マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」

2012年12月23日

最近、ケリー・マクゴニガル博士の著書「スタンフォードの自分を変える教室」がベストセラーになっています。それは人間の「意志力The Willpower Instinct(やる力、やらない力、望む力)」を養う力を扱っています。

「意志力」は「気力」によって上げるようなものではありません。たとえば、「気合いだ!」と連発し自分を鼓舞して何かをやり遂げても、成功すれば怠惰を生み、失敗すれば自己嫌悪になるだけです。

喫煙に対する恐ろしい警告表示は、喫煙者にますますタバコを吸いたくなる気持ちを起こさせると言われます。なぜなら、不安や罪責感はドーパミンの分泌を刺激し、それは快感への「渇き」を起こさせるからです。

また、疲労がたまったり、血糖値が下がると「意志力」はすぐに減退します。自分の心や身体に優しく向き合わないと意志力は強化されません

しかし、何よりも大切なのは、将来へのビジョンを明確に持っていることです。ストレスで意志力が減退しても、明確な目標を持っている人は、人間的な意志力の限界を超えて行動することができます。

マタイの福音書2章では、東方の博士たちが遠い国から様々な困難を乗り越えて、救い主を拝みに来たことや、ヨセフが幼子イエスと母マリヤをヘロデ大王の攻撃から守って、エジプトに下り、またナザレに戻ったという記事が記されています。彼らは、どうして、そのような行動を取ることができたのでしょう。それは、神ご自身が、彼らの意志力を守ってくださったからとも言えましょう。

使徒パウロは、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです」(ピリピ2:13)と記しています。

マタイで救い主の名は「インマヌエル(神は私たちとともにおられる)」と呼ばれますが、人の目には、「神がともにおられるなら、どうして、こうも苦しく、不安で、見通しのないところを通らされるのか・・・」とも思われる中で、神の不思議なみわざが見られます。神は、東方の博士やヨセフを通してご自身の力を現しておられました。

1.「ユダヤ人の王」を拝みに来た東方の博士たち…新しい時代の幕開け…

「イエスが、ヘロデ王の時代にお生まれになったとき」とありますが、ヘロデはユダヤ人と敵対関係にあったイドマヤ人(エサウの子孫)で、ローマ帝国を後ろ盾に、現在のイスラエルをはるかに上回る、ダビデ王の時代に匹敵する広大な領土を支配する王として君臨していました。

彼はユダヤ人を手なずけるためエルサレム神殿を大改築し、自分こそが預言された救い主であるかのようにふるまっていました。ただ、彼の権力基盤はローマ皇帝の心ひとつで崩れる危ういものでした。

イエスが、救い主、ダビデの子として誕生するということはヨセフとマリヤ以外にはだれも理解できないことだったと思われます。ところが、このマタイ福音書では、イエスが救い主として誕生したということが、はるか東方において知られたと、不思議なことを描いています。

マタイ1章の系図はユダヤ人以外にはほとんど理解できないものだったと思われますが、2章ではそれが世界を変える出来事であるということが報じられます。それが、東方の博士たちの訪問の記事です。

博士たちは新しい時代の到来を、不思議な星の出現によって知りました。彼らは当時の文化の中心地バビロンの地から来たのだと思われます。かつてユダヤ人はそこで捕囚となっていたので、彼らは聖書の預言にも通じていたはずです。

なお、皮肉にも最も早く将来的な救い主の誕生を預言したのは、モーセの時代の異教の占い師バラムかもしれません。彼は、「ヤコブからひとつの星が上りイスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く」(民数記24:17)と言いました。ここに登場する「博士」も占星術師のような存在です。彼らは異教社会の最高の知識人という意味で「博士」と訳されますが、どこまで聖書を理解していたかは不明です。

バラムも、この東方の博士の場合でも、主導権は彼らの知識や探究心である前に、神ご自身の導きであることを忘れてはなりません。とにかく神は、イエスの誕生の出来事に異教の知識人を招き入れることで、キリストの救いは異邦人に及ぶということを最初から示されたのです。

東方の博士たちは、エルサレムに行けばすべてが分かると信じて「やって来」ましたが、そこに栄光の王の誕生のしるしを見ることはできませんでした。それで、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」(2節)と尋ねまわり、それがヘロデの耳にも入ってきました。

その反応として、「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人もヘロデと同じであった」(3節)と描かれるのは、このような問いかけが、ヘロデはイスラエルを復興する真の王ではないということを内外に明らかにし、当時の権力基盤を崩すことになるからです。

それで祭司長たちは、ヘロデの質問に聖書から答えはしましたが、その方を拝みに行こうとは思いませんでした。彼らは自分たちの身の安全を優先したのです。

預言者ミカは、ダビデの生誕地ベツレヘムに「イスラエルの支配者になる者が出る」(5:2)と預言していました。そして、その方は、「アッシリヤが私たちの国に・・踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う」(5:6)と言われていました。多くの人々が救い主の誕生を、この世の出来事を離れた霊的なことかのように考えますが、ミカ書を初めとするすべての預言書は、この地に神の救いが実現することを語っています。

東方の博士が、遠い道のりのかけてきたのも、ヘロデがそれを聞いて恐れたのも、現在のクリスチャン以上に預言を身近に感じていたからです。救い主は、神の民の敵を滅ぼすことによって世界に目に見える平和を実現すると描かれていました(ミカ4:3)。それは神の完全な平和(シャローム)の実現でした。

博士たちはが、その町に近づいたとき、東方で見た星が再び現れ、彼らを幼子イエスのところに導きました。それは、人の知恵による発見ではなく、神の一方的な導きでした。

イザヤ書60章では、神がもたらす新しい時代には、諸国の民が、黄金、乳香をたずさえ、神の祭壇にささげると(6,7節)と預言されていましたが、その祭壇はヘロデが建てた神殿ではありませんでした。

彼らは、「家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」とありますが、これは当時、王にささげる最高の贈り物の組み合わせでした。

「乳香」は当時の神殿で用いられる最高級の香料であり、エジプトでは王だけしか使うことが許されませんでした。中世のペストの大流行のときその拡大を止めるような殺菌力を発揮したと言われます。

「没薬」はミイラを作る際に大量に用いられ、イエスの葬りの際にも用いられましたが、通常は祭司や貴婦人たちの化粧品や皮膚薬。香料などに用いられました。

それにしても、イエスの最初の住まいは家畜の餌を入れる「飼い葉おけ」で、それは村はずれの洞窟の中だったと思われますが、このときは、博士たちは「家に入って」と記されています

これは、イエスの誕生から二年近く経っていたときのことだからです。なぜなら、ヘロデ王は、「星の出現の時間」を博士たちから「突き止め」、後に「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を一人残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである」(16節)と記されているからです。少なくとも、この博士たちの訪問は、クリスマスのときよりかなり後のことであるのは明らかです。

真のユダヤ人の王の誕生したことを異邦人は認めましたが、ユダヤ人の支配階級は自分の身の安全を考え、確かめようともしませんでした。しかしそれは、ユダヤ人ばかりか異邦人にとっても新しい時代の幕開けを意味したのです。

そして、強い意志力をもって東方から旅してきた博士たちは、この新しい世界の王を人々に先立って拝むことができました。

2.真のユダヤ人の王として、その歴史を再体験した方

博士たちは、「それから夢で、ヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の家に帰って行った」(12節)とありますが、ヘロデにとって、博士たちが自分の前を通りすぎてベツレヘムに向かったことは、途方もないショックでした。彼は、自分の三人の息子さえ、競争者と疑って殺したほどですから、その赤ちゃんを殺すのに躊躇はしません。

それで、博士たちが帰ったあと、主の使いが再び夢の中でヨセフに現れ、「立って、幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を探し出して殺そうとしています」(13節)と言います。

このとき博士たちがくれた宝物がこの長い旅の必要を満たすことができたことでしょう。主はあらかじめ必要を満たした上で、困難な命令を下したのです。

そして、「そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた」と描かれていますが、ここに改めてヨセフの従順さと同時に強い意志力が示唆されます。ただ彼としては、何がなんだかわからないまま、御使いの命じられるままに未知の世界に勇敢に歩み出したと言えましょう。

そして、そこで興味深いのは、「これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と言われたことが成就するためであった」と記されていることです(15節)。これは、ホセア11章1節にある記事ですが、それはイスラエルの原点、出エジプトのことに他なりません。

つまり、幼子イエスのエジプト逃亡は、イスラエルの歴史をやり直す意味があります。それは、イエスこそがイスラエルを代表する王であられる方だからです。

ヘロデは博士たちの報告を待っていましたが、その期待が裏切られたと分かると、「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとりの残らず殺させ」(16節)ます。当時の村のサイズからしたら、該当する幼児の数は10人から30人ぐらいでしょうが、ヘロデにとっては心を痛めるほどのことでもなく、また、幼子が平気で遺棄される当時のカルチャーの中では何の話題にもならなかったことでしょう。

しかも、このことが、「そのとき、預言者エレミヤを通して言われたことが成就した」(17節)と解説されているのにはやりきれない気がします。この悲劇も神の御手の中にあって起こったというのですから・・・。

しかし、それがあるエレミヤ31章15節前後の全体の文脈には、暗闇を通しての希望が記されています。そこでは、「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている」と記されていますが、これはイエスの誕生は、神がイスラエルの民の悲しみのただなかに降りてこられたという意味を持っています。

「ラマ」はエルサレムの北八キロメートルにあるベニヤミン族の中心都市で、そこに後にバビロン捕囚として連行される人々が集められました(エレミヤ40:1)。ラケルはヤコブの最愛の妻でベニヤミンを産むと同時に息絶え、ベツレヘムに葬られました。

彼女は悲劇の人ですが、同時に、後に続く祝福の母でもあり、彼女からヨセフが生まれ、それがエフライムとマナセという北王国の中心部族が生まれました。しかし、北王国は滅ぼされ、その民は強制移住させられ、残るベニヤミン族もバビロンに捕囚とされてゆきます。それを彼女は嘆いているというのです。

ただエレミヤ書では続けて、「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ・・・あなたの将来には望みがある・・あなたの子らは自分の国に帰って来る」(31:16、17)という希望が告げられます。

「神が全能ならば、なぜ、この世にこれほどの不条理や悲劇があるのか?」という問いに明確な答えはありません。しかし、「私たちが痛んでいるとき、神もともに痛んでおられる」ということと、「私たちの悲しみには必ず終わりがあり、神は私たちの将来を開いてくださる」ということは明らかです。

イエスに信頼する者の人生の不思議とは、どんな苦しみの中にも望みを見出すことができるということにあります。旧約聖書の二大テーマは出エジプトとバビロン捕囚ですが、マタイは、その両方をホセアとエレミヤの預言をもとにイエスの誕生に結びつけました。人間的に見ると、幼子イエスのエジプト亡命も、ベツレヘムの幼児虐殺も、サタンの使いとも言えるヘロデの残虐さに翻弄されている悲劇でしかありませんが、聖書全体からすると、それはイエスがイスラエルの王として、それまでの悲劇を生まれるとともに背負ってくださったことを意味します。

それにしても、「イエスがベツレヘムに生まれなかったら、そこの赤ちゃんは殺されずに済んだのに・・・」と思いたくなります。しかし、残念ながら、祝福の傍らで、悲劇も同じように生まれるというのは、この世の現実です。

たとえば第二次大戦におけるドイツの敗北は、1944年6月6日の連合軍のノルマンディー上陸作戦で決定的になりました。しかし、そのときから1945年4月30日のヒトラーの自殺に至るまでの11ヶ月間、想像を絶する犠牲の血が流されています。戦いの勝敗が決まったのはノルマンディー上陸作戦ですが、戦いが終わるのはそれから一年後です。

イエスの誕生はサタンの敗北の始まりでした。しかし、それ以降、自分の終わりを知ったサタンは、イエスの救いを見えなくするために、このベツレヘムの幼児殺しに始まりあらゆる手段を尽くしています。

夜明け前が一番暗く感じられるとか、光が強いほど影も濃くなるとも言われるように、イエスの誕生にともなう悲劇は、サタンの最後の悪あがきの始まりです。それは黙示録のテーマでもあります。

3.キリストが支配する新しい時代に入れられている恵み

この悲劇の直後に、「ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った。『立って、幼子とその母とを連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました』」と記されています(20節)。

ヘロデは、必死に自分の競争者を殺そうとしましたが、そのとたん、彼自身の命が尽きました。現在の暦はイエスの誕生を起点にしているはずですが、後に誤差が発見され、降誕は紀元前4年だと言われています。それがヘロデの死の年だからです。しかし、先にあったようにイエスはヘロデの死の二年前には生まれていたと思われますから、するとイエスの誕生は紀元前5年から6年ということになります。

どちらにしても、ヘロデは自分の死の年が、新しい時代の幕開けとなったことを夢想だにしなかったでしょう。神殿を復興したと自負していた人が、もっとも忌み嫌われた人となりました。

ヨセフは家族とともにイスラエルに戻りましたが、そこでは、「アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行って留まることを恐れた」(22節)と記されます。アケラオはヘロデにまさって残酷な王で、ローマ皇帝は後に、民の反乱を恐れてアケラオを王座から退けたほどです。

そして、「夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ち退いた。そして、ナザレという町に言って住んだ」と記されます。ヨセフは夢のお告げのたびに、それに従っているというのは何とも不思議です。

ふと、「どうして、目を覚ましているときに御使いが現れてくれないのか・・・」とも思いますが、それはヨセフの主体的な行動を尊重しているからかもしれません。人によって、「神がもっと私の進むべき道を明確に教えてくれたら・・・」と願うかもしれませんが、幼子のイエスを保護するという重大な責任を負っていたヨセフでさえ、夢を通してしか語っていただけなかったことを考えれば、神はどれだけ私たちの主体性を重んじているかが分かるのではないでしょうか。

とにかく、彼らが住んだのは辺鄙な田舎のナザレでした。そして、「この方はナザレ人と呼ばれる」という預言は、旧約聖書のどこにも記されていませんが、それは、預言された救い主に関して「彼はさげすまれ…」(イザヤ53:3)と言われていたことを指していることばだと思われます。これは、ダビデ王国の栄光を復興したと自負していたヘロデ王の栄光と何と対照的でしょう。

本日の箇所では、預言がひとつひとつ成就して行ったことが強調されています。東方の博士たちが贈り物を届けてくれたこともそれに含まれます。それは、ノストラダムスの大予言のように、いつ、どこで、何が起こるかを告げることではなく、神の救いの計画の全体像を知らせることが中心です。

神がご自身の御顔を隠される「のろい」の時代のことは、ずっと以前に警告されていました。その通りのことが起きて、彼らは、「恐怖にとらわれ・・心がすり減り・・種を蒔いても無駄になり・・あなたの力は無駄に費やされる」(レビ26:16-20)、また、「やまいが癒されず・・婚約者を寝取られ、家を建てても住むことができず・・ぶどう畑を作っても、その収穫をすることができない」(申命記28:27-37)という悲惨を味わっていました。

しかし、神はご自身の民をあわれみ、御子キリストによって新しい時代を開いてくださいました。それは、古い時代と対照的に、「彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作ってその実を食べる・・自分で作ったものを存分に用いることができ、無駄に労することがない」(イザヤ65:21-23)という祝福の時代です。目に見える現実はまだ完成していませんが、イエスとの交わりのうちに生きる者はすでに、そのような御国の民とされています。

ですから、パウロは、「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15:58)と言いました。

それは、キリストにある「いのち」を生きている者は、「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)と確信をもって告白することができるからです。

マタイ1、2章では、預言の成就がテーマになっています。第一は、処女からインマヌエルと呼ばれる方が誕生すること、第二は、救い主はベツレヘムで生まれるということ、第三はヨセフ家のエジプト避難が、救い主がエジプトから呼び出されるという預言の成就であること、第四はベツレヘムの幼児虐殺が悲劇のエレミヤ預言の成就であること、第五は救い主はナザレ人と呼ばれるという預言の成就でした。

このどれをとっても、人間的な意味での悲劇が伴っています。当時のユダヤの人々はだれも、「預言が成就した、ハレルヤ!」とは祝わなかったことばかりです。しかも、これらの預言の成就に関わったのは、一介の大工に過ぎないヨセフと、名もない東方の博士たちです。しかし、神は彼らを通してご自身の救いの計画を進めておられたのです。

そして、彼らはそれぞれ、これらが預言の成就であることを認め、神のみこころに従っていました。そこには喜び以上に不安や悲しみがありました。彼らは自分の意志力ではなく神の意志力を生きたのです。彼らは神のときを生きたのです。そして、私たちも神のご意志と神のときを生きるように召されています。そこに新しい世界が広がります。

ヘロデは、政治的には、大王と呼ばれるのにふさわしい業績を残しました。ローマ帝国の信任を勝ち得て広大な国土を治め、神殿を初めとする多くの建造物を後の世に残しました。

しかし、彼はそれらをあらゆる権謀術数を尽くしてやり遂げました。それで彼には、信頼できる人がだれもいませんでした。ほとんどの国民から毛嫌いされ、ひとりぼっちで、自分が作ったもので自分を慰めるナルシズムの世界に生きていました。

一方、イエスの名は「インマヌエル」と呼ばれたように、神はたしかに私たちの味方となられ、私たちとともにおられます。それは、父なる神が、イエスをマリヤの腕に抱いて守ったように、私たちがこのキリストにある交わり(教会)に包まれて生かされていることを意味します。この目に見える交わりは、やがて実現することが確定している「新しい天と新しい地」のつぼみです。ヘロデと反対に、私たちは交わりに生きるのです。

今、私たちのために、「新しい天と新しい地」への道が開かれています。しかし、五年後、十年後のことがどうなるかは、まったく分かりません。しかし、手探りながら、今、ここでなすべき働きは示されているのではないでしょうか。

私たちの前には、今日なすべきことと、永遠のゴールだけが分かっています。しかし、それこそが、ヨセフの歩みであり、すべての神に用いられた人の歩みではないでしょうか。

イエスの救いを永遠の神の救いのご計画の中から考えることで、目の前での自分の果たすべき責任が見えてきます。神はこの世界をご自身の平和で満たしてくださいます。私たちはその過程の中にいます。それであれば、私たちの使命は自ずと明らかになります。私たちは今、平和の完成に向けての一里塚を歩んでいます。