今から60年ほど前は、自宅出産が普通でしたが、そこには大変な危険も伴いました。私の誕生は予定日より15日間も遅れていました。夜中に陣痛が起き、助産師さんが呼ばれてきましたが、大きくなりすぎていたため、近所のおばさんが母のお腹に乗るようにして胎児の私を押し出す必要がありました。どうにか生まれたものの、母は血が止まらなくなりました。それで今度は、家の外から雪を持ってきて母のお腹を冷やしました。そのため今度は激しい腹痛に襲われ、そのうち母の意識が朦朧としてきました。祖母は母がそこで眠ったら、永遠に意識を失ってしまうと心配し、必死に母の名を呼びかけ続けたとのことです。
母は私を出産しながらまさに死の一歩手前まで行きました。しかし、私の誕生は母を強くしました。それまでは死んでしまいたいというほどの悩みの中にありましたが、このすさまじい産みの苦しみを通して、彼女の人生は開かれて来たのかと思います。
私はその後も、病気や事故で何度も死にそうになりますが、間一髪のところで守られ続けて来ました。母は、そのことを振り返りながら、一昨年、洗礼の恵みに預かりました。
イエスは「ユダヤ人の王」として彼らのすべての罪を負って、罪の束縛から解放し、彼らに与えられた「祭司の王国」(出エジ19:6) としての使命を全うしてくださいました。預言者イザヤはそれを産婦の「産みの苦しみ」として描いています (66:7以降)。
それによって、神の救いの御計画は新しい段階に移り、今、私たち異邦人もこのままの姿で「神の子」とされる道が開かれたのです。神の御前でのすべての負債は免除され、自由な歩みを始めることができます。
私たちは母親に抱擁された乳飲み子のような平安に包まれて、不条理に満ちた世界に遣わされることができます。そして、私たちが出会うすべての試練も、「産みの苦しみ」となりました。そこには新しい喜びの世界が待っています。
1.「この方はまことに神の子であった」
「さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた」(15:33) と描かれますが、これは救い主のうめきに、すべての被造物のうめきが重なったというしるしではないでしょうか。そして、暗闇が三時間続いた後、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれたと記されます。
これはイエスが実際に言われたアラム語の発音をそのまま記録した画期的な描写です。それは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味でした。
ただし、イエスは、この期に及んで「どうして」と疑ったわけではなく、全世界の罪を負って、のろわれた者となりながら、なおあきらめることなく、「神の救い」を訴え続けたのです。しかも、これは詩篇22編の冒頭のことばそのものです。
そこではダビデ自身が、神から見捨てられているかのような不安と孤独を味わったことが描かれます。イエスはここでも「ダビデの子」として、ダビデが詩的に描いた苦しみを文字通りに味わってくださったのです。
ただ、それを聞いた幾人かの人々は、「そら、エリヤを呼んでいる」と言いました。「エリ、エリ……」という叫びが、預言者エリヤを呼び求めたように聞こえたのでしょう。
しかし、そこには嘲りの気持ちが込められていました。イエスが救い主なら、その前にエリヤが現れているはずで、「この期に及んで何だ?」という気持ちです。
そのあざけりの様子が、「すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら」、「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう」と言ったと記されます (15:36)。
詩篇22篇では人々から軽蔑され、「主 (ヤハウェ) にまかせ、助けてもらえ。救ってもらえ。お気に入りなのだから」(8節) と嘲りを受ける姿が描かれますが、イエスは「ダビデの子」として、その辱めを引き受けておられたのです。
イエスはダビデの子、「ユダヤ人の王」でしたが、神と人から見捨てられた「のろわれたもの」として十字架にかかりました。しかし、それによって旧約の人々には想像もつかなかった全世界への救いが実現しました。
そのことをパウロは、「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです」(ガラテヤ3:13、14)と述べています。
そして、今、私たちはその「約束の御霊」を受けることができたのです。
マルコはイエスの最後の場面を、「それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた」(15:37) と記していますが、「息を引き取る」と訳されていることばは、極めて日本語的な表現ですが、厳密には、「霊を出す」となっています。ルカによる福音書では、イエスが「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と言われたと記された上で、「霊を出した」とマルコと同じ動詞が用いられています(23:46)。
イエスは殺されたというよりは、働きを全うされて、霊を明け渡されたのです。そして、その「イエスの御霊」は、今、「約束の御霊」として、私たち一人ひとりに与えられています。
しかし、人々の無理解の一方で、驚くべきことが起きました。それが、「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(15:38) という表現です。それは、イエスの死によって神殿の役割が終わったという意味だと思われます。
イエスはかつて、「家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった」(12:10) と言われましたが、これは当時のエルサレム神殿の指導者たちがイエスを殺すことで、結果的に、新しい霊的な神殿の基礎が築かれることになったという意味でした。
その代わりに、当時の神殿は40年後にローマ軍によって廃墟とされますが、その崩壊は霊的な意味ではこのときに起こったと言えましょう。
一方、霊的な神殿はイエスの十字架によって完成しました。そのことをヘブル書の著者は、「私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができる」(ヘブル10:19) と言いました。
そして、最後に、「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て」、「この方はまことに神の子であった」と告白します (15:39)。
ローマの将校は、本来、ローマ皇帝のことだけを「神の子」と呼んだはずですが、無力に十字架にかけられ、殺された方を、「神の子」と呼ぶなどということは奇想天外なことです。
イエスを「ユダヤ人の王」として、あざけり、ののしり、その衣をくじ引きで分けた兵士たちは、この百人隊長の部下であったはずです。彼はそれに対するイエスの対応に、真の王としての風格を見て、深く感動したのではないでしょうか。
この福音書の最初は、「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ」と記されていますが、この書のテーマを聖書のストーリーを知らなかったはずのこの「百人隊長」が告白しました。これこそ神の御霊による奇跡です。
これは、預言されたエリヤであったバプテスマのヨハネのことばが実現し始めたしるしと言えるのではないでしょうか。ヨハネはかつて、エルサレム神殿を無視するかのように、ヨルダン川のバプテスマで罪の赦しを宣言していましたが、イエスの働きについて、「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊の(による)バプテスマをお授けになります」と言っていました (1:8)。
パウロは後に、「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(Ⅰコリント12:3) と記しましたが、この異邦人の百人隊長のうちに御霊の働きが始まったのです。
2.「ヨセフは思い切ってピラトのところへ行き……」
その上で、十字架の場面の最後の描写として、「また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた」(15:40、41) と記されています。
「マグダラのマリヤ」はルカによる福音書では、「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ」(8:2) と描かれますが、彼女はイエスの弟子たちの中で、最も悲惨な過去を持っていた女性でした。今、その女性に最初の復活の証人の栄誉が与えられようとしています。
「サロメ」とは、「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」の母のことだと思われます (マタイ27:56)。彼女はイエスに向かい、息子たちを神の国においてイエスの左右の座に付けてほしいと図々しいことを願った女性です (マタイ20:20、21)。ここに登場する三人の女性たちは、社会的な特別な立場もあったわけでもなく、また、特別に信心深かったというわけでもありません。
そして、そこでまったく予期しないことが、「すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった」(15:42、43) と描かれます。
まず、「すっかり夕方になった」とは、日没が近づいて、残されている時間が限られていることを示しています。当時の安息日は日没から始まりましたから、そうなってはイエスを葬ることができなくなります。
そこで、「アリマタヤのヨセフ」という人が突然現れ、ピラトにイエスのからだの下げ渡しを願ったというのです。彼はイエスがイスラエルに神の国をもたらしてくれることを待ち望んでいました。しかし、彼は自分の社会的立場を守るためにか、自分の信仰を隠していました (ヨハネ19:38)。
ところが、ヨセフはここで、イエスの十字架の姿を見ながら、自分を恥じたのではないでしょうか。彼はその御姿に心を揺すぶられ、先の見通しがないまま、「今、ここで」なすべきと示されたことを誠実に行おうという勇気を持って立ち上がりました。そのことが、「思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った」と描かれます。
これは、自分の立場を不鮮明にしていたヨセフとしては、驚くべき決断でした。なにしろ、イエスの弟子たちはみな、自分たちがイエスの弟子であることを隠さなければ自分の身が危ないと恐怖に駆り立てられていたときのことですから。
ただ、もしヨセフが事前に自分の信仰的立場を公表していたとしたら、このような願いはピラトに聞き入れてもらうことはできなかったことでしょう。神は、私たちの失敗をさえ、ご自身の目的のために用いることができることの良い例です。
そこで、「ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた」(15:44、45) と描かれますが、イエスの死は驚くほど早いものでした。
十字架刑は、何よりも見世物にするのが目的でしたから、息が絶えるまで四日間もかかることがあったとのことです。しかし、イエスは夜通しの裁判と厳しい鞭打ち刑で衰弱しており、ご自分で十字架を負うことができないほどでしたから、死期が異様に早かったのかもしれませんし、また、そこに神のあわれみとイエスご自身がご自分の死をも支配していたという事実があるのかもしれません。
ピラトがヨセフの申し出にすぐに応じたのは、以前から彼のことを知って信頼していたということがあるのかもしれません。
その後のことが、「そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた」(15:46) と描かれます。
ユダヤ人は葬式を大切にしましたから、ヨセフが自分のために用意していた新しい墓を、イエスのために用いようとしたことは極めて自然な動きでした。
これらのことを通して、イザヤが、「彼の墓は悪者どもとともに設けられた。しかし、彼は富む者とともに葬られた。それは、彼が暴虐を行わず、その口に欺きはなかったから」(53:9私訳、NKJ参照) と預言したことが成就しました。
当時、十字架にかけられた者の死体は、共同墓地に投げ込まれました。しかし、イエスの遺体は、サンヘドリンの議員のために用意された地域の、真新しい墓に、「富む者」の仲間として、葬られました。それは、神が義人を守り通してくださるということのしるしでした。
そして、神は、このときヨセフを用いて、イエスの復活のための舞台を用意してくださったのです。共同墓地に投げ込まれた遺体がなくなっても、誰も気にも留めません。しかし、真新しい墓に葬られた遺体がなくなったとしたら、人々は、みな、何かが起こったはずだと不思議に思わざるを得ないからです。
私たちもヨセフのように、いろいろ迷いながら行動しながら、後で、自分の行動を恥じることもあることでしょう。しかし、先が見えないながらも、手探りのような状態で、「今、ここで」、自分にできることを大胆に行う勇気が、結果的に、期待をはるかに越えた明日を開く原動力になります。
ヨセフは自分の行動が何をもたらすかを知りはしませんでしたが、イエスの復活の後に、自分がイザヤの預言を成就させる者として神によって用いられたことを心から感謝できたことでしょう。
イエスの身体を葬ったヨセフを動かしたのは聖霊ご自身ですが、その方は後に「イエスの御霊」とも呼ばれます。
3.「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」
「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた」(15:47) とありますが、「安息日」は、金曜日の日没から始まりますから、女たちは、墓の場所だけを確認して、安息日の後で、もう一度イエスを丁重に葬りたいと思ったことでしょう。
彼女たちは、ただ、イエスの遺体が腐敗して悪臭を放つなどということなどを想像したくないと必死に願いながら、とにかく、今自分たちができる最大限のことをしようとしました。
合理的に考えると、遺体の腐敗は決して避けられませんが、神は、そのような彼女たちの人間としての情を用いてくださいます。
「さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った」(16:1) とありますが、彼女たちは、安息日にイエスの遺体に香料と香油を塗ることができなかったことを歯がゆく思ったことでしょう。
それで、安息日が明けた土曜の日没後に香料を買い求めたのだと思われます。
「そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた」(16:2) とありますが、彼女たちは、「朝早くまだ暗いうちに」(ヨハネ20:1)、墓に向かって動き出していました。そして、神は、そのような彼女たちの切ない痛々しい思いを用いて、彼女たちを最初の復活の証人としようとしておられます。
当時の安息日であった土曜日に、彼女たちはどうしても急いで行いたい思いながら、休まざるを得ませんでした。それが益とされたのです。
ところで、この墓の入り口は、大きな石で閉ざされ、封印され、ローマの兵士によって見張られていました (マタイ27:66)。そこに日曜日の早朝、女たちが着いたとき、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」と、「みなで話し合っていた」と描かれます (16:3)。
彼女たちはそんな当然のことも十分に考えることなく行動してしまいました。しかし、ときには、そのように熱い情熱だけで動き始めることが、神によって用いられることがあります。
すべての準備が整うのを待って行動しようとすると、いつになっても動けないということがあるからです。
そして、このときも、「ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった」(16:4) という不思議が起きました。私たちのうちに神が行動への思いを与えてくださるとき、しばしば神は、先回りするかのように、すべてのことを備えていてくださいます。
それは、かつてイエスも、それを前提に、「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」(マタイ6:34) と言っておられたとおりです。
そして、ここでまったく予想もしなかったことが起きました。そのことが、「それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた」(16:5) と描かれます。ルカの福音書では、「見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た」(24:4) と描かれます。
それを見て、「女たちは驚いた」(16:5) のですが、御使いは、「驚いてはいけません」と言いつつ、「あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう」(16:6) と不思議な語りかけをします。
これは厳密には、「あなたがたはイエスを捜しているのでしょう。ナザレ人を、十字架につけられた方を」という語順になっています。これは、イエスを捜している彼女たちの気持ちに寄り添いながら、同時に、「十字架につけられた」ことが既に過ぎ去ったことであるという思いが込められています。
その上で、御使いは彼女たちに、「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です」(16:6) と言いました。
その上で、御使いは彼女たちに、「お弟子たちとペテロ」へのメッセージを、「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます」と伝えます(16:7)。
原文では、「前に言われたとおり」ということばが最後に記されていますが、これは、何よりも、弟子たちは既に語られたみことばによってイエスの復活を理解すべきであるというメッセージです。私たちは復活のイエスに出会うために、遠くエルサレムに旅行する必要はありません。「今、ここで」、みことばをともに読む中で、イエスの復活と臨在を知ることができるのです。
しかも、ここでは先に三度イエスを知らないと言ったペテロに向かってガリラヤからの再出発を約束しています。ペテロはこのことばを、「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません」と豪語する直前に確かに聞いています。
そこでイエスは、「あなたがたはみな、つまずきます……しかしわたしは、よみがえってから、あなた方より先に、ガリラヤに行きます」と語っておられました (14:27、28)。
ペテロは後に、女たちからこのことばを聞いたとき、自分のことばを深く恥じるとともに、イエスがすべてを予めご存じだったことに深く感動したことでしょう。
そして、多くの信頼できる古い聖書の写本は、マルコの福音書の最後が、「女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16:8) で終わっていることを示しています。これは、なかなか理解できない終わり方なので、後に、その後に様々な付け加えが出てきたのかもしれません。
しかし、基本的に、9-20節に記されていることは、他の福音書に記されていることなので、これらの部分をあまり深く調べる必要もないのかと思われます。
それよりも、このあり得ないような8節の終わり方こそが、イエスの復活を御使いから聞いたときの最も自然な反応と言えましょう。不思議なのは、それにも関わらず、弟子たちはこの後、イエスの復活を、命がけで伝えるようになったということです。
以前、クリスチャン新聞に、『心の復活』というテーマでメッセージを記させていただきました。そこにジェームス・フーストン氏のことばを、「復活を法的に証明できれば、それは有益な本になります。でも、それは本にすぎません。イエスの復活の本当の『証明』は、イエスが心の中に住むことによって変えられた人生、生まれ変わった人生です」と引用しました。
そして、その結論を、「自分の変化を自分ではかるとナルシズムの世界になります。しかし、茫然自失の状態で、神の御前で、うめき、ため息をついていることは、『心の復活』の始まりです。
自分の無力さに圧倒されるような時こそ、自分の願望が死んで、『イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊』が『死ぬべきからだ』の中に働くことを体験する (ローマ8:11) チャンスなのですから」と記しました。
私たちは、ときに、自分の力では何ともできないという絶望的な状況に追い込まれます。そこでは、「ため息」しか出てきません。しかし、それを、主の前での「ため息」とするとき、そこから、「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊」の働きが始まります。
イエスはかつて「産みの苦しみの初め」について語った時、弟子たちが迫害を受けながら世界中に散らされることを指して、「こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなかればなりません」と言われた時、「彼らに捕らえられ、引き渡された時、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただそのとき自分に示されることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です」と言われました (13:8-11)。
つまり、このマルコの福音書が提示した「福音のはじめ」の続きを、立ち直ったペテロや他の弟子たちが満たして行くということが、既に示されているのです。
そして私たちもマルコの福音書の続きの「神の国」の物語を生き続けています。そして、そこには「うめき」と「心の復活」の繰り返しが記されているのです。それこそ、イエスが十字架上で叫んだ「わが神、わが神……」という詩篇22篇のテーマでもあります。
神と人とに見捨てられた者としての深いうめきのことばから始まった詩篇は、「あなたは答えてくださいました」という転換点から復活賛美に変わります。
そこでは、「まことに、主は、悩む者の悩みを、さげすむことなく、厭うことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、助けを求めたとき、聞いてくださった」(24節) と、最初の「うめき」とは正反対の告白がなされ、そのことが民族の枠を超えて「地の果て」にまで、また世代を超えて語り継げられると記されます。