2017年11月12日
目の前の問題にどう対処して良いか分からず、不安に圧倒される人がいます。また、自分の過去の誤った選択を後悔し続ける人がいます。しかし、「キリストのうちにある生活」にあっては、誤った選択というのはないのかとも思います。
私は自分が就職の際に、「みこころを読み間違えた」と長らく後悔していましたが、振り返ってみると、祈りながら決めたという事実、また、主に祈りながら仕事をしていたという事実自体が、何よりも主のみこころに添っていたと分かりました。
主はあなたが自分の選択に責任を持つこと自体を喜んでくださいます。そのことが箴言3章6節では、「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる」と保証されています。過去は変えられませんが、あなたが今ここで、繰り返し主に立ち返るなら、あなたの将来は、希望に満ちたものへと繰り返し変えられるのです。
一方、「占いや霊媒」に頼ることは、人が「神のかたち」に創造され、選択能力、責任能力が与えられていること自体を否定することです。
本日の箇所では、イスラエルの初代の王サウルが最後には霊媒に頼り、自滅したことが記されています。その行為自体が、主の最後の怒りを買い、息子ヨナタンまで道連れにされました。あなたの明日を支配する主に信頼して困難に向かうこと自体が主のみこころです。
1.ペリシテ人の地に身を寄せたダビデ
サウルはダビデを殺そうとした自分の行為を反省しましたが、残念ながら、簡単に反省する人は、愚かな行動を何度でも繰り返す人でもあります。ダビデはそれが改めて良くわかったので、イスラエルの敵であるペリシテの地に逃れようと考えました(27:1)。これは単に、「敵の敵は味方」と言われる常識に従ったものです。
ダビデは以前、一人でガテの王アキシュのもとに隠れようとして、その家来たちに気づかれ、気が狂ったふりをして命からがら逃げたことがありました(21:10-25)。しかし、今度は六百人の家来とその家族を引き連れ、正々堂々と助けを求めました(27:2,3)。
それはアキシュに雇われて彼のために戦う傭兵となるという意味です。そして、サウルもそれを知ると、二度とダビデを追おうとしなかったのでした(27:4)。
アキシュにとってもサウルこそが当面の敵でしたから、ダビデを保護することは敵を分断する上で役に立つと思ったことでしょう。ダビデは自分の部下とその家族が地方の町に住まわせてほしいと願い出、アキシュはダビデに南部のユダとの国境地帯の町ツィケラグを与えます。そこは南のアマレクを中心とした異民族の攻撃にさらされている町でした。
そこでダビデはその周辺の異教徒の集落を襲い男も女も皆殺しにしたというのです(27:9)。神はかつて約束の地のカナン人の聖絶を命じておられ(申命記2:34,7:2)、特にアマレクに関しては、神が「燃える御怒りをもって・・罰する」(28:18)ように命じられていました。サウルはそれに従わず、ダビデはそれに従ったとも解釈できます。
ただ、それにしても、ダビデはアキシュに対して自分がユダ及びその同盟関係にある町々を襲ったと嘘の報告をしたばかりか、それを隠蔽するためにその住民を皆殺しにしたと記されていることには心が痛みます。ただ、三千年前のことを現代の常識で判断はできません。これは、キリストが罪人のために死んでくださる前のことだったからです。
ダビデの問題は別のところにあります。彼はペリシテ人のために戦わざるを得ない立場に自分を置いてしまったのです。アキシュはダビデを信用して、「彼は自分の同胞イスラエル人に、とても憎まれるようなことをしている」(27:12)と思った結果、ペリシテ人がイスラエルと戦おうと軍隊を召集したとき、彼はアキシュの「護衛」として共に出陣するはめになってしまいました(28:1,2)。
彼はサウルを恐れるあまり、神の民の敵となってしまう危険に身をさらしています。彼の行動は人間的な計算が先走り過ぎています。
2.不安のあまり霊媒師を訪ねたサウロ
このときペリシテ軍はガリラヤ湖の西南約30kmにあるイスラエルの肥沃な戦略拠点イズレエル近郊の北方のシュネムに陣を敷き、決戦を挑んできました(28:4,29:1参照)。
一方、サウルは全イスラエルを召集してその南のギルボア山に陣を敷きながら、「ペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた」(28:5)と描かれています。それは、主のさばきによって「恐れ」の霊に囚われていたからとも言えましょう。
そこで、「それで、サウルは主(ヤハウェ)に伺ったが、主(ヤハウェ)は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった」(28:6)と記されますが、それはまさに自業自得です。かつてサウルに忠実だった祭司アヒメレクは、サウルがダビデの命を狙っていることを知らずに、逃亡中のダビデにパンと剣を与えましたが、それを聞いたサウルは、アヒメレクの弁明を無視して彼を殺したばかりか、同じ町の祭司85人をも虐殺したからです(22:14-19)。
彼は、自分の思い通りにならないと、自分の助けとなった人々を次々と排除しました。それが、サムエルでありダビデでもあり、主(ヤハウェ)の祭司たちでした。
不安に圧倒されたサウルは家来に「霊媒をする女を探して来い」と奇妙なことを言います。そしてペリシテの陣営シュネムの北東の地「エン・ドル」に霊媒師を発見し、サウルは変装してふたりの部下を連れて彼女を訪ね、助けを得ようとします。しかし、サウルは以前に、主への信仰の証しとして「霊媒や口寄せを断ち切った」のですから、大きな自己矛盾です。
彼女は命の保証を得て、すでに死んでいる「サムエルを呼び出し」ます(28:11)。このときになって彼女は、依頼人がサウルであることに気づき怯えます。
サウルが、以前自分が殺害しようとした霊媒師に助けを求めるというのは、彼の絶望感がどれほどかを現わしています。これは、人が不安に負けると、絶対と思われた善悪の基準さえも超えてしまうことの一例とも言えましょう。レビ記によれば、神の民でありながら霊媒師に頼る者自身も、またイスラエル内に住む霊媒師自体も、「必ず殺されなければならない」と厳しく命じられていました(20:6、27)。
その問題がイザヤ8章19節で、「人々があなたがたに、『霊媒や、ささやきや、うめく口寄せに尋ねよ』と言っても、民は自分の神に尋ねるべきではないのか。生きている者のために、死人に尋ねなければならないのか」と記されます。
サウルにしてみたら、主がお答えくださらないので、霊媒に尋ねたという理屈かと思われますが、「主は……お答えにならなかった」ということ自体が「主からの答え」であることを知るべきでした。サウルに対して神のみこころは、十分に知らされていました。もちろん明日のことは隠されていますが、それは神が人に、今ここで主に仕え、また人に仕えることに専念することを命じておられるからです。
3.霊媒師に呼び出されたサムエルが告げたことば
不思議にも、この霊媒師の女の呼び出しに応じて、死んでいるはずのサムエルが彼女の目に見えるように現れます。サウルはその様子を聞いて、「その人がサムエルであることが分かって、地にひれ伏し、拝した」というのです(28:13-15)。
そればかりか、「サムエルがサウルに」、「なぜ、私を呼び出して、私をわずらわすのか」と語りかけ、サウルも、「私は困りきっています……どうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました」と応じています(28:15)。
この現象は、何とも不思議で、様々な解釈が成り立つのでしょうが、この女は本物の霊媒師と言えます。世には多く偽霊媒師がいますが、麻薬と同じように、本物こそ恐ろしい災いをもたらします。それよりも彼女を通して何が示されたかに注目すべきでしょう。
呼び出されたサムエルがサウルに語ったことは、これまでの繰り返しに過ぎませんが、唯一新しいことは、「主(ヤハウェ)は今日、このことをあなたにされたのだ」とのことばです(28:16-18)。ただしこれは単に、主がサウルにお答えにならなかった理由を述べているもので、主がサウルを退けたということを改めて示したに過ぎません。
そして、さらに神のさばきが、「主(ヤハウェ)は、あなたと一緒にイスラエルをペリシテ人の手に渡される。明日、あなたもあなたの息子たちも、私と一緒になるだろう」と告げられます。これはサウルとその息子たちが、サムエルが死んでいるのと同じように、死ぬという意味に他なりません(28:19)。
これは、未来のことが霊媒によって明らかにされたとも理解できますが、それ以上に、サウルが霊媒に頼ったということに対するさばきが下ったと考えることができないでしょうか。サウルはまさに墓穴を掘ってしまったのです。
事実、Ⅰ歴代誌10章13,14節では、「サウルは主(ヤハウェ)の信頼を裏切った不信の罪のゆえに死んだ。彼は主(ヤハウェ)のことばを守らず、霊媒に伺いを立てることまでして、主(ヤハウェ)に尋ねることをしなかった。そのため、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された」と記されています。
サウルからしたら、「主に伺った」にも関わらず、主がお答えくださらなかったので霊媒に頼らざるを得なかったという気持ちでしょうが、実際には、サウルにはそれ以前から十分に主のみこころは知らされていました。
彼が聞きたかったのは、目の前のペリシテとの戦い方でしたが、彼がそれ以前から真剣に尋ね求めるべきだったのは、主ご自身との関係をどのように回復できるかということだったのです。それは私たちの場合も同じです。そして、真に必要なみこころは昔から十分に知らされているのです。
それにしても、呼び出されたサムエルから、サウルの息子でダビデの親友であったヨナタンの死までもが示唆されることは大きな衝撃です。
それは、主(ヤハウェ)ご自身が「わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」(出エジプト20:5)と警告されていたことが成就することとも言えます。つまり、サウルが霊媒に頼らなかったとしたら、ヨナタンが翌日死ぬ必要はなかったのかもしれません。
サウルはサムエルのことばを聞いて、「地面に倒れて棒のようになり」ます(28:20)。それは、「おびえた」たからであるとともに、「一昼夜、何も食べていなかったので、力は失せていた」からです。それを見た女は、肥えた子牛をほふり、パンをすぐに焼いてサウルに強いて食べさせます。
皮肉にも、サウルは霊媒師のもてなしを受け、自分の死が待っている戦いに向って最後の力を受けたのでした(28:25)。
4.絶望的な状況下で、主にあって奮い立ったダビデ
一方、アキシュの保護を受けていたダビデは、ペリシテの軍隊とともに、はるか北のイズレエルに向かわざるを得なくなりました(29:1,2)。そのままでは神の民イスラエルを敵に回して戦うはめになります。
しかし、幸いにも、そのときペリシテ人の首長たちはアキシュに対し、ダビデを同行させることに強く反対しました。それはダビデが戦いの最中に裏切る可能性と、彼の影響力の強さを警戒したからでした。
そこで、イスラエルの女たちがかつて、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と歌っていたことがペリシテ人たちによって引用されるが不思議です(29:5)。このことばが登場するのは三回目です。これがサウルとダビデの物語の背景の歌として流れています。ダビデが人々から期待されていたしるしとも言えます。
それでアキシュはダビデに自分の領地に帰るように命じますが、その際、異教徒である彼が、「主(ヤハウェ)は生きておられる。あなたは真っ直ぐな人だ」(29:6)と言っているのが印象的です。彼はダビデの忠誠を信じているという意味で言ったのですが、ダビデにはアキシュが主の御名を持ち出してそう語ったことは、まさに主からの招きと聞こえたことでしょう。
ダビデはそこで、主(ヤハウェ)ご自身がペリシテ人の領主たちを動かして、彼が参陣せずに済むようにしてくださったと思えたことでしょう。彼は表面的には、アキシュに向って「わが主である王(原文)の敵と戦うために私が出陣できないとは」(29:8)と言いますが、内心では、ふたりの主に仕える矛盾から主によって解放していただけたことを感謝していたことでしょう。
30章では、ダビデが三日目に自分の根拠地であるツィケラグに帰ったときの悲惨に直面する記事から始まります。そこは、アマレクの襲撃によってダビデの妻のアビガイルも、他の女たちも子どもたちも連れ去られたあとでした。ダビデも部下たちも、「声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった」(30:4)ほどの絶望感に襲われました。
そればかりか兵たちすらも、「自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出し」てしまい、「ダビデは大変な苦境に立たされ」ます(30:6)。今までダビデに信頼して従っていた者たちも、最近のダビデの一連の行動に疑問を感じていたのでしょう。
ところが、ダビデは、その深い悩みの中で、「自分の神、主(ヤハウェ)によって奮い立った」というのです。彼は、悩みの中で、主(ヤハウェ)と出会っているからです。それは使徒パウロが「私が弱いときにこそ、私は強い」と告白した通りです(Ⅱコリント12:10)。これは、サウルが霊媒師によって力づけられたのと対照的です。
そしてダビデは、サウルが殺そうとした「アヒメレクの子、祭司エブヤタル」が持っていたエポデによって(30;7)、略奪隊を追うべきかに関して、主(ヤハウェ)に伺いを立てます。そして主から、「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる」という、力強い、明確な答えを受けることができました(30:8)。
ダビデがこのタイミングでペリシテ軍の陣地から帰還することができていなかったとしたら、「追いつく」ことは不可能になっていたはずですから、これらの悲惨のただ中にも、主の愛の配慮が見出されます。
ダビデとその部下600人が南に向かって追撃を展開しますが、アマレクとの境のペソン川では200人もの兵士が「疲れ切って」、そこに留まらざるを得ないほどの強行軍でした(30:9,10)。しかし、そこでアマレク軍から置き去りにされたエジプト人奴隷を見出し、道案内をしてもらうことができました(30:11-15)。
それでダビデ軍はアマレク人の集団に追いつくことができましたが、彼らはおびただしい分捕り物に喜び、「お祭り騒ぎをしていた」最中でした(30:16)。
そのためダビデはアマレク軍を簡単に討ち果たして退散させ、奪われたもの「すべてを取り戻した」ばかりか、新たに多くの羊と牛をも獲得できました(30:18-20)。
ダビデの一行は、勝利の帰還の途中、疲れてベソル川のほとりに留まって戦いに参加できなかった200名の者たちに迎えられます。戦いに参加した人々の中の「意地の悪い、よこしまな者(ベリヤアルの者)たち」は、「取り戻した分捕り物」の分配を拒絶します(30:22)。
しかしそこでダビデは、「主(ヤハウェ)が……私たちを守り……略奪隊を私たちの手に渡されたのだ」と説き伏せ、戦いに参加しなかった者たちにも同じ分け前を保証しました(30:23,24)。そしてそれが「イスラエルの掟」となったというのです(30:25)。それは、イスラエルの戦いの勝利の栄光は、戦った人たち以前に、主に帰されるべきであるという告白です。
そればかりか「ダビデはツィケラグに帰って来て、友人であるユダの長老たちに戦勝品の一部を送って」、主が与えてくださった勝利を共に喜び合うことができました(30:26)。その送り先は、「ダビデとその部下がさまよい歩いたすべての場所の人々であった」と記されます(30:27-31)。
彼は自分が受けた恩に報いることができたのです。つまり、神ご自身がサウル後のダビデの立場を固めてくださったのです。
5.サウルの悲劇的な死
31章の記事は29章に続くもので、30章のダビデの出来事と並行しています。そこでイスラエルはペリシテに大敗北を喫し、サウルの息子ヨナタンたちも打ち殺されました(31:2)。サウルは「ひどい傷を負った」とき、自分がペリシテ人たちに「なぶり者」にされることを恐れ(31:3、4)、道具持ちの者に自分を刺し殺してくれるように願いますが、「道具持ちは、非常に恐れ」、躊躇します。
その後のサウルの自害の様子が、「それでサウルは剣を取り、その上に倒れ込んだ」と簡潔に描かれます(31:4)。彼は、惨めな死に方を避けたかったのでしょうが、神の目から見て、これほど惨めな死に方があるでしょうか。
彼は最後まで、主を恐れる代わりに人を恐れ、結局、主のみこころに反する自殺で自滅しました。彼は、どんなに苦しくとも、最後の瞬間まで、神に向かって悔い改めの祈りをささげることができたはずだったのです。
そして、道具持ちの者も、サウルの遺体を葬る間がなかったからなのか、彼のそばで自害します。そしてペリシテ人は、サウルの遺体を見つけると、その首を切り、その武具を偶像の宮に陳列し、「死体をベテ・シャンの城壁にさらした」(31:10)というのです。その町はイズレエルの東十数㎞西のヨルダン川沿いの大きな要塞都市で、これはイスラエルの敗北の象徴となりました。
サウルは自分がこのようなさらしものにされることを恐れたからこそ、自害したはずなのに、かえってそうされることを自分で選び取ってしまったのでした。残念ながら、自分で自分を滅びに追いやるというのがサウルの生き方の中心でした。
ただ、そこで「ヤベシュ・ギルアデの住民は」その「仕打ち」を聞くと、「勇士たちは立ち上がり、夜通し歩いて……サウルの死体と息子たちの死体を……城壁から取り下ろし」、遺体を持ち帰って手厚く葬ったというのです。ヤベシュはヨルダン川の東ですが、ベテ・シャンまでは二十数㎞の地にあります。
なおこの町はベニヤミン族に女がいなくなった時、四百人の娘たちを嫁に差し出した町で、サウルの王としての最初の働きもこの町をアンモン人ナハシュの攻撃から救い出すことでした。人々の愚かな争いの背後に愛の神の摂理を見ることができます。
伝道者の書に、「人が百人の子どもを持ち・・彼の年が多くなっても……墓にも葬られなかったなら……死産の子の方が彼よりはましだ」(6:3)とあるように、神の民の中でも葬儀は非常に大切にされていたからです。
サウルを王として立ててくださった主(ヤハウェ)は、サウルを死に追いやっても、ご自身が選び、油注いだ者が辱められたままに置くようなことはなさいませんでした。
ダビデがサウルから逃れるためにペリシテ人の王に頼ったことは、決して、正しい選択であったとは言えません。しかし、主はペリシテの地においてのダビデの裏表のある生き方を叱責することなく、不思議な導きで、ダビデをペリシテ軍から引き離し、ユダ族との関係を深める方向へと導いてくださいました。それはダビデが「行く道すべて」において、「主を知る」という生き方を保っていたからです。
一方、サウルは目の前の出来事にいつも心が一杯になり、そこにも主のご支配があることを忘れて、心を揺らし続け、遂には霊媒にまで頼り、惨めな最期を遂げました。
私たちも目の前のことに心を煩わせがちですが、今ここですべてのことを支配し、すべてを益に変えることができる主に繰り返し立ち返ることが大切です。