ヨシュア20章〜22章「神の平和をこの地に実現するために」

2017年3月26日

聖書で最も有名な言葉は、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬を向けなさい」(マタイ3:39)かもしれません。ときに、このみことばが悪用されてクリスチャンホームの子供がいじめに遭うなどと聞いたことがあります。

しかし、これは当時の文脈では、ローマ軍に向かっての独立戦争を回避するための教えでした。現代的には、敵対する勢力がこちらを挑発して、戦いを引き起こそうと狙っているときに、その挑発に乗らないための教えです。逆に、こちらが明確に言い返さないことで、相手が図に乗っていじめを加速させるようなときには、断固として抗議することも必要です。

イエスは大祭司のしもべから平手打ちに合った時、「なぜ、わたしを打つのか」と抗議しました(ヨハネ18:22,23)。またパリサイ人たちの偽善を厳しく断罪し、宮清めの際には、両替人の台をひっくり返しました。

私たちにも、人を人とも思わない横暴な人に断固として立ち向かい、その悪を指摘すべき時があるのです。日本人は、しばしば、建設的な対決(Confrontation)が不得手で、徹底的に相手をやり込めるか、言うべきことを飲み込んでしまうかのどちらかになりがちです。

また同時に、感情的な衝突が生まれた際、「ほとぼり(熱)が冷めるのを待つ」のも大切な知恵です。待つべきときと、対決すべきときを見極める知恵を、私たちは神に求めるべきでしょう。

1.のがれの町に与えられた責任

20章には「のがれの町」(2節)を設定することが記され、改めて3節では、「あやまって、知らずに人を殺した殺人者が・・・血の復讐をする者(原文「血を贖う者」)から逃れる場所」と定義されます。

原文で、「血を贖う者」と記されるように、その目的は、殺人の血で汚された「土地を贖う」ことで、それは殺人者自身のいのちの血を流すことによるしかないからです(民35:33)。また同時に、「除き去る」のは、「罪」である前に「血」であると記されます。主の相続地をきよく保つことが主題なのです。

しかも、「血を贖う」ことができたのは殺された者の近親者でした。しかし、殺意が全くないのに、「木を切るために斧を振り上げ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ」(申命記19:5)などという場合、被害者家族が恨みを抱くのは当然としても、この過失加害者の血が流されないように保護する必要もあります。

これは最も古くは出エジプト21章12,13節の記述から生まれています。そこでは、「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼の逃れる場所を指定しよう」と記されていました。

明確な過失であれ、律法には、殺人の罪を贖う方法はありません。それで、明らかな殺意がなかった場合の規定が必要になったのです。このことは民数記35章9-34節では「土地を贖う」という観点から記され、申命記19章1-10節では「罪のない者の血(原文:咎のない血)が流されることなく」という心の動機が問われていました。

なお、ヨルダン川の東には既にモーセの時に三つの町が取り分けられていました。それは「ルベンに属する高地の荒野にあるベツェル、ガド人に属するギルアデのラモテ、マナセ人に属するバシャンのゴランである」(申命記4:43)と記されていました(ヨシュア20:8で再述)。

そして、申命記19章2,3節では、ヨルダン川の西側の「地域を三つに区分し」、「三つの町を取り分ける」ことが命じられ、8,9節では、主の道に従って、領土を広げることができたなら、「さらに三つの町を追加」するようにと命じられています。

出エジプト記、民数記、申命記と時代を追って記されてきたことが、ヨシュア記20章4節では、「人が、これらの町のひとつに逃げ込む場合、その者は、その町の入口に立ち、その町の長老たちに聞こえるように、そのわけを述べなさい。彼らは自分たちの町に彼を受け入れ、彼に一つの場所を与え、彼は、彼らとともに住む」(20:4)という具体的な手続きが命じられます。

同時に、「たとい、血の復讐をする者がその者を追って来ても、殺人者をその手に渡してはいけない」(20:5)と、受け入れる町の保護責任が命じられます。亡命者の受け入れを国の責任とする思想はここに由来すると思われます。

最近は難民の受け入れが世界的に話題になっていますが、2013年の統計では米国が2万人余り、ドイツが1万人余りに対し、日本はたった11人でした。この数字は2015年にはドイツが44.2万人で断トツ一位に、米国が2位で17,3万人、3位はスウェーデンの15.6万人となっています。日本は2015年が27人、2016年が28人だったようです。

ドイツのメルケル首相は、かつてヒトラーによるユダヤ人排斥に対し命がけで戦った神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーを心から尊敬し、難民受け入れに積極的です。ただ、それは政治的には危険な賭けです。一方、トランプ政権の米国はこれを急激に減らそうとしています。しかし、日本の首相が難民問題について米国に何かの意見を言える立場にないことは明らかです。

なお、「会衆の前に立ってさばきを受けるまで」(20:6)とは、加害者が無罪と宣告されて自分の町に住むことを可能にすることではなく、「逃げ込んだそののがれの町に返してやる」(民数記35:25)ための手続きであり、彼は、「大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない」のでした(民数記35:28)。これは、加害者が被害者家族の怒り狂っている町に住むことは危険ですから、当事者たちの間に距離と時間を置くという現実的な知恵とも解釈できます。

肉親の不条理な死を、加害者に何の責めも負わずに受け入れることは、心を麻痺させない限り不可能なことでしょう。しかし、そんな被害者の心情を満足させるために、悪意のなかった加害者を、結果だけを見て厳しく裁くのも不条理です。神は、その両者を同じようにあわれみ、「のがれの町」を与えてくださったのです。

そして、予期できない大祭司の死のみが、予期できなかった悲劇を解決する力を持ちました。同じように、今、私たちの大祭司イエスの死は、すべての罪を贖うばかりか、加害者と被害者を和解させることができます。しかし、それにしても、その具体的な和解が可能になるまで、過失による加害者を保護する共同体の存在が必要なことは今も昔も変わりありません。

このような町は先に述べた東の三つに加え、ヨルダン川の西側の地にも新たに三つ設定されました(20:7)。それはガリラヤのケデシュ、エフライムのシェケム、ユダのヘブロンです。それらは豊かで大きな町であり、その富と力を生かして、自分たちとは無関係に起きた事件の処理に積極的に関わる責任を担わされたのです。

彼らは、自分たちの安全だけを守っていればよいわけではありませんでした。力がある分、イスラエルの支配地全体の正義を守るための負担を担う責任も課せられたのです。ただ、彼らは申命記19章9節にあったような「さらに三つの町を追加する」ことまでは進めませんでした。

私たちもこの世界の中で生きる中で、様々な人間関係の軋轢に直面し、人の恨みを買うことさえあるかも知れません。その際、キリストご自身が私たちの「のがれの町」です。主は、起きてしまった現実以前に、心の動機をやさしく見て、私たちを守ってくださいます。

そして、キリストの教会は、そのような人に居場所を提供する責任があるのではないでしょうか。それは、時に自分たちの平和を脅かすことかも知れませんが、神からの使命を回避して、祝福を受けることはできません

また、多くのキリスト者が、人間関係で傷つきながら教会を去って行きます。しかし、それがキリストご自身との交わりの失う契機にならないように、私たちはキリスト教会全体として、一人ひとりの居場所を守るという視点を持つべきでしょう。

最近、他の教会に属する方が、当教会の礼拝に集う中で、また当教会員との交わりの中で信仰が活性化され、母教会に使命感を持って帰ることができたという例が続きました。それは感謝なことです。

2.レビ族への放牧地の割り当てとイスラエルの平和

21章はレビ族への住まいと家畜の放牧地の割り当てのことで、これは民数記35章1-8節で既に命じられていたことでした。レビ族は、「主ご自身が、彼らの相続地であり・・・主の御名によって奉仕に立つために・・・全部族の中から・・選ばれた」者たちでした(申命記18:2,5)。

彼らの生活費は、「イスラエルのうちの十分の一をみな、相続財産として与える」(民数記18:21)ことによって満たされました。つまり、民全体が収入の十分の一を忠実に主に献げることで、レビ族が主への奉仕に専念することが可能になり、それによってイスラエル全体の主との交わりが正しく保たれるはずでした。

たとえば、ダビデ時代には奉仕可能な38,000人のレビ人が登録されていましたが、その4,000人もが、楽器を手にして主を賛美することに専念することができました(Ⅰ歴代誌23:5)。これがうまく機能していたとき、イスラエルの国全体がまとまり、繁栄を享受できたのです。反対に、人間的な計算が優先されるようになると国が弱って行きました。

なお、レビ族はそれぞれ家族を持ち、家畜を所有していましたから、その放牧地が必要になります。その割り当ての様子がこの21章に詳しく記されています。彼らは氏族ごとに、イスラエルの十二部族それぞれの相続地の中に点在するように放牧地が割り当てられました。

それは48箇所に及びましたが、それぞれは880m四方という狭いもので、しかも、六つの町は「のがれの町」と重なっています。そして、彼らは置かれた地で、イスラエルの民が主との交わりを正しく築けるように導く責任がありました。

分配のための「くじ」はレビの三人の息子ゲルション、ケハテ、メラリ氏族ごとに行われました。祭司アロンの家系はケハテ族です(出エジプト6:16-20)。祭司アロンの子孫にはユダ、シメオン、ベニヤミンの相続地の中から13の町が割り当てられました(4、8-19節)。

そして、残りのケハテ族にはエフライム、ダン、マナセの西側の相続地の中から10の町が割り当てられました(5、20-26節)。少なくともダンとマナセの地域は支配が確立していませんでした。

ゲルション族にはイッサカル、アシェル、ナフタリ、マナセの東側の相続地から13の町が割り当てられました(6,27-33節)。この中でもイッサカルとアシェルは支配が確立していない町々でした。

メラリ族にはヨルダン川の東のルベン、ガドの相続地からとガリラヤ湖の西南にあるゼブルンの相続地から12の町が割り当てられました(7,34-40節)。この場合もゼブルンの相続地は支配が確立していません。

これらを見ると祭司に割り当てられた地は比較的安定していたと思われますが、他の氏族に割り当てられた地は滅ぼすべき原住民との係争地がほとんどでした。

つまり、レビ族の多くの割り当て地はカナンの偶像礼拝との対決が迫られている地だったのです。そしてレビ族の放牧地を占領し、軍事的に守るのは他の部族の責任でした。

一方、レビ族はイスラエルの信仰生活を守って導く責任がありました。この関係は現代の教職制度と信徒の関係につながります。

このようにレビ人への放牧地の分配が決まった後で、「主(ヤハウェ)は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかるものはいなかった」(21:44)と記されます。

しかし、それは、イスラエルの民全体がヨシュアのもとで一致していたときに限ってのことでした。そして、彼らの平安の象徴は、生産活動に携わらないレビ人にも十分な放牧地を提供できているという現実にありました。

どの国でもどの共同体でも、内側から滅び始めると言われます。実際、どんな小さな国や共同体でも、その中に一致があるなら、独立を守り、繁栄を享受できます。イスラエルは歴史の中で繰り返し大きな苦難を体験していますが、それは常に、内側の腐敗と分裂から起こっています。

しかし、たとえば、エルサレムが主を恐れるヒゼキア王を中心に民がまとまっていたとき、圧倒的なアッシリヤ軍によって包囲されながらも、城壁が破られることはありませんでした。

エルサレム初代教会も、ギリシャ語を使う信者がヘブル語を使う者たちに食料の配給で苦情を訴えた時、彼らは、分配の働きを、執事を選んで任せるとともに、十二使徒たちは「もっぱら祈りとみことばの奉仕に励む」という体制を作りました(使徒6:1-4)。

現代の教会も、主への賛美に多くの力が注がれ、牧師が「祈りとみことばの奉仕」に専念できるような体制が守られるなら、どんなに小さな群れでも、大きな力を持つことができます。しかし、一人ひとりが有能で敬虔でも、そこに共同体としての一致がないなら小さな働きしかできません。

また教会から世に遣わされる一人ひとりのキリスト者も、当時のレビ人のようにそれぞれ置かれている場で「地の塩、世の光」として生きるように召されているのではないでしょうか。

3.唯一の礼拝の場という原則を巡って

土地の割り当てのことは13章から21章までで完了します。そして、22章にはヨルダン川の東西に分かれた部族の一致がテーマになっています。ルベン、ガド、マナセの半部族は、ヨルダン川の東側に相続地を与えられましたが、その際、彼らは他の十部族のために率先して戦うことが命じられていました(民数記32:16-27)。

そして、今、彼らはその責任を果たし終え、家族の待つ地に帰ることが許されます。その際、ヨシュアは彼らに念を押すように、「あなたがたの神、主(ヤハウエ)を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主にすがり、心を尽くし、精神を尽くして、主に仕えなさい」と命じます(22:5)。

ところが彼らが「カナンの地にあるヨルダン川のほとりの地に来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは大きくて、遠くから見える祭壇であった」と記されます(22:10)。それは、「イスラエル人に属する側」(22:11)、つまり、ヨルダン川西側の「ほとり」に築かれました。

それを聞いたイスラエルの残りの民は、契約の箱が置いてある「シロに集まり、彼らといくさをするために上って行こうとし」ます(22:12)。それは、約束の地に広がり住んだ後にも、唯一の礼拝の場を守ることが命じられていたからであり(申命記12:5,6)、これを看過することは神の民の存在基盤を揺るがすことだったからです。

ただし、戦う前に、イスラエルの十部族は祭司ピネハスを先頭に、十人の族長を派遣して事実を確認します(22:13,14)。ピネハスは民数記25章1-9節に記されていたバアル・ペオルの事件でモアブの娘たちに誘惑されて偶像礼拝に加担したイスラエル人を串刺しにして、神のねたみを自分のねたみとしたと称賛された祭司です。22章17節でもその際の神罰のことが言及されますが、そこでは24,000人が命を落としました。

ピネハスたちはそれを思い起こさせながら、「私たちの神、主(ヤハウェ)の祭壇のほかに、自分たちの祭壇を築いて、主(ヤハウェ)に反逆してはならない」(22:19)と言います。

そればかりかアカンが聖絶のものを盗んだ事件までも引き合いに、「イスラエルの全会衆の上に御怒りが下った」(22:20)と迫ります。

申命記12章に明確に命じられていたように、約束の地における礼拝の場は、神の幕屋がある唯一の場所だけで、どんなに遠くに住んでいる部族も、そこにまで旅をして、いけにえをささげる必要がありました。そして礼拝の場が一つであることによって、イスラエルの民全体の一致が守られるはずでした。

それに対し東の三部族は、「神々の神、ヤハウェ、神々の神ヤハウェ、この方はご存知です」と、ヤハウェの御名を最上級で呼びつつ、この祭壇は主へのいけにえをささげる場ではないことを弁明します(22:23)。

そして、その動機を、彼らがヨルダン川の東側に渡るに当たって、「後になって」自分たちの子らが、西側のイスラエルの子らから、「あなたがたと、イスラエルの神、主(ヤハウェ)と何の関係があるのか。主(ヤハウェ)はヨルダン川を、私たちとあなたがた、ルベン族とガド族との間の境界とされた。あなたがたは主(ヤハウェ)の中に分け前を持っていない」(22:24,25)と言われることを恐れたからであると述べます。

彼らは自分たちの家族を東側において危険にさらし、自分たちも命をかけてイスラエル全体のために戦いましたが、それにも関わらず、自分たちの子供の世代になると、イスラエルの民から異邦人のように扱われてしまうことを恐れたのです。何とも痛々しい姿です。これは、結束して戦っていたはずの民族の一致がいかに壊れ易いかを示すものでもありました。

それで、彼らは、全焼のいけにえをイスラエルの中央聖所でのみささげることを覚える「主(ヤハウエ)の祭壇の型(模型)」を建設したというのです。しかもそれをヨルダン川の西側のほとりに建てることによって、西側のはるか向こうに本物がイスラエルのただ中にあるということをルベンやガド族が覚えることができるための記念碑的なものだというのです。

祭司ピネハスと族長たちはその説明を聞いて、「それに満足した」、また、イスラエル人もその報告を聞いて「これに満足した」と重ねて記されます(22:30,33)。

その結果がさらに、「それでルベン族とガド族は、その祭壇を『まことにこれは、私たちの間で、主(ヤハウェ)が神であるという証拠だ』と呼んだ」と記されます(22:34)。

皮肉にも、一致を望んだ祭壇が、分裂の契機になりかけたのですが、彼らは真正面から向き合い、心の内の恐れを聞き、主への愛の動機を聞くことで初めて互いの一致を確認できたのです。

これは推測ですが、ルベン族やガド族は、このような祭壇を建てることが、イスラエルの他の部族の怒りを買うことを知った上で、このような行動を取ったとも言えそうに思います。そうでなければイスラエルは川向こうの民の痛みを不安を永遠に知らないままだったかもしれません。

私たちもときに、人の怒りを買ってでも、自分たちの不安や恐れを表現し、互いの一致を確認する必要があるかもしれません。言うべきことを言えないまま、疑心暗鬼が募り、互いの溝が深くなるということこそサタンの思うつぼです。

今は、キリストが贖いのみわざを完成し、いけにえを不要にされたので、いつでもどこでも、ともに主を礼拝することができ、教会が全世界に広がりました。

そして、私たちは組織的には分かれていても、同じ聖書を土台にすることによって霊的な一致を保ち、サタンとこの世の力に打ち勝つことができます。

しかし、聖書の権威とか救いの根本に関わることで異論が生じたときには、うやむやにしてはなりません。「戦うのに時があり、和睦するのに時がある」(伝道者3:8)とあるように、戦いを恐れずに直面すべき時があるのです。

本音を曖昧にした見せかけの一致は、かえって決定的な分裂の種になります。

どんな共同体も、崩れるのは、外からの迫害ではなく、内側の分裂から始まります。その際、当時のイスラエルが契約の箱を前にした礼拝で一致していたように、その存立の根本に関わる原則での安易な妥協は許されません。

しかし同時に、不完全な者同士があつまる場で対立関係が生まれたとき、地上の教会が互いに「のがれの町」として機能することも必要でしょう。感情を無視した和解を作り出すよりも、距離を保ち、時間をかけて、主のみわざを待つ機会を作るのです。

ただ、それらすべてを通して、神は私たちを用いて、ご自身の平和をこの地に実現しようとしておられることを心に刻みたいと思います。その平和とは、見せかけの平和ではなく、互いの気持ちを真に受け止めあったうえでの真の平和です。