2017年5月21日
「主のみこころは?」と多くの信仰者が問いかけますが、多くの場合は、就職、結婚、自宅の建設、教会の選択などということに絡んで用いられます。
私も就職の際に、多くの内定をいただきながら、「みこころの就職先は?」と真剣に祈りました。しかし、入社三日目に、「みこころを読み間違えた……」と深く後悔しました。しかし、それは、新規開拓の飛び込み訪問外交が苦しかったからかもしれません。
「主のしもべの歌」には、「彼を砕いて、痛めることは、主(ヤハウェ)のみこころであった」(イザヤ53:10)と記されますが、それによると、「みこころ」とは、「自分の賜物が生かされる職場は?」などというよりも、神のご計画のために苦難を忍ぶことにあります。
このイザヤ預言は、イエスを十字架に導いたみことばとも言えます。イエスは、「ユダヤ人の王」を自称する偽預言者として嘲られ、苦しめられながら、そこに神のみこころがあることを信じ、ご自分の民の代表者、「王」としての使命を全うしておられました。
1.「ユダヤ人の王」として、祭司の働きを全うされた方
「ピラトは……イエスを……彼らに引き渡した。彼らはイエスを受け取った……彼らはそこでイエスを十字架につけた」(16節)とある、「彼ら」とは、「祭司長たち」(15節)を指します。実際に動いたのはローマの兵隊なのですが、ここではイエスを十字架にかけた張本人が誰であるかに目が向けられているからです。
祭司長たちは「カイザルのほかには、私たちの王はありません」と口走りました。それは、イエスが「自分を王だとする」ことによって「カイザルにそむく」者になっていると訴え、同時に自分たちはカイザルに忠誠を誓っているとアピールするためです。これでピラトがイエスへの十字架刑を躊躇するなら、カイザルへの忠誠が疑われることになります。ピラトにはイエスを十字架刑にする以外の選択肢はなくなりました。
それにしても、ユダヤ人の宗教指導者がイエスの抹殺を決意したのは、ラザロの復活によってイエスの人気が最高潮に達したからです。これではイエスのもとでユダヤの一般民衆がまとまり、ローマ帝国からの独立運動を果たそうとする運動が起きて、ローマ軍の介入を招き、自分たちの自治権が奪われ、宗教指導者たちの特権が失われると思ったからでした。
彼らの論理の中では、ユダヤ人の信教の自由を守るという大義のために、イエスを犠牲にすることは正しいことと思えたのです(11:47-53)。ただし、彼らの発想は、神の前での「真理(真実)」よりも、この世の力の原理に従うという打算的なものでした。その意味で、イエスを十字架にかけたのは、人の力を神とするすべての者とも言えましょう。
17節では、「イエスはご自分で十字架を負って、『どくろの地』という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた」と、イエスご自身が十字架を負われて、死刑場に雄々しく向かう様子が描かれます。
他の福音書では、ローマの兵士たちが「シモンというクレネ人に……イエスの十字架を、むりやりに背負わせた」(マタイ27:32)と、最初イエスがご自身で十字架を担ったという部分が省かれます。主が極度に消耗していたからでしょうが、ここでは、苦難に立ち向かう「王」としての姿が強調されます。
十字架は、古代の最も残酷な忌まわしい刑罰で、奴隷や被征服民がローマ帝国に反抗した時、見せしめとして用いられました。激しく苦しみながら、ゆっくり死ぬのを見るなら、反抗の気力が萎えるからです。
ただし、ここでは十字架にかけられる場面は、「彼らはそこでイエスを十字架につけた」としか記されず、それを解説することばは、「イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真ん中にしてであった」とのみ記されます(18節)。
これはイエスを十字架刑にふさわしい犯罪人の仲間とするという軽蔑と嘲りの意味があったのでしょうが、同時にそれはイザヤ52章13節以降の「主のしもべの歌」の結論部分を指します。そこには、「それゆえ、わたしは多くの人々の間で彼に分け与え、彼は強い者たちに戦利品を分け与える。それは、彼がそのいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたから。だが、彼こそが多くの人の罪を負った。そして、そむいた人たちのためにとりなしをする」(53:12私訳)と記されていました。
イエスご自身は、犯罪人の真ん中にされたことを、「そむいた人たちとともに数えられた」という「主のしもべ」の預言の成就と受け止めておられたことでしょう。
しかもここでは、「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掲げた。それには、『ユダヤ人の王ナザレ人イエス』と書いてあった。大勢のユダヤ人がこの罪状書きを読んだ」(19、20節)という「罪状書き」ばかりが注目されます。さらに、それはヘブル語ばかりか、ラテン語とギリシャ語で、当時の全世界に向けて書かれていたというのです。
ユダヤ人の祭司長たちは、「彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください」と抗議しましたが、ピラトは、「私の書いたことは、私が書いた」と、そこに自分の明確な意志を籠めている旨を明らかにしました(21,22節)。それは、当時の人々が期待した「ユダヤ人の王」の姿とは異なっていましたが、ピラトはイエスとの対話で、イエスご自身が「ユダヤ人の王」であることを否定はしなかったことを良くわかっていました。そして、これこそ、神のご計画の成就でした。
イエスは、まさに「ユダヤ人の王」として十字架につかれ、救いを実現されたのです。それは、ご自身が、「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます」(12:32)と言っておられた通りです。十字架で広げられた手は、すべての人をご自身のもとに招き寄せるというしるしでした。
ユダヤ人には本来、「契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる……わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」(出エジプト19:5,6)との使命が与えられ、終わりの日には、「彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう」(イザヤ66:19)と約束され、その証しを通して、全世界の民がヤハウェを礼拝すると預言されていました(同66:23)。
ところが彼らは使命に不従順でした。それでイエスは、ユダヤ人の代表者、王として地に来られました。憲法で「天皇は日本国の象徴」とあるように(是非は別として)、王は個人で民全体を表わす存在と見られます。イエスはイスラエル全体の罪の代表者として死なれたと共に、彼らの崇高な使命を全うする王として十字架を生き抜かれました。
主は、「ユダヤ人の王」として、すべての民を神のもとに導くという「祭司の王国」の働きをされたのです。ですから私たちもイエスを「ユダヤ人の王」と告白することで、神の民に加えられます。
2.すべての迫害され、軽蔑された人々の王となられた方
「さて、兵士たちは、イエスを十字架にかけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着(英語ではtunic,チュニカ、肌につく外衣)をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。そこで彼らは互いに言った。『それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。』」(23節)と、今度は、兵士たちの行動に焦点が当てられます。
マタイではこの部分は、「彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け」(27:35)としか記さず、ルカは何も描きませんが、ヨハネはこの部分を詳細に描いています。
兵士たちはローマ帝国の力の象徴ですが、その目は、イエスを無視して、任務の遂行と、分捕り物に向けられています。彼らは、生きておられる方を、既に死んだ者として扱い、その着物に注目しました。ユダヤ人の王は、虫けら同然に見られたのです。
しかし、そのことをヨハネは、「それは、『彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた』という聖書が成就するためであった」(24節)と語っています。これは詩篇22:18の引用で、そこでは、「彼らは私をながめ、ただ見ています。私の上着を互いに分け合い、この衣のためにくじを引きます」と記されていました。
そこには、神から見放されたような孤独感と、人々の嘲りの様子が生々しく描かれています。イエスは、まさに「王」として、神と人から見捨てられた者の痛みを味わっておられたのです。
なおこの詩篇の冒頭が、マタイとマルコによる福音書で引用されています。実は、イエスが十字架で、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたのは(マタイ27:46)、この詩篇のことばそのものでした。人はこのような時、神の救いを待つことができなくなり、目に見える力の解決に駆られがちです。ペテロも剣を抜いて戦いました。
その時、イエスは「剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか」(マタイ26:52,53)と言われました。イエスの王としての威厳は、利用可能な力を、敢えて用いず、神の時を待っておられるという点に見られます。この時、主は、神の救いを待ち続けるすべての民の代表者、「王」として苦しみを味わい尽くしつつ、生きておられたのです。
なお、詩篇22篇は22節以降、神の救いを喜び、分かち合うというテーマに変わりますが、イエスもここで、愛の交わりの形成に心を配ります。他の福音書では、ガリラヤからついてきた女たちが遠くから眺めていた様子ばかりが描かれ、そこにはイエスの母マリヤの名すら登場しません。しかし、彼女たちや他の弟子のひとりでもイエスの十字架のそばにいなかったなら、どうして他の福音書でもこれほど詳しい十字架の場面やイエスのことばが記録され得るでしょう。
この福音書は、その部分に焦点を当て、25節では、「イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた」と記されます。イエスの母の名がマリヤだと知らない人はいませんが、ここには他にもマリヤという名のふたりの女と、イエスの母の姉妹までが言及されます。
そればかりか、「そばに立っている愛する弟子」のことまでもが記されます。これは、この福音書を記したと思われるヨハネです。たぶん、ヨハネは「大祭司の知り合い」(18:15)で、しかも非常に若かったので、この場にいることができたのでしょう。
他の福音書では、弟子たちの臆病さによる逃亡に焦点が当てられていますが、この福音書ではイエスが彼らを守るためにその逃亡を可能にしたという面が強調されています。
とにかくイエスは十字架にかけられていてもこの場の支配者であるということが、間接的に、そこにイエスの母マリヤとヨハネという、人々から一目置かれている確かな目撃者の存在を示すことで明らかにされます。
そのような中で主はご自身の母マリヤの身を案じて、「愛する弟子」ヨハネに委ねるようにして、「女の方。見なさい。あなたの息子です」(26節私訳)と言われます。それは彼女に弟子たちの母となる使命を与えることであり、ヨハネにご自分と同じ立場を与えることでもあります。
イエスはさらに、その弟子に向かって、「見なさい。あなたの母です」(私訳)と言われます。そして、「その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った」と追加の説明がなされます。
このようにイエスは、マリヤとヨハネへのことばを通して、ご自身が血縁を超えた神の家族を造るために十字架にかかられたことを明確にしました。イエスは、この時、愛のことばによって、人と人とを分裂させるサタンの剣の力と戦っていたのです。
3.すべての死すべき者の王となられた方
「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、『わたしは渇く』と言われた」(28節)との不思議な表現があります。
「成就する」ということばは、先のイエスの衣の分配の際にも用いられましたが、何よりも17章4、5節に記されていたイエスの大祭司の祈りを思い起こさせます。そこでイエスは御父に向かって、「あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざをわたしは成し遂げて(成就して)、地上であなたの栄光を現しました。今は、父よ、みそばでわたしを栄光で輝かせてください」と祈っておられました。
イエスは、ご自身に与えられた使命を聖書から読み取られて、それを一つひとつ成し遂げられ、最後に、「すべてのことが完了した」ことを知ったというのです。
ただ、なぜそこで「わたしは渇く」が、最後に成就すべき聖書のことばになるのでしょう。この福音書の「最初のしるし」は、イエスの母が婚礼に招かれた裏方として働いている中で、「ぶどう酒がありません」と言われたことに対し、「水」を最上の「ぶどう酒」に変えることから始まりました(2:1-11)。
そして、愛に渇いたサマリヤの女との会話の中で、「わたしが与える水を飲む者はだれでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」(4:14)と約束されました。
また、仮庵の祭りの終わりの大いなる日に、イエスはエルサレム神殿の外庭に立って、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(7:37,38)と言われました。
イエスを信じる者は「渇くことがない」ばかりか、人の渇きを癒す者とされると約束されていたのです。ところがその当人が最後に、「わたしは渇く」と言われたのです。それは一見、「彼は他人を救ったが、自分は救えない」(マタイ27:42)と嘲られたとおりとも思えます。
しかしこれは預言者イザヤが、「まことに、彼は私たちの病を負い、わたしたちの痛みを担った」(53:4)と言われたことの成就でした。イエスはすべての人の「渇き」を引き受けられたのです。
この福音書では、イエスの母が「女の方」と冷たく呼ばれているようでも、「最初のしるし」は母との対話から生まれ、最後は母への気遣いで終わります。すべての人を愛し尽くすことと、実の母に適度な距離を保ちつつ、特別に気遣うということは矛盾しません。
それにしても、「わたしは渇く」ということばは、「彼らは……私が渇いたときには酢を飲ませました」という詩篇69:21の引用です。兵士たちが「酸いぶどう酒」を差し出したのは、イエスの渇きを癒すためではなく、激しくするための「あざけり」(ルカ23:36)でした。つまり、イエスは、人が味わいうる最も悲惨で孤独な死の苦しみを、その極みまで味わい尽くされたという意味で、「完了したのを知った」というのではないでしょうか。
そして、主が、「渇く」と言われたとき、詩篇69篇によるなら、まさに「愛に渇いて」おられたのです。そこには「そしりが私の心を打ち砕き、私は、ひどく病んでいます。私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。彼らは……私が渇いたときには酢を飲ませました」(20,21節)と記されていました。
イエスは、愛に渇いたすべての人の代表者、「王」として十字架の苦しみを忍ばれたのです。この福音書では、詩篇69篇は既に二度引用されています。イエスの最初の宮清めの際(2:17)、「あなたの家を思う熱心が……」と9節が、また主が人々から憎まれることでは(15:25)、「彼らは理由なしにわたしを憎んだ」と4節が引用されました。主はご自身で、この詩篇の苦しみを引き受けられました。
そのテーマも詩篇22篇と同じように、人々から憎まれ、嘲られ、孤独を味わい、神の沈黙に直面しつつ御名を呼び続け、苦しみから救い出され、それを人々に証しするというものでした。それこそ「神の民」としての使命を完成することでした。
その上でイエスは、「完了した」(30節)と言われましたが、これはご自分の死を「殺される」という受け身ではなく、「王としての働きを全うした」と宣言することでした。
「そして、頭をたれて、霊をお渡しになった」と死の瞬間が描かれます。普通は、死んで力が抜けて、頭が垂れるはずですが、イエスはまるで御父のふところに休むように頭を垂れて、ご自身の霊を御父にお渡しになられたのです。それは、主が以前、「わたしは自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります」(10:18)と言っておられた通りです。
それにしても、「完了した」とは、イスラエルの負債が、またアダム以来の全人類の負債の支払いが「完了した」という意味と理解できます。このことばは、当時の社会では、請求書の支払いが「完了した」ときにスタンプとして押されたものでした。
このことを前提に、使徒パウロは、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)と記しました。私たちはキリストのうちに入れられた者として、「新しい創造(new creation)」としての歩みを始めることができます。
しかも、イエスの死は、「霊をお渡しになった」こととして描かれていますが、この三日目に復活したイエスは弟子たちの真ん中に立って、「平安があなた方にあるように(シャローム・アレヘム)。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」と言われ、ご自身の息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい」と言われました(20:21,22)。
これはイエスがご自身の死に際して、御父にご自身の霊をお返しなられ、そして、復活の際に再び御父から霊を受けられ、それを弟子たちにお渡しになったということを意味するのだと思われます。私たちイエスの弟子たちは、キリストの大使としてこの地に遣わされるのです。
主のみこころとは、神の平和(シャローム)がこの地に広げられることです。そのために信仰者はまず世界の矛盾や悲しみを自分自身で体験する必要があります。
そう考えると、私が苦難を通して、「苦しみ甲斐のある人生」を求めるようになったというのも、「主のみこころ」の中にあったのかと思います。
当時のユダヤ人は、ローマ帝国の力に脅えつつ、それからの解放を望んでいました。しかし、イエスは、悲惨な十字架刑を忍びつつ、神と人とを愛し続け、剣の力を無力化しました。ここに真の自由が見られます。
黙示録には、教会が苦しみの極みを体験する中で、「ほふられた小羊」イエスを礼拝し続けることが勧められています。特に13章では、獣が支配するこの世の帝国が「聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許された」(7節)という大迫害が描かれますが、その圧倒的な力に、剣を取って対抗しようとすることが、「剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある」と、戒められています(10節)。
小羊は無力さの象徴ですが、そこにこそ、この世の力への決定的な勝利が見られます。初代、古代教会時代、多くの信者がローマ帝国の迫害で命を落しましたが、殉教者の血が流される度に、福音は広がり続けました。そして、やがてイエス・キリストご自身が帝国全体の「王」として崇められるようになりました。それは「小羊」の力が、剣の力に勝利したしるしでした。