出エジプト1章1節〜4章17節「『わたしはある』という方が、私を遣わされた」

2015年1月25日

ある方がご主人の介護で、危険な場面があったことを振り返りながら、「あのときは、どうして、あのようなことを私ができたのだろう・・・不思議にごく自然に身体が動いた」と言っておられました。それこそ、「主ヤハウェ」が、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15)と約束してくださったことの成就です。

私たちは畏れ多くも、モーセの生涯と自分とを重ね合わせて見ることができます。主はモーセに向かって、不思議にも、「『わたしはある』という方が、私をあなたがたのところに遣わされた」とイスラエルの民に向かって言うように命じられました。

私たちもみな、「わたしはある」と言われる方によってこの世界に遣わされます。自分がどんなに無力でも、全能の神はこの「土の器」を通してご自身の働きを進めることができます。

1.神は聞かれ、思い起こされ、ご覧になり、みこころを留められる

エジプトの王(パロ)がヨセフのゆえにイスラエルの民に与えたゴシェンの地は、ナイルデルタ東側のカナンとの境にありました。そこには、世界で最も肥沃な土地が広がっており、エジプト人は基本的に羊を飼いはしなかったので、イスラエルの民は彼らと分かれて住みつつ、家畜を飼いながら、急速に増え広がることができました。

しかし、エジプトはカナンの異民族の侵入に悩むようになり、同じ土地から流れてきたイスラエルの勢力が強くなることは防衛上危険になってきました。そのことが1章9,10節で、「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い・・・いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから」と記されています。

これがいつの時代かに関しては大きく分けて二つの学説があります。Ⅰ列記6章1節にはソロモンがエルサレム神殿の建設を始めたのが、「イスラエル人がエジプトの地を出てから480年目」と記されていますが、神殿建設の開始は紀元前966年とほぼ確定できますので、それによると出エジプトの時期は紀元前1446年ということになります。

ただ「四百八十年」は現実の数字というよりも12世代×40年という象徴的な意味に理解することもでき、一世代を25年に短く計算すると1266年という数字にもなり得ます。11節に、「彼らを苦役で苦しめるために・・・パロのために倉庫の町ピトムとラムセスを建てた」という記述から見ると、ラムセス1世がエジプト第19王朝を始めた紀元前1295年以降とも見ることができます。

またイスラエルという名が登場するのが、有名なラムセスⅡ世(紀元前1279~1213年)の次の王メルエンプタハの時期であり、またカナンに鉄器が広がり出したのが紀元前1200年ごろであるということから、多くの学者はこの後記説を採用しています。ただ、どちらに確定することもできない面があります。

「しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がった」(1:12)ばかりか、ヘブル人の助産婦たちに生まれた男の子の殺害を命じても、それに従わない彼女たちに「神は・・よくしてくださった。それで。イスラエルの民はふえ、非常に強くなった」(1:20)と描かれています。

13,14節には、イスラエルの民に課せられた「過酷な労働」ということばが繰り返される一方で、21節では、「助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた」と記されます。人間の目には、前者は神の不在のしるし、後者は神の臨在のしるしとも見えますが、これらすべてが神のご計画の中にあるということが、創世記15章のアブラハム契約に記されています。そこで神は彼に、「あなたの子孫は・・寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう」(13節)と言っておられました。

そればかりか、1章終わりに記された神の民を絶望させるようなパロの命令、「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない」は、イスラエルを救いに導くモーセの誕生への備えであるということを見ることができます。

1章で繰り返し強調されているのは、パロの残酷さでもイスラエルの民の弱さでもなく、エジプトの王と民が、「イスラエルの民が・・おびただしく増え・・強くなった」ことに恐怖を抱いたことです(1:7,9,20)。

私たち神の民に対する迫害が激しくなることがあるとしたら、それは神の敵の側が非常な恐怖を抱いているというしるしに過ぎません。

そのような中で、レビの家から男の子が誕生します。母は三ヶ月後、この子を隠しきれなくなってパピルス製のかごに入れてナイルの岸の葦のしげみに置きました。それをパロの娘が見つけ「その子をあわれに思い」(2:6)、ヘブル人だとわかっていながら救い出します。

「モーセ」という名をつけたのはパロの娘である王女ですが、そこにはヘブル語で、「(水から)引き出す」という意味と共に、エジプト語で「(王女の)息子」という意味が込められています。彼女はその両方の意味をよく知っていたはずです。

しかも、その際、モーセの姉の機転によって、実母が乳を飲ませ三、四年の幼児期を育てることでヘブル人のアイデンティティーが保たれたのと同時に、その後は、王女の息子として当時の最高の学問を身につけることができました。神は沈黙の中で、モーセを育てておられました。

このことを、後にステパノは「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。40歳になった頃、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こした」(使徒7:22-24)と述べます。

そしてここでは、「モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところに出て行き、その苦役を見た」(2:11)と描かれながら、モーセは、ヘブル人を打っている「エジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した」(2:12)と記されます。

しかし、翌日、ふたりのヘブル人の争いを仲裁しようとしたところ、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」(2:14)と言われてしまいました。

このとき味わったモーセの葛藤に関して、ステパノは、「彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした」(使徒7:25)と解説しています。ここに、イスラエルの民のかたくなさによってモーセが非常な苦しみに会うということの始まりを見ることができます。

そればかりか、「パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた」(2:15)というのです。そしてその結果、モーセは、シナイ半島の東隣、アラビア半島北西部のミデヤンの地に逃れざるを得なくなります。

そこで、彼が井戸の傍らに座っていたところ、ミデヤンの祭司の娘たちが羊の群れに水を飲ませに来ました。そこに羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払ったのを見て、「モーセは立ち上がり、彼女たちを救い」ます(2:17)。

そして、それを喜んだミデヤンの祭司レウレルは娘のチッポラを嫁に与え、モーセはその家に身を寄せ、子供を得て、家庭を築きます。モーセの正義感は、同胞からは拒絶されましたが、異教徒であるミデヤンの祭司からは受け入れられたのです。

「それから何年もたって、エジプトの王は死んだ・・」(2:23)とありますが、この王が誰なのかは大きな謎です。どちらにしても、モーセが新たにパロの前に立つのは80歳の時ですから(出エジ7:7、使徒7:30)、エジプト王家の最高の教育を受けた彼は、約40年間、それまでの教育が何の役にもたたない(エジプト人は羊飼いを忌み嫌っていた)働きによって生計を立てたことになります。

そのような中で「イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた」(2:23-25)と描かれます。これは別に神がそれまで無視をしていたという意味ではありません。実際、神は、モーセの誕生から約80年間の人生を導いておられました。

神はモーセに当時の最高の教育を受けさせながら、後にそれを捨てさせました。人間的な知恵により頼むことは、神の働きの邪魔になるからです。彼が40歳のとき働きについたとしたら、イスラエル独立運動のリーダとして武力闘争に訴えていたかも知れません。

たとえば、私の大学時代以来の専門(経済学、証券市場)は、牧師になるために一時的に捨てる必要がありました。しかし、その過程で、身体で覚えることができた感覚は生きています。それは専門家の予測は当たらないという知恵です。また、その後、カウンセリングの学びも積み、多くの方々の相談にも乗りましたが、それで身に沁みたことは、「人の心は分からない」という悟りでした。

もちろん知識や訓練は大切です。神も人知れずモーセを訓練しました。しかし、それによって何よりも分かるのは、人間の力や知恵の限界であり、この世の知者や力ある人たちなどを恐れる必要がないということではないでしょうか。実際、モーセはエジプトの王家で育てられたからこそ、当時、神としてあがめられていたパロと対等に渡り合うことができたとも言えましょう。

2.「わたしは『わたしはある』と言う者である」

「モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた」(3:1)という記述に、当時のモーセの社会的地位を知ることができます。80歳近くにもなりながら、何と異教徒の祭司のもとで、婿養子のような立場で、自分の羊も持っていません

その彼が羊を飼いながら、「その群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来」ました。すると「主(ヤハウェ)の使いが・・柴の中の火の炎の中に」現れ、柴が「火で燃えていたのに焼け尽きない」という不思議に引き寄せられました(3:2,3)。

このことを後にステパノは、「四十年たった時、御使いが、モーセに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現れました。その光景を見たモーセは驚いて、それをよく見ようとして近寄ったとき、主の御声が聞こえました」(使徒7:30,31)と述べています。神の山ホレブとシナイ山は同じ場所です。

モーセは羊飼いで一生を終えると思っていたであろうそのとき、単に羊の群れを西へ西へと追って行き、見知らぬ地にやって来たのだと思われます。そこで思いもよらなかった燃える柴に引き寄せられ、主の御声を聞いたのです。

神は、「柴の中から」、「モーセ、モーセ」と呼び、彼を御前に招いておきながら、「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っているところは聖なるところである」(3:5)と言われます。「靴を脱ぐ」とは、臣従のしるし、またそこを他の地とは異なる「聖なる場」と受け止めるという意味があります。

お寺のお堂が本来、裸足で入るべきなのはそのためです。最近、靴下のままか、スリッパが用意されることがあるのは、木の床を足についた油で汚さないためで、本来なら、きれいに洗って裸足で入り、頻繁に床を雑巾がけするのが作法です。興味深いことに、仏教のお寺で裸足になるという作法の根拠をネットで調べたら、出エジプト記の記事が示されていました。

そして、主は、「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とご自身を現わします。なお、燃える柴の意味と、この主の自己紹介の表現には深い結びつきがあります。「柴が火で燃えているのに焼け尽きない」という情景は、イスラエルの民が火の試練の中で、守られ、救い出される(復活する)ことを示唆すると解釈できます。

なぜなら、イエスはサドカイ人との議論の中で、この箇所を引用されながら、「死人がよみがえることについては、モーセが柴の箇所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んでこのことを示しました。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです」と言われたからです(ルカ20:37,38)。

つまり、主は燃える柴を通して、イスラエルの父祖に対する契約を守り通す生ける神であることを証しされたのです。火を燃やしながら柴を生かすのは、主ご自身だからです。

その際、「モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠し」ますが(3:6)、そこで主(ヤハウェ)は、「わたしは・・民の悩みを確かに見・・・彼らの叫びを聞いた・・・彼らの痛みを知っている」(3:7)と言われました。主は神の民の「悩みを見」「叫びを聞き」「痛みを知っておられる」というのです。

そして、「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し・・・乳と蜜の流れる地・・に、彼らを上らせるため」と言われますが、同時にそこには、「カナン人、へテ人、エモリ人…エブス人」などが住んでいると言われました(3:8)。

その上で主は、「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ」(3:10)と、途方もない使命を与えられます。

そのときモーセは、「わたしはいったい何者なのでしょう・・・」と答えます。神は、「わたしは人知れずあなたを訓練してきた・・だから・・」などとは言わずに、ひとこと「わたしは、あなたとともにいる」と言われました(3:11,12)。これは厳密には、「わたしはある。あなたとともに」と訳すべきで、次の主ご自身の自己紹介につながる表現です。

つまり、モーセにとって、自分が何者であるかを知ることよりもはるかに大切なのは、主がどのような方かを知ることであり、その主がともにおられることを知ることなのです。その上で、当面の目的地を「あなたがたはこの山で、神に仕えなければならない」と、約束の地カナンに入る前に、シナイ(ホレブ)山において律法を与えることを示唆します。

モーセはこの召しに、まず、「今、私は・・行きます」と応答しました。そして不思議にも、まず神の御名を尋ねます。彼がイスラエルの民に、「あなたがたの父祖の神が、私を遣わされた」と言うなら、彼らは、「その名は何ですか」と聞くだろうという尋ね方をしますが、それは何よりも御名の意味を尋ねることではなかったかと思われます。

神は、「わたしは『わたしはある』という者である」と答えられます(3:13)。そればかりか、「イスラエル人に向かって」、「わたしはあるという方が、私を・・遣わされた」と告げるように命じられました(3:14)。つまり、イスラエルの神の名は、「わたしはある。」なのです。これはヘブル語では「エーイェ」ですが、この一人称動詞を三人称の「彼はある」に変えると、「ヤウェ」になると言われます。

これは、神が何物にも依存することなく永遠に存在され、すべてのものはそのご支配の中にあることを意味すると思われます。それと同時に、その方は、「苦しむ時、すぐそこにある助け」(詩編46:1私訳)とあるように、私たちひとりひとりに目を留め、その叫びに耳を傾け誰よりも頼りになる方であることを示します。

先のように、「わたしはある、あなたとともに」と訳すなら、そのことの意味が良くわかります。これは、詩篇46篇10節で、私たちが目の前の混乱を見て心を騒がせているときに、主ご自身が、「静まれ。そして、知れ、『わたしこそ神、国々の上におり、地のはるか上に在る』」と別の観点から言ってくださるようなものでしょう。

また主は15節で、先のふたつのご自身の紹介を合体させて、「ヤハウェ、あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神が、私をあなたがたのところに遣わされた」と言えと命じつつ、「これが永遠にわたしの名、代々にわたってわたしの呼び名である」であると確認されます。

私たちも、静まりつつ、この御名の意味を心の底から味わうべきでしょう。それこそが、すべての働きの前になすべきことであり、その上で、その方が自分をこの世界に遣わしておられることを知るべきでしょう。

それにしても、神は、モーセを羊飼いとしての歩みをさせることによって、ごく自然に、心の底から、「私はいったい何者なのでしょう・・」と謙遜に言うことができるように彼を砕いておられました。それが神に用いられる条件でした。

私たちも、日々、様々なことに遭遇し、「私なんかの出る幕ではない・・専門家に任せよう・・」などと思うかもしれません。しかし、それでは間に合わないことがあります。それが神の召しであるならば、不可能はありません。神は自分の弱さと知恵のなさを知っている者をこそ用いられるのです。

3.神が与えるしるしと助け手

神はモーセに、「行って、イスラエルの長老たちを集めて、彼らに言え・・」・・「彼らはあなたの声に聞き従おう」と言われました(3:16-18)。一方、エジプトの王との対話に関しては、「ヘブル人の神ヤハウェが私たちとお会いになりました。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、主(ヤハウェ)にいけにえをささげさせてください」と言えと命じつつ、「しかし、エジプトの王は強いられなければ、あなたがたを行かせないのをよく知っている」と言われました(3:18,19)。

そればかりか、ご自身が「あらゆる不思議で、エジプトを打とう。こうしたあとで、彼はあなたを去らせよう。わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする」と奇妙なことを言われながら、彼らが「エジプトトからはぎ取って」多くの財産を持って約束の地に向かうということを約束されました。

それは、かつて主がアブラハムに、「しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出てくるようになる」(創世記15:14)と約束された通りです。

つまり、神は、モーセのことばによってどのような反応が起きるかをきちんと把握しておられるのです。モーセを遣わす神は、その働きの結果をも支配しておられる方です。

モーセはそれに対し、イスラエルの民の昔の反応を思い起こしながら、「ですが、彼らは私を信ぜず、また私の声に耳を傾けないでしょう。『主はあなたには現れなかった。』と言うでしょうから」(4:1)と言います。彼はなおも昔のトラウマを引きずっていました。

それで神はモーセに、杖を蛇に変え、また杖に戻すという第一のしるしを与えました。パロは頭に立ちあがったコブラの記章をつけています。イスラエルでは忌み嫌われた蛇は、エジプトでは人を毒で殺すことができる神聖な動物なのです。これによって、主はエジプトをも支配する神であることを示されます。

第二のしるしは、モーセの手をツァラアト(ハンセン病に似た病)にし、また回復させことです。これは当時最も恐れられていた病でした。その意味は、神がわざわいを起こすと同時に回復させることもできる、病の支配者であると示すことです。

第三のしるしは、ナイルから汲んだ水を血に変えることです。ナイルはエジプトにとっていのちの源でしたが、主はその水を死の象徴でもある血に変えることによって、主こそがいのちの源であることを示してくださいました。

この三つのしるしに共通するのは、神がいのちとともに死の支配者であるということです。それによって、イスラエルの民がモーセを信じることができるようにしてくださいました。

しかし、彼はなお、「ああ主よ。わたしはことばの人ではありません・・」(4:10)と躊躇しました。それに対し、神は、「だれが人に口をつけたのか・・さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう」(4:11,12)と言われます。彼はなお「どうかほかの人を遣わしてください」と言うと、神は、「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼がよく話すことを知っている・・・彼はあなたの口の代わりとなり、あなたは彼に対して神の代わりとなる」と言われます(4:13-16)。

なお、7章7節では、「彼らがパロに語ったとき、モーセは80歳、アロンは83歳であった」と記されています。東洋的な感覚では「三歳年下のモーセが兄のアロンに対して神の代わりになる」というのは分かり難いですが、これを通して、みことばの権威が人間的な序列を超えるということが明らかになります。

それにしても、神はモーセに、「わたしはあなたとともにいる」と言われましたが、それはこの三つの「しるし」とアロンという「助け手」によって現されました。

モーセの両親は、幼子をナイル川に手放さざるを得なったとき、またモーセが四十歳になって、せっかく同胞のために立ち上がりながら拒絶されたとき、どんな気持ちだったでしょう。しかし、これらはすべて、時が満ちるために必要な備えでした。

しかも、彼らが苦しまなければエジプト脱出を望みはしなかったでしょう。また、両親がモーセを手放さなければエジプトの王宮で育つことはできませんでしたし、モーセが荒野で四十年過ごさなければ、イスラエルの民を四十年間も荒野で導く忍耐と謙遜は養われませんでした。すべての意味は、後になって分かります。

それにしても私たちは、しばしば、目の前の問題に圧倒され気が動転します。その時こそ、自分の心の中で、「わたしはある。」という主の名を繰り返すべきではないでしょうか。私たちの願う方向で問題を解決してくださる神を呼び求める前に、ヤハウェ(彼はおられる)」という方がまずおられその方の方法とタイムスケジュールで問題が解決されることを覚えたいと思います。

新改訳聖書で太文字の「」ということばが出るたびに、「『わたしはある』と言われる方」と読み替えてみてはどうでしょう。

神は、沈黙しておられると思えた時、モーセの誕生とその後の成長を力強く導いておられました。神は、モーセが自分の使命を自覚したときにその失敗を見守り、しゅうとの羊を飼うことしか頭にない凡人になったときに偉大な働きへと召し出しました。神は同じことを今も続けておられます。

私たちはこの世界で様々な責任を担うように召されています。それはすべて、主から託された責任であり、そこで主は私たちに、「『わたしはある』という方が、私をここに遣わされた」と告白するように召されているのです。