2017年4月30日
クリスチャンとは、敬虔な生き方で尊敬される人でしょうか?また、聖書知識があってハバクク書などをすぐに開くことができる人でしょうか?しかし、パウロによると、「神の子としてくださる御霊を受け」て、イエスの父なる神を、「アバ、父」と呼ぶことができる人を指します (ローマ8:14、15)。
しかも聖書の神は、はるか天から地の愚かな人々を見おろしておられる方ではなく、神の国をこの地に実現しようと、忍耐をもって人の心に語りかけてくださる方です。神は、この世界を生起させた方であり、この世界を平和(シャローム)の完成へと力強く動かしておられる方です。
ただ、「神のかたち」に創造された人間は、自分を神として、それに逆らい続けています。しかし、神のみこころを知り、自分の意志をそれに合わせることができる人は、「ひとりだけで千人を追うことができる」と約束されています (ヨシュア23:10)。
日本に増えている「引きこもり」は、江戸時代の踏絵と鎖国文化の名残であるとも言われます。頑張って自分の道を開いたって、世の中は争いと不条理に満ちています。それなら、「今ここで、細々と生きながらえることだけ考えたって良いではないか……」と思うのは、賢い選択かもしれません。
しかし、私たちは、キリストの復活によって始まった「新しい創造」を既に体験し、この世界がシャロームの完成に向かっていることを信じています。「神の子」としての人生は、中途半端な妥協ではなく、神の国の完成を目の前に思い描く、冒険に満ちた歩みです。
1.イスラエルはカナン人を追い払わなかった……それゆえ神は……
士師記は本質的に、「ヨシュアの死後」(1:1) の記録のはずですが、1章11-15節の記事はヨシュア記15章15-19節に同じものが記されているように、1章1節は全体のタイトル的に理解すべきでしょう。ヨシュアの死は2章6-9節に詳しく描かれています。
2-7節にはユダ族がシメオン族と協力してベゼクを占領しその王を手足の親指を切り取ったことが描かれます。ベゼクとはエルサレムの西北西30㎞ぐらいにある町だと思われます。その後ヘブロン占領、またカレブの娘アクサを娶ったオテニエルによるデビル占領の様子が描かれます。この町はヘブロンの南西15㎞ぐらいにあります。
16、17節は一部不明の所がありますが、ユダの荒野の南の部分の占領を示します。18節でペリシテの三つの町を攻め取ったと記されていることは、驚くべき勝利です。それは、それは「主 (ヤハウェ) がユダとともにおられた」(1:19) からでした。
しかし、「谷の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払わなかった」(1:19) という結論が記されます。そして続けて、「ベニヤミン族はエルサレムの……エブス人を追い払わなかった」(1:21) と描かれます。
22-26節にはヨセフの一族によるベテル占領のことが描かれます。しかし、27節ではマナセが五つの村落を「占領しなかった」と記され、その上で、「イスラエルは強くなってから、カナン人を苦役に服させたが、彼らを追い払ってしまうことはなかった」(1:28) と描かれます。
その後、「エフライムは……カナン人を追い払わなかった」(1:29)、「ゼブルンは……」(1:30)、「アシェルは……」(1:32)、「ナフタリは……」(1:33) と記されます。ここでは七回にわたって、彼らによるカナンの支配の不徹底を示しています。そればかりか34節では、「エモリ人はダン族を山地の方に圧迫した」と、ユダに続く大きな部族の敗北が描かれています。
このイスラエルの占領の不徹底の問題を指摘するために、「主 (ヤハウェ) の使いがギルガルからボキムに上って来て」(2:1) イスラエルに語りかける様子が記されます。ボキムの場所は不明ですが、士師記の時代の幕屋は長い間ベテルにあったと思われ (20:18)、ボキムとはベテルの一部であるとも解釈されます。
とにかく主の御使いはイスラエルに向かって、主が彼らとの契約を守り通しておられるのに、彼らは主との契約を忘れ、この地の住民と契約を結び、偶像の祭壇を打ち壊さなかったことを指摘します (2:1、2)。
彼らは、「主は……あなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる……彼らを聖絶しなければならない……容赦してはならない」(申命記7:2、3) と聞いていたのに、カナンの住民と妥協してしまいました。確かに主の命令は理解し難く残酷に思えたかもしれませんが、このときこの地の罪は癌細胞のように広がり、外科手術が必要になっていたのです。それを除かなければこの地にエデンの園の祝福を復興することは期待できませんでした。
もちろん、私たちも適度さとか余裕を大切にしなければならない時がありますが、不徹底な処理のために後の時代にとてつもない大きな課題を残すことになるということもあります。それこそこのときのイスラエルの問題でした。
それで主はボキムにおいて、「わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らは……敵となり、彼らの神々は……わなとなる」と宣告されました (2:3)。彼らはカナンの原住民を追い払うことができなかったのではなく、追い払おうとしなかったのです。彼らが望みさえしたら、神ご自身が追い払ってくださったのです。
どんな名医も名カウンセラーも、癒されたいと願わない人を癒すことはできません。多くの人は、当座の問題が消えることを願っているだけで、世界の根本的な癒しを望んではいません。神は真に新しい世界を創造する計画をお持ちなのですが、人は責任を担うことを恐れます。
多くの人は、自分が行動しなくて済むあらゆる言い訳を見つけ出すことでは天才的です。「主はあなたの心の願いをかなえてくださる」(詩篇37:4) とありますが、あなたは自分の心の奥底の願いを知り、真の救いを求めているでしょうか?
彼らはそれを聞いて、「声を上げて泣いた」(2:4) と記されます。それでその場所は「ボキム(泣く所)」と呼ばれます。これは「嘆く」という意味の「バカー」から生まれた言葉です。主はあなたの世界を根本から変えたいと願っておられるのに、中途半端という「バカ」な妥協を積み上げ、泣いてはいないでしょうか。
2.彼らが主に叫び求めたとき、主はオテニエルを起こされ……エフデを起こされ……
そして主 (ヤハウェ) のしもべヨシュアが110歳で死に、同世代の者たちも死んだ後、「主 (ヤハウェ) を知らず、また、主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こった。それで、イスラエル人は主の目の前に悪を行い、バアルに仕え……主 (ヤハウェ) を怒らせた」(2:10-12) というのです。
これほど短期間に主を忘れ、主を捨てることができるとは、想像もできないことですが、これこそが彼らの現実でした。
それで「主 (ヤハウェ) の怒りが燃え上がり……主は彼らを略奪者の手に渡し……回りの敵の手に彼らを売り渡し」(2:14) ます。その結果、彼らは「非常に苦しんだ」(2:15) のですが、「そのとき、主 (ヤハウェ) はさばきつかさ(士師)を起こして、彼らを略奪するものの手から救われた」(2:16) というのです。
文語訳聖書では「士師」という漢字に「さばきづかさ」というふりがなをつけていました。英語では judge と訳されていますが、ヘブル語の中心的な意味は「治める者」「支配者(指導者)」という意味です。そして、主は「さばきつかさが生きている間は、敵の手から彼らを救われ」(2:18) ますが、それは、「彼らがうめいたので、主 (ヤハウェ) があわれまれたから」でした。
この書には、彼らが霊的な浮気をして主を怒らせ、彼らが苦しみ、そのうめきを聞いた主がさばきつかさを遣わして救うというパターンが見られます。「しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らは逆戻りし……いっそう堕落し……頑迷な生き方を捨てなかった」ため、この悪循環が続きます。
13-19節は士師記の要約です。ただ、後の記述では、「イスラエル人が主 (ヤハウェ) に叫び求めた時、主 (ヤハウェ) は彼らのために……を送られた」(3:9、15) と、彼らの信仰の叫びが記されていますが、ここにはそれがありません。事実、後のサムソンの場合などには、イスラエルの叫びが記されません。
それは士師が起こされる理由が、人の叫びに対する神の応答という以前に、神のあわれみに基づいているからです。
ただそれでも、神は、何よりも民との対話を望んでおられるので、民に「叫び求める」機会を敢えて残しておられます。それが、神は「イスラエルを試みるため」に、カナンの原住民を残しておかれたと説明されます (2:22、23)。
「試み」(テスト)とは、あくまでも訓練の一環で、そこに神のあわれみが見られます。それは、彼らは頑迷で、試練がなければ主を求めようとはしなかったからです。ところが、彼らは試みの中で主をすぐに求めようとはせずに、一時しのぎの妥協をはかり、カナンの人々と婚姻関係を結び、「彼らの神々に仕えた」というのです (3:6)。しかし、試練こそ、主との交わりを回復する機会なのです。
3章1-3節には、神がイスラエルを「試みる」ために残しておかれた国民が描かれます。その第一は、南西部を支配していたペリシテ人の五人の領主です。続くカナン人はイスラエルの中心地域に残った民、シドン人とは後の海洋国家を築くフェニキア人、ヒビ人とは、少し前にユーフラテス川上流地域からレバノン山地、ヘルモン山に至る地域を支配していた民だと思われます。
人間的には勝ち目のない強力な国民たちですが、戦いを知らないイスラエルの新しい世代に「戦いを教え、知らせるため」(2節) に敢えて残されたと記されます。これはチャレンジさえしたら勝利を体験できるはずの戦いだったというのです。
第一に登場する士師はユダ族のオテニエルですが (3:7-11)、彼の名は既にヨシュア記15:17また士師1:13にも出てきます。彼は約束の地に最南端にいましたから、戦った相手がユーフラテス川の北のアラム・ナハライムの王であるというのはよく分りません。
しかし、主が敵の手にイスラエルを売り渡し、八年の間苦しみ、彼らが「主 (ヤハウェ) に叫び求めたとき……主は……ひとりの救助者……を起こされ、主 (ヤハウェ) の霊が彼の上にあって」、主は敵を「彼の手に渡され」、彼の勢力が敵を押さえ、「この国は四十年の間、穏やかであった」というパターンはこの書の典型です。しかし、彼が死ぬと、彼らはまた主に背きます。
第二の士師はベニヤミン人の「左ききのエフデ」です (3:12-30)。このとき、「主はモアブの王エグロンを強くして、イスラエルに逆らわせ」(3:12) ます。主はロトの子孫の彼らを保護しておられ、彼らはモーセの時代はイスラエルを恐れ、死海の東南にひっそりとしていましたが、このときその勢力はヨルダン川の西側にまで広がりました。
それでイスラエル人は十八年の間、モアブの王に仕えます (3:14)。しかし、彼らが「主 (ヤハウェ) に叫び求めたとき、主は彼らのために、……左利きのエフデを起こされ」たと記されます (3:15)。
エフデはモアブの王にみつぎものを持参して近づき、その左利きを生かして「王の腹を刺し」(3:21) ます。彼は逃げ延び、エフライムの山地で角笛を吹き、イスラエル人を集めます。主がモアブ人を彼らの手に渡されたので (3:28)、彼らは一万人のモアブ人を打ち……「この国は八十年の間、穏やか」になります。
そして、主はその後に、第三の士師シャムガルを起こして、イスラエルをペリシテ人の手から救いますが (3:31)、彼の名は異邦人的とも言われます。5章6節のデボラの歌にも登場する北部の人です。
私たちも自業自得で苦しみを招くことがあります。しかし、その中で主に叫ぶなら、主はあわれみの御手を差し伸べてくださいます。
苦しまないと主を求めないというのは多くの人間の現実であるにしても、イスラエルのように、主の救いを忘れて、同じ過ちを繰り返すという悪循環だけはやめたいものです。
3.目覚めよ。デボラ。目覚めよ。バラク。
「その後、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行い」(4:1) ました。それで、主はハツォルの王「ヤビンの手に彼らを売り渡し」たと記されます。
ヨシュア記11章には、ガリラヤ湖の北15㎞余りにあるハツォルの王に召集されたイスラエル北部の都市国家の圧倒的な連合軍を打ち負かした様子が描かれていました。
そのときの敵の軍隊が、「その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった」(11:4) と描かれていました。イスラエルは戦車を持たないにも関わらず、「ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水のあたりで、彼らを急襲し……襲いかかった……主 (ヤハウェ) が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち、大シドンまで…さらに東の方では、ミツパの谷まで彼らを追い、ひとりも生き残る者がないまでにされた」(11:7、8) と、戦いの劇的な勝利の様子が、驚くほど簡潔に描かれていました。
しかし、この時、ハツォルの王が勢力を盛り返していました。彼は鉄の戦車九百両を持ち、「二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫し」ます。その中で「イスラエル人は主 (ヤハウェ) に叫び求め」ます (4:3)。
ただ同時に、「そのころ、ラビドテの妻で、女預言者デボラがイスラエルをさばいていた」(4:4) と記されます。「さばいていた」とは「さばきつかさ」の動詞形です。実は、士師記全体を通して、彼女こそが最高の士師であることが明らかです。
軍務につかない女性が最も信頼されたというのは驚きです。それは、後に主がパウロに、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」と言われたことを思い起こさせます (Ⅱコリント12:9)。
そしてデボラの働きの様子が、「彼女はエフライムの山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめやしの木の下にいつもすわっていたので、イスラエル人は彼女のところに上って来て、さばきを受けた」(4:5) と描かれます。
彼女は自分を5章7節で、国の危急の時に「イスラエルの母」として立ったと紹介します。イスラエルの人々は彼女に引き寄せられるように尋ねて来て、神のみこころを聞いたからです。
このときデボラは、「ナフタリのケデシュから……バラクを呼び寄せ」、「タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族から一万人を取れ」(4:6) と命じます。
その際、主は「ヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とを、あなたのところに、キション川におびき寄せ、あなたの手に渡す」(4:7) と約束されます。これは将軍シセラをタボル山におびき寄せた後、キション川まで追い落として打ち破るという作戦だと思われます。
それに対しバラクはデボラに、「あなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう」(4:8) と答えます。その臆病な応答に対し彼女は、「主 (ヤハウェ) はシセラをひとりの女の手に売り渡される」(4:9) と告げます。彼はデボラの励ましを受け一万人を率いて戦いますが、主はシセラの軍を「バラクの前に剣の刃でかき乱し」(4:15)、「残されたものはひとりもいなかった」(4:16) という圧倒的な勝利を与えます。
シセラは同盟関係にあったケニ人の天幕に逃げますが、それを迎えたヘベルの妻ヤエルは、彼が疲れて熟睡している間に、天幕の鉄のくいを、彼のこめかみに刺し通して殺します。それはデボラの預言の通りでした。
この経緯が5章で歌われます。「新しい神々が選ばれたとき」(5:8) とは、イスラエルが自分で新しい神々を選んだことを、また、「城門で戦いがあった。イスラエルの四万人のうちに、盾と槍が見られたであろうか」とは、彼らが戦う気力すらなかった状態を指します。
ところが、そのような中で「目覚めよ。目覚めよ。デボラ。目覚めよ。目覚めよ。歌声を上げよ。起きよ。バラク」(5:12)と歌われます。民全体が無気力状態に陥っている中で、神のみわざはリーダーを目覚めさせることから始まります。
このとき主は、霊的なリーダーの預言者としてひとりの夫の妻を、また軍事的なリーダーとしてのひとりの男を立てられました。そして、これに応じてイスラエルの各部族が動き出します。デボラがいたエフライムから勇士が降り、その後を南のベニヤミンが続きます。「指導者たちがマキルから降りてきた」(5:14) とはマナセを指し、バラクはゼブルンとナフタリを中心勢力として軍を構成し、イッサカルも突進し、ここに六部族の協力が見られます。
一方、ヨルダン川の東側のルベンとギルアデ(ガド)、また西側のダンとアシェルは動きませんでした。そして、敵の将軍を殺したヤエルは「女の中で最も祝福されている」(5:24) と呼ばれ、その方法以前に、異邦人でありながら主を恐れたことが称賛されます。
そして、この歌の結論は、「主 (ヤハウェ) よ。あなたの敵はみな滅び、主を愛する者は、力強く日が差し出るように」ですが (5:31)、問われているのは主の敵となるか、主を愛する者になるのかという選択です。主を愛する者には、すべてのことが働いて益とされるのです (ローマ8:28)。
主のみわざはリーダーを目覚めさせることから始まります。それは男女の枠を超えています。しかも主は、意外な人を用いてご自身の勝利を実現します。主は何よりもご自身を愛する者を求めています。
日本という国は、福音の根をも腐らせる沼地のような所と言われることがあります。江戸時代も第二次大戦のときもそのような現実が見られました。しかし、それは士師記に描かれたカナンの地も同じです。
ただ、主はそのような中にも、あわれみを注ぎ、ときに応じて士師を起こすことによって、人々を福音に立ち返らせました。それはこの日本にも適用できます。私たち一人ひとりが士師として召されています。
世界的なビジュアル・アーティストのマコト・フジムラ氏は、日本の文化を「踏絵文化」と名づけています。それは自分が属する村社会で生き残るために、自分の人生で最も大切にしているものを踏みつけ、自分を殺して生きる知恵から生まれた文化です。
それを私は否定的にばかり捉えていましたが、そのような泥沼の中にも、育ってきた美しい芸術が満ち満ちているというのです。それは、「神のかたち」に創造された人間の心の奥底から生まれる、攻撃力を隠した不思議な「いのち」の現れだというのです。
復活のイエスは、どのような逆境の中においても、人に生きる力を与えることができる方です。私たちは日本の文化の中で、自己主張を抑え、争いを避けながら、狭い空間にいのちを表現する知恵を培ってきましたが、それもキリストにある「新しい創造」の中で、新しい輝きを生み出すことができます。
聖書の神は、ダイナミックな力に満ちた方です。中途半端な妥協ではなく、一人ひとりの主体性を最大限に生かした真の平和(シャローム)を実現できる方です。日本文化は、父性よりも母性が大切にされますが、その点から、「イスラエルの母」として人々を惹きつけ、神の平和を回復したデボラに学ぶことができましょう。
「神は愛です」ということばをヘブル的に考えるなら、「神は愛する」と訳すこともできます。神は天から人間の苦しみを見下ろす代わりに、この地に降りて、共に苦しみ、弱い者に力を与え、歴史を動かしてくださいます。
神は、私たちのうちに聖霊として働き、ビジョンを生み出し、気力を生み出し、愛を生み出してくださる方です。それは、パウロが「私が弱いときにこそ、私は強い」(Ⅱコリント12:10) と言ったとおりです。