あるお子さんが、「イエス様は、神様なんですよね。でも、イエス様も神様に向かってお祈りしてますよね。だったら、神様はふたりなんですか?」と聞いて来ました。
私たちは、そこで聖霊様を持ち出して三位一体の話しに持って行く前に、イエスがどのような意味で神と呼ばれるのかということと、イエスと父なる神は、明確に区別できる方でありながら、愛において一つということを説明する必要がありましょう。
イエスは、神の「ひとり子」と呼ばれます。子が父に似るように、イエスは神としてのご性質を御父から受け継いでおられます。天地万物の創造主が、ご自身のことを、「わたしは、『わたしはある』という者である」(出エジプト3:14)と紹介されましたが、それをギリシャ語にすると「エゴー・エイミー」になります。
「初めに神とともにおられ」、「すべてのものを」を御父とともに「造られた」方が、今、人間の権力者から捕らえられ、もっとも悲惨な刑罰としての十字架刑を受けようとしています。この不思議が理解できるでしょうか?
イエスは私たちと同じひ弱な人間でありながら、同時にすべてを支配する「真の王」であられます。
1.「それはわたしです」(エゴー・エイミー)と三度言われた方。
18章初めで、「イエスはこれらのことを話し終えられると、弟子たちとともに、ケデロンの川筋の向こう側に出て行かれた。そこに園があって、イエスは弟子たちといっしょに、そこに入られた」と記されます。そこはマタイ福音書によると「ゲッセマネ」と呼ばれる場所です。
そこでイエスは、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目を覚ましていなさい」と弟子たちに語られ、その上で「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と、ひれ伏して祈られました(マタイ26:36-39)。それは初代教会の弟子たちは皆知っていることでしたから、その祈りは省かれたのだと思われます。
それ以上に、17章でイエスは、「目を天に向けて・・・父よ。時が来ました・・あなたの子の栄光を現してください」ということばから大祭司の祈りをささげられたという文脈からしたら、イエスの十字架の悲劇性ではなく、栄光の玉座としての面がそれによってさらに強調されると言えましょう。
2節の原文の語順では、「ユダは(その場を)知っていたのだが」ということばから始まり、「彼はイエスを裏切っていた」と、裏切りが現在形で記されます。
そして「ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られてきた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た」(3節)と記されます。「一隊の兵士」とは、最小限度でも200人だったと言われます。彼らは暴動が起きた時の備えであって、実際にイエスを捕らえるために遣わされたのは、ユダヤ人の神殿警察隊のような「役人たち」だったと思われます。それにしても、たった一人を捕らえるために何と大がかりなことでしょう。
そこで、「イエスは自分に起ころうとするすべてのことを知っておられた」ので、隠れる代わりに、ご自分から「出て来て」、「だれを捜すのか」と敢えて尋ねられました(4節)。それに対し、彼らが「ナザレ人イエスを」と答えると、「それはわたしです」と言われます(5節)。これは「エゴー・エイミー」と記され、「わたしはある」と直訳できます。
ヨハネはそれが単なるに日常会話の一部ではないことを示すために、ここで、エゴー・エイミーと三回繰り返しました(5,6,8節)。
なお、5節にユダの名が再び登場しますが、ここでも「裏切っている」という現在形で記されています。マタイでは、彼がイエスへの口づけをもって、暗闇の中でイエスが誰かを指定したことが描かれますが、ここではそのことが省かれ、イエスがご自分の方から数百人にも及ぶ者たちに迫って行った様子が強調されています。イエスこそがこの場の支配者でした。
イエスがそう語られたのを聞いたローマの兵隊たちは、何と「あとずさりし、そして地に倒れた」(6節)というのです。数百人もの人々が、「エゴー・エイミー」ということばに圧倒されて退却し、倒れるというのは何という不思議でしょう。それは詩篇27:1,2節にある通りでした。そこでは、
「主(ヤハウェ)は、私の光、また救い。だれを恐れることがあろう。
主(ヤハウェ)は私のいのちのとりで、だれにおびえることがあろう。
悪人どもが私の肉を食らおうと襲いかかるとき、
私の仇、私の敵、彼らこそがつまずき。倒れる」 と記されていました(私訳)。
そこでは、ヤハウェとの親密な交わりに生きる者の平安(シャローム)が描かれています。
イエスは、会計係であった弟子のユダに裏切られ、その者に先導された役人たちや兵隊たちに捉えられたとも言えますが、ここではイエスこそが「わたしはある」と言いながら、すべてのことを支配しておられる様子が描かれています。
ユダの先導が必要だったのは、群集の反応を恐れて秘密に捕えるためですが、ユダヤ人指導者たちはローマの兵隊の助けを必要とするほどにイエスを恐れていたのです。
イエスは再び「それはわたしだ」(エゴー・エイミー)と言われた後、「もし、わたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい」(8節)と、弟子たちに危害が及ばないようにと権威をもって命じます。それはご自身が17章12節で祈っておられたことを実現するためです。
9節ではそれが簡略化され、「それは、『あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりも失いませんでした』とイエスが言われたことばが実現するためであった」と引用されます。
イエスの「ことば」が状況を支配しているのです。
ところが、ペテロは、イエスのことばの意味をまったく理解することなく、剣を抜いて、大祭司のしもべに打ちかかります。ここでは「そのしもべの名はマルコスであった」とまで記されています。
ペテロが、彼の「右の耳を切り落とした」とあるのは、意識的に耳を狙ったというよりは、脳天を剣で割ろうとして外れたためだと思われます。
それに対し、イエスは、「剣をさやに収めなさい」と言われます。マタイでは、「剣をもとに収めなさい。剣を取るものはみな剣で滅びます」(マタイ26:52)とイエスが言われたと描かれています。
あるアメリカの俳優が、「弾を込めた銃を持っていると安心できる」と言ったとのことですが、そのような人は、過剰防衛で銃を使用する可能性があります。人生は不安に満ちていますが、力に頼るなら、力の奴隷になります。
ペテロは、イエスの「エゴー・エイミー」という神の御子としてのことばを聞いていながら、愚かにも、主を剣で守ろうとしました。しかも、そこには最低二百人のローマ帝国の兵隊がいたのです。
彼は、剣を持つことで、最も大切な真理を見失いました。肉の力に頼る者は、神を忘れるのです。
2.「父がわたしにくださった杯を、どうして飲まずにいられよう」
イエスは、ペテロに「剣をさやに収めなさい」と言われた直後に、「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう」(11節)と言われました。
イエスは、ゲッセマネの祈りでも、「わが父よ。どうしても飲まずにはすまされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください」(マタイ26:42)と祈っておられました。これは、本来、イスラエルが受けるべき神のさばきを意味しました。
イザヤは、神を忘れたエルサレムへのさばきを、「あなたは、主(ヤハウェ)の手から、憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した」と表現し、反対に「救い」を、「ご自分の民を弁護するあなたの神、主(ヤハウェ)は、こう仰せられる。『見よ。わたしはあなたの手から、よろめかす杯を取り上げた。あなたは憤りの大杯をもう二度と飲むことはない』」と表現しました(51:17,22)。
つまり、「杯を飲む」とは、神のさばきを受けることを意味したのです。私たちも、本来、神の憤りの杯を飲まなければならない罪人です。
しかし、イエスは私たちに代わってご自分から神の「憤りの杯」を飲み干されました。それが十字架でした。それで私たちは救われたのです。
2001年9月11日のテロ直後、米国のテロ撲滅作戦は「無限の正義」と一時的に名づけられましたが、それは神の導きによって、すぐ正されました。なぜなら、イエスに見られる神の正義とは、罪人をさばく代わりに、その罪を身代わりに負って、私たちを罪の束縛から解放することを意味しているからです。ですから、自分の正義を主張して戦ってはなりません。
国の戦争は正当防衛から、人と人との争いも自己弁護から始まります。私たちに与えられた永遠のいのちは、決して剣で奪われません。しかも、イエスがここで、ご自身が盾となって弟子たちを守られたのと同じように、神があなたを守ってくださいます。
なお、これを国際政治に直接結びつけることには注意深くあるべきでしょう。あなたは、死んでもすぐに天国に行けますが、家族や友、また未信者の方々が危険にさらされている時、無抵抗を続けるのは身勝手かもしれません。残念ながら、こちらの弱腰を見透かして、力で攻めてくる国があるからです。
たとえば、クリスチャンの自衛隊員がどのような気持ちで任務についているのかを思い計る必要もありましょう。イエスは、十字架で無抵抗の模範を示されたのではなく、自分の身を犠牲にしてサタンと戦い、死の力を砕かれたのです。
ヘブル語のシャロームは、心の平安、家庭の平和、国の平和すべてを指します。これらは切り離せない関係にあります。世界平和を訴えながら、伴侶や友を憎むのは自己矛盾です。真の平和は、あなたの心から、隣人との関係から始まります。
歴史を見る限り、人は、恐れに捕われる余り、平和を実現する手段として、戦争をして来たと言えます。真の敵は、人ではなく、恐れの感情を駆りたて、過剰防衛に走らせるサタンです。平和は心の平安から始まり、その基礎はイエスの十字架です。
ペテロは剣を抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、その右の耳を切り落としましたが、その剣が脳天を砕いていたら、また、もし、イエスがその耳を直さなかったとしたら(ルカ22:51)、ペテロの命はありませんでした。ローマの軍隊は自分たちに向かって剣を振り上げるものを容赦はしないからです。
ペテロは、かつてイエスに「あなたのためにはいのちも捨てます」(13:37)と豪語しました。確かにペテロは、蛮勇を発揮し、自分のいのちを捨ててイエスを守ろうとしました。しかし、実際は、いのちを救われたのはペテロのほうでした。
そして、イエスは、ご自分から身を差し出して捕えられ、縛られました(12節)。その間に弟子たちはみな逃げることができました。
その後、イエスは、その年の大祭司であるカヤパの前での裁判の前に、彼の舅であり実力者であったアンナスのところに連れて行かれました(13節、ヨハネ特有の記録)。
そして14節では、「カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である」と記されます。これは11章47-53節を振り返った表現です。
そこでは、イエスが「多くのしるしを行なっている」ことを「このまま放っておくなら」、ユダヤ人の独立運動を刺激して、ローマ帝国の介入を招くことになるので、「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが…得策だ」と、カヤパが人々を説得したことが記されていました。
そして、そこでは、「イエスが国民のために死のうとしておられること、また…散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを預言したのである」(11:51,52)と解説されていました。
つまり、イエスが不当な判決を受けることによって、まずご自身の弟子たちのいのちが守られるばかりか、当時のユダヤ国民ばかりか、すべての「散らされている神の子たち」の救いのためであったというのです。それこそイエスが飲もうとされた「杯」でした。
3.目に見えない神の法廷を見ているイエスと、神を忘れたペテロ
ユダヤ人たちは非公式な裁判でまず結論を出そうとしていました。一方、ペテロともうひとりの弟子(ヨハネ)は、隠れて、ついてきました。ヨハネは、大祭司の知り合いなので、すぐに中庭に入り、門の前に取り残されたペテロをも招き入れました。
その際、門番のはしためが、「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」と、念を押しました。ペテロは軽い気持ちで、「そんな者ではない」と答えたのだと思われます(17節)。
そこでは、しもべたちや役人たちが炭火を起こして暖まっていたので、ペテロは目立つのを避けるためにもその輪の中に加わりました。彼はそこで、身体を暖めながら、心はどんどん冷えて行きました。そして、心の底に押し込めていた恐れの気持ちにしだいに圧倒されたのではないでしょうか。
他の福音書はペテロの三回の否認を連続して描きますが、ヨハネは一度目と二度目の否認の間に、アンナスのところでの非公式な裁判を入れます。これで、イエスの勇気とペテロの臆病さが対比されます。
なお、ルカは二度目と三度目の否認の間にも一時間もの時間があったことを記録しています(22:59)。つまり、ペテロは、われを忘れたのではなく、自分が語ったことの意味を反芻する時間が十分にある中で、イエスの弟子であることを三度否認したのです。
イエスは、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません・・・人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います」(マタイ10:33)と言われました。ペテロは、かつて、「それは私の問題ではない!」と思ったでしょうが、それが今、深刻な自分の問題になっているのです。
大祭司(これがアンナスかカヤパかは不明)はイエスに、第一に「弟子たちのこと」について尋問します(19節)。しかし、主は弟子を守るため、巧みに注意をそらし、反対に大祭司たちの不当性をあぶりだします。
ユダヤの裁判は公平でした。有罪に宣告するためには、自白ではなく、複数の人々の一致した証言が必要でしたが、彼らは群集の反応を恐れてできませんでした。しかも、彼らは、闇裁判で結論を出そうと急いでいました。
20,21節で主が、「わたしは世に向かって公然と話しました・・・わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい」と言われた言葉は、彼らを反対に追い詰めました。なぜなら、そのように複数の証言を求めることこそ、当然あるべき裁判の形だったからです。
それで、ひとりの役人が暴力に訴え、イエスを平手打ちにします。主はその不当性をも指摘しました。主はかつて、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」(マタイ5:39)と言われましたが、それは、無抵抗の勧めではなく、侮辱を加える者に向かって自分を弁護する必要のないこと、不当な攻撃に対し不当な反撃で答えてはならないことを教えるものでした。
ここで、イエスは、ご自身を弁護しようとしたのではなく、ご自分をさばく者を、目に見えない神の法廷の前に引き出したのです。彼らはイエスの威厳に圧倒されて、何の結論を出すこともできないまま、公の裁判の場に臨まざるを得なくなりました(24節)。
イエスは、縛られながらも、父なる神のご支配のもとで、自由であられたのです。私たちの問題は、神の公正なさばきを忘れて、恐れに捕われ、自分で自分の身を守ろうと必死になることにあります。
この後、25節で、ペテロは二度目にイエスの弟子であることを否認します。これは、間を置いた後の、複数の人々への答えでしたから、一度目よりずっと深刻です。
三度目の問いかけは、右の耳を切り落とされた人の親類からの目撃証言で、「私が見なかったとでもいうのですか・・」(26節)という厳しいものでした。ヨハネは、「それでペテロはもう一度否定した」と簡潔に記述することで、この否認の強さを想像させます。
マタイは、ペテロが「のろいをかけて誓い始めた」(26:74)と記しますが、これは「私のことばが嘘なら、神にのろわれても構わない」と宣言することです。彼は、イエスばかりか、父なる神をも否認したのです。
ペテロはこの時になって、無節操に大祭司のしもべに切りかかったことを後悔していたことでしょう。ペテロの心の奥底には、救い難いほどの臆病さと不信仰が隠されていたのです。何という絶望でしょう!
そしてここでは、「するとすぐ鶏が鳴いた」と描かれるだけで、ペテロが泣き崩れた様子は省かれています。それは、イエスの「まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」(13:38)という預言に焦点を当てるためでした。
私たちは、ペテロが赦されたのは、真剣に悔い改めた結果であるかのように誤解しがちです。しかし、私たちは、自分の悔い改めとか信仰を見る前に、私たちの信仰を守ってくださるイエスの真実にこそ、常に目を向ける必要があります。
ペテロは情熱的な人でした。弟子の多くがイエスを離れた時にも、「主よ。私たちが誰のところに行きましょう。あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます」(6:68)と答え、イエスのために命を賭ける覚悟を持っていました。
しかし、イエスは、その裏に隠されたもろさを見抜いておられました。ヨハネは、ペテロが弟子となった経緯を「彼(アンデレ)はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。『あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ《岩》)と呼ぶことにします)』」(1:42)と簡潔に記しています。
ペテロは、後に、神は、私たちを、苦しみを通して、岩のように「不動の者としてくださいます」(Ⅰペテロ5:10)と断言しました。イエスは復活後、炭火の前で三度イエスを知らないといったペテロに対し、炭火を起こして朝食を与え、「あなたは、わたしを愛しますか」と三度尋ねます(21:9-17)。それは、彼を、名実ともにペテロ(岩)にし、弟子のリーダーとするためでした。
与えられた才能を感謝し、同時に、その裏に隠された心の闇の部分でイエスに出会うなら、人格が統合され、輝きが生まれます。イエスは、感情の起伏の激しい者を「岩」(ペテロ)と変えてくださいました。
ペテロに最初に語られたように、イエスは、今も「あなたは・・です」と生まれながらの価値を認め、その上で、「わたしはあなたを・・・と呼びます」と言って、新しい名と使命を与えてくださいます。
心の闇に絶望する必要はありません。そこは、主ご自身が、忍耐をもって、ご自身の愛を豊かに注いで造り直してくださる部分です。その時、致命的な弱さが、まわりの人に、神の愛の豊かさを証しする恵みとされます。