立川チャペル便り「ぶどうぱん」2016年春号より
私たちの教会は2013年5月に新会堂での礼拝を始めることができました。その後、今後の教会の成長の指針として新しい教会の標語の基本を決めました。ただし、私たちが教会に集まることの基本は永遠に変わることはありません。当教会ではその基本を以下の三つで表現しています。
Worship(礼拝) Fellowship(交わり) Sonship(神の子としての派遣)
〈礼拝〉そこは、太陽も月も必要なく、神ご自身が私たちを照らす新しいエルサレム。私たちがささげる礼拝は、今、ここでそれを先取りする喜びの場。(黙示22:4、5)
〈交わり〉「敵意は十字架によって葬り去られ……」(エペソ2:16) とあるように、そこは諸国の民が愛と平和のうちに神の家族として生きる場。教会はそれを先取りする愛の交わり。
〈派遣〉「彼らはむだに労することもなく……」(イザヤ65:23-25)、「彼らは永遠に王である。」(黙示22:5) となる世界を先取りして、私たちはこの地に派遣され、キリストの愛を実践する。
Sonship 「あなたがたは……子としてくださる御霊 (the Spirit of Sonship)を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます……私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たちも、心の中でうめきながら、子にしていただくこと……を待ち望んでいます」(ローマ8:15、22、23)
私たちはすでに神の子の立場が与えられ、同時に、キリストに似た者に変えられる途上にあります。この特権を日々意識しつつ、この地に「地の塩、世の光」として遣わされます。
そして先日の教会総会で決めた三つの標語には、上記の三点がすべていろんな角度から組み入れられています。
《Invitation》(招き)「キリストの愛にやすらぎ、いやされ、成長する」
キリストの愛に「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)
やすらぎ 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は……」(マタイ11:28)
いやされ 「キリストの打ち傷のゆえにいやされ……」(Iペテロ2:24)
成長する 「神の家族として組み合わされ……」(エペソ2:9-22)
ひとりひとりが、心の奥底で、イエス・キリストとの出会いを体験し、主との交わりを深めることが、何よりも優先されます。私たちは、そこで、自分が、様々な欠けを持ったままで、神の子とされている恵みを味わうことができます。そして私たちの成長は神の家族の交わりに現されます。
《Vision》(目標)「新しい創造をここで喜び、シャロームを待ち望む」
「私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません……割礼を受けているか受けていないか……ではありません。大事なのは新しい創造です」(ガラテヤ6:14、15)
「私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます」(Ⅱペテロ3:13)
「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛(へセド)はあなたから移らず、わたしの平和(シャローム)の契約は動かない」(イザヤ54:10)
キリストの十字架と復活によって、「新しい創造」が始まりました。それはキリスト者の中に既に起こっている聖霊のみわざであるとともに、イエスの御教えが世界の歴史を動かしていることにも見られます。今ここに実現している神のみわざを捜し、それを喜ぶことこそが信仰の原点です。
当教会のステンドグラスは、「狼は子羊とともに宿り……主を知ることが……地を満たす」(イザヤ11:8、9)、「わたしは新しい天と新しい地を創造する……いついつまでも楽しみ喜べ……彼らはむだに労することがない」(イザヤ65:17-25) と描かれる世界の完成のイメージを現わします。それこそヘブル語の「シャローム」です。そこには平和、平安、繁栄、被造物の回復のすべての意味が含まれます。
《Mission》(使命)「イエスにならい、神のかたちで、ともにこの地に」
主イエスからの使命「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国々の人を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」(マタイ28:18-20)
「イエスは……弟子たちに言われた。『平安(シャローム)があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします』……『聖霊を受けなさい』」(ヨハネ20:21)
「神のかたちで遣わされる」すべての人の価値の基本は、「神は人をご自身のかたちとして創造され……男と女とに創造され……地を従えよ」と言われたことに始まります。そして、「御子は見えない神のかたち」(コロサイ1:15) とあるように、イエスこそが神のかたちとしての生き方を、見えるように示してくださいました。ここで「イエスにならい」とするのは、人間としてのイエスに目を向けるためです。それは私たちにとって、自分の十字架を負ってイエスに従う歩みです。それは、御子の御霊を受けて、世の悲しみを引き受けながらも、同時に、復活の喜びに生かされる歩みでもあります。
「地を生かすためにともに遣わされる」イエスは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりにその人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:37、38) と約束されました。それは、「この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物が生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである」(エゼキエル47:9)という預言がキリスト者を通して成就するためです。
私たちの教会は全世界に広がる普遍的な「キリストのからだ」としての教会の一部です。そこにはカトリック教会も、ギリシャ正教も、ロシア正教も、日本の無教会派も含まれます。私たちはそれら全世界的な教会の広がりを覚え、互いに協力しつつ、同時に、この立川チャペルにおける親密な交わりを築くように召されています。
神の永遠のご計画とキリストのからだなる教会の時代と文化を超えた広がりをいつも思い浮かべながら、同時に、目の前のひとりに徹底的に寄り沿い、互いのために祈ることこそ神のみこころです。それこそが、「キリストにある」私たちの歩みです。
霊の目を大きく開きながら、同時に、目の前のひとつひとつの課題を大切に生きましょう!