2017年12月3日
あなたの前に、「目の上のたんこぶ」のような人がいないでしょうか。ダビデは、サムエルから王としての任職の油注ぎを受けたとき、「紅顔の美少年」でした。彼が強くなるにつれ、サウルからの迫害が激しくなり、彼はその状況に十数年間は耐えたと思われます。
サウルが死んだときダビデは30歳でしたが、その後、彼は将軍ヨアブの乱暴に心を痛めながら生涯を全うします。しかし、彼らがいなければダビデが最高の王として尊敬され、イエスが「ダビデの子」と呼ばれるようにもならなかったでしょう。
つまり、不都合な人を目の前に置かれるのも、解決を与えるのも神なのです。私たちのために神の「時が満ちて」救い主が誕生しましたが、この世界は問題が絶えることはありません。それはダビデの場合と同じです。
1.「イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け」
サウルがガリラヤ湖南西約30kmにあるギルボア山でペリシテ軍と戦って重傷を負い、自害したとき、ダビデはそこから南に三日もかかるペリシテの地ツィケラグにいました。彼はサウルの追撃から逃れて、ペリシテ王の保護下にあったからです。
彼は危うくペリシテ軍に従ってイスラエルと戦わなければならないところでしたが、神のあわれみによって、この間に南のアマレク人に大勝利を納め、帰って来たところでした。
そのようなとき、ひとりのアマレク人がサウルの死を知らせに来ました。それによると、「サウルは自分の槍にもたれ」ながら、「さあ、近寄って、私を殺してくれ。激しいけいれんが起こっているが、息はまだ十分あるから」とこのアマレク人に願ったというのです(1:6,9)。
それで彼は、「私は近寄って、あの方を殺しました」(1:10)と言いましたが、たぶんダビデには彼の嘘がすぐに分かったことでしょう。サウルは何よりも自分の名誉を大切にしましたから、負傷を負って「死にきれない」からということで、彼が軽蔑するアマレク人に「殺してくれ」とは願うことはないはずです。
アマレク人は、自分が軍の規律を犯して王を殺した反逆者にならないように、しかも、自分がダビデの敵の王の息の根を止めたということで、恩賞をもらえると計算していたのでしょう。それは前書の31章4,5節ではサウルは自分で剣の上に倒れ込み、道具持ちもサウルの死を確認したうえで自害したという記事と矛盾することは読者にもすぐわかります。
しかも、彼はその証拠として、サウルの死体から、王冠と腕輪を奪い取ってきて、ダビデを王と仰ぐかのようにそれを差し出しました。ダビデは彼の卑しい心をすぐに見抜き、それを心から嫌悪したことでしょう。
しかもダビデはサウルの死の知らせを喜ぶどころか、自分の衣を裂いて、「サウルのため、その子ヨナタンのため、また主(ヤハウェ)の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食し」(1:12)ました。
その上でダビデはこのアマレク人に向かって、「主(ヤハウェ)に油注がれた方に手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか」と言って即座に死刑を宣告しました(1:14,15)。ダビデにはサウルの死の真相は分かりはしませんが、このアマレク人がダビデに嘘を言っていることと、サウル王の息の根を止めることを「恐れ」ようともしなかった(1:14)ということだけは明確になったからです。
その上で、ダビデはサウルとヨナタンのための「哀歌」を作り、それを「ユダの子ら」に教えるようにさえ命じました(1:18)。その始まりのことばは原文では、「おまえの誉れ、イスラエルよ」(1:19)ということばで始め、サウルへの個人的な思い以前に、イスラエルの君主が殺されたということ自体を悲しむように促します。
「これをガテに告げるな」(1:20)とあるのは、自分がかつてガテの王アキシュのもとに身を寄せていたからです(前書27:2)。それはペリシテの町ガテにとっては大きな喜びであっても、ダビデにとっては悲しみだからです。
そして、20節では「ペリシテ人の娘らを喜ばせないために。無割礼の者の娘らが喜び踊ることがないために」と言いながら、イスラエルの民の一部としてサウルの死を悲しむことを歌います。
そして21節の終わりになって初めて、「サウルの盾に油も塗られなかった」という表現でサウルの名を登場させます。しかもそこには、「盾に油を塗る」という当然の作業がなされなかったと言いつつ、「油注がれた」はずの王が、主のさばきによって死んだことを示唆しています。その表現の優しさに感心させられます。
その上で23節では、「サウルもヨナタンも、愛される、立派な人だった」と、「二人」の結びつき自体をたたえます。ダビデにとってはヨナタンの死が何よりも悲しみなのですが、イスラエルの視点からは王がペリシテ人との戦いで死んだこと自体が悲劇だからです。
そして24節では初めて直接的に、「イスラエルの娘たちよ。サウルのために泣け」と訴えられます。これは先の「ペリシテ人の娘」との対比で述べられることですが、ダビデは自分よりもイスラエルの民の立場からサウウの死を悲しむように表現します。それは彼がイスラエルに統一と繁栄をもたらしたということを評価し、彼の名誉を守るためでした(1:24)。
ただ、この歌の最期は、やはりヨナタンの死に関して、「あなたのために私はいたく悲しむ」と心から表現し、「あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。ああ勇士たちは倒れた」(1:26)とこの哀歌の最大のテーマは、サウルの死以前にヨナタンの死に向けて記したことを明らかにします。
ここにダビデの揺れる心が微妙に描かれているとも言えましょう。事実、ダビデはかつて、アビシャイがサウルを一刺しにしようとしたとき、「主(ヤハウェ)は生きておられる。主(ヤハウェ)は、必ず彼(サウル)を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ」(前書26:10)と、サウルの最期を冷たく断言しました。
また、詩篇18篇などで、ダビデは自分がサウルの手から救われたことを喜び、「主の怒り」がサウルに向けられていることを歌っています。
つまり、ダビデは、サウルに対する主のさばきを喜ぶとともに、サウルがペリシテ人の手にかかったことを悼み悲しんでいるのです。ダビデは多くの詩を記していますが、そこには彼の揺れる気持ち、矛盾とも思える感情が描かれています。
私たちも身近な人に、また身近な権威者にそのような相矛盾する気持ちを抱くことがあるのではないでしょうか。私たちはそれを自分で整理しようとしますが、ダビデは両面の気持ちを正直に神に訴えて、神にさばきを任せているのです。
2.「そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした」
ダビデは主(ヤハウェ)に、同族ユダの一つの町に上って行くべきかを尋ねます。それは彼がまだペリシテの地への亡命者の立場のままだったからです。
多くのユダ族は少し前までサウルを恐れてダビデを支持していませんでした。しかし、主の不思議な摂理の御手の中で、ダビデはサウルがペリシテ人に決定的な敗北を喫するのと機を同じくしてアマレクの略奪隊から奪ったものをユダの町々に送り届けることができていました。
このような中で主はダビデに、彼の生まれ故郷のベツレヘムではなく、イスラエルの族長アブラハムの墓がある中心都市、ヘブロンに上るように命じます。それはダビデを名実共にイスラエルの王とするという神の意思の現れでした。それで、ダビデは家族と共にヘブロンへ移住します。
すると、「ユダの人々がやって来て、そこでダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした」(2:4)というのです。ユダの人々はサウルがいなくなった今、態度をガラリと変えてダビデを王として立てました。
人の心は自分の身の安全を第一に動くからです。ダビデもそれをあっさりと受け入れます。彼はペリシテの地に下りながらも、ユダの町々に贈り物を届けたのは、この時期を待っていたからです。
ただし、彼が王として公に認められたのは、既に預言者サムエルを通して神ご自身からの油注ぎをひそかに受けていた(前書16:13)ことの結果です。主はダビデを王として選んでおられたからこそ、ダビデに厳しい試練を与え、彼がイスラエルの王にふさわしい器へと成長できるように導かれたのです。
私たちも、「なぜ自分ばかりこんな苦しみに会うのか?」と思うことがあるかもしれませんが、それは神の期待の現われかも知れません。
ただ、この時点ではイスラエルの他の十一部族はダビデを王として受け入れていません。それでダビデはまず、サウロを心から慕っていたヨルダン川東部のヤベシュ・ギルアデの人々に使いを送り、彼らがサウルの遺体を敵から奪い丁重に葬ったことを称賛しつつ、自分を後継者として認めるよう説得を試みます(2:5-7)。
ところが、サウルの父の弟の子で、サウルの将軍であったアブネル(前書14:50)は、サウルの四男イシュ・ボシェテを、その十数キロ南の町マハナイムで、ユダ族以外の全イスラエルの王として立てます。
その町はかつてヤコブがヤボク川を渡った場所で(創世記32:2,22)、ヨルダン川東の奥まった場所です。それは新しい王国がペリシテ人との戦いを避けることしか考えていなかったしるしです。同時にこれによってダビデはヤベシュ・ギルアデを味方にすることは地理的に難しくなりました。
なお、先にサウルとともに三人の息子の死が記されていましたが(前書31:2、6)、Ⅰ歴代誌9:39にはサウルに四人の息子が生まれたことが記されており、そこでのエシュ・バアルがこのイシュ・ボシェテの元の名だと思われます。
その結果、イスラエルに内戦が勃発します。最初に軍を動かしたのはアブネルで、彼はヨルダン川東側の拠点マハナイムからベニヤミンの町ギブオンに向かいました(2:13)。それはエルサレム北西約十キロに位置する町で、アブネルはダビデの勢力が北上して自分たちの本来の根拠地を支配することに歯止めをかけたかったのかと思われます。
そしてこのときからダビデの将軍としてヨアブが前面に出てきます。彼は、ダビデの姉ツェルヤの子でした(Ⅰ歴代誌2:16)。アブネルは最初から戦いを最小限に納めたいと思ったのか、両陣営から十二人ずつの若者を出して戦わせます。しかし、それが両陣営の全面戦争に拡大し、ヨアブはアブネルの軍隊を圧倒します(2:17)。
アブネルは退却しますが、ヨアブの弟アサエルは、足が速かったため彼を深追いし、アブネルがヨアブの弟を殺したくはないと言ったのを無視したために殺されます(2:23)。
その後、アブネルのもとにベニヤミン人たちが集まって来たのを契機に、アブネルはヨアブに休戦を呼びかけます。ヨアブはアブネルの軍が体制を整え直したのを見て、その呼びかけに応じます。これらの戦を見るとアブネルには戦いを激化させたくないという意志が見られます。
その後も、両家の間には、戦いが長く続きますが、「ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった」(3:1)と描かれます。
そして、ダビデにはヘブロンで六人の息子たちが生まれますが、すべてが異なった妻から生まれています(3:2-5)。これは後のダビデ家内の争いの原因になります。
ダビデは三十歳になるまでサウルに追われ続け、解放されてユダの王になっても、喜びは束の間で、今度は同胞イスラエルとの内戦に直面しなければなりませんでした。まさに「一難去ってまた一難」という人生です。
しかし、彼は試練のたびに神との交わりを深め、多くの詩篇を私たちへの遺産として残すことができました。「この問題さえなくなれば、平安を味わえるに……」という発想に生き、「今ここ」に生きて働いておられる神を見上げることができなければ、人はいつも欲求不満になることでしょう。
3.主(ヤハウェ)が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように
サウルの子イシュ・ボシェテをイスラエルの王に立てたのは将軍アブネルでしたから、二人の関係は微妙でした。あるときアブネルがサウルのそばめリツパと通じましたが、それは彼自身が王にとって代わろうとしたと受け止められない行為でした。
イシュ・ボシェテがそれを問いただすと、アブネルは激しく怒り、この二人の関係は壊れました。アブネルとしてはサウルの家に「真実を尽くして」(3:8)いるつもりなのに、一人の女のことで自分の忠誠を疑われたということが憤懣やる方なかったのでしょう。
彼は突然、「主(ヤハウェ)がダビデに誓われたとおりのこと」(3:9)ということばで、ダビデを全イスラエルの王とするのが、主のみこころであると言います。
それが分かっているなら、最初からそのようにすべきであったのでしょうが、彼はこれまで目先の都合に従って断固とした態度を取れなかったのかも知れません。それが今までの戦いの姿勢に現わされていました。状況に左右されて、すぐに言動が変わるのはサウルに似ています。
そしてアブネルはダビデのもとに使いを送り、「私と契約を結んでください。ご覧ください。私は全イスラエルをあなたに移すのに協力します」(3:12)と告げます。
このような裏切りをすぐに受け入れることは危険ですから、ダビデは一つの条件を出します。それが、「あなたが私に会いに来るときは、まずサウルの娘ミカルを連れて来ること」というものです(3:13)。
ミカルは、サウルがかつてダビデに与え、取り戻して別の夫に娶らせた娘ですから、彼女を迎えることでサウルの娘婿の立場を回復し、後継者としての権威を示すことができます。イシュ・ボシェテは、アブネルの言うままに王命を発し、ミカルをその夫から引き離します。
このとき「夫は泣きながら」ミカルの後についてきますが(3:16)、それはふたりが愛し合っていたしるしでしょう。ミカルも自分が政治の道具にされていることを深く悲しんだことでしょう。
ミカルは後にダビデを心の中でさげすんだと記録されますが(6:16)、彼女にもそれなりの葛藤があったのです。また、リツパの悲劇は21章で記されますが、ふたりの女性は、ダビデ王家の影の犠牲者と言えましょう。
アブネルはイスラエルの長老たちに向かい、「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていた」(3:17)と言いつつ、主がダビデを用いてイスラエルをペリシテ人の手から救うという主のことばを伝えますが、それは本来、主がサウルを王に任じたときのことばで(前書9:16)、18節はアブネルの創作した主のみこころとも言えます。
彼は主の御名をあまりにも軽々しく用います。まさに自分の変節を正当化するために主のみこころを持ち出しているとも言えます。
その後、アブネルはサウルを生んだベニヤミン族も特別に説得した上で、ダビデに自分の功績をアピールします。ダビデも彼を歓待した後に、彼を「全イスラエルを」ダビデのもとに集め、従わせる「契約」の仲介者として送り出します(3:21)。
ところがダビデの将軍ヨアブが戦いから帰ったとき、ダビデがアブネルを簡単に信用したことを非難します(3:24,25)。そして、ヨアブはアブネルを連れ戻させ、「彼とひそかに話そうと、彼を門の内側に連れ込み、そこで彼の下腹を刺した」(3:27)と、彼の死があまりにもあっけなく描かれます。
それによってヨアブは弟への復讐を果たしたと記されますが、彼はアブネルをダビデ王家における自分の競争者と見て、排除しようとしたのかも知れません。それにしても、アブネルの不注意さがサウルに似ているとも思えます。
ダビデはそのことを聞くと、ヨアブを真っ向から非難する代わりに、アブネルの死を悼み悲しむように命令を発し、彼を丁重に葬ると共に、歌を作って悲しみ歌い、断食までしました(3:31-35)。その結果、「全イスラエルは……アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った」(3:37)というのです。
そしてダビデは、「この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは(ヨアブとその兄弟)、私にとっては手ごわすぎる。主(ヤハウェ)が、悪を行なう者に、その悪にしたがって報いてくださるように」(3:38)と言います。
しかし、ダビデは、そんなヨアブを最後まで将軍として立て続け、彼の才能を生かし続けることができました。それこそ彼の王として懐の深さです。
神はあなたのそばに、手ごわすぎる人を置かれることがありますが、その人との関係を保てるかが成功の鍵かもしれません。
その後、イシュ・ボシェテはアブネルの死を聞いて「気力を失った」ばかりか、「全イスラエルもおじ惑った」というのです(4:1)。それは、ペリシテ軍に対する大敗北以降、有能な軍事指導者がいなくなってしまったからです。
そしてついにイシュ・ボシェテは、ベニヤミンに属するふたりの在留異国人の略奪隊の隊長たちから、昼寝をしている間に命を奪われます(4:5,6)。
彼らはその首をもってダビデを訪ね、褒賞を期待したのでしょうが、ダビデは、「主(ヤハウェ)は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった」(4:9)と述べます。それは、自分のこれまでの戦いは、主の戦いであって、そこで自分たちに求められていたのは、ただ、誠実さであったという深い意味が込められています。
それに対し、彼らの行為は、不誠実の見本のようなものです。それでダビデは、このふたりの手足を切り離し、木につるしてさらしものにします。そして彼は、イシュ・ボシェテの首をアブネルと共に丁重に葬ります。
これらすべてを通して、ダビデの敵は、互いに争いあって自滅したという結果が明らかになります。私たちも自分の力で悪と戦おうと必死にならなくても、神が神の民の敵を自滅へと導いてくださいます。
その後、「イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来て……ダビデに油を注いでイスラエルの王とします」(5:1-3)。その際、彼らはまずダビデのサウルの将軍としての功績を思い起します。
その後、主(ヤハウエ)の御名を持ち出し、「主(ヤハウェ)はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し……君主となる』」と、自分たちが伝え聞いた主のことばを引用しますが、これは同時に、イスラエルの神、主はダビデに個人的に語っておられるという事実を受け止めることを意味します。
確かにそこにあったのは政治的な判断ですが、彼らは確かに主とダビデの親密な関係を認め、ダビデを全イスラエルの王として油注いだのでした。
それは彼が既に「ユダの家の王」(2:4)とされことに対抗する意味もありました。イスラエルの人々は、今、まるでユダの家と競い合うように、ダビデを自分たちの王に立てたのです。
ダビデの敵は互いに滅ぼしあって自滅します。それはヨアブも例外ではなく、ソロモンのもとで自滅します。
私たちはみな平和を求めます。しかし、平和という理想のために戦ってきたのが人間の歴史であり、自分の都合、自分の利害で動きながらそれを正当化するのは人間の常です。そのような人々を受け入れ、敢えてその矛盾を指摘せずに、さばきを主にゆだね、関係を平和に保つ知恵を持つことも大切ではないでしょうか。
使徒パウロは後に、「自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい」と記していますが、それは不思議にも、「自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい」という勧めとセットになっています(ローマ12:18、19)。
ダビデの偉大さは、サウルから追われても、ヨアブから自分の王としての権威が侵害されても、その問題の解決を主にゆだね、最後には、「主(ヤハウェ)は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった」(4:9)と告白したことです。