2013年6月、立川福音自由教会新会堂記念誌より
主の奇しい導きと多くの愛兄姉のお祈りとご支援により、このようなすばらしい新会堂が献堂できましたことを心より感謝申し上げます。
今までの会堂は1989年6月、東京武蔵野福音自由教会の第二会堂として、六年間の限定つき、月額36万円で借りたものでした(家賃はその後30万円にまで下がりましたが、そこになんと24年間も住んでしまいました)。当時はバブル経済の真っただ中でしたが、その半年後、バブルがはじけ、株は大暴落に転じ、90年代後半にかけて幾つもの金融機関が名を消して行きました。そのような中で私たちが高額な家賃を払い続けることができたのはひとえに東京武蔵野教会のご理解の賜物に他なりません。
その頃の私は、バブル的な発想に強い影響を受けていたかと思わされます。表面的には、世の流れに対抗するかのように、弱い人に寄り添うカウンセリング路線を前面に押し出していましたが、心の底では、自分の人間的な力に頼った教会運営を続けていました。私たちはその頃、東京武蔵野教会の一部でしたが、93年初めに東村山での開拓伝道が始まったものの、94年に古山洋右先生がすい臓がんを発症、それを契機に群れ全体に起きた嵐の中で、私自身の問題があぶりだされてしまいました。
ただ、そのことが、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきて(みことば)を学びました」(詩篇119:71) と記されているような恵みに変えられました。この献堂式に際し、詩篇の祈りの本の二冊目を皆様にお贈りさせていただきますが、その原型はすべて、当時の葛藤の中で、詩篇の祈りによって深い慰めを受けることができたことに始まります。まさに、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者3:11) とある通りです。
なお、その後、当教会は97年3月には立川福音自由教会としての自立運営に至り、99年初めぐらいまでは教勢もそれなりに伸びて来ましたが、その後は、デフレ経済に左右されたかのように停滞局面に入り、会堂建設を計画することは遠い夢のように思われることもありました。ただ、1997年から2001年にかけて、幾度もの貴重な研修の機会を与えていただき、「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する……だから、わたしの創造するものをいつまでも楽しみ喜べ」(イザヤ65:17、18) という神のビジョンが、より身近なものに感じられるようになりました。それこそ、目の前の状況に左右されない信仰の喜びの原点でした。
そして、2004年5月からは旧約聖書を最初から駆け足で解き明かし続けるという講解説教を始めましたが、それとともに、聖書を学ぶこと自体に何よりも興味を持ってくださる方々が増えてきました。今回の会堂建設が可能になったのは、何よりも、当教会に集う愛兄姉の主体的な働きによるものです。
私自身は伝道や牧会というより、聖書翻訳や執筆活動に熱を上げていた面があります。しかし、それも幸いしたのかと思われます。ひとりでも多くの信者を獲得しようと必死になっていたときには、空回りばかりを起こしていましたが、みことばの解き明かし自体を何よりの自分の使命として行ったとき、みんながそれぞれの賜物を生かして主体的に動き出してくださいました。
そして、それとともに東京武蔵野教会の愛兄姉を初めとし、ふだん当教会に集っておられない方々も、当教会の会堂建設を応援してくださるようになりました。聖書を土台とした教会形成という原点に徹底的に立ち返ろうとしたとき、主ご自身が道を開いてくださったのだと思います。
イスラエルの民の信仰は、国が傾くという中で成長して行きました。新会堂のステンドグラスは、「新しい天と新しい地」において実現する神の平和(シャローム)をイメージしたものです。そこは愛の交わりが完成する世界でもあります。私たちはその神の平和を今から体験するように召されています。そこから私たちは「地の塩、世の光」として世界に遣わされます。世の人々を招き、信仰者を世に遣わすセンター教会として、世界が暗くなればなるほどやさしく輝くことができるようにと願っています。