2017年7月2日
キリスト教会の歴史を見ると、「主(ヤハウェ)の御名」を持ち出した「戦争」や「ご利益主義」が福音を歪めてきた現実が見られます。その原点が今日の士師記に見られます。
神の救いの目的が、この世界を神の平和(シャローム)で満たすことにあるという中心点を忘れるところから、その逸脱が始まります。
現代は、理想や権威に懐疑的になっている時代で、それぞれの「心の声」を尊重することが求められています。ただ、そこには歓迎すべき点ばかりではなく、危険もあるのではないでしょうか。
「めいめいが自分の目に正しいことを行なう中で」、明らかな悪が放置され、共同体が機能不全に陥るということがあります。それは約束の地に入り、豊かさを獲得できたイスラエルの民にとっての落とし穴でもありました。
1.神の宮を自分の家の中に作ることの問題
17章以降には士師が登場しませんが、イスラエルの堕落の様子が生々しく描かれています。エフライムの山地に住むミカという人は、母の銀を盗みますが、母のかけたのろいのことばを聞き、あわててそれを返しました。
それで母は、のろいを打ち消す祝福を、主の御名によって祈り、その銀を主(ヤハウェ)にささげました。このとき盗んだ銀千百枚は、デリラがサムソンを売った際に、ペリシテ人の各領主から受け取った金額と同額で、現在の銀価格では約百万円に相当するとも思われますが、10節でレビ人への年間の報酬が銀十枚であることを考えると、当時としては驚くほどの大金であったと思われます。
ところが、母はその銀の約五分の一を取って、「わが子のために」、「彫像と鋳像を造った」というのです(17:3,4)。しかし、これは主が忌み嫌われることで、彼女は息子の「祝福」を求めながら、「のろい」を招いていることに気づいていません。
そしてこのミカは、それで「神の宮」(17:5)を自分の家の中に造り、彼の息子を祭司にしました。これも、「契約の箱」が置かれた幕屋を唯一の礼拝の場所とする神のみこころに真っ向から反します。
つまり、彼らは、主(ヤハウェ)の御名を用いながら、主のみことばに聞こうとするのではなく、自分たちだけの繁栄を祈り求めていたのです。これはカナンのバアル礼拝の習慣に毒された結果です。
このことが、「その頃、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」(17:6)と描かれます。
この家は約束の地の中心で、かなりの豊かさを享受していましたが、それは、「あなたが食べて、満ち足りるとき、あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主を忘れないようにしなさい」(申命記6:11,12)と警告されていたことを思い起こさせます。
しかも、ここにユダのベツレヘム出身のレビ人が登場します。彼は自分の町での生活が成り立たなくなり、滞在する所を求めて旅に出たあげく、ミカの自家製礼拝の祭司となります。
これは社会全体が安息日の礼拝に集まって主を礼拝することを忘れ、レビ人の働きの場がなくなった結果と言えましょう。
そして、ミカは、「私は主(ヤハウェ)が私をしあわせにしてくださることをいま知った。レビ人を私の祭司に得たから」(17:13)と言いました。
何という皮肉でしょう。彼らは、「十のことば」の最初の四つの命令にことごとく反した罪を犯し、主ではなく富に仕え、偶像を作って拝み、主の御名をみだりにとなえ、安息日を破っていながら、それにも関わらず、「主がわたしをしあわせにしてくださる」と喜んでいるのです。
ミカとその母は三度にわたって、「主(ヤハウェ)の御名」を持ち出していますが(17:2,3,13)、みな明らかに、主のみこころに反する用い方です。彼らは、主の救いのご計画を知ろうともしていませんでした。
2.ダン族は、ミカの造った彫像を自分たちのために立てた
18章は、「そのころ、イスラエルには王がなかった」という記述から始まります。そして、あのサムソンの出身部族であるダン族が登場します。これはサムソンより前の時代だと思われます。
1節では、「相続地はその時まで彼らに割り当てられていなかった」と記されますが、これは彼らが割り当てられたエモリ人の地を支配することに失敗していたという意味として解釈できます(ヨシュア19:40-48、士師1:34)。
彼らは神から与えられた相続地を離れ、イスラエルの占領地の最北端に新しい土地を求めます。エフライムの南のダン族の根拠地から五人の偵察隊が派遣されますが、彼らはその途中でミカの家に立ち寄り、そこでこのレビ人の自家製祭司に出会い、自分たちの旅が成功するかどうかを、「神に伺ってください」と願います(18:5)。
すると彼は、「安心して行きなさい。あなたがたのしている旅は、主(ヤハウェ)が認めておられます」(18:6)と、期待通りの答えを出してくれました。これは確かに主のみこころとも解釈できますが(ヨシュア19:47)、偶像を通して「神に伺う」という方法自体が、許されることではありません。
その後、ダン族は、六百人の戦士の集団で北方の地を攻め取るために進軍している途中に、ミカの家に立ち寄り、このレビ人と彫像等を奪って行きます。その際、彼らはこのレビ人に、「私たちのために父となり、また祭司となってください。あなたはひとりの家の祭司になるのと、イスラエルで部族または氏族の祭司となるのと、どちらがよいですか」と言い、彼もそれを聞いて、「心ははずんだ」と記されています(18:19,20)。
これも、主への礼拝に関する教えを自分の御利益の手段と貶めていることで、両者とも主の御旨に真っ向から反しています。
なお、ミカは彼らの勢力に圧倒されて泣き寝入りしますが(18:26)、本来、「盗んではならない」という主の命令は、このような力による略奪を禁じる教えのはずでした。
そして、ダン族はライシュの占領に成功しますが、「平穏で安心しきっている民を襲い」(18:27)という表現の中に、その「卑怯さ」が言外に非難されています。確かにここは約束の地の範囲内で、絶滅は主のみこころとも言えますが、それはもともと主がダン族に割り当てた地ではありませんでした。
どちらにしても、ここが長い間イスラエルの北の果ての地になります。そして彼らは「自分たちのための彫像を立て」(18:30)ます。しかもここで初めて、この偶像礼拝を導いたのはモーセ直系の祭司であると述べられます。そのことがさらに、この自家製礼拝に権威を授けます。
そして、その子孫は「国の捕囚の日まで……祭司であった」と悲劇が示唆されます。後にダビデ王国が分かれた際、北王国初代の王ヤロブアムは、この地を、南のベテルにならぶ北の礼拝の中心にし、それが国の滅亡の導火線になります(Ⅰ列王記12:29)。
そしてここでは彼らの堕落が、「こうして、神の宮がシロにあった間中、彼らはミカの造った彫像を自分たちのために立てた」(18:31)と締めくくられます。ヨシュアがシロに幕屋を置き(ヨシュア18:1)、サムエル登場の前にシロがペリシテ人に滅ぼされるまで、一時の例外を除き幕屋はシロにあったと思われますが、その間、ダン族はミカの作った鋳造を拝み続けていました。
とにかく、たったひとつの家の罪が、ひとつの部族全体を堕落させ、その偶像礼拝は拡大し、後にひとつの王国まで滅亡させることになるのです。
3.ベニヤミン族の罪と彼らへのさばき
続いて、「イスラエルに王がなかった時代のこと」(19:1)と、18章と同じ書き出しのもとに恐ろしい悲劇が記されます。「ひとりのレビ人」が、「ユダのベツレヘムからひとりの女をめとった」のですが、彼女は実家に逃げ帰ります。これは当時としてはあり得ないことでした。
それで夫は「ねんごろに話して彼女を引き戻すために」(19:3)、ベツレヘムに出かけます。娘の父は彼を喜んで迎えますが、娘との別れを惜しむあまりか、接待を重ねて彼らの出発を遅らせます。
それに対し、この夫は愚かにも、五日目の日が傾きだした時間になって妻を連れて出発し、途中でベニヤミンの町ギブアに泊まらざるを得なくなります。
そこで彼らを迎えてくれたのはエフライム出身の老人だけでした。すると夜になって、この町の「よこしまな者たち」が家を取り囲み、「あの男を引き出せ、あの男を知りたい」(19:22)と迫りました。
かつて、ソドムに住んでいたロトを御使いが訪ねた時に、ソドムの人々はロトの家を取り囲んで、「今夜おまえのところにやってきた男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ」と迫りましたが(創19:5)、それと同じ堕落が見られたのです。その際、ロトは自分の娘たちを指し出すと言ってまで彼らを宥める必要がありました(御使いが守ってくれましたが……)。
そしてここでも、彼らを泊めた老人は、娘まで差し出すと言いますが、彼らが迫りくるので、このレビ人は、やむなく妻を差し出さざるを得なくなります。
そして、彼女はなぶり殺しに会います。ただ19:26-28節の記述を見ると、レビ人がこの女の身を心配している様子がまったく見えません。彼は彼女をまるで感情のない生き物かのように扱っています。かつて、この女が彼のもとから逃げ去った理由もこれで明らかになります。
ただ、「彼は自分の家に着くと……自分のそばめを十二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送った」というのです(19:29)。そこにも彼の冷酷さが現されますが、彼としてはそこで必死に「正義」を求めています。それはイスラエルでソドムと同じ罪が行なわれたという意味です。
それに応じて、この無残な死体を見た人々は、「イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで、こんなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考えて、相談をし、意見を述べよ」と互いに言い合います(19:30)。
なお20章4-7節には、この「殺された女の夫」の報告が記されますが、そこには自分がギブアに泊るようになった経緯も、老人のもてなしも、自分がそばめを差し出したことも省かれたまま、ベニヤミンの悪ばかりを強調しています。
このレビ人の訴えに応じて、「イスラエル人はみな……こぞってミツパの主(ヤハウェ)のところに集まった」(20:1)と記されます。彼らは北の果てのダンから南の果てのベエル・シェバ、ヨルダン川東のギルアデなどからミツパに集まりました。
ミツパは当時の幕屋が置かれていたベテル(27節)のすぐ隣の町でした。これは時代的には、士師記の時代の初期の時代、18,19章の前の時代のことだと思われます。それは幕屋がベテルに置かれていたことと、イスラエルの民の一致が保たれていたという点から判断できます。
どちらにしても、ここで注目すべきは「こぞって」ということばです。これは直訳で、「ひとりの人のように」と記されています。この同じ言葉が8節でも繰り返され、また11節でも「イスラエル人はみな団結し、こぞってその町に集まって来た」と描かれます。
彼らが、日頃の主への礼拝でひとりの人のようになっていたのならよかったのですが、スキャンダルをさばくことにおいて初めて一致したかのようです。
イスラエルの民は四十万人もの戦士をベニヤミンのギブアに向かわせ、「よこしまな者たちを渡せ。彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去ろう」(20:13)と迫りました。
しかし、ベニヤミン族は、仲間の悪を取り除く代わりに、他のイスラエルの全部族に戦いを挑んでしまいました。彼らの兵力は26,700人に過ぎませんでしたが、彼らには「左ききの精鋭が七百人」がいました。守る側の地の理もあって、ベニヤミンは初戦で大勝し、イスラエルは一回目に22,000人、二回目には18,000人もの戦死者を出します。
それで、彼らが「全民こぞってベテルにのぼって行って、泣き、その所で主(ヤハウェ)の前にすわり、その日は、夕方まで断食をし、全焼のいけにえと和解のいけにえを主の前にささげ」ます(20:26)。
そこで祭司ピネハスが、「私はまた、出て行って、私の兄弟ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか」(20:28)と尋ねます。
それに対し主は、「攻め上れ。あす、彼らをあなたの手に渡す」と答えられます。ただし、主は、決してベニヤミン族を絶滅させるようなことは命じておられません。
29節から36節前半はイスラエルの戦いを外から眺めるように描いたもので、36節後半から46節はその戦いを内側から、特に伏兵に注目したように描いたものです。35節のベニヤミンの25,100人の戦死者と、46節の25,000人の戦死者とは基本的に同じことを指しています。
36節後半以降はそのように大きな戦死者を生み出した戦いの様子が描かれていますが、18,000人の「力ある者たち」(20:44)という戦死は避けがたかったとしても、その後の追跡による5,000人と2、000人を打ち殺したことは行き過ぎだったとも言えましょう。
また、特に48節に記されたベニヤミンの町々に火を放って絶滅させたことは、主の御旨に反する蛮行です。これは主の戦いではなく、最初の被害に対する激しい復讐戦となった証しです。
後にパウロは、「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」と記します(Ⅱコリント7:10,11)。イスラエルの民は最初の戦いでベニヤミン族に敗北を喫してから、主の前で二度も「泣き」ましたが(20:23,26)、これは戦いの前になされるべきことでした。
ベニヤミン族もギブアでの蛮行を聞いたときにすぐに、その罪のために泣き、自分たちの中からその「悪を取り除く」ことをすぐにすべきでした。主の眼差しでこの世界を見ることが求められています。
4.ベニヤミン族を残すために払われた犠牲
その後、冷静になったイスラエルは、ベニヤミン族が絶滅することを避けようと、残されたリモンの岩に立てこもった六百人に妻を与える工夫をします。それは彼らが、自分たちの「娘をベニヤミンに嫁がせない」と誓っていたからでした(21:1)。
また同時に彼らは、戦いに加わらない者を必ず殺すという「重い誓い」(21:5)までも立てていました。これらの誓いは人間的な思いから出たものですが、ふたつの誓いを一挙に果たすために、戦いに来なかったヨルダン川東のヤベシュ・ギルアデの住民を攻撃し、そこから四百人の処女を連れて来て、ベニヤミン人に嫁がせます(21:12-14)。
この戦いも処女の略奪も、主のみこころとは言えません。それは彼らが戦いへの士気を高めるための余計な誓いの結果に過ぎません。
ただそれでも二百人足りなかったので、それを「シロの娘たち」が、「主(ヤハウェ)の祭り」に踊りに来るときを狙って、略奪結婚をさせるという策を立てました(21:19-21)。これは、「主の祭り」が、カナン的な享楽の場になっていたことを利用したものです。
この事件は一人の女が「よこしまな者たち」に強姦され、殺されたという悪を裁くために始まりましたが、イスラエルの民は、シロの娘たちがベニヤミンの男たちに「略奪」(21:23)されるのを許すという別の悪を生み出すことで決着を付けたのです。何という皮肉でしょう。
彼らは、確かにひとつの悪をさばくために一致することができましたが、それによって、ひとつの部族を絶滅に近い状態に追い詰め、ひとつのヨルダン川東の同胞の町を滅ぼし、主への祭りにおいて略奪結婚を認めるというさらに大きな悪に手を染めてしまいました。
ひとつの悪が、別の悪を生み出し、それが雪だるまのように大きくなる様子が描かれています。そのことが、「イスラエルに王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」(21:25)ためであると締めくくられます。
エデンの園での最初の罪は、神こそが自分たちの王であることを忘れ、自分を王の立場に置いて善悪の基準とすることでした。そこから夫婦喧嘩が始まり、兄弟殺しが生まれ、民族の争いへと広がってきました。「めいめいが正しいと思えることをする」ことは、個性を尊重するかのようで、自滅への道だったのです。
ところで神は、後に、この絶滅に瀕したベニヤミン族から、初代のイスラエルの王を立てました。そして、彼を通して、その後外国から攻められたヤベシュ・ギルアデの町を救います。そこに神の深いあわれみを見ることができます。
神は、悪を厳しくさばくと同時に、自業自得で傷ついた民をあわれみ、救いの御手を差し伸べてくださいます。
私たちもイスラエルと同じように、悪をさばくことにおいては「ひとりの人のように」一致できることがありますが、犯罪人や失敗者に手を差し伸べることでは協力することは困難です。それは、日頃から自分の世界を守ることばかりを考え、主の眼差しでこの世界を見ようとしていないからです。
「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」(箴言29:18)とあるように、「めいめいの思い」以前に、主のご計画にこそ思いを潜めなければなりません。神の民の平和(シャローム)こそが目標です。
なお、「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」(17:6、21:25)という繰り返し、また、「そのころ、イスラエルには王がなかった」(18:1、19:1)という繰り返しの中に、この後、イスラエルの民がサムエルに向かって、「今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」(Ⅰサムエル8:5)と願うようになったことへの導入を見ることができます。
国に権威の中心があることは、国民がまとまることができるための現実的な知恵です。しかし、ダビデの後の時代を見ると、人々は愚かな王によって苦しむことになったのです。また王政の導入によって、ヨベルの年の教えを初めとする民の平等を保つ様々な規定が実行できなくなりました。
これはあくまでも、イエス・キリストという真の王の支配を待ち望むことへの導入と理解すべきでしょう。地上の王を巡っての皮肉な現実を見る時に、王制は神のみこころかどうか、という二者択一的な白黒で判断できないことがわかります。
約束の地に入る前に、国の中でただひとつの礼拝の場だけを持つようにと厳しく命じられていました(申命記12章)。遠くに住む民も、神の幕屋にまで旅をしてきて、ともに礼拝することで民の一致が生まれるはずでした。
同時に、幕屋に仕える祭司には、部族間の争いを調停するための、最高裁判所のような権利と責任がゆだねられていました(同17:8-13)。それは、主(ヤハウェ)こそが王であるという意味でした。
神は、この地上の不条理に悲しみの眼差しを向けつつ、同時に、人々がその苦しみの中から真の王である神の御子を求めるようになるようにと歴史を導いておられます。
その歴史のゴールは、一人ひとりが真心から神のみこころに従い、この地に神の平和(シャローム)が実現させることです。私たちは今、自分の「心の声」に耳を傾けながらも、同時に、聖霊の導きによってそれを修正される必要があります。