Ⅰサムエル1章〜3章「悩みから生まれた驚くべき救い」

2017年8月6日

多くの人は、自分の心の平安(シャローム)を求めて、信仰に入ると言われます。それは、自分の回りに何が起きても、動じないように自分の心を制することができる方法とも言えましょう。

しかし、それは、使徒パウロと同時代のストア哲学者が教えていたことであり、また日本では、禅仏教の指導者が教えていたことでもあります。

聖書の神は、単純明快に、ご自身のことを、「わたしは、『わたしはある』というものである」と紹介されながら、「わたしは、あなたをこの矛盾に満ちた世に遣わす。わたしの平和をこの地に広げなさい」と命じておられます。たとい、身体が動かなくても、世界のために祈ることが求められています。

サムエル記第一と第二は本来ひとつの書で、預言者サムエルによるイスラエルの信仰復興とダビデ王国の確立への過程が描かれています。それは列王記ともセットとなるイスラエル王国史の記録です。興味深いのはこの書があるひとりの女性の極めて日常的な悩みの記述から始まっているという点です。

1.「万軍の主(ヤハウェ)よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて……」

サムエルは預言者であると同時に祭司でもあり、ダビデに王としての任職の油を注いだ人です。その働きはイエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネに匹敵します。

1章ではサムエルの誕生が描かれますが、その父エルカナはエフライムの家に属していました。祭司職はアロンの子孫の特権であり、エフライムの出身者が祭司になることなどあり得ないはずでしたが、その道を開いたのが母ハンナの祈りです。

当時は一夫多妻であり、彼女にはペニンナという「競争者」(1:6「憎む」の別訳)がいました。彼女は夫から愛されながらも子供がいませんでした。これを著者は、「主(ヤハウェ)がハンナの胎を閉じておられたので」と繰り返します(1:5,6)。

彼女はペニンナからあざけりを受け、心が痛む余り、シロにあった神の幕屋で礼拝したおり、「(ヤハウェ)に祈って、激しく泣いた」(1:10)のでした。これは、見ようによっては同じ夫をもつ妻同士の嫉妬心による争いに過ぎないかもしれませんが、当時、不妊の女は主の「のろい」を受けていると見られましたから、彼女の悩みは自分の存在自体が否定されていると思えるほどに深刻でした。

私たちそれぞれに固有の悩みがあり、多くは身近な人との関係から生まれます。しかも、そのようなことで苦しんでいること自体が人間として未熟であるしるし?と受けとめられることすらあります。

しかし、ダビデは「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」と訴えた詩篇22篇の中で、「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった」(24節)と告白しています。

ハンナの悩みもある意味で低次元のここと受け止められかねないものですが、それこそが私たちにとっての祈りの模範となっているのです。

フーストン先生の本を訳しながら、聖書の福音がローマ帝国に広がりながら、当時のストア哲学の影響を受けて歪められる過程に改めて気づかされました。当時の教養人はストア哲学を学んでいました。その中心は、自分の人生にどんな不条理が起きようとも、それに心を惑わされずに、平常心を保つということです。「何ものにも驚かない、動じない心」が理想とされました。

しかし、そこでの神は運命を司る「共通観念」のようなもので、怒り、悲しむ感情を持つ神、人にパーソナルに語りかける神ではありません。このストア主義的な発想は、驚くほど同じように仏教の中にも流れています。

それぞれルーツはまったく違いますが、この世の不条理をあるがままに受け入れるというのは、人間にとっての最後の精神的な逃れ場になるということで、人間が考え出した最高の知恵と言えましょう。西洋でも東洋でも、このような考え方が教養人の常識となっているため、感情豊かに寄り添う聖書の神が見えなくなったと思われます。

聖書の神は、私たちの「悩みをさげすむことなく、いとうこと」のない方なのです。私たちが自分で自分の心に言い聞かせるのではなく、私たちの心の悩みや葛藤をお聴きになりたいと願っておられる愛の神なのです。

不信仰とは、心が動じ易いことではなく、神に打ち明けようとしないことなのです。

11節の初めは、厳密には「誓願を誓願した」とも訳されることばです。彼女はまず、「万軍の主(ヤハウェ)よ」と呼びかけます。そこには、全世界の創造主であり、目の前の問題を解決できる圧倒的な力を持つ神という思いが込められています。

その上で、「もし、顧み、顧みてくださるなら」という動詞を重ねた表現で、自分を、「あなたのはしための悩みを」と呼びながら訴えています。この場合の「もし」とは、「もしも、私に翼があったなら……」というような、はかない望みを訴えるものではなく、強い誓願とセットで使われることばです。ですから、これは、「私の悩みをしっかりと見てください」という必死の嘆願と言えます。

ハンナは続けて。主に向かって、「私を心に留め(remember me)、このはしためを忘れず(not forget)」と言い換えます。しかも、自分を「あなたのはしため(奴隷)」と三回も呼んでいます。ここには、主の全能の力への信頼と、徹底的な謙遜さの両方が見られます。つまり、主が望みさえするなら不可能はなく、不妊の女と見られている自分にも「男の子が授けられ」ることができると信頼しているのです。

その上で、願いがかなうなら、そのときには自分の側からも神に向かって、具体的なささげものをすると約束するのが、誓願の基本です。そしてこの場合は、「その子の一生を主(ヤハウェ)におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません」と約束します。

彼女は何と、生まれた子をナジル人として、主にささげるとの誓願を立てたのです。これは、生まれた子を手放す約束をすることで、彼女の嘆願の理由が、子供を育てることよりも、不妊の女としての惨めな立場から解放されることにあったことを意味します。

ここでは、「主がハンナの胎を閉じた」ことの結果として、彼女が辱めを受けて苦しみ、必死に主に嘆願し、生まれた子を主にささげるという誓願に結びつくという展開が見られます。つまり、主がハンナに苦しみを与えたのは、彼女に切実な祈りを引き起こさせ、祭司の家系以外から新たな祭司を生む道を開かせ、イスラエルを救うためでした。

主のみこころは、私たちが恥と苦しみの中で、主につぶやく代わりに、必死に嘆願することです。そして、そこから私たちの想像を超えた偉大な展開が生まれることでしょう。

2.「主(ヤハウェ)は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる……」

ハンナの祈りを見ていた祭司エリにとって、彼女がまるで酒に酔っているように見えたというのは興味深い記述です。切実な祈りは酩酊状態に似ているということだからです。それは、ただ主だけを見上げて、まわりのことを忘れている姿勢です。

それにしても、当時の男女関係の常識からしたら当然のことかも知れませんが、祭司エリが、彼女に寄り添おうともせずに、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい」(1:14)と断罪したのには、悲しくなってしまいます。「人の気持ちを聞けない者は、神の御思いも聴こうとしない」とも言われますが、エリの家がこの後、神にさばかれるのも無理がないとも言えましょう。

それに対しハンナはひるむことなく、「いいえ、わが主よ」(1:15原文)と、祭司を神の代理と認めたうえで、まず自分のことを、「私は心に悩みのある(霊が頑なになった)女です」と不思議な紹介をします。彼女は決して自分の敬虔さを紹介しているのはありません。

その上で、酔ってはいないということを弁明しながら、「私は主(ヤハウェ)の前に、私の心を注ぎだしていたのです……私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです」(1:15,16)と、自分の痛んだ心を主に「注ぎ出している」状況を知らせます。

それに対する祭司エリの応答は、まず、「安心して行きなさい(シャロームのうちに歩みなさい)」というものでした。だからこそ、続くことばは、「イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださいます」(1:17)という「保証」として訳すことができます(英語ではその訳も多い)。

ですから、その後、「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった」(1:18)と、彼女の心に平安(シャローム)が生まれたのです。

私たちも、もし心に悩みがあるなら、それと真正面から向き合い、その「心を、主の前に注ぎだす」という祈りが必要です。そして、心の平安は、そのような必死の祈りの結果として与えられるものです。

その後、「主(ヤハウェ)は彼女を心に留められた(remembered her)」(1:19)という表現とともに、サムエルの誕生が描かれます。ハンナはサムエルが乳離れするまで待ちますが、それは当時、三歳になるまでの期間を指したと思われます。「三つ子の魂百まで」と言われるように、その後の彼の偉大な働きの基礎は、この短期間にハンナから十分な愛情を注がれたことで築かれたといえましょう。

彼女の信仰からしたら、すぐに主の宮に上って感謝のいけにえを夫とともにささげたかったことでしょうが、彼女は、「その子の一生を主(ヤハウェ)におささげします」と約束したことに、子育ての焦点を合わせて、全力を注ぎました。なぜなら、母親の愛情をたっぷり受けていないと、この乳幼児期の基本的信頼が育まれないからです。

目に見えない神を信じられるためには、目に見える母は決して自分を裏切らないという意識が必要になるからです。もちろん、神は、聖霊によって、どんな惨めな育ち方をした人にも、基本的信頼の感覚をあとから与えることができはしますが……。

とにかくハンナの乳幼児教育には、「この子が主(ヤハウェ)の御顔を拝し、いつまでも、そこにとどまるようになるまで」(1:22)という明確な目的意識がありました。

その後、「その子は幼かった」(1:24)にも関わらず、祭司エリに渡されます。その際、彼女は、「主(ヤハウェ)は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします」(1:28)と告白します。

祭司エリも、幼子サムエルを、主の賜物と受け止めたことでしょう。

そして、2章1-10節には、ハンナの主への讃美が記されています。そこで彼女はまず、「私はあなたの救いを喜ぶ」(2:1)と歌います。それは具体的には自分の「敵」であるペニンナの嘲りからの救いであり、「弱い者が力を帯び……不妊の女が七人の子を産み」(2:4,5)という具体的なことでした。

それは、主にあって人の強さや弱さの逆転が起こることでした。つまり、主の救いとは、極めて現実的な出来事なのです。

そして、「主(ヤハウェ)は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くする」(2:6,7)と歌います。これはまさに、「わたしは、『わたしはある』という者である」(出エジ3:14)と表現される主の名前の由来を生き生きと表現したものです。つまり、主こそがすべての始まりであり、私たちは自分の働き以前に、何よりも主との関係を第一にしなければならないのです。

今までの短い箇所に、「主(ヤハウェ)」という御名が頻繁に出てきます。極めて日常的な「憂いといらだち」を味わっていたハンナの背後に、日常生活のただなかで生きて働いておられる主のみわざが存在しているのです。

3.「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる」

祭司エリのふたりの息子たちは、ハンナと対照的に、「よこしまな者で、(ヤハウエ)を知らず」(2:12)と描かれます。彼らは、主へのいけにえとして、「人々が脂肪を焼いて煙にしないうちに、祭司の子(しもべ)はやって来て、いけにえをささげる人」に向かって、「祭司に、その焼く肉を渡しなさい。祭司は煮た肉は受け取りません。生の肉だけです」(2:15)と迫って肉を取り上げたというのです。

「脂肪は全部、主(ヤハウェ)のものである」(レビ3:16)というみことばを軽んじ、「罪のためのいけにえ」に関して、「祭司たちのうち、男子はみな、これを食べることができる。これは最も聖なるものである」(レビ6:29)と記されていることを自分の都合で解釈したのです。

後に、主は預言者ホセアを通して、祭司たちの堕落を、「彼らはわたしの民の罪を食い物にし、彼らの咎に望みをかけている」(ホセア4:8)と厳しく非難しました。神の民が罪を犯した際に、神は彼らにいけにえをささげさせることによって、民との和解の道を備えてくださいました。それを取り次ぐのが祭司の働きで、祭司たちはその肉を、神の代理として食べるように命じられていました。しかしそれは、民が罪を犯していけにえを多く献げるほど、祭司に都合が良いことになりかねません。

残念ながら、堕落した宗教は、人々に罪の意識と、それに対する罰への恐れを掻き立てることで、豊かになって来ました。祭司エリの息子たちは、神が示した和解の道を利用して私腹を肥やしていたのです。

そのような中で、サムエルは「まだ幼い」段階から、祭司の栄光の式服である「エポデを身にまとい、主(ヤハウェ)の前に仕えてい」(2:18)ました。これはエリが息子たちを頼れなかったからです。

ハンナもサムエルを気遣い、主の幕屋に上るたびに、手作りの上着を持ってゆきました。そして、主もハンナを顧み、彼女はその後、三人の息子と二人の娘を産みます(2:21)。胎を閉じていたのは、主であったからです。

祭司エリは、「非常に年をとっていた」中で、自分の息子たちの堕落を耳にし、彼らが「会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ている」というスキャンダルまで聞いていました(2:22)。エリは息子たちに向かって、「人がもし、ほかの人に対して罪を犯すと、神がその仲裁をしてくださる。だが、人が主(ヤハウェ)に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とうか」という名言を述べます(2:25)。

ここに神のあわれみと、イエス・キリストによる仲裁が示唆されているのは興味深いことです。しかし、エリの子たちはその諫言に耳を傾けようとはしません。そして、主のさばきが避けがたいものとして記されます。

ところがそこで、「少年サムエルはますます成長し、主(ヤハウェ)にも、人にも愛され」ます(2:26)。エリの家の没落とサムエルの成長は何と対照的でしょう。

一方そこで、主は直接語る代わりに、「神の人」をエリに遣わして、神がエリの家にいかに大きな特権を与えたかを振り返らせ、「あなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて……イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか」(2:29)と責めました。

神が人に何らかの特権を与えているとしたら、同時に、そこにはそれに見合った責任を果たすことが求められているからです。そして主は、「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる」(2:30)と言い、彼の家への永遠の裁きを宣告されました。

そして、「サムエルは、神の箱の安置されている主(ヤハウェ)の宮で寝ていた」(3:3)とあるように、目がかすんだエリは少年サムエルにつとめを任せていました。

出エジプト27章20,21節には、神の幕屋の聖所の中では、祭司が夕方から朝まで、燭台の燈火を絶やさないように整えることが命じられていたからです。それはサムエルがエリの後継者として祭司の働きを勤めたことを意味します。

3章1節には、「そのころ、主(ヤハウェ)のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」とありますが、これは士師記の混乱の時代に、本来は、主のことばや幻が必要であったことを示唆しています。しかし、主はエリの家を滅ぼすと決めておられたので、このような事態になっていたのだと思われます。

そのような中で、3節で何と、主はまだ少年に過ぎないサムエルに直接語りかけられました。彼はエリから呼ばれたと誤解し、エリのところに走って行って、「はい、ここにおります。私をお呼びになったので」と応答します(5節)。しかも、このようなことが三度も続きました。ここにサムエルの素直さを読み取ることができます。

しかし、三度目にエリは、それが主の御声であると気づき、今度呼ばれたら、「主よ。お話しください。しもべは聞いております」(3:9)と答えるよう指導します。

その後、四度目には、「(ヤハウェ)が来られ、そばに立って……『サムエル、サムエル』と呼ばれ」(3:10)ます。主は辛抱強く語りかけられた上、最後にご自身で目の前に立たれました。それで彼は、「主(ヤハウェ)よ」という呼びかけを省き、ただ「お話しください。(あなたの)しもべは聞いております」と答えます(3:10)。

これらのプロセスで明らかになるのは、サムエル自身が主のみこころを求めたのではなく、主ご自身が辛抱強くサムエルに語りかけ続け、主のみ声を聞くにも先輩の指導が必要だったということです。

信仰は、自分のうちから湧くものではなく、主の主導権で示されるものだからです。信仰を自分の心の姿勢と考えるために、自分を責めている人が多すぎます。

そこで語られたことは、エリが子供たちを厳しく戒めなかった罪のために、この祭司の家を滅ぼすということでした。エリがそのことを少年サムエルから聞く必要があったということが何よりも驚くべきことです。主は、この時点ですでに、サムエルをエリの家全体に対する祭司のように扱っています。そしてそれは、すでに神の人が、2章3,36節で祭司エリに告げていたことでした。

エリは、自分の家に対するさばきのことばを、サムエルに正直に報告させますが、それに対して、「その方は主(ヤハウェ)だ。主がみこころにかなうことをなさいますように」(3:18)と謙遜に認めました。エリは、自分が主のさばきを受けるという苦しみを通して、主を恐れることを後継者サムエルに身をもって証ししました。

そしてこれを通して、「サムエルが主(ヤハウェ)の預言者に任じられた」(3:20)ことが、何と、全イスラエルに知られるようになったというのです。

これらの過程を通して、サムエルはまさに主の一方的な選びによって誕生し、また働きに召されたということが明らかになります。沈黙していた主は、今、サムエルを通して今イスラエルに語り始めます。

救い主イエスは「ダビデの子」と呼ばれるほどに、ダビデ王朝は神の栄光のみわざの現れでした。そして、ダビデの登場の舞台を用意し、任職の油を注いだのはサムエルです。そして、そのサムエルは、ハンナというごく普通の女がいじめに会って悩んだその祈りの結果として誕生しました。

あなたの人生にあるごく日常的な悩みも、神が祈りと献身を教えるために敢えて与えているのかもしれません。信仰生活とは、イエスの御名によって、イエスの父なる神に向かって、「アバ、父」と親しく呼びかけることです(ローマ8:15)。

いつも平安を味わっている人は、主に向かって「心を注ぎ出す」(1:15)必要を感じません。求められていることは、何よりも、主に自分の悩みや葛藤を打ち明けることです。それがすべての出発点です。