世の多くの人々は、家内安全、商売繁盛や災いを退ける厄払いを願って神社に参拝します。そのような中で、「イエスを救い主と信じることによって、今ここで、何が変わるのですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょう。私はしばしば、「どの人の人生にも闇の時期が訪れます。しかし、イエスに信頼する者は、痛み、苦しみ、悲しみの中にも、喜びと平安と希望を見いだすことができます。それを知っていることで、自分の損得勘定を超えて目の前の課題に真正面から向かう勇気をいただくことができるのです」と答えるようにしています。
預言者イザヤは、イエスの十字架への歩みの中に、神の救いのご計画を全うする「ユダヤ人の王」としての威厳を見させてくれます。
1.「主 (ヤハウェ) のしもべ」としての生き方を全うされたイエス
本日の礼拝の最初にイザヤ52章13節から53章12節の「主のしもべの歌」を交読しました。これは旧約聖書しか信じないユダヤ人がイエスを救い主として信じる際に最も多く用いられている不思議な預言です。そこには、「苦難を通しての救い」という聖書に繰り返されるストーリーの核心が簡潔に記されています。
私たちはこれを最初からキリスト預言として読んでしまいがちですが、もっと原点に立ち返って、私たちと同じ不自由な肉体に縛られていた人間イエスが、このみことばをどのようにお読みになったかを考えるべきでしょう。
イエスは総督ピラトの前に立たれながら沈黙しておられたとき、また、ローマ兵から鞭を打たれていた時、また「いばらの冠」をかぶらされて嘲りを受けておられたとき、この「主のしもべの歌」を思い巡らしていたことでしょう。
イエスは、そこに描かれた生き方を全うすることこそが「ユダヤ人の王」としての使命であることを自覚し、またそれによって「神の国」を全世界にもたらすことができると信じておられました。
イエスの十字架に至る場面はまさにその700年前に記されたイザヤ書53章に記されていました。イエスはこのみことばをそのまま生きることによって「世界の救い主」になられたのです。
ところで、現代のユダヤ人も、ナチス・ドイツによる大迫害を受けながら、自分たちが「主 (ヤハウェ) のしもべ」として苦難に耐えているという自覚を持っていたのではないでしょうか。
この歌は、不条理な苦しみの中で、その苦しみに積極的な意味を生み出す力を持っています。この歌を生きる者は、苦難に耐える力を受けることができます。
ビクトール・フランクルというオーストリヤ出身の有名なユダヤ人の精神科医がいました。彼は第二次大戦時の最も忌わしいアウシュビッツ強制収容所の苦しみをくぐりぬけ、その体験を「夜と霧」という本にまとめ、不朽のベストセラーになっています。彼が始めた精神療法のロゴセラピーは、人生の意味を問うことで人を立ち直させるもので、聖書のメッセージと矛盾しません。
ヒットラーがウィーンに進軍してきたとき、フランクルはすでに精神科医として尊敬を集めていました。ただ、ユダヤ人であるためナチス・ドイツ政権の支配下では働きを続けることができません。それで、米国行きのビザを申請していました。数年かかってビザが下りたとき、ユダヤ人に対する迫害が激しくなっており、そこに残ると、強制収容所への抑留が避けられない状況になっていました。
しかし、彼には年老いた両親がいました。その両親のビザはありません。彼は迷いました。彼がウィーンに残ったところで両親を救うことができるわけではないことは明白でしたが、両親を置き去りにして自分だけが渡米することに後ろめたさを感じていました。
迷いながら家に帰ってみると、父親が、破壊されたユダヤの会堂の瓦礫から拾ってきた大理石がテーブルの上に置いてありました。そこにはヘブル語のカフというアルファベットが刻まれていました。それは、「あなたの父と母を敬え」の最初のことば、「敬え(カベッド)」の最初の文字でした。彼は、この文字を見たとき、自分の使命は、両親とともにウィーンに残ることにあると確信できました。
彼は自分の医療技術を用いて、秘密警察の悩みを解決し、両親の抑留を一年間伸ばすことができましたが、まもなく両親とともに強制収容所に抑留されました。
父は、そこで肺水腫を患って死の床につきます。彼は医師として、父に最後の痛み止めの注射を打つことができました。彼は、そのときのことを、「私は、それ以上考えられないほど満足な気持ちであった」と書き残しています。
母はその後、アウシュビッツのガス室送りになりましたが、移送される直前に、彼は母に祝福の祈りを請い、まさに心の底からの祝福のことばを母から最後に受けることができました。彼自身もその後、アウシュビッツに送られますが、彼はそこで母親のことばかりを思い、母への感謝の思いで心がいっぱいになっていたとのことです。
フランクルは奇跡的にアウシュビッツの苦しみの生き残り、そこでの体験を証ししました。それは、苦しみの証ではなく、どんな悲惨な状況に置かれても、人間は高貴に、自由に、麗しい心情を持って生きることができるという神のかたちに創造された人間の生きる力の証しでした。「何のために生きるのか……」という問いに答えを持っている人は、最後の瞬間まで、真の意味で生きることができるということの証しでした。
そして何よりも、彼が、あらゆる損得勘定や現実的な計算を捨てて、両親とともに強制収容所に入ると決めたことは、一瞬一瞬、人生の問いに答えながら歩むことを、身をもって証することになりました(結論は各自で異なって当然ですが……)。
その後、彼は、この「生きる意味の心理学」によって、多くの人に希望を与えながら、92歳に至るまで幸いな生涯を全うしました。
ヒットラーはドイツ国民の中にあった怒りと憎しみとねたみの感情を煽ることによって権力を握りました。一方、ユダヤ人のフランクルは、権力者に振り回され、理不尽な苦しみに耐えることで、神のかたちに創造された人間の尊さを証しできました。
フランクルはその意味で、アウシュビッツの苦難を通してヒットラーに打ち勝ったのです。
イエスの十字架への歩みは、王のなかの王としての歩みでした。イエスは圧倒的な勝利者であったからこそ、十字架に向かって歩まれたのです。私たちは、十字架の「暗さ」に、この世の暗やみを圧倒する「光」を見ることができます。
N. T. Wright は、「the cross is the victory that overcomes the world(十字架は、世を打ち負かす勝利である)」と述べていますが、当時の「十字架」は、ローマ帝国の秩序に従わせる「脅し」の手段でした。
イエスの幼児期に何千ものユダヤ人がガリラヤ地方で独立運動に参加し、十字架にかけられました。ローマにとって十字架こそは自分たちの法の秩序と平和を守らせるための脅しのシンボルでした。しかし、イエスはそれを「愛と赦し」のシンボルに変えてくださいました。
しかも、その脅しは、キリストの弟子には通用しなくなり、ついにはローマ帝国自体が十字架にかけられたイエスを救い主と信じるようになりました。
イエスの受難のシーンには、真の王者の姿が描かれています。ハエを殺すように人を殺すことができたローマの百人隊長はそれに気づきました。なぜなら、真の王の権威とは、民を救うためには自分のいのちを差し出すことができるという生き様に現されるからです。
2.イエスは「ユダヤ人の王」として十字架に向かわれた
マルコ15章1節には、「夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した」と記されますが、前夜イエスはユダヤ人の最高議会ですでに死刑と宣告されていました。
しかし、当時のユダヤでは正式な死刑判決はローマ総督しか下すことができませんでした。それで、ユダヤ人の宗教指導者はイエスをローマ総督ピラトに引き渡す必要があったのです。
先の最高議会で大祭司がイエスに、「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」(14:61) と質問したとき、主は「わたしはそれです」と言われたばかりか、「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです」(14:62) と言われました。
この背後にはダニエル7章13節の預言がありますが、そこでは、救い主が、神の栄光を象徴する「天の雲」に乗って神の前に導かれ、「主権と光栄と国が与えられる」(同7:14) という一連の栄光へのプロセスが描かれています。まさに、イエスは「全世界の王」なのです。
ここでピラトはイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねましたが、イエスは、「そのとおりです」とご自分が「王」であるとお認めになられました。
この15章には六回にわたって「ユダヤ人の王」または「イスラエルの王」ということばが繰り返されます (2、9、12、18、26、32節)。当時の人々が待ち望んでいた救い主は、「ユダヤ人の王」としてローマ帝国からの独立を勝ち取る軍事指導者でしたが、イエスもご自分が「王」であること認められたのです。
ただし、当時のローマ帝国の法律では、イエスが実際に群集を帝国への反抗へと扇動しない限り十字架刑にはできません。ですから、祭司長たちは、イエスが群衆を扇動していたと「きびしく訴え」(15:3) ました。祭司長たちはありもしない罪をでっち上げてでも、イエスを独立運動の指導者として認めさせる必要がありました。
祭司長たちは、確かにイエスの人気があまりにも高いので、たといイエスが拒否しても、民衆がイエスを独立運動の指導者に祭り上げてしまうと恐れていたかもしれません。ユダヤに独立運動が勃発したら、ローマ軍が鎮圧に動きだし、自分たちの生活はますます圧迫されます。ある意味で、彼らはそのような政治的な打算のもとにイエスを訴えたことでしょう。
そして、ユダヤ人の独立運動は、ピラトの失点にもなるということを暗に訴えたことでしょう。
ところがピラトは、祭司長たちの訴えを聞きながら、彼らのことばには合理性がないことに気づきました。なぜなら、イエスがユダヤ人の最高議会で全員一致の死刑判決を受けた理由は、民衆を扇動したことではなく、自分を神と等しくしたという冒涜罪にあったからです。死刑判決の理由が勝手に変えられたのです。
しかし、ローマ帝国の法廷では、ユダヤ人の神への冒涜罪で、死刑判決は下せません。その矛盾をピラトは気づいていました。彼は、イエス自身が、その彼らの矛盾を指摘してくれることを内心は願っていたことでしょう。
その思いが、ピラトのイエスに対する再度の質問、「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです」(4節) という問いかけです。そこには、イエスが弁明さえすれば、この愚かな裁判を終えられるという期待がありました。
ところが、「それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた」(15:5) というのです。これはピラトにとって到底理解できないことでしたが、それこそが、イザヤ53章7節に記された主のしもべの姿でした。
そこでは、「痛めつけられても、彼はへりくだり、口を開かない。ほふり場に引かれる羊のように……。毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」と預言されていました。
イエスは、人々が期待する救い主の姿ではなく、イザヤが預言した「主 (ヤハウェ) のしもべ」の姿を生きておられたのです。
しかも、それに続くイザヤ53章10節には、「彼を砕き、病とすることは、主 (ヤハウェ) のみこころであった。もし、彼がそのいのちを罪過のためのいけにえとするなら、末長く、子孫を見ることになる。主 (ヤハウェ) のみこころは彼によって成し遂げられる」と記されていました。
イエスはご自分を「罪過のためのいけにえ」とするのが、「主のみこころ」であると確信していたため、敢えて、ピラトの前で沈黙を守っていたのです。
そして、本来、エルサレム神殿はイスラエルの民の罪をあがなうための神が与えたシステムでした。そこで、イエスはご自分の死を通して、神殿を完成しようとされたのです。
それにしても、祭司長たちがイエスを殺したいと願った最大の理由は、イエスが自分たちの生活の基盤であるエルサレム神殿の秩序を壊そうとしていたと解釈したからです。イエスは彼らの既得権益に挑戦したのです。
一方イエスはイザヤ53章12節にあるように、「そのいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられた」、つまり、犯罪人の仲間とされることこそ、神のみこころであると信じ、ピラトの前で沈黙を守りました。
自分の身を守るために平気でうそをつく祭司長たちと、ご自分が無罪でありながら、有罪判決を受けることが主のみこころであると確信して沈黙を守るイエスの対比がここでは強調されています。
イエスの沈黙に、王としての威厳が現されています。
3.「見とれるような姿も、輝きも彼にはなく、私たちが慕うような見ばえもない。」
ピラトは、イエスに「帝国への反逆罪」を適用するには無理があることを認めながら、責任のがれのための妥協策を考えますが、その初めのことが、15章6-8節において、「ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢に入っていた。それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた」と描かれます。
ピラトは、誰の目からも十字架刑にふさわしいバラバという人と、イエスのふたりを並べることによって、イエスを釈放できると考えたことでしょう。なぜなら、群集は、つい五日前にイエスを「ダビデの子」、つまり「ユダヤ人の王」として歓迎していたのを知っていたからです。
それでピラトはそれを期待しつつ、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか」と言いました。その理由が、「ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである」と記されます。彼は、祭司長たちがイエスの人気をねたんでいたことに気づいていたからこそ、民衆はイエスの釈放を願ってくれると期待していました。
ところが、民衆には民衆の期待がありました。彼らは自分たちを独立に導いてくれる強いリーダーを求めていたのです。それで彼らはイエスの惨めな姿を見て裏切られたような気持ちを味わっていました。それこそ、祭司長たちの思惑どおりでした。
そのことが11節で、「しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた」と描かれます。
彼らは、宗教指導者の説得に応じてバラバの釈放を願い、本来彼が受けるべき刑罰をイエスに要求しました。彼らは、無抵抗のイエスを見て、自分たちの期待が裏切られたことに腹を立てたのだと思われます。
ピラトはユダヤ人を皮肉って、「あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよと言うのか」と尋ねますが、すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだというのです (13節)。
それに対し、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と言いました (14節)。これは本当に群衆が自分自身に問うべき質問でした。ところが、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫んだというのです。
その後のことが、「それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した」(15節) と記されます。
暴動で人を殺したバラバは、「ユダヤ人の王」の身代わりとして釈放されました。これは、イエスが真にユダヤ人の王であるからこそ、一人のユダヤ人が王の権威によって恩赦に浴したと解釈することもできましょう。
当時のローマ総督は、民衆をうまく治めることができないと、すぐにローマ皇帝によって首を挿げ替えられる不安定なものでした。それでピラトは自分の身に危険が及ばないように、ローマの法律では死刑にできないはずの人に死刑判決を下しました。
人間的な見方をするなら、ピラトはローマ帝国の権威を代表している存在であり、イエスは彼の心ひとつで死刑にされるひ弱な存在です。しかし、イエスの言動を注意深く見るなら、この場を支配しているのは、ピラトではなくイエスご自身です。
まさにイエスはローマ帝国の権威を上回る王として、十字架刑の判決を引き出されたのです。
そして、このとき人間としてのイエスは、不当な判決を受け、その直後に厳しい「むち打ち」の刑を受けながら、イザヤ53章5節のみことば、「彼は、私たちのそむきのために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちの平和 (シャローム)、その打ち傷が私たちのいやしとなった」を味わっていたのではないでしょうか。
イエスは、ご自分が不当な苦しみに耐えることが、すべての人にとっての「平和」と「いやし」を生み出すことになると確信していました。イエスはそれをイザヤ書から読み取っておられたのです。
後にペテロはこれを引用しつつ、「キリストは……自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました……キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです」(Ⅰペテロ2:24) とイエスの御苦しみの意味を語りました。
16-19節にはローマの兵士たちがイエスをあざける様子が描かれます。「紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ」たというのは、王の格好をさせたという意味ですが、月桂樹の代わりに「いばら」で冠を編んだのは何よりの侮辱です。
その上で、「兵士たち」は、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをすることで、イエスとユダヤ人の両方を侮辱しました。
そして、「葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた」と、その嘲弄の様子が生々しく描かれます。「葦の棒」とは彼らが王酌に見せるためにイエスに持たせたものです。彼らはイエスをテロリストの王に見たてて日頃の憎しみをぶつけたのかもしれません。全世界の救い主が、何という嘲りを受けたことでしょう。
そして、「彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した」(20節) と描かれます。
ところでイエスは、そのような嘲りを受けながら、イザヤ53章1-4節のみことばを思い巡らしていたのではないでしょうか。そこには、「主 (ヤハウェ) の御腕は、だれの上に現されたのか。彼は御前で若枝のように芽生えたが、乾いた地から出ている根のようだった。見とれるような姿も、輝きも彼にはなく、私たちが慕うような見ばえもない。さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」と記されています。
イエスは、ご自分を何と、「主の御腕の現れ」と意識しながら、主の救いは、人々のあざけりやののしりに耐えることによって実現できると信じておられました。まさに、イエスは神によって立てられた真の王としての自覚を持つからこそ、あざけりに耐えることができたのです。
私たちは、自分の存在価値を高く評価してくれる方の語りかけを聞き続けることによってのみ、不当な非難に耐えることができます。
イエスの苦しみにはイザヤの苦難のしもべの姿を実現するという創造的な意味がありました。そして、イザヤの預言の書き出しには、「見よ。わたしのしもべは 栄える。高められ、上げられ、はるかにあがめられる。多くの者があなたを見て唖然とするほどに、その見ばえも失われて人のようではなく、その姿も人の子らと違っていたのだが……。そのように、彼は多くの民を驚かせ、王たちはその前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ」(52:13-15) と記されていました。
「主のしもべ」としての「栄光」は、この世の常識の逆転によって現されるというのです。私たちは知らないうちに、この世的な成功や栄光の基準によって自分の価値を測ってはいないでしょうか。
イエスの十字架と復活は、世界の価値観を変えました。私たちは世の不条理に振り回され、敗北者の道を歩むように見えても、「圧倒的な勝利者」(ローマ8:37) とされているのです。