2011年12月11日
聖書では、安息日の教えから始まって、季節ごとの様々な祭りなど、休むことが神の前での義務とされている日々が数多くあります。長い人生を短距離走のように走り抜けようとすると、自分の身にも周りにも様々な害を及ぼします。しかし、人生には多くの人々とともにビジョンを共有しつつ助け合って果敢に行動すべき時があります。しかも、そのような時には、必死に働きを妨害しようとする勢力も生まれますから、それに対する備えも必要です。そして、すべての基礎に、神への祈りが必要です。
ネヘミヤは、百年間近くも進まなかったエルサレム城壁の修復を、たった52日間で仕上げるように民を導きました。彼は慎重に時間をかけて、主に祈りつつ、機会をとらえて地上の権力者を味方につけ、再建工事の準備を整えましたが、民に声をかけたときには一気呵成に人々をリードしました。日常生活での基本的な生活習慣のリズムの大切にするとともに、「今がこの時」という果敢な動きも必要です。
最近、自由学園公開講座で教える機会があり、羽仁もと子の「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」という日常生活を過ごす知恵から教えられていますが、彼女は周りの人々の神の国の働きのために巻き込んでゆく天才でもありました。
彼女は、「個人としては、この身を、人類としてはこの世を神にささげましょう」と言っています。「この世を神にささげる」ということばは感動的です。
そんな中で、今日のテーマは、「祈りつつ、助け合いつつ、備えつつ」とさせていただきました。それこそが、一気に物事を成し遂げる時に必要な知恵だと思われます。
1.チームワークによる城壁の修理
「こうして、大祭司エルヤシブは、その兄弟の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、とびらを取りつけた。彼らはメアのやぐらまで聖別し、ハナヌエルのやぐらにまで及んだ」(3:1)とありますが、エルヤシブはゼルバベルとともにエルサレム神殿の再建を導いた大祭司ヨシュアの孫です(12:10)。これは、ネヘミヤの訴えにすぐに大祭司が応答したことを示します。彼のグループは神殿の北の部分の城壁といけにえを運ぶ「羊の門」を修復しました。
1-5節は城壁の北の部分を八つのチームが共同して修復する様子が描かれますが、「次に」ということばが鍵になり、原文では、「その手の上に」と記され作業が積みあがる様子が強調されています。
ただ5節では、「その次に、テコア人たちが修理したが、そのすぐれた人たちは彼らの主人たちの工事に協力しなかった」と描かれます。これは、エルサレムの南のテコアの町の貴族たちはネヘミヤに協力をしなかったという意味だと思われます。どのような工事にも、協力をしぶる人々はいます。それを受け入れる余裕も必要です。
6-13節は城壁の西の部分を十のチームが共同して修理する様子が描かれます。7節では、「川向こうの総督の管轄に属するギブオンとミツパの人々が修理した」と描かれますが、これはユダの管轄地域の外に属する人々がエルサレム城壁の再建のために協力したという幅の広がりを示します。身近な人が協力を惜しむ一方で、遠くにいる人々が積極的に協力するという姿が描かれます。
8節では「金細工人」とか「香料作り」という専門の職人までが石を積み上げて城壁を再建するという一般的な仕事に協力している姿が描かれます。また、9,12節では「半区の長」ということばが出てきますが、それらは自分の住まいのある領域の人々が自分たちの住まいに隣接した城壁を築く様子が描かれています。
特に、12節では、「ロヘシュの子シャルムが、自分の娘たちといっしょに修理した」と、当時としては珍しく、娘たちまでもが石を積む作業に加わる様子が描かれています。
14節の「糞の門」と、「泉の門」は町の南端の工事を指します。「糞の門」は廃棄物の処理場への道、「泉の門」は、町の外のギホンの泉からシロアムの池に水を引き込む道です。今で言う下水路を含むような施設と、上水路のような施設が町の南に隣接しあって位置していたという感じだと思われます。
15節では、この「泉の門」の工事に関し、「建て直し、屋根をつけ、とびら、かんぬき、横木を取りつけた」という詳細が記されています。
16-32節には城壁の東側の修復が、21のチームによってなされる様子が描かれています。この部分はエルサレムで最も荒れ果てた地域で、かつてネヘミヤもこの部分を視察したときに途中で引き返さざるを得なかった所を含んでいます。16節に登場するネヘミヤはこの書の主人公とは無関係ですが、その人が、「ダビデの墓地に面する所と、人工貯水池と、勇士たちの家のところまで修理した」と描かれます。これは先の泉の門のすぐ北に位置します。
16節以降では、「その後に」ということばが繰り返されます。これは長い距離にわたる一連の作業が連続性を持ってなされていることを示し、24節までは淡々と町の東側の城壁を南から北に向かって中央部まで修理する様子が描かれます。
17節にはレビ人が、22節には祭司たちが工事に加わる様子が描かれます。23,24節では再び自分たちの住まいに面した城壁をそこの住民が行う様子が描かれます。25-27節では、「監視の庭のそばにあって、王宮から高く突き出ているやぐら」、「東のほうの水の門、および突き出ているやぐらに面する所」「オフェルの城壁までの続きの部分」の修理のことが描かれています。これは「泉の門」から「オフェルの城壁」までの地域の城壁が以前のものよりも高い所、つまり、ダビデの町を以前よりも狭くするような形で城壁を築いたことを意味します。それは住民の減少によって東側のギホンの泉の確保がそれほど緊急の課題ではなくなったからだ思われます。
28-32節は神殿の領域に近い所です。そこでは「祭司」たちや「宮に仕えるしもべたちや商人たち」の家が祭司たち自身や金細工人マルキヤによって修理された様子が記されます。それぞれがどのような立場の人々なのかはわかりませんが、「その次に」「そのあとに」という言葉とともにすばらしい協力関係が強調されています。
それにしても全体的な働きの様子を見る時に、作業場の状況、作業する人の構成、守備範囲など、どれも一律な法則がありません。働きの必要と働く人の構成、現場の状況によって異なります。人の成功例に学ぼうとするほど愚かしく危険な働き方はありません。確かに一定の水準を保つためのマニュアルは大切ですが、現場から遊離した方法論はかえって人の個性を殺すことになってしまいます。
今、アップルの創業者スティーブ・ジョブズの本人承諾のもとに記された伝記がブームになっています。しかし、凡人が彼の真似をするとほぼ確実に組織の協力関係を壊すでしょう。彼ほど身勝手な人間はいないと言われますから。しかし、彼自身もまた彼の協力者も、最大限に与えられた才能を生かしたことは確かです。彼の成功の秘訣は、人まねを決してしなかったことにあります。ですから、彼の真似もしてはなりません。
ただ、そこでウォークマンや豊かなアーティストを抱えた音楽部門ではるかに先行していたソニーが、アップルのiPodに敗北する理由が、「アップルの場合、社内で協力しない部門は首が飛びます。でもソニーでは社内で部門同士が争っていました・・・自分の利益を守ろうとして、会社全体でエンドツーエンドのサービスを作れずにいた」と記されていました。この失敗例は多くの日本の組織の問題だと思われます。
昔の経営学では事業部制などと部門ごとの独立採算が強調されましたが、それでは市場の変化に対応できません。一方、大昔のエルサレムの城壁再建では、互いの自主性が尊重されながら、互いに連携を保つことができていました。
2.私たちは・・神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた
サマリヤの支配者である「サヌバラテ」は、城壁の修復の進捗状況を聞くと、「怒り、また非常に憤慨して」、ユダヤ人たちをあざけって、「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか」と言いました(4:1、2)。
「いけにえをささげようというのか」とは、当時、高い山で石を積み上げて簡易的な祭壇を作っていけにえをささげることがあったので、ユダヤ人たちは石を積み上げてもいけにえの祭壇にできるのが精一杯であろうというあざけりです。また、敵の攻撃で「焼けてしまった石」は、もう使いようがないという現実を指摘して、城壁を築く材料にも事欠く様子をあざけったものです。
また、「彼のそばにいたアモン人」を治める役人の「トビヤ」も、「彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう」と、ユダヤ人が無駄な努力を続けているとあざけりました(4:3)。
それを聞いたネヘミヤは神に向かって、「お聞きください、私たちの神。私たちは軽蔑されています。彼らのそしりを彼らの頭に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。彼らの咎を赦すことなく、彼らの罪を御前からぬぐい去らないでください。彼らは建て直す者たちを侮辱したからです」(4:4、5)と祈りました。
ネヘミヤは敵に向かってののしり返したり、また自分に好意をもってささえてくれるペルシャ王の権威を借りて、政治的な報復をする代わりに、全能の神ご自身に向かって祈ります。しばしば、私たちは不当な非難を受けたときに、自己弁護に走りますが、大切なのはそのような非難の応酬をすることよりも、目に前の必要な働きを続けることです。
私たちの働きが成功しそうなとき、必ず、それにねたみを感じていわれのない中傷を浴びせる人がいます。しかし、それに乗ってしまうと、働きが疎かになります。それは使徒パウロも「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい」と言った通りです(ローマ12:9)。
そのような神への祈りが積まれる中で、「こうして、私たちは城壁を建て直し、城壁はみな、その高さの半分まで継ぎ合わされた。民に働く気があったからである」(4:6)と記されます。
約百年間近くも動かなかった働きが驚くべきスピードで進んでゆきました。それは、先に記した一部の例外を除いて、ひとりひとりに驚くほどの「働く気」、つまり、城壁再建への熱い思いがあったからです。それこそ、神が導いてくださった時のしるしでした。
そして、それに対する敵たちの反応が、「ところが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人、アモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、非常に怒り、彼らはみな共にエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた」(4:7、8)と描かれます。
それに対する対応を、ネヘミヤは、「しかし私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた」(4:9)と記します。「神に祈る」ことと、「日夜見張りを置く」という現実的な対応策は、決して矛盾するものではなく、並行して進むべきことです。
祈りと仕事は車の両輪のように進んでゆくものです。「祈っているけど仕事が進まない」とか、反対に、「仕事が忙しくて祈る暇がない」などというのは、神の前での祈りも仕事も、その基本を理解していないことの現れです。
すべての仕事は神ご自身から与えられた課題です。ですから、祈りながらするときに、本当の意味で良い仕事ができます。また、祈りは歩きながら、手を動かしながら、なすべきことでもあります。なぜなら、使徒パウロは、「絶えず祈りなさい」(Ⅰテサロニケ5:17)と言っているからです。
その意味で、前回お話しした(2章4節)、差し迫った場面において瞬時に祈るarrow prayer(矢の祈り)などは、日々実践すべき習慣とすべきでしょう。
ただそのような中でも弱音を吐く人がいました。「ユダの人々」は、「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない」(4:10)とつぶやきました。ただ、これは極めて自然な心の動きであるということを忘れてはいけません。私なども、「今週は、こんなにやることが多い・・・いつものようにメッセージの原稿を仕上げることはできないかもしれない・・・」と、つい弱音を吐きたくなることがあります。
しかし、それでも手を休めずに作業を続けていると、どうにか仕事は毎週仕上がりますし、適度な運動を続けることもできます。大切なのは、弱音を抑えずに、それを祈りに変え、祈りつつ、同時に、手を休めないことです。
3.荷をかついで運ぶ者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を堅く握っていた
一方、そのような中でユダヤ人の敵たちは、「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう」(4:11)と、恐ろしい計略を謀っていました。
そのような中で、「彼らの近くに住んでいたユダヤ人たちがやって来て、四方から十回も」ネヘミヤたちに、「私たちのところに戻って来てほしい」と訴えました(4:12)。これは襲撃の危険があるエルサレムから一時的に避難するようにという勧めです。
それに対し、ネヘミヤは、「民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した」(4:13)というのです。これは、危険を避けて安全なところに退避させる代わりに、家族がそろってエルサレムの城壁の後ろに一時的に移住して、家族そろって背水の陣を敷くということです。
そのことをネヘミヤは、「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい」(4:14)と言いました。多くの場合、危険を過度に意識して逃げ腰になること自体が、危険を増幅させます。「恐怖突入」という言葉がありますが、人生には避けられない危険、また、避けてはならない危険が必ずあります。そして、多くの場合、主に祈りながら、危険に向かって正面突破を計ろうとするときに、おのずと道は開けてくるものです。
ただし、その際、常に、最悪の事態が起きた時の備えもするということは、決して信仰と矛盾することではありません。たとえば、「今日は、雨が降らないという信仰のもとに、傘を持たずに外出することにした」などというような「信仰」ということばの用い方をしてはいけません。聖書が示す「信仰」とは、自分の期待通り物事が進むと信じることでは決してありません。
信仰とは、何よりも、全能の神にすべての不安を訴えながら、今ここでなすべき働きに集中することです。信仰に対比させるべき言葉は、多くの場合、「恐れ退くこと」です。そのことがヘブル書の著者は、「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つものです」(10:39)と告白しています。
そして、ネヘミヤはその後のことを、「私たちの敵が、彼らのたくらみは私たちに悟られ、神がそれを打ちこわされたということを聞いたとき、私たちはみな、城壁に帰り、それぞれ自分の工事に戻った。その日以来、私に仕える若い者の半分は工事を続け、他の半分は、槍や、盾、弓、よろいで身を固めていた。一方、隊長たちはユダの全家を守った。城壁を築く者たち、荷をかついで運ぶ者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を堅く握っていた」(4:15-17)と描いています。
この記述こそ、城壁再建の働きにおけるもっとも感動的な描写です。私たちはときに、複数の課題に同時に対処する必要があります。そのときに、まず工事と防衛の役割分担が築かれましたが、荷を運ぶ場合は移動の必要があるので、片手に投げ槍を堅く握っている必要がありました。
確かに、両手で仕事をした方が進みますし、休息を十分にとった方が、効率があがるということがあります。しかし、状況がそのような基本的なリズムを許さない時があります。そのときはこのような両面作戦で臨む必要があるのです。これは、私たちの特に、祈りと仕事において常に実践すべきことです。祈りつつ働くことが大切です。
パウロは、キリストにあって、「私は・・あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:12,13)と述べています。
スティーブ・ジョブズのもとでは、「そんなのは無理です・・」などと言ったら、すぐに首が飛んだようですが、私たちは神への祈りの中で正直に弱音を吐きながら、不可能を可能にしてくださるキリストに信頼することができます。
ただ、「築く者は、それぞれ剣を腰にして築き」という中でも、ネヘミヤは、「角笛を吹き鳴らす者は、私のそばにいた」と描いているように、兼務してはならない働きがあります(4:18)。それは敵の攻撃を見張り、民に警告を発するという働きです。そのことをネヘミヤは代表者たちに向かって、「この工事は大きく、また広がっている。私たちは城壁の上で互いに遠く離れ離れになっている。どこででも、あなたがたが角笛の鳴るのを聞いたら、私たちのところに集まって来なさい。私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ」(4:18-20)と言います。
人は、何よりも、協力し合うことによって、大きな働きを成し遂げることができます。反対に、国は常に内側から滅びると言われるように、どのような組織でも、内部に不信が増幅し、協力関係を築くことができなくなったときに、働き自体がダメになってゆきます。
しかも、「神が私たちのために戦ってくださる」という現実は、何よりも信仰共同体の一致として現されます。神は私たちが互いに愛し合っている、そのただなかにいてくださいます。神が戦ってくださるということと、私たちが互いに愛し合い、協力し合うということもまさに車の両輪のように進んでゆくことです。
そして、最後に、彼らの働きの様子が、昼間に関しては、「こうして、私たちはこの工事を進めたが、その半分の者は、夜明けから星の現れる時まで、槍を手に取っていた」(4:21)と描かれます。これは両手を使って働く必要のある者以外は、働きながらも槍を手に持っていたことを表しているように思われます。
また、ネヘミヤは夜の過ごし方に関しては、「だれでも自分に仕える若い者といっしょにエルサレムのうちで夜を明かすようにしなさい。そうすれば、夜にも見張りがおり、昼には働くことができる」 (4:22)と言いました。
これはエルサレムが夜の間、空になってしまうと、敵の攻撃によってせっかく築きかけた城壁が崩されるからですが、同時に、若い者や奴隷などが、恐れにとらわれて逃亡することを防ぐためだったかもしれません。緊張が途切れると、人は急に弱気になることがあります。緊張を継続すべきときがあるのです。
そればかりかネヘミヤは、「私も、私の親類の者も、私に仕える若い者たちも、私を守る見張りの人々も、私たちのうちのだれも、服を脱がず、それぞれ投げ槍を手にしていた」(4:23)と最後に述べます。ネヘミヤはリーダーとして、自分の家族が率先して苦しみを担うように指導しました。私たちは人生の中で、ときにこのような仕事の仕方をしなければならないことがあるかもしれません。臨機応変な柔軟な対応という面も決して忘れてはならないことです。
信仰という名のもとに、自分の生活のリズムを崩すことができない、融通の利かない人間になってはなりません。この場合は、敵の攻撃の危険がある中で、敵から町を守るための城壁を築いているわけで、作業が長引けば長引くほど、危険が増し加わります。
また、城壁が完成する前は、それが非常にもろい状態にあるので、一気に仕上げる必要があります。徹夜作業など、そう頻繁にやっては身体を壊しますが、人生の中では時には、夜を徹して仕事を仕上げなければならないことがあります。締め切りは決して待ってはくれないということがあります。
私たちはだれも自分の身を守りたいという自然な思いがあります。ですから、いろんなことに自分が臆病になっているときには、自分が何のために生かされているかを振り返ってみる必要があります。
使命を忘れた生活ほど退屈な人生はありません。そこでは.すべてがマイナスのスパイラルに落ち込んでゆきます。
東日本大震災直後の被災地の中学校の卒業式で十五歳の少年が、「自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で私たちから大切な物を容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。つらくて悔しくてたまりません・・ しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命です」と語ったことが日本中の感動を呼びました。神がなぜあのような悲惨を、このときここで許されたかはわかりません。しかし、この少年は三人の友を津波で失うという悲劇を通して、自分にとっての「使命」を明確に意識するようになっています。
私たちは自分の生活を守るために生きているのではなく、何かの目的のために生かされています。私たちの場合は、祈りの中で、神との交わりの中で自分の使命を意識し、互いに助け合い、サタンの攻撃に備えながら、この教会に与えられた使命を全うするように召されています。
神のときの中で、自分の人生のリズムを見直すべきときがあります。勝負のとき、熱くなるべき時がだれにもあるのです。