ヨハネ1章35〜51節「イエスの公生涯の初めの七日間」

2014年3月30日

ヨハネの福音書も創世記も、「初めに」ということばから始まり、七日間のことが描かれています。創世記の七日目は、神の喜びに満ちた安息の日でした。そして、ヨハネ福音書における七日目は、カナの婚礼で、水がぶどう酒に変えられた喜びの日でした。

聖書の教えは堅苦しい道徳ではありません。そこには創造主とその御子との喜びの出会いがあります。そして、私たちに求められていることは何よりも、自分自身でイエスと出会うことと、自分が出会ったイエスを人に紹介することです。そして、喜びに満ちた出会いのゴールに神の国の祝宴があります。

1.「私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです」

ヨハネは、ヘロデ王の大拡張工事によって輝いているエルサレム神殿が無意味であるかのように、ヨルダン川の水を用いて「罪の赦し(マルコ1:4)を宣言していました。

それに対し当時の宗教は、「なぜ」(25)と尋ねました。彼はその疑問に答える代わりに、「あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っています・・・私はその方のくつのひもを解く値うちもありません」(26,27)と、質問者の目を、「その方」に向けさせました。

29節では、「その翌日」という不思議な日付の描写が記されます。その日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て、「見よ、神の小羊を!世の罪を取り除く方を」(29節私訳)と言いました。

イスラエルがエジプトでの奴隷状態から解放されるために過ぎ越しの子羊がほふられる必要がありました。同じように、私たちが、新しい天と新しい地の民とされるためには、新しい「神の小羊」の犠牲が必要でした。

それをもたらす救い主の姿が、「彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった・・彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53:4,5)と預言されていたのです。

しかも、イエスは、「さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知る」者となることによって、つまり、力を捨てた小羊となることによって、私たちに救いをもたらしたのです。

そして、ヨハネも自分の権威を一切主張することなく、イエスだけを指し示しました。私たちはこれらの姿に習うように召されたのです。私たちは自分の弱さを恥じ、強くなることによって目の前の問題を解決しようとしていないでしょうか。現代ある様々な争いの解決の鍵も、「見よ。神の小羊を・・」にあるのです。 

ヨハネはイエスにバプテスマを授けた際のことを、「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました」(32)と言いました。それは、「見よ。わたしのしもべを・・わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け・・」(イザヤ42:1)と預言されていた救い主の姿でした。

このときから、イエスは、神の民を新しい天と新しい地に導き入れる、新しいヨシュア(イエスのヘブル語名)として、公に働き出しました。 

その上でヨハネは、イエスこそが、水によってではなく、「聖霊によってバプテスマを授ける方である」(33)と紹介します。

イスラエルの民がヨルダン川を渡って約束の地に入ったように、私たちも「水と御霊によって(新しく)生まれ、神の国にはいる」(3:5)のです。肉のままのイスラエルができなかったことを、御霊は可能にしてくれます

そして、ヨハネの証しは、「私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです」(34)ということばをもって終わります。彼は徹底的に人々の目をイエスに向けさせます。

2.「来なさい。そうすればわかります(見えます)

35節は再び、「その翌日」ということばから始まります。この福音書の具体的な物語の第一日目は、ヨハネが自分のことをイザヤ403節に記された「荒野に呼ばわる者の」として紹介しました。そして、この第一日目にイエスはヨハネからバプテスマを受けたのだと思われます。

そして、物語の二日目が、イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と紹介することから始まり、「聖霊によってバプテスマを授ける方」と紹介したことで終わっています。 

これは物語の三日目の記事で、「ヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていた」と描かれながら、そこで「イエスが歩いて行かれるのを見て」、「見よ、神の小羊」(36)と、「ふたりの弟子」に改めて紹介したというのです。

つまり、ヨハネは初めの二日間で、イザヤ書40章から55章までの概略を説明し、その上で、この三日目に、イエスこそが預言された救い主、メシヤであると彼らに指し示したのです。

「ふたりの弟子」は、ヨハネが目を向けた方向に向かって歩き出しました。これはヨハネが、神によって立てられた「声」としての召しに忠実に従ったことを意味します。

それで、37節は厳密には、「彼(ヨハネ)のふたりの弟子は・・・イエスについて行った」と記されています。これは、彼らが自分の先生を、ヨハネからイエスに変えた瞬間とも言えましょう。

そしてイエスは、「彼らがついて来るのを見て」、「何を求めているのですか(何を捜しているのか)」と聞きます。彼らはその質問にまっすぐに答える代わりに、イエスを「ラビ(先生)」と呼び(38)、「いまどこにお泊りですか」と尋ねます。

当時の人々は、ローマ帝国から独立したユダヤ人国家という意味での「神の国」を求めていました。しかし、彼らはヨハネからイエスを「神の小羊」と紹介されながら、その意味が分かりきらずに困惑していたのではないでしょうか。彼らはそれで、新しいラビに同行したいという意思を表明するだけにとどめました。

それに対してイエスは即座に、「来なさい。そうすればわかります(見えます)(39)と答え、彼らを弟子として受け入れました。これは自分の宿泊の場を教えたというよりも、彼らがイエスについて来ることで、彼らが自分で何を捜していたのかが分かるようになると言われたという意味だと思われます。

「そして、その日彼らはイエスといっしょにいた(別訳「イエスのところにとどまった」)。時は十時(午後4)ごろであった」(39)と記されます。これは、彼らが一晩イエスとともに過ごしたことを示します。

なおここに至って初めて、「そのうちのひとりは、シモンの兄弟アンデレであった」(40)と、ひとりの名が明らかにされます。なお、もうひとりの弟子は、この目撃証言的な書き方からすると、この福音書の著者ヨハネである可能性が高いかと思われます。

そして、41節は、時間的に、その翌日の四日目の出来事になります。アンデレはまず自分の兄弟シモンを見つけて『私たちはメシヤに会った』と言った」(41)と記されます。一番弟子のペテロは、その兄弟アンデレに導かれてイエスに会ったのです。

アンデレはいつも他の人をイエスのもとに連れてくる役割を担っています。彼は後に、五つのパンとに引きの魚を持つ少年をイエスの前に連れて来ました(6:9)。また後にギリシャ人をイエスに取り次ぎました(12:2)。しかも、最初に弟子となったのに、「シモンの兄弟・・」と紹介されています。たぶん、彼自身それを喜んでいたのでしょう。

彼はごく自然に自分を後回しにして、人と人とが結びつけることができる性格でした。有名な信仰者の影には、常に、彼のように目立たない働きがありました。そのような人こそ、キリストの教会の宝と言えます。

それにしても、「私たちはメシヤ(キリスト)に会った」というアンデレのことばは簡潔ながらも衝撃的です。彼は、「私は信じた」という自分の心の動きを証ししたのではなく、イエスとの出会いを紹介したのです。しかも、言外に、「兄貴も捜していたメシヤだよ、いっしょに会いに行こうよ」という、寄り添う気持ちがあったことでしょう。

とにかくそれらをまとめるように、アンデレの働きがここで、「彼はシモンをイエスのもとに連れてきた」(42節)と簡潔に記されます。 

するとその後のことが、イエスがご自分の方から「シモンに目を留め」、「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします」と言われたという様子が描かれます。ペテロの心の動きではなく、イエスご自身がペテロに目を留め、ご自分の弟子として選ばれたということが強調されています。

なお、ご自身が「光」であられる方は、シモンが最後に三度もイエスを否むような弱さを抱えていることを見抜きながら、敢えて彼を「岩」と呼びました。挫折を通して、「岩」のように不動の堅い信仰者に変えようと意図されたのです。

私たちの場合も、イエスご自身の方から私たちを発見し、その弱さを見抜いた上で、それぞれのユニークさが輝く方向を指し示してくださいます。

それこそが「新しい名」の意味です。それが見えるようになることは、自分の使命を発見することです。その第一ステップは、「来なさい。そうすればわかります」という声に従うことです。

 3.「来て、そして、見なさい」

「その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけ、『わたしに従って来なさい』と言われた」(43,44)と描かれていますが、これは五日目の出来事で、舞台は引き続き、ヨハネがバプテスマを授けていた死海に近いヨルダン川のほとりです。ピリポやペテロの出身地がここでは「ベツサイダ」(44)と敢えて記されていますが、それはガリラヤ湖北東部の漁師町でした。

彼らはバプテスマのヨハネの弟子になるために、自分たちの村から二日間も南に下った地に来ていたのだと思われます。そこで同じガリラヤ出身のイエスに見出され、ともにガリラヤに戻るように招かれました。ヨハネを通して聖書を事前に学んでいなければ、イエスの招きにすぐに応答して弟子になることなどできなかったに違いありません。

多くの人々も、一時期、精神的な郷里から離れるようにして、人生の旅に出ます。そして、遠回りし、迷っているただ中で、主のことばが自分への語りかけとして心に響いて来ました。振り返ってみると、それまでの自分の歩みのすべてが、神の御手のうちにあったと気づきます。

 「ピリポ」は、男だけでも五千人いる大群衆を養うためにどれだけのお金が必要かを即座に計算できた人です(6:5-7)。また、イエスに「私たちに父を見せてください。そうすれば満足します」(14:8)などと聞きました。彼はまさに現実主義者でした。

そして、イエスに従うことを決めるやいなや、ナタナエルを見つけて、「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子のイエスです」(45)と紹介しました。あるラビの計算によれば、旧約聖書には何と456か所にキリスト預言が記されているとのことです。

しかし、後半のことばは、人間的な出生を前面に出した表現ですから説得力がありません212節によるとナタナエルもガリラヤの出身で、ナザレに近い「カナ」の出身でしたから、「ナザレから何の良いものが出るだろう」(46)と答えたのも無理からぬことでしょう。

しかし、ピリポはひるむことなく、「来て、そして、見なさい」と言いました。自分の知恵でイエスが救い主であることを説明できるなどとは思っていなかったからです。ナタナエルは以前から親しい友だったのでしょう。すぐにイエスに会いに行きました。私たちも友人を、そのようなことばで、教会に招くことができます。

 イエスはここでも、ご自身の側からナタナエルに目を留め、「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない」と言われました(47)。「偽り」とは「欺き」とも訳される言葉です。彼はピリポのことばを即座に否定した偏見に満ちた人でしたが、イエスは彼の欠点ではなく、そこにある最も良いものを即座に見出してくださいました。

ナタナエルは、友情を傷つけないための社交辞令のような反応はせずに、率直な反応を示しました。同時に、「来て、そして、見なさい」というピリポの誘いを拒絶することなく、自分が抱いた疑問を、自分の目で確かめるために、イエスのもとに来ました

彼は偏見に満ちた人と言うよりも、正直に自分の疑問を表現しながら、同時に、それに凝り固まることなく、何が真実かを求めようとしています。私たちも、そのように人を見ることができるなら幸いです。

しかも、イスラエルとは、彼らの父祖ヤコブの「新しい名」でした。彼は、父をだまして(偽り)、兄のエサウから長子の祝福を奪い取りましたが、その後、神は、彼を様々な試練に会わせ、神の民の父へと成長させ、この名をくださいました。

ですから、「ほんとうのイスラエル人」ということばに、神によって「偽り」から解放された、真の神の民という思いがあります。それは、人間的には不可能な、神の視点です。

 ナタナエルが「どうして私をご存じなのですか」と聞くと、イエスは「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見た」と答えました(48)。イエスは、ナタナエルに出会う前から、既に彼を「見ておられた」というのです。

「いちじくの木の下」は、当時の人々が聖書の学びや黙想に用いた場所です。ナタナエルも、アンデレやペテロ、またピリポのように、ガリラヤを離れ、ヨハネのもとで「神の国」の到来を待っていたことでしょう。

そしてイエスは、ナタナエルが自分や人を偽ることなく、神に向かって真実な問いかけを続けている様子を見ておられたのでしょう。イエスは、その人の心のなかにある真実を発見し、評価してくださる方です。

彼は即座に、「ラビ(先生の原文)。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(49)と応答しました。これはイエスの本質を鋭く洞察した、簡潔で模範的な告白です。そこにはイエスこそが、詩篇2篇6,7節の預言を成就して、イスラエルを真の神の国へと導く「イスラエルの王」「神の子」であるという告白があります。

しかも、イエスから、「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ」と呼ばれたナタナエルが、イエスを「イスラエルの王」と告白したということは、彼がまさに自分をイエスの臣下、しもべと認めたことを意味します。その意味で、ナタナエルは最初に明確な信仰告白をした一番弟子とも言えます。

ただ、彼の名は他の福音書には登場しません。そこでは、「バルトロマイ」という名が、十二弟子のリストでは「ピリポ」と並列して記されていますからナタナエルとバルトロマイを同一人物と見ることもできましょう。

どちらにしても、彼はピリポと対照的な、黙想、直感型の人だったと思われます。ですから、イエスは彼を、ピリポとの交わりを用いて、互いを補い合うことができるような形で召されたのではないでしょうか。

4.「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます」

ナタナエルは、自分が「いちじくの木の下にいる」のを、イエスが「見て」おられたことを知って、イエスを「信じる」ようになりましたが、それに対しイエスは、「あなたは、それよりもさらに大きなことを見る」と言われました。

そして、イエスはそのことを弟子たちすべてに向かって、「まことに、まことに・・天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを・・いまに見ます」(51)と述べられました。この情景こそ、「ほんとうのイスラエル人」の原点です(28:12)

それは、イエスこそが、ヤコブに示された幻を完成するイスラエルの王であるという意味です。ヤコブは、「偽り」によって兄から命を狙われ、母の故郷への逃亡の途上で、一人寂しく、石を枕にして寝ました。そこで見た夢が、「見よ。ひとつのはしごが地に向けて立てられている。その頂きは天に届き、見よ。神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主(ヤーウェ)が彼のかたわらに立っておられた。

そして仰せられた・・見よ。わたしはあなたとともにあり・・あなたを守り・・約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」(11-15)です。

彼の生涯は、この約束に支えられていました。ここでは、「見よ」ということばが繰り返されています。そして、この福音書の箇所でも、「見る」(「わかる」も同じギリシャ語)ということばが繰り返されています。キリスト者の生涯とは、このように、肉の目に見える現実を超越した、神の世界の現実を「見る」ようになることなのです。 

イエスの弟子たちはこの後、ナタナエルの故郷、カナでの婚礼において、水がぶどう酒に変えられるのを見ました。また、イエスは本来の安息日が喜びの日であることを示すために、敢えてその日を選んで盲人の目を開きました。そして、「私たちは目が見える」という人が、いかに盲目かを示しました(9:41)。また、十字架の直前、弟子たちのため、天から「わたしはすでに栄光を現したし、もう一度栄光を現そう」(12:28)という声がしました。

弟子たちは、預言された「人の子」としての救い主の上に、天が開け、父なる神の祝福が豊かに注がれているのを見たのです。 

人は、ときに、後悔と不安で心が一杯になりますが、唯一存在する時は、過去でも未来でもなく、「今、この時」です。しかもそれは、直接「永遠」と結びついています。目に見えない神の眼差しを、今この時に意識できるなら、私たちは一瞬一瞬を喜び、誠実に生きることができます。

これは、説明して分かる世界ではなく、「来て、そして見なさい・・あなたがたはいまに見ます」としか言えません。それはイエスのみわざです。イエスは、今の時代、みことばを通して、私たちに出会ってくださいます。その出会いを証しすることこそ私たちの使命です。

5.七日目の奇跡、それは真の安息の日、小羊の婚宴を指し示す

カナの婚礼の記事は、「それから三日目に」という表現で始まります。これは実質的にはナタナエルとの会話の二日後のことで、それはヨハネがバプテスマを授けていた場所からガリラヤのカナまで歩いて二日間が必要だったからです。そこには「イエスも、弟子たちも」招かれていました。

つまりこの記事は、前の章からの流れの中から理解されるべきです。一章では「その翌日」(29,35,43)と三回繰り返されますから、この記事は119節からの続きと見られます。

ナタナエルは、カナの出身者でしたが、イエスは彼にヤコブの夢を思い起こさせ、「天が開け・・るのを・・いまに見ます」(1:51)と語りました。それはイエスによって新しい祝福の時代が始ることを宣言したものです。 

「それから三日目」とは、ヨハネの証しが始まってから七日目に相当します。そして、この記事の結論で、「イエスはこのことを最初のしるしとして行ない、ご自分の栄光を現された。それで弟子たちはイエスを信じた」(11)と記されます。つまり、この最初の奇跡の目的は、誰よりも弟子たちに信仰を与えるためでした。

この福音書の著者は、最初にイエスに従ったうちのひとりで、これを創造の七日目の出来事に位置付けています。そして、イエスのみわざは、七日目を真の意味で、「喜びの日」「はえある日」(イザヤ58:13)に変えられたということを示唆しているのです。 

ところで、ヨハネはぶどう酒を口にせず、人に断固とした悔い改めを迫っていましたが、イエスこそが、聖霊によって人を内側から造り替える「神の子だと述べ、自分の弟子たちに彼を救い主として紹介しました。それは、ヨハネのバプテスマは、水をぶどう酒に変えるような変化をもたらすことができないからです。彼が水のバプテスマと聖霊によるバプテスマを比較していたのはそのためです(1:33)

事実、人は気持ちを新たにすることで、何度かはやり直せますが、それは根本的な変化ではありません。ある人は、「地獄への道は良い決断で舗装されている」と言いましたが、人は何度もやり直そうとして失敗し、自己嫌悪を深め、さらに堕落することがあります。

真の悔い改めは、自分の力でやり直そうとすることではなく、全能の神のみわざに身を委ねることです。そこに単なる外面的な行動の変化(Change)ではなく、水がぶどう酒に変わるような、質的な内側からの沸き起こる変革(Transformation)が起ります。   

イエスの最初の奇跡は、大量の水をワインに変えることでした。これは、今も昔も、敬虔で実直な信仰者を当惑させます。人生を楽しませるためのもの(伝道者の書10:19)が、悲劇を生み出すという現実が余りにも多いからです。

しかし、私たちの信仰が、反対に、ワインを水に変えるような冷めた道徳主義になり、争いを加速するという危険がないでしょうか。イエスの公生涯の初めの七日間の出来事を思い越すことから真の希望が生まれます。

イエスの公生涯の初めの七日間には、この世界を「新しい天と新しい地」へと変革することの始まりが見られます。それは、感情に流されがちな弟子を「岩(ペテロ)」と呼び、また、偏見にとらわれた弟子を「ほんとうのイスラエル人」と呼び、彼らに「神のかたち」としての生き方を「見させる」ことでした。

同じことがあなたにも起き始めています。