。
エホヤダの子ベナヤは、クレタ人とペレテ人という外人部隊を指導し、ダビデの護衛長として活躍し、ソロモンの王権の確立にまで力を発揮します。
そして、31人に及ぶ名前が記されますが、ここには異邦人の名も出てくるばかりか、最後にヘテ人ウリヤの名も記され、ダビデが謀殺した者の名誉が守られています。
これらを通して、ダビデの支配権は人と人との交わりのうちに立てられたと描かれています。
第六の記事の書き出しは、「再び主(ヤハウェ)の怒りがイスラエルに対して燃え上がり」(24:1)です。そしてその原因は、主ご自身が「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と「ダビデをそそのかし」たからというのです。
歴代誌では、「サタンが・・・ダビデをそそのかした」(Ⅰ21:1)と描かれますが、ここではサタンも神の支配下にあるという意味で、ダビデが神の御手の中で罪を犯したと強調されているのだと思われます。
ただし、そこにはダビデの強い意思がありました。彼がこれを将軍ヨアブに命じたとき、ヨアブは王に思いとどまるように説得を試みますが(歴代誌参照)、「ヨアブと軍の高官たちへの王のことばは激しかった」(23:4)と記されます。
彼らはイスラエルの占領地をヨルダン川東側から北の果てまで行き巡り、イスラエルには剣を使う兵士が八十万人、ユダには五十万人がいると報告します(24:9)。それはダビデの力の象徴でした。彼はかつて主ご自身が「天を押し曲げて降りて来られる」と告白した原点を忘れています。
確かに、民数記では神ご自身が民を数えるように命じられましたが、ここではダビデが神の民を私物化したことが問題にされているとも言えましょう。
そして、主が「ダビデをそそのかし」とは、神が彼の心が高ぶるのをそのままに放置され、その隠された思いを露わにされたという意味だと思われます。
私たちも、すべてが順調に行くとき心が高ぶり、それが行き過ぎて大きな失敗をすることがあります。それは自業自得ですが、それを神のさばきということもできます。
確かに、イエスは、「そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません」(マタイ10:29)と言われましたが、すべてのできごとに神のご支配を認めることは、どんな失敗も益に変えられることを信じることでもあります。
その後、「ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた」(24:10)と記されます。彼は主に向って「大きな罪を犯しました。主(ヤハウェ)よ、今、このしもべの咎を取り去ってください」と嘆願します。しかし、主は預言者ガドを遣わして、三つのわざわいの中から選ぶように迫ります(24:10-13)。
多くの翻訳は歴代誌の記述に習って、「七年間の飢饉」ではなく「三年間の飢饉」と訳し、その後、三ヶ月の逃亡生活、三日間の疫病と、期間と悲惨さが反比例するパターンが強調されています。
彼は二番目の刑罰を選択すべきだったのかもしれませんが、「人の手には陥りたくない」(24:14)と答えます。そのため神は三日間に及ぶ疫病を下し、七万人が死にます。
民はダビデの身代わりにさばかれたかのようです。これは不条理ですが、人間の歴史の常でもあります。王の失政によって誰よりも先に傷つくのは弱い民だからです。
ただ、このときダビデは、エルサレムを滅ぼそうとする主の御使いが「エブス人アラウナの打ち場の傍らに立っている」のを見て、「この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたでしょうか。どうか、あなたの御手が、私と私の父の家にくだりますように」と訴えます(24:16,17)。
神はこのことばを喜ばれ、ガドを通して、「主(ヤハウェ)のために祭壇を築く」ことを命じます。ダビデはこのエルサレムの先住民であるエブス人のアラウナに、「あなたの打ち場を買って、主(ヤハウェ)のために祭壇を築きたい。そうすれば民への主の罰は終わるだろう」(24:21)と言います。
そして正当な代金を払って地所を買い、そこで「全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ」ます。すると、「主(ヤハウェ)が、この国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルへの主の罰は終わった」と記されます(24:25)。
そして、ダビデの悔い改めと民への責任の自覚の現われとしてのこの祭壇が、エルサレム神殿の基礎となります。その意味で、神はダビデの罪をさえ支配され、民全体のための益に用いられたと言えます。ダビデの罪は、民を自分の権力を行使する手段としたことでした。
そして、神のさばきは、民がダビデの身代わりとなることでした。しかし、それはダビデが自分の権力を行使したときに当然起こるはずだった民の犠牲でもありました。
彼はそのことに気づき、民を「この羊の群れ」と呼びました。それは羊の牧者として立てられた王としての責任を自覚したことです。そこに祈りの家としての神殿が生まれます。
これら六つのエピソードを通して、ダビデの信仰と彼の限界が示されます。イスラエルの王は、真の王である天の父なる神に忠実であることが何より求められていましたが、ダビデは傲慢になりました。
しかしその罪の記念碑に神殿が建てられました。それはさばきを通して彼の「真実な愛」(ヘセド)が生まれたからです。しかも、彼の祈りはイエスの祈りとなり、イエスは父なる神に忠実な王の姿を実現しました。
そして、この原則は自分自身に対しても当てはめることができます。私は自分の歩みを振り返りながら、何としばしば自分の感情の奴隷になっていたことかと反省させられます。私は、自分の孤独感や不安感に振り回されてきました。
しかし、私は自分の心の声にやさしく耳を傾けながら、その気持ちを主に告白し、聖霊の導きに任せることで、天の王に従う地の王として、自分の感情を治める必要があったのです。
そんなとき、詩篇18篇の祈り(Ⅱサムエル22章)が迫ってきました。主は、私のために、「天を押し曲げて降りて来られ・・天から雷鳴を響かせ・・・高い所から御手を伸ばして私を捕らえ、大水の底から、私を引き上げ・・私を広い所(自由な空間)に連れ出し、助けてくださった。それは、主が私を喜びとされたから・・・」(Ⅱサムエル22:10,14,17,20)。そして、このみことばこそ本日のダビデの生涯の中心にあるものでした。
実は、私たちが主に向かって祈っているとき、そこに主の御霊の導きがあります。そして、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる」(ヤコブ4:5)とあるように、祈っている私自身が創造主に捕らえられています。
そして、たといイエスの導きの中で、苦しく狭い道を通らされたと思えることがあったとしても、それは「広い所」またはより自由な空間にたどり着くためです。なぜなら、困難のただ中でこそ、神の愛が自分に迫って来るという霊的な体験ができるからです。
そのプロセスを経た者は、自己嫌悪から解放され、大胆に自分の賜物を他者のために生かすことができます。しかも、あなたの神は「雷鳴を響かせ」て、あなたの敵に立ち向かい、あなたの進む道を開いてくださる方なのです。