2016年7月24日
旧約聖書にある民族絶滅の命令とも思われる記述は多くの人々にとっての最大のつまずきです。しかし、それは、約束の地に「神の国」を建てるための一時的なプロセスだということを決して忘れてはなりません。
同時に、現代の日本人にとっての常識と思われる基本的人権の尊重や広い意味での平和主義は、戦後の日本国憲法に基づいた価値観によって形成されてきたとも言えましょう。そこには、明らかに聖書の教えが反映されています。事実、戦前にあった中国人や朝鮮人に対する差別、男尊女卑の考え方、軍国主義による大東亜共栄圏の実現などを思い起すとき、私たちは決して、世界に広がっている報復戦争を野蛮人の論理として軽蔑することはできません。
多くの日本人の価値観が変えられたのは、間接的にせよ、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)というイエスの教えの影響を受けることができたおかげとも言えましょう。そして、それは基本的に旧約聖書の物語の延長にあるものなのです。
それにしても私たちはこの地で、「天国の前味」を見て励まされますが、同時に、「地獄の前味」にも目を開いて、主を恐れ、罪を避けることを学ぶべきでしょう。神のさばきは既に存在する事実であるからです。
ただその際、同時に、神の御子ご自身が、「私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました」(ガラテヤ3:13)という神のみわざの神秘をも覚えるべきでしょう。
1.「ミデヤン人に主(ヤハウェ)の復讐をするため」
25章初めでは、イスラエルの民は約束の地を前にして、「モアブの娘たちとみだらなことをし始めた。娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった」と記されていました。
これは彼らが約四十年ぶりに異教徒の国々に勝利してヨルダン川東側の広大な地域を支配し、また、モアブの王バラクが有名な占い師べオルの子バラムを雇ってイスラエルをのろわせようとして失敗した直後のことでした。まさにイスラエルの民が神の圧倒的なあわれみのもとで、すべてが順調に行っていると思えた中での、まさかの背信行為でした。
それに対して厳しい神罰がくだり、祭司ピネハスが神の怒りを鎮めるまで、二万四千人が死んだと記されました(25:9)。その背後にミデアン人の計略がありましたから、主はモーセに、「ミデヤン人を襲い、彼らを打て。彼らは巧妙にたくらんだたくらみで、あなたがたを襲ってペオルの事件を・・引き起こしたからだ」(25:17、18)と予め命じておられました。
そして31章初めでは、主はモーセに、「ミデヤン人にイスラエル人の仇を報いよ。その後あなたは、あなたの民に加えられる」と言われます。主はミデヤン人の巧妙な企みに激しく怒っておられ、これをモ-セにとっての地上の最後の戦いとして、「主(ヤハウェ)の復讐」(31:3)をすることが命じられます。
確かに、神は、「復讐してはならない・・あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ19:18)と告げられますが、同時に、主の主権で、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」(申命記32:35、ローマ12:19)とも語っておられます。ですから、この記事は、決してこの世的な報復戦争ではなく、主が召された聖なる戦いです。
では、現代の宗教的な熱狂主義者の言う「聖戦」と、ここでの「主の復讐」とどこが違うのでしょう。
今も昔もこの地では、戦う者が自分の正義を訴え、相手が裁きを受けるにふさわしいと断言します。しかし、ここでは、イスラエルの正義は一言も述べられないばかりか、何よりもまず、彼ら自身が厳しい裁きを受けていました。つまり、彼らは、神の前に徹底的に謙遜にされ、さばきの道具として用いられているに過ぎないのです。
私たちの場合も、「さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう」(Ⅰペテロ3:17,18)と言われます。つまり、主は、すべてに先立って私たちのうちにある偽善をあばき、罪に対するご自身の怒りを見せ、私たちには自分の正義を主張する資格がないことを明らかにされるのです。
しかし、現代、人々を戦いへと招集する指導者たちは、自国の正義を訴えるとともに、敵への憎しみを駆り立てて戦意を高揚させます。それは選挙運動でも同じです。しかし、それでは、子供の喧嘩とどこが違うのでしょう。
2.「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか」
なお、これが「主の戦い」であることを示すために、各イスラエルの部族ごとに一律に千人だけが召集され、祭司ピネハスのラッパの号令によって戦いました。
その結果が極めて簡潔に、「彼らは主が(ヤハウェ)がモーセに命じられたとおりに、ミデヤン人と戦って、その男子をすべて殺した」(31:7)と描かれます。それは敵の戦士たちを皆殺しにするものでした。さらに、彼らは計略の首謀者のミデヤンの王たちを打ち、またその背後にいたあの占い師バラムをも殺したと描かれます(31:8)。
なお、今から三千数百年前の戦いでは、女と子供を奴隷にし、家畜や財産をことごとく奪い去り、町々を火で焼き、略奪したものを携えて凱旋するというのは言わば常識でしたから(31:9-12)、現代的な感覚でその残酷さを責めてはなりません。
現代の私たちがこれを残酷と言えるようになったのは、イエス・キリストの福音が世界の常識を変えたおかげです。たとえば、イスラム教のコーランには、「神の道のために、おまえたちに敵する者と戦え。しかし、度を越して挑んではならない。神は度を超す者を愛したまわない。おまえたちの出会ったところで彼らを殺せ・・・もし彼らが戦いをしかけるならば、彼らを殺せ。不信者の報いはこうなるのだ」(2:190,191)と記されています。
しかもそこには、神ご自身が、「わたしの道のために痛手をこうむり、戦って殺された人々、このような人々がどんな悪事を働いたとしても、これを赦免し、下を河川が流れる楽園に入れてやる」と、「神の道のために殺される者」の祝福が約束されています(3:169,195)。
残念ながら、旧約聖書とイスラム教のコーランしか知らない人は、今も、神のための聖戦を肯定し、そのために死ぬことを祝福と考える解釈が可能になるように思えます。
しかし、私たちの主イエスは、「自分の敵を愛しなさい」(マタイ5:44)と言われたばかりか、神の敵となって自分を殺す人々のために、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分で分からないのです」(ルカ23:34)と祈ってくださいました。イエスの教えこそ平和の鍵なのです。
ところで、モーセは、戦いから帰って来た指揮官たちをねぎらう代わりに、「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか。ああこの女たちは、バラムのことばに従って、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、主(ヤハウェ)に対する不実を行なわせた」(31:15、16下線部私訳)と、裁きの不徹底さを責めました。彼女たちこそはイスラエル人を誘惑し、偶像を拝ませた実行者だからです。
なお、ここで初めて、彼女たちを裏から操ったのがバラムであると明らかにされます。
そして続けて、何と、「子どものうち男の子をみな殺せ。男と寝て、男を知っている女をもみな殺せ」(31:17)と命じられます。それはミデヤン人の血筋自体を断ち滅ぼそうとされる神のご意志の現れです。神は、それほどまでに、イスラエルの民を偶像礼拝へと誘惑した彼らの責任を問うておられます。
イエスご自身も、「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者は災いだ…そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれた方がましです」(ルカ17:1,2)と、人を意図的につまずかせる者への厳しいさばきを語っておられます。
日本人は個人の責任を曖昧にする文化があります。原発事故の責任も不明なままです。靖国神社では、戦争の責任者までも「愛国の犠牲者?」として祭り上げられています。確かに、第二次大戦後のアメリカを中心とした連合国による一方的な裁判には異論があったとしても、責任は問われるべきでしょう。
ここでは、命令に従っただけかもしれない女たちの責任をも厳しく問われていることを忘れてはなりません。
しかも、その上で、主の命令で戦い、人を殺さざるを得なかった軍人たちの功績をたたえる代わりに、「死体によって身を汚した」(5:1)ことによる「(罪の)身をきよめる」(31:19)ため、七日間も宿営の外に留めます。
彼らは神のみこころに従ってミデヤン人を殺したのですから、それは決して道徳的な意味での「罪」とは異なります。ただ、死体に触れた汚れをきよめなければ、神の民の宿営に入ることができないからです。
しかも、分捕り物の分配も自由にはさせません。古来、分捕り物に与かるのは、戦闘に参加した戦士にとっての最高特権でしたが、彼らはその半分しか受け取れず、残りの半分は一般会衆に分配されました。
主は、この戦いを徹底的なご自身の管理下に置いています。主は、ミデヤン人を残酷に扱っているようでありながら、人間的な憎しみをあおってはいません。そして、これこそ、これからカナンの地で続くイスラエルとカナン人との戦いの模範になるのです。
そして何よりも、これが人と人との戦いではなく、徹底的に「主の戦い」であったしるしとして、イスラエルの戦士のひとりも死ななかったと報告されます(31:49)。
私たちも「暗やみの世界の支配者たち」(エペソ6:12)との戦いに召されています。しかし、神は私たちを守り通すことができます。そこには苦しみや危険がありますが、「かろうじて」であれ「救われる」のですから。
3.「主(ヤハウェ)の前でヨルダン川を渡り・・・主(ヤハウェ)の前に戦います」
32章では、ルベン族とガド族がヨルダン川の東側を予め分割して欲しいと願い出ます。そこは標高700mから800mぐらいの高地が続く、牧畜には好条件の地でした。
ところが、そこは、本来の約束の地の外なのです。彼らは非常に多くの家畜を持っていたため、放牧地としての価値をそこに見出したのですが、それは目先の利益に動かされたものです。
その際、彼らは、「私たちにヨルダン川を渡らせないでください」(32:5)と言いましたが、それはモーセを激しく怒らせました。それはこの二つの部族が、十二部族の一致を壊し、「イスラエル人の意気をくじいて、主(ヤハウェ)が彼らに与えた地へ渡らせないようにする」ことであると非難しました(32:7)。それは、約40年前のカデシュ・バルネアから遣わされて約束の地を探索した彼らの父たちが、「イスラエル人の意気をくじいた」ことと同じだというのです(32:9)。その結果、「主の怒りはイスラエル人に燃え上がった・・・その世代の者がみな死に絶えてしまうまで彼らを四十年の間、荒野をさ迷わされ」ることになりました(32:13)。
それと同じように、「あなたがたが、もしそむいて主に従わなければ、主はまたこの民を見捨てられる。そして・・この民すべてに滅びをもたらすことになる」(32:15)と厳しく非難します。約束の地の占領において、主の民のまとまりは何よりも大切な要素だったからです。
それに対し、彼らはモーセのことばを理解し、「私たちはここに家畜のために羊の囲い場を作り、子供たちのために町々を建てます。しかし、私たちは、イスラエル人をその場所に導き入れるまで、武装して彼らの先頭に立って急ぎます・・・イスラエル人がおのおのその相続地を受け継ぐまで、私たちの家に帰りません」(32:16-18)と驚くべき応答をします。
これは残された家族を危険にさらす恐ろしいことです。
モーセはその約束を受け入れ、さらに念を押すように、「もしあなたがたがそのようにし、もし主(ヤハウェ)の前に戦いのための武装をし・・・主(ヤハウェ)の前でヨルダン川を渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、その地が主(ヤハウェ)の前に征服され、その後あなたがたが帰ってくるのであれば・・・この地は主(ヤハウェ)の前であなたがたの所有地となる」(32:20-22)と確認します。
そこでモーセは、「主(ヤハウェ)の前(顔)」ということばを四回繰り返し、主の眼差しを明確に意識させます。彼らは、ある意味で無謀な賭けに出ようとしているとも言えますが、何よりも大切なのは、主(ヤハウェ)の前に誠実に責任を全うすることなのです。そのとき、主の御顔が、残された家族を守り通してくださいます。
一方、その反対に、「もしそのようにしないなら、今や、あなたがたは主(ヤハウェ)に対して罪を犯したのだ。あなたがたの罪の罰がある(罪があなたがたを見つけ出す)ことを思い知りなさい」(32:23)と言いました。それは、約束に背くなら、主ご自身が彼らの敵となり、ヨルダン川東の割り当て地をも失うというのです。
私たちもときに目先の不安や損得勘定に動かされることがあるかもしれませんが、何よりも大切なことは、主の御顔の前で誠実を全うすることなのです。
25節~27節までは、ガド族とルベン族が、モーセのことばに従い「主(ヤハウェ)の前に戦います」と約束し、28,29節ではモーセが他の部族に、この二部族が他のイスラエルの民と共に「ヨルダン川を渡り、主(ヤハウェ)の前に戦い、その地が征服されたなら・・・ギルアデの地を所有地として彼らに与えなさい」と命じています。
また、31,32節ではこの二部族が最後に、「私たちは武装して主(ヤハウェ)の前にカナンの地に渡って行きます」と保証します。
ここでも「主(ヤハウェ)の前(顔)」ということばが三回用いられます。合わせると七回この言葉が繰り返されることになります。
そして33節以降では突然マナセの半部族にもヨルダン川東岸の部分が与えられると約束され、39-42節では不思議にも、彼らの占領のための戦いが記されます。
なおその後のヨシュア記を見ると、この東の三部族はその約束を守り通し、後にヨシュアから、「今日まで、この長い間、あなたがたの同胞を捨てず、あなたがたの神、主の戒めを守ってきた・・今・・ヨルダン川の向こう側の所有地に・・引き返して行きなさい」(ヨシュア22:3,4)と責任を解いてもらうことができました。
彼らは、主を恐れ、主の御顔を常に意識し、主の前での約束を守り通しました。これは私たちの場合にも適用できます。主は、少々無謀な選択でも、私たちの主体的な決断を差し止めはしません。それは、主が当初のご計画に反すると思われたルベン族とガド族の要望に応えられたのと同じです。
ただし、その結果に責任を負い続けるように厳しく問い続けられます。私たちは人生の岐路に立ったとき、「どちらが主のみこころでしょう?」と問うことがありますが、しばしば、主のみこころとは、右か左かの選択よりは、いつでもどこでも、主の御顔を意識し、目の前の課題に誠実に向き合うという生き方自体にあるのです。
4.「旅立って・・宿営し・・」
33章ではイスラエルの民の四十年間の旅程が記されます。出発点はエジプトのラムセスです。興味深いことに、8節で「海の真ん中を通って荒野に向かい」と、ごく簡潔に海を分けた奇跡が述べられ、マラから9節のエリム、15節のレフィデイムと、水を巡ってのことが描かれます。
その直後の「シナイの荒野」は十二番目の宿営地として描かれますが、そこには約二ヵ月後の「第三の月の新月」に到着します(出エジプト19:1)。そして、そこで契約の石の板を受け、過越しの祭りを祝い、「第二年目の第二の月の二十日に・・旅立ち」ます(10:11)。
17,18節のキプロテ・ハタアワ、ハツェロテのことは民数記11,12章に記されていますが、18節のリテマから29節のハシュモナに至る12の地名はここにしか登場しない不明の地です。
31節のベネ・ヤアカンとモセロテのことは申命記10章6節では逆の順番に記され、アロンはモセロテで死んだと記録されます。つまり約40年前と同じ地を巡っているのです。
それからすると36節のカデシュへの到着は第二年目のことと理解でき、本来そこからすぐに北上して約束の地に上るはずだったということになります。しかし、神に背いた彼らは、18節~36節の地を40年間近くさ迷って、38節の「第四十年目の第五の月の一日・・アロンはホル山で死んだ」という記事に結びつくのかと思われます。
その後彼らは、そこから東に向かい、その後、南下してアカバ湾岸に達し、そこからエドムとモアブの東側を迂回してモアブの北の草原に宿営しているのだと思われます。ただ、この歩みについても、不明な部分があります。
ここには全体として、「旅立って・・宿営し」と41回繰り返されますが、それは荒野の四十年の旅の象徴と言えます。しかし、この繰り返しに、主の臨在を覚えることができます。
それは、神の幕屋が完成したとき、栄光の雲が幕屋を覆い、「雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立った。そして、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していた・・彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った」(9:17、23)とあるからです。
つまり、迷っているようでありながら、主が彼らの真ん中に住んで、彼らを約束の地に導いてくださったのです。私たちも、「一寸先は闇・・」と思えるようなこと、不安に押しつぶされそうになることがあるかも知れません。しかし、主は私たちとともに歩んでくださるのです。
神が私たちに将来のことを隠し、しばしば苦しみを敢えて許されるのは、私たちを謙遜にするためです。ただ、そのような中でも、私たちの最終的な勝利はキリストにあって保証されていることをも決して忘れてはなりません。
先が見えないと思える中で、次のみことばを心から味わってみましょう。
「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテロ5:5-7)。
人生にはときに、「神が愛なら、どうしてこのようなことが・・」と思えることが起きますが、天地万物の創造主の御前に遜り、「主(ヤハウェ)の前に」誠実を尽くすことこそすべての鍵です。
わざわいの理由は分からなくても、神がこの世界を平和の完成(シャローム)へと導いてくださることは分かっているのですから。