故田中角栄氏が「政治は数であり、数は力、力は金だ」と言われたことが、金権政治の哲学と批判されてきましたが、何の既得権益も持たない人が社会に影響力を発揮しようとするときに、このことばは極めて現実的な政治哲学とも言えましょう。私たちもある人の功績をたたえる時、その人が成し遂げた何かを語ります。そして、何かを成し遂げた人は、お金や力や人を使うことに長けている場合がほとんどです。
ところが、イエスはご自分の頭に数百万円もの価値がある香油を一度に注いでしまったひとりの女の行為を絶賛し、「福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となることでしょう」と言われました。イエスにとっては、この女の行動こそが、「福音を生きる」ということの模範でした。
これはあまりにも奇想天外な教えです。イスカリオテのユダがイエスを裏切りたくなったのも当然かもしれません。あなたにとって「福音を生きる」とは、何を意味するのでしょう。
1.イエスの受難予告と人々が願った神の国
14章1節では、「さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった」と記され、11節までのことがすべて水曜日に起こったとの印象を与えます。
一方、ナルドの香油がイエスに注がれた話しは、ヨハネの福音書12章でも描かれますが、そこでは、「イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた」と記され、それが十字架の前の週の土曜日であるとの印象を与えます。
そして、この二つの記事には、マルコでは香油は頭に注がれ、ヨハネでは足に塗られたという大きな違いがありますが、香油の種類や値段ばかりか、弟子の反応やイエスのことばも重なる部分が多く、これが一週間のうちに二回起こったと考えることの方が不自然かとも思われます。
なお、マタイ26章に描かれた香油注ぎの話しはマルコと同じ出来事の記録であることは誰の目にも明らかです。
私は今頃になって、マルコとヨハネは同じ出来事を記しているのか、同じならばどちらの日付が正しいのかと、深く悩んでしまいました。
しかし、よく見ると、ヨハネでの「六日前」とは、ベタニヤについた日であり、香油を注いだ日とは記されていませんし、マルコでも、「二日後に迫っていた」とは、祭司長、律法学者たちが、イエスをとらえて殺すことに必死だったという内容を説明する日付です。香油注ぎの日がいつなのかは、永遠の謎なのです。
私たちはあまりにもすべての出来事を順番に記すのが当然という先入観を持ってはいないでしょうか。福音書を読む際に大切なのは、それぞれの福音書が独自のストーリーを記していることを理解することです。
記事を重ね合わせて実際は何が起こったのだろうかと推測するよりも、それぞれの福音書で明らかに強調されていることやその記され方の特徴から、著者はその出来事の中のどんなテーマを強調しているかを読み取ることが大切です。
マルコの特徴は、香油注ぎの話が、イエスがどのように捕えられることになるのかという記事に挟まれていることです。しかも、少なくとも三度に渡って、イエスはご自分の十字架の死と復活のことを弟子たちに語って来ました。
第一はペテロの信仰告白の直後の8章31節で、そこでは、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた」と記されます。その直後、ペテロはイエスをわきにお連れしていさめ始め、「下がれ、サタン」と叱責されます。
第二は、イエスの栄光の姿への変貌と、弟子たちが悪霊追い出しに失敗したと描かれた後の9章31節で、そこでイエスのことばが、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる」と記されます。その直後弟子たちは、「だれが一番偉いかと論じ合って」しまいました。
第三は、金持ちの青年がイエスの招きに従うことができなかったのを見たペテロ、自分はすべて捨てて従っていますと自慢したという記事の後の10章33、34節で、イエスのことばが、「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります」と記されています。そして、その直後、ゼベダイのふたりの子が、愚かにも、イエスの栄光の御座で、自分たちを右大臣、左大臣にして欲しいと願ったという記事が記されています。
この弟子たちに比べたら当教会に集っておられる方は何と物わかりが良いことでしょう。とにかく、三回とも、イエスはご自分が人の手によって殺されると言われるとともに、「三日の後によみがえる」と明言しておられます。
しかし、彼らには聞こえていたはずの言葉が、まったく心の中には入っていません。それは彼らが自分たちのアジェンダに夢中になっていたからです。それは、救い主が失われたダビデ王国を実現してくれるという期待です。
今回の衆議院議員選挙でも、各政党が託された国の富と力をどのように行使するかに関して様々なアジェンダを出していますが、もしイエスが現代に現れ、神の国のビジョンを示されても、多くの人はまったく理解できないことでしょう。
それは、神の平和(シャローム)をこの地に完成することですが、そのための道は、人々の心を従えるという代わりに、互いに仕えるという生き方であり、十字架への道こそ、神の国の成就につながるということでした。
そして驚くべきことに、イエスは三番目の受難予告において、ご自分がエルサレムに着いた後、同じ神を信じる宗教指導者たちに「引き渡され」「死刑に定め」られると言っておられましたが、誰がこれを理解できたでしょう。
このマルコ14章の冒頭では、「祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった」と記され、彼らが焦ることの理由が、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していたと描かれています。
イエスは人々から「ダビデの子」として期待され歓迎されていましたから、彼らはどうにか夜陰に隠れてイエスをとらえようと思い、それを導いてくれる人を求めていました。
そして、群衆の見ていない間にイエスをとらえるための導きをしてくれるのが、10節にあるように、何と、選ばれた「十二弟子のひとり」のイスカリオテのユダであったというのです。
そして、彼は何らかの迫害を受けたとか、甘いことばに騙されたというのではなく、自分から進んで、「イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った」というのです。
それに対し、「彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した」と記され、その後のことが、「そこで、ユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた」と描かれます。
イエスを引き渡した張本人は、最愛の弟子の一人でした。人間的に考えればイエスこそ弟子訓練の失敗者です。パスカルはイエスの不思議について次のように語っています。
「かつて何人が彼ほどの輝きを放っただろうか。ユダヤ民族がそろって彼の到来を預言した。異邦人が、彼が来られた後、彼を礼拝する。異邦人とユダヤ人のふたつの民が、彼をすべての民の中心として認める。
それにもかかわらず、彼ほどこの輝きを享受しなかった人があるだろうか。33年の生涯のうち30年間は世に現れずに過ごす。3年間は詐欺師と見なされる。祭司や長老は彼を拒否し、友と近親とは彼を軽蔑する。ついに彼は仲間の一人に裏切られ、ほかの一人に否認され、すべての人に見捨てられて死ぬのである。
そうだとしたら、彼はこの輝きにどれだけあずかったのであろうか。これほど大きな輝きを得た人はなかったが、これほど多くの恥辱を受けた人もいなかった。
すべてこの輝きは、彼をわれわれに知らせるために役立ったに過ぎない。彼は自分自身のためには一つの輝きをも持たなかったのだ」
この世の権力者は、自分の輝かしさを見せることによって、人々に畏敬の思いを起こさせ、人々を従わせます。ところがイエスは、繰り返し、ご自身が最終的には栄光に入れられると語りながらも、当面は、無残な死の苦しみを迎えると言っておられました。
それに失望したユダは、わずかな金と引き換えに、イエスを当時の権力者たちの手に引き渡そうと決意しました。ユダはお金が好きな人であったと福音記者ヨハネは描いています。お金の好きな人は権力も好きな人です。
イエスは群衆の歓呼を受けてエルサレムに入城したのに、ユダが期待したような神の国を実現するための働きをしませんでした。事実、イエスはエルサレムに入ったとたん、何の輝かしい奇跡も行わなくなりました。
イエスは目に見えるダビデ王国を再建しようという人々やユダの期待を裏切ってしまったのです。
2.ひとりの女が、非常に高価なナルド油を、イエスの頭に注いだ
そして、ここで、権力を求めた弟子たちとは対照的な、無名のひとりの女性の行動が、「イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ」(14:3) と描かれます。
「頭に油を注ぐ」とは、王として任職を意味することがあります。「救い主」はヘブル語でメシヤと呼ばれ、「油注がれた者」という意味であり、「キリスト」はそのギリシャ語訳です。
たとえば預言者サムエルは、サウル王が絶対権力を握っていた時、無名の若者に過ぎないダビデをイスラエルの王とするために油を注ぎました (Ⅱサムエル16:13)。当時の誰一人としてその意味を理解はできませんでした。ダビデはその後で、サウルを立琴の演奏で慰める者として、またギリヤテを倒す勇士として現れます。
つまり、この油注ぎは、本来、人々から王として認められた後で行われる儀式ではなく、神の選びを、人々の評価に無関係に行われるものでした。
イエスはヨルダン川で洗礼を受けられたとき、聖霊ご自身によって王として油注ぎを受けておられたのですが、人々が見ている前で「頭に油を注がれた」のはこれが初めてだったことでしょう。ここでイエスは確かに王として、油注がれたのではないでしょうか。
ただし、「油を注ぐ」ということは、当時はまったく珍しいことではなく、祝宴の際に、その主賓に対して行う当然のもてなしでもありました (ルカ7:46)。また、香油は埋葬の際に腐敗臭を消すためにも用いられました。
香油には非常に幅広い用途がありましたが、ここで用いられたのは、「石膏のつぼ」(alabaster flask) に入った「非常に高価なナルド油」でした。この香油は、石膏のつぼに長く保管することによって質が高まるとも言われます。それは、母から娘に代々受け継がれる家宝のようなもので、家庭の一大事というようなときのために大切に取っておかれました。
しかも、ここでは「そのつぼを割り」と記されているように、一度に使うのが当然の、ほんとうに特別な香油でした。
マタイでもマルコでも、それをしたのは「ひとりの女」であるとしか記されません。それは十二弟子の無理解との対比を際立たせます。また、それの舞台は、「ツァラアトに冒された人シモンの家」と記されますが、それは昔、「らい病」と訳され、人々から恐れられ軽蔑された病の代名詞です。
それは、当時の支配者階級である祭司の家に属する者たちがイエスを殺そうとしていたことの対比で、人々から軽蔑されていた人の家で、この油注ぎが、祭司ではなく、「ひとりの女」によって行われたことを際立たせます。
イエスは、人々から見捨てられた者たちの王として、十字架にかかろうとしておられます。そのことを、彼女は何となく理解しました。別に自分がイエスを王として任職するなどという大それた思いは持ってはいなかったにしても、イエスがイスラエルの王として十字架という玉座に着かれるための準備を無意識にしたと言えましょう。
それにしても、彼女はそれをどのような動機で行ったのでしょう。
彼女は、イエスが何度も、ご自身の死を予告していたのを、真剣に、また恐怖を持って聞いていました。イエスがその死を前に、どんどん無口になり、沈んでゆかれる様子を見ていました。
事実、救い主の姿を預言したイザヤ53章には「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」(3節) と記されています。
しかし男の弟子たちは、イエスとともに新しい国の支配者となることに憧れているばかりで、主の痛みや悲しみに全く気づいてはいません。彼らはある意味でイエスを利用していたのです。
彼女はその矛盾に深く心を痛めていました。そこで、彼女は、自分のいのちにもまさる方のお心をお慰めしたいという一途な思いに動かされながら、イエスこそ真の王であられるという心からの尊敬の思いを、とっさに表現したいと思ったのではないでしょうか。
3.「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られ……」
その後のことが4、5節では、「すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。『何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。』そうして、その女をきびしく責めた」と描かれます。
もし弟子たちが本当に心から、イエスを油注がれた方(メシア)であると信じ、イエスをイスラエルの王として尊敬していたなら、このような言い方はしなかったことでしょう。
確かに、三百デナリとは当時の労働者の約一年分の給与に相当するほどの金額で、それを貧しい人々への施しに使ったら、何百人もの人を助けることができたことでしょう。しかし、イスラルの王の任職なら、それは高すぎることはありません。
それに対し、イエスは、困惑するこの女を慰めるように、「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」(14:6-8) と言われました。
イエスはこの油注ぎが、王としての任職というよりは、「埋葬の用意」であると言われました。しかし、イエスが預言されたイスラエルの王として行った最高の働きは、ご自分のいのちを、全世界の人々の「罪過のいけにえ」(イザヤ53:10) としてささげることでした。
そしてイエスは、イスラエルの王として油注がれたからこそ、すべての罪人の代表者となることができたと言えましょう。
たとえば、世界史上もっとも尊敬されている王と言えば1558年から1603年の45年間にわたりイギリスを治めたエリザベス一世かもしれません。彼女は25歳で王になった後、宗教紛争を鎮め、スペインの無敵艦隊を破って大英帝国の基礎を作り、また死に臨んではスコットランドの王を後継者とする道をも開きました。彼女なしにその後のイギリスの繁栄は語ることができません。しかし、それはあくまでも力による支配です。
彼女の統治が長くなるにつれ様々な問題も起き、当時の人々は彼女の死を喜んだとも言われます。しかし、その後の王様がどんどん悪くなる中で、彼女の支配は美化されるようになりました。
イエスの支配は、それとは全く異なります。イエスの支配は、愛による支配です。彼はこの時、世界中の人々の罪を負う王として、十字架にかかろうとしていました。
イエスはそれによって、罪の力、死の力、あらゆる悪の力に、最終的な勝利を宣言するために十字架にかかろうとしておられたのです。それは、イエスが繰り返し語っておられたように、十字架の後には復活が待っているからです。
イエスは、「貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます」と言われました。昔から多くの政治指導者が、貧しい人をなくする政治を約束してきました。しかしイエスは、人の世が続く限り、貧しい人は、なくなりはしないと達観しておられました。
大きなことを約束する人は必ず、別の大きな問題を引き起こします。それは歴史を見れば明らかです。
イエスは「この女は、自分にできることをした」と称賛しました。イエスによって始まった愛の国の原理は、この世のシステムを変えること以前に、それぞれが自分にできることを、喜んでするということにあります。
イエスはこの世から貧しい人を無くしはしませんでしたが、貧しい人に仕える人々を起こしてくださいました。
またイエスは、彼女は「埋葬の用意」をしてくれたと言いましたが、彼女はこれから起こることをどこまで理解していたかはわかりません。彼女はただ、イエスにこれからただならぬことが起きると直感して、どうにかイエスの心の痛みに寄り添い、慰めて差し上げたいと思って、後先のことを考えずに、母から受け継いだかもしれない宝を一気に使おうとしたのでしょう。
彼女は、イエスの愛に、自分の愛を持って応答したいと考えただけではないでしょうか。
それに対して、イエスは続けて、「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」(9節) と言われました。
イエスはここでご自分の王としての支配が、自分の死とともに広がって行くことを予告しておられます。そればかりか、「福音を宣べ伝える」ということと「この人のしたことも語られる」ということが同時に起きて、彼女の「記念」となると言われました。つまり、イエスは彼女の行為がご自身の福音と切り離せない関係にあると言われたのです。
この世界では、その人がどれだけの成果を上げることができたか、どれだけの影響力を持ちえたかと言うことに注目が集まります。その成果はお金や権力と切り離せない関係にあります。
しかし、この人のしたことは、それらとはまったく無縁でした。ただ、目の前の人の痛みを見て、自分の心が動くままの行動をしたということに過ぎません。それが後にどのような結果を産むかなどということの計算もされていません。しかし、それこそ愛に動かされた行動の本質です。
4.「あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです」
ところでヨハネの福音書12章においては、この油注ぎの行為は、マルタの姉妹のマリヤによってなされたと記されています。2節の「マルタは給仕していた」という記述は、ルカ10章40節を思い起こさせます。マリヤはイエスの話を誰よりもよく聞いていましたが、その結果として、誰よりもイエスのお気持ちを理解できました。
しかも、そこでは、香油が、イエスの足に塗られ、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐったと記されています。それは、遊女と奴隷の生き方を合わせたような姿です。彼女はイエスのことで心が一杯で、自分がどのように見られるなどと気にする暇もなかったことでしょう。彼女はその点でマルコの女性と同じです。
なお、ヨハネではイエスの王としてのご性質が一貫して強調されているので、王としての油注ぎをイメージさせる描写を敢えて残す必要がなかったのでしょう。
しかもこの描写は、ヨハネ13章に描かれた最後の晩餐の席で、イエスご自身が上着を脱ぎ、手拭いを取って腰に巻くという奴隷の姿になりながら、たらいに水を入れて弟子たちの足を洗ったという話と結びつきます。
そのとき男の弟子たちは、足がよごれたままで食事に臨みながら、イエスがしてくださる前に、互いの足を洗い合うなどということは思いもつきませんでした。イエスは弟子たちの足を洗った後で、「あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです……わたしはあなたがたに模範を示したのです」と言われました (13:14、15)。
ヨハネの福音書に描かれたイエスの姿は神の御子としての威厳に満ちています。そして、その威厳とは、人々にかしずかれるというよりも、人々に仕えるという逆説として描かれています。
しかし、それはユダには理解できませんでした。マルコでは高価なナルド油を一度に使ったことに対し、「何人かの者が憤慨した」と記されますが、ヨハネではその代表者がユダであると強調されます。イエスがこの世の王のような威厳を保っていれば、彼は裏切りなど思いもつかなかったかもしれません。
しかし、マリヤは、イエスの真のお気持ち、その葛藤を理解できました。そして、彼女は、本来すべての人が真の王であられるイエスに対して取るべき態度の模範を無意識のうちに示したのです。
イエスは真の王として、この世的な富と力を用いて「神の国」を建てることもできました。しかし、歴史上のすべての王国は、内部から崩壊しました。それは、富と力がどんな善良な人間をも堕落させるからです。
イエスはこのとき、人々を天からの力で従え、また天からの富で貧しい人々を救うという誘惑と戦っておられたのかもしれません。富と権力は、問題の解決に有効であるからこそ、目的のために手段を選ばないという心を生み出します。そして、イスカリオテのユダこそ、その誘惑に捕らえられていました。
しかし、イエスは、神ご自身によって油注がれた王として、富と力による解決を退けました。そればかりか、富と力に頼る者たちによって十字架で殺されながら、死からよみがえることによって彼らに勝利されました。
そこから富と力に左右されない愛の支配が始まりました。そして、イエスの頭に香油を注いだ女性こそ、富から自由な、神と人への愛によって生きる者の先駆けとなっていたのです。