イザヤ65章17〜19節「神のシャロームを待ち望みつつ」

2015年9月20日

多くの人にとっての天国のイメージは、愛する人、尊敬する人が、神の光に包まれ、主を賛美している祝福の世界ではないでしょうか。それを示唆する箇所が黙示録4,7章などにあるようにも見えますが、そこのテーマは、天での勝利への賛美が、不条理に溢れる地に実現することに他なりません。

聖書には例えば、死んだ人のたましいが、翼を受けて高く高く舞い上がって、愛する人との再会を果たすというような描き方はありません。残念ながら、多くの人の天国のイメージは、聖書よりはギリシャ的な霊肉二元論、仏教的な極楽浄土の観念から影響を受けているのかもしれません。

しかし、聖書が描く私たちの究極の救いは、この目に見える世界の不条理が正され、愛に満ちた神の支配がこの地に実現することです。たましいが天国に憩うという以前に、現在の「天と地」が、「正義の住む新しい天と新しい地」(Ⅱペテロ3:13)へと変えられることです。

世界のゴールを、自分にとっての楽しみが最大限になる「極楽」というより、全世界に愛と平和の神のご支配が現されるときと見るなら、現在の生き方が変えられます。

なお、旧約の預言は、肉のイスラエルの民だけに与えられた祝福の希望ではありません。私たち異邦人は、イスラエルの歴史に接ぎ木されることによって、神の民とされたのです(ローマ11:17-24)。異邦人に向かって、「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です」(Ⅰペテロ2:9)と言われるのは、イスラエルのための預言が、すべてのクリスチャンへの預言となったからです。

極楽の言いかえのような天国のイメージではなく、聖書が約束している「新しい天と新しい地」の姿を、聖書のすべての預言書から見直してみましょう。

イザヤ 11:1-10  エッサイの根株から新芽が生え・・・その上に、主(ヤハウェ)の霊がとどまる・・・この方は・・・公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す・・・・

狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく・・・乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。

わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。(ヤハウェ)を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。10 その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。

65:17-25 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。むしろ、いついつまでも楽しみ喜べ。わたしが、創造するものを・・・。なぜなら、見よ、わたしがエルサレムを創造して喜びとし、その民を(創造して)楽しみとするからだ。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれることがない。・・・

21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない・・・23 彼らはむだに労することはない。また、恐怖に会わせるために子を産むこともない。彼らは主(ヤハウェ)に祝福された者のすえであり、その子孫たちも彼らとともにいるからだ。

そのとき、彼らが呼ばないうちに、わたしは、答え、まだ語っているうちに、わたしは、聞く。狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のようにわらを食べ、蛇はちりをその食べ物とする。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない」と主(ヤハウェ)は仰せられる。

⇒「新しい天と新しい地を見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り・・もはや死もなく・・苦しみもない」(黙示21:1,4)

エレミヤ 17:7,8 主(ヤハウェ)に信頼し、主(ヤハウェ)を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。・・・・

31:31-34  その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。─主(ヤハウェ)の御告げ

彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ・・・わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

そのようにして、人々はもはや、『主(ヤハウェ)を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。─主(ヤハウェ)の御告げ─わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

⇒ 「あらゆる国民・・のうちから・・大ぜいの群衆が、白い衣を着・・・いのちの木の実を食べる」(黙示7:9、22:14)

エゼキエル 36:26-28 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける・・・わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ・・定めを守り行わせる。

あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み・・わたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。

47章1-12  彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた・・・その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた・・・・水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった・・・川の両岸に非常に多くの木があった・・・

9 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる・・・そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる・・・

12 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる

⇒ 「いのちの水の川・・は神と小羊との御座から出て・・両岸には、いのちの木があって・・民をいやした」(黙22:1,2)

ホセア 6:1,2  さあ、主(ヤハウェ)に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ(revive)、三日目に私たちを立ち上がらせる(復活させる)。私たちが、御前に生きるために。・・・・・

11:8 イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか・・・わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。・・・

14:4-7 わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。

彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。

⇒「初めの愛から離れてしまった・・(立ち返って)初めの行いをしなさい・・いのちの木の実を食べさせよう」(黙2:4-7)

ヨエル 2:21-25  恐れるな。地よ。楽しみ喜べ。主(ヤハウェ)が大いなることをされたからだ。恐れるな。野の獣たちよ。荒野の牧草はもえ出る・・・23 シオンの子らよ。楽しめ。あなたがたの神、主(ヤハウェ)にあって喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を与え、以前のように、初めの雨と後の雨という大雨を降らせてくださるからだ・・・

25わたしが・・送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう(シャローム)・・・わたしの民は永遠に恥を見ることがない・・・

2:28-31  その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ・・・

31 主(ヤハウェ)の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、(ヤハウェ)の名を呼ぶ者はみな救われる・・・・

3:16、17 主(ヤハウェ)はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。天も地も震える。だが、主(ヤハウェ)は、その民の避け所、イスラエルの子らのとりでである。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主(ヤハウェ)であり・・聖なる山、シオンに住むことを知ろう。エルサレムは聖地となり」

⇒ 「新しいエルサレムが・・花嫁のように整えられ・・天から下って来る・・・わたしは、すべてを新しくする」(黙21:2)

アモス 5:18-21  ああ(わざわいだ)。主(ヤハウェ)の日を待ち望む者。主(ヤハウェ)の日はあなたがたにとっていったい何になる。それはやみであって、光ではない・・・暗やみであって、そこに輝きはない・・・

21 わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける・・・たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれらを喜ばない・・・

24 公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。

9:11-15  その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す・・・これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ・・・

13 見よ。その日が来る。─主(ヤハウェ)の御告げ─その日には・・・山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。わたしは、わたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。

彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」

⇒ 「力強い都、バビロンよ・・さばきは、一瞬のうちに来た・・小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ」(黙18:10、19:9)

オバデヤ 15-21節  主(ヤハウェ)の日はすべての国々の上に近づいている。おまえ(エドム)がしたように、おまえにもされる。報いは、おまえの頭上に返る・・・しかし、シオンの山には、のがれた者がいるようになり、そこは聖地となる。ヤコブの家はその領地を所有する・・・

21 救う者(救い主に導かれた人)たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主(ヤハウェ)のものとなる。

⇒ 「われらの神である主は王となられた」(黙19:6)

ヨナ 2:2、  「私が苦しみの中から主(ヤハウェ)にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。」・・・・

3:10 神は、彼らの行い、すなわち、悪の道から立ち返ったのをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言われたわざわいを思い直し、そうされなかった・・・

4:11 わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

⇒ 「だれでも・・声を聞いて戸を開けるなら・・ともに食事をし」(黙3:20)

ミカ 4:1-8 終わりの日に、主(ヤハウェ)の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。多くの異邦の民が来て言う。「さあ、主(ヤハウェ)の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」

それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主(ヤハウェ)のことばが出るからだ。主は多くの国々の民の間をさばき、遠く離れた強い国々に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない

6 その日・・わたしは足のなえた者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を寄せ集める・・・主(ヤハウェ)はシオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる・・・エルサレムの娘の王国が帰って来る。

5:5 この方こそが平和(シャローム)となる・・・彼は、私たちをアッシリヤ(悪の帝国)から救う

⇒「(王、大淫婦、獣)は小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。小羊は主の主、王の王だから」(黙17:14)

ナホム 1:1-15 ニネベに対する宣告・・・ねたむ神、復讐する【主】・・憤る主・・・ 敵に怒りを保つ方・・・7 【主】はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる・・・

15見よ。山々の上に足がある。良い知らせを伝え、平和(シャローム)を告げ知らせる者の。ユダよ。あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者は、もう二度と、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな、断ち滅ぼされた。

⇒ 「神のさばきは真実で…ご自分のしもべたちの血の報復を彼女(大淫婦、大バビロン)にされたから」(黙19:2)

ハバクク 2:2-4 (vision)を板の上に書いて確認せよ。これを読む者が急使として走るために。なぜなら、この啓示はまだ定めの時を待っているのだから。これは終わり(ゴール)について告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。

見よ。彼(1:11「自分の力を自分の神とする者」)の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰(神の真実)によって生きる

3:16 私たちを攻める民に襲いかかる悩みの日を、私は静かに待とう。そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さず、羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなるにも関わらず、この私は主(ヤハウェ)にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。

⇒ 「しかり、わたしはすぐに来る」(黙22:20)

ゼパニヤ 1:4  わたしの手を、ユダの上に、エルサレムのすべての住民の上に伸ばす。わたしはこの場所から、バアルの残りの者と、偶像に仕える祭司たちの名とを、その祭司たちとともに断ち滅ぼす

3:14-17 シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。(ヤハウェ)はあなたへの宣告(さばき)を取り除き、あなたの敵を追い払われた。

イスラエルの王、主(ヤハウェ)は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。

その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。あなたの神、主(ヤハウェ)は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。

主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎ(静けさ)を与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。

⇒ 「わたしはアルファであり、オメガである・・・渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる」(黙21:6)

ハガイ 2:3-9 あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか・・・

6 まことに、万軍の主(ヤハウェ)はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主(ヤハウェ)は仰せられる。銀はわたしのもの。金もわたしのもの・・・

この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主(ヤハウェ)は仰せられる。わたしはまた、この所に平和(シャローム)を与える

⇒ 「神である主と、小羊とが都の神殿だ・・・人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る」(黙21:22-26)

ゼカリヤ 9:9,10 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。

わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和(シャローム)を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。

14:1  見よ。主(ヤハウェ)の日が来る・・・わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。主(ヤハウェ)が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる・・・

5 私の神、(ヤハウェ)が来られる。すべての聖徒たちもあなたとともに。その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であって、これは主(ヤハウェ) 主(ヤハウェ)に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。・・・

8 その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。主(ヤハウェ)は地のすべての王となられる。その日には、主(ヤハウェ)はただひとり、御名もただ一つとなる・・・

10 エルサレムは高められ、もとの所にあって・・そのまま残る。そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、エルサレムは安らか(信頼のうちに)に住む

⇒ 「都には、これを照らす太陽も月もいらない・・・神である主が彼らを照らされるので・・」(黙21:23、22:5))

マラキ3:16-18 主(ヤハウェ)を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために・・・記憶の書がしるされた。「彼らは、わたしのものとなる・・・

わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように・・彼らをあわれむ。あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる。

4:1-5 見よ。その日が来る・・・その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない・・・

2 しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上りその翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る・・・

5 見よ。わたしは、主(ヤハウェ)の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

⇒ 「わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるため・・報いを携えて来る・・・わたしは輝く明けの明星」(黙22:12)

ダニエル 7章13-27  夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。

この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない・・・

22 いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た・・・24 彼らのあとに、もうひとりの王が立つ・・・彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。

しかし、さばきが行われ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。 27 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』

12:1-3  その時・・・国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。

地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる

⇒ 「彼らは永遠に王である」(黙22:5)