この世の多くの人々は、イエスが、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39) と言われたことばを知っています。しかし、それがしばしば、「泣き寝入り」の勧めかのように誤解されていないでしょうか。
8年ほど前にシンガポール日本語教会で奉仕させていただいたとき、他の人から不当な虐げを受けたとき、その人を愛するように勤める前に、たとえば、「神よ。私のためにさばいてください。私の訴えを取り上げ、不真実な民の言い分を退けてください」(詩篇43:1私訳) というように祈ることをお勧めしましたが、今回、何人もの方から、そのことを改めて感謝されました。
なぜなら、不当な苦しみに会いながら、恨みを抱いてはいけないと自分に言い聞かせ、愛のない自分を責め、心が病んでしまうような方々が非常に多いからです。しかし、神のさばきを訴え、それを信じることができるようになるとき、私たちは自分で復讐する必要も、恨みを抱く必要もなくなります。
イエスの時代のユダヤ人にとってのヒーローとは、ギリシャ帝国からの独立運動の指導者のユダ・マカベオスです(BC164年の神殿のきよめ)。賛美歌130番「喜べや」は、ハイドンが彼を主人公の書いたオラトリオの中心的な歌であり、ドイツで最も愛されている賛美歌のひとつです。そして、ユダが戦った敵であったギリシャ人の王アンティオコス・エピファネスを示唆する記事がこのダニエル8章にあることから、イエスの時代の多くの人々は聖書の預言が文字通り成就したこととしてこの書を愛読していました。
そして、当時のユダヤ人が待ち望んでいた救い主とは、ローマ帝国からの独立運動をユダと同じように導いてくれる軍事的な指導者でした。しかし、そのような期待は、ここから本当に導き出せるのでしょうか。
この中心は、「権力者の脅しは長く続きはしない」こと、神が遅くなりすぎないうちに、横暴な権力者をさばいてくださるから、自分で剣を取る必要はないということでないないでしょうか。
1.「この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったとき、あの大きな角が折れた」
「ベルシャツァル王の治世の第三年」(8:1) とは、5章にあったバビロン帝国最後の支配者の治世で、紀元前550年頃のことと思われます。このとき東のペルシャ帝国の王クロスが北のメディアを統合して、弱体化しつつあったバビロン帝国を呑み込もうとしていました(BC538年バビロン滅亡)。
そして、ダニエルに一つの幻が現れた場所は、ペルシャ帝国の発祥の地、「エラム州にあるシュシャンの城」で、その町は「ウライ川」からの運河を外堀として建てられていました。そのような中で、ダニエルに現された「幻」のことがまず、何の解釈もなく述べられます。
7章では、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマという四つの帝国の興亡を示唆することが預言され、その四つ目の「鉄のきばを持つ」帝国の時代に、聖徒たちを打ち負かす強大な王が現れるが、「ひと時とふた時と半時の間」の後、神のさばきが行われ、永遠の神の国が実現すると預言されていました。
ですから、ダニエルには既に、神の国の完成にいたる全体像と「人の子のような」救い主の現われのことが知らされていました。それを前提とした上で、それに至るプロセスのことがより詳細に示されるのがこの「幻」の意味であることを忘れてはなりません。
「私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出て来たのであった。
私はその雄羊が、西や、北や、南のほうへ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた」(8:3、4) とありますが、これは20節にあるようにメディヤ・ペルシャ連合帝国のことを指します。
この国はユダヤ人のエルサレム帰還を助けた良い国と見られていますが、ここでは「思いのままふるまって、高ぶっていた」ということが強調されています。
そして、続けて、「私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だつ一本の角があった。
この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見たあの二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った」(8:5、6) とありますが、これは21節にあるように「ギリシャの王」、具体的には13年間でギリシャからエジプト、インド北西部まで支配をしたアレキサンダー大王を指します (BC336-323)。ここでは彼の攻撃のスピードが強調されて描かれています。
そして、それに続けて、「見ていると、これは雄羊に近づき、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折ったが、雄羊には、これに立ち向かう力がなかった。雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった。雄羊を雄やぎの手から救い出すものは、いなかった」(8:6、7) と記されますが、これはペルシャ帝国があまりにもあっけなくアレキサンダー大王に打ち負かされる様子を預言したものと言えましょう。
ペルシャ帝国は紀元前559年のクロス王の即位から紀元前330年の滅亡まで二百年余りにもおよぶ繁栄を謳歌しましたが、その末期は内部の腐敗が進行していました。まさに、「思いのままふるまって、高ぶって」、自滅寸前だったと言えましょう。
これを滅びしたアレキサンダー大王は、史上最高の哲学者アリストテレスを個人教授にできた神の選びの器でした。彼のゆえにギリシャ語が世界の共通語になりましたが、たった33歳で病に倒れ急逝します。
これは「この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったとき、あの大きな角が折れた」と記されている通りです (8:8)。残念ながら人はみなあまりにも短期間に成功を収めると、自滅してしまうものです。彼の世界制覇への夢は尽きず、インドを短期間に支配しようとしてあまりにも無理をして病に倒れました。
箴言では、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」(16:18) と記されていますが、どの王国も、高慢によって自滅への道を歩んでしまうものです。
2.「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す」
アレキサンダー大王の死後、この巨大な帝国は四つの国に分かれますが、そのことがここでは、「その代わりに、天の四方に向かって、著しく目立つ四本の角が生えた」(8:8) と描かれます。特に、旧ペルシャ領を支配したセレウコス朝シリヤとエジプトを支配したプトレマイオス朝がイスラエルの支配権をめぐって争うようになります。
その中で、紀元前200年前後に現れたアンティオコス三世がエジプトを打ち破りますが、新興国のローマ共和国との戦いに敗れて急速に衰退に向かいます。
その後、彼の二番目の息子のアンティオコス4世(エピファネス)は、エジプトを圧倒し国力を回復した後に、イスラエルのギリシャ化を押し進めようとして、エルサレム神殿の中にはゼウス・オリンポスの巨大な像が置かれ、祭壇には汚れた動物の代名詞ともいえる豚のいけにを捧げるように強要します。
その様子が驚くほど生々しく、「そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。
それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた」(8:9-12)と描かれます。
紀元前6世紀に生きたダニエルがその約四百年後に起こることをこれほど詳しく知らされるのは、何とも不思議ですが、紀元前700年頃の預言者イザヤも150年後のペルシャ王クロスの出現を預言しています。多くの歴史学者はそのようなことは不可能と見ますが、私たちはこのような預言があったからこそイスラエルの民は諸外国の神々の方が力あるように見える中で、主 (ヤハウェ) への信仰を全うすることができたと言えましょう。
イエスとほぼ同時代の歴史家ヨセフスも、ユダヤ古代誌で、「神殿の荒廃は、480年前?に、ダニエルが預言したとおりにおきた。というのは、彼は、マケドニア(ギリシャ)人がこの神殿を破壊するであろうと言っていたからである」と記録しています。
つまり、少なくともイエスの同時代の人々は、自分たちの歴史をダニエルの預言の成就と見ていたのです。
そして、ダニエルは御使いどうしの会話を聞きます。そこで、「もうひとりの聖なる者」が、「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう」と尋ねたという設定の中で、「ひとりの聖なる者」が、御使いではなく、「私」(脚注)と呼ぶダニエルに向かって秘密を解き明かすように、「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す」と言います (8:13、14)。
ダニエルは、「この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願って」いました (8:15)。彼を悩ませたのは、救い主が現れる四つ目の帝国の前に、なお、神殿を汚す横暴な王が現れるという預言でした。彼がこの幻を見たときには、エルサレム神殿はすでに廃墟とされていましたが、その神殿の復興の見通しを告げられる前に、神殿が汚されるという幻を見せられるというのは何とも不思議です。
しかし、14節にあったように、「二千三百の夕と朝が過ぎるまで」という限定的な苦しみの後に、「聖所はその権利を取り戻す」という神殿の完成の希望が告げられます。
これは、7章25節の「ひと時とふた時と半時の間」という表現と同様に、神に敵対する勢力の支配は長く続きはしないことを現しています。「二千三百の夕と朝」とは二千三百日という六年あまりのときを指すのか、「夕と朝」を別々に数えて1150日、つまり「三年間あまり」を指すのか、二通りの解釈がありますが、それは重要ではありません(後者の方が史実に合うが文法的には困難)。
注目すべきは、「常供のささげ物や……聖所……が踏みにじられるという幻はいつまでのことだろう」という問いかけに対する答えが明確な数字として記されていることです。これは、聖書で繰り返し、聖徒が受ける激しい苦難の時期はごく短期間に過ぎないと言われていることに対応します。
イエスも最後の晩餐で弟子たちに、「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33) と言われましたが、それは私たちが患難に会うということが、決して意外なことや、因果応報によるものではなく、神の御許しの範囲内の中でのみ起こり得るということと、その苦難は決して長く耐えられないようなものではなく、キリストにあって勝利が約束されたものであるという意味です。
3.「彼自身の力によるのではない……人手によらずに、彼は砕かれる」
そこで神が御使いガブリエルに向かって、「この人に、その幻を悟らせよ」と呼びかけます (8:16)。ガブリエルは、ダニエルに向かって、「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである」(8:18) と言います。
彼はそのとき、「意識を失って、地に倒れ」ますが、ガブリエルは彼を「立ち上がらせ」、「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ」と言います (8:17、18)。これは、神がこの世の傲慢な支配者に最終的なさばきを下すということで、神の民にとっては救いの完成を意味します。
そして、アンティオコス・エピファネスの登場のことより詳細に、「彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行い、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす」(8:23、24) と描かれます。
先に述べたようにアンティオコス三世は王国の勢力を復興しましたが、最後に当時のローマ共和国との戦いに敗れます。そのため、次男のアンティオコスは27歳でローマに人質に送られます。彼の兄が王位を受け継いだとき、その兄の息子が身代わりにローマへの人質になり、彼は国に戻ることができます。しかし、兄が家来によって暗殺されたことによって、期せずして彼が後継者になる可能性が生まれました。
彼は権謀術数を図って、実権を握り、兄の息子を殺して40歳で王になります。その後、彼はエジプトとの戦いに決定的な勝利を収めますが、ローマ共和国の介入に譲歩せざるを得なくなります。
その間に、ユダヤでの独立運動が起こり、彼は紀元前167年にエルサレムを急襲し、三日間で4万人のユダヤ人を殺し、4万人を奴隷にします。そして、エルサレム神殿をゼウス・オリンポスの神殿に作り変え、安息日を守っていた人々を虐殺しました。これは、まさにダニエルに示された「幻」の通りのできごとでした。
ただし、これは、彼一人のことを預言したこととばかりとは言えません。なぜなら、歴史上、政治権力の衰退期にはこのような狡猾な王が現れて、残虐の限りを尽くすということがたびたびあるからです。たとえば、紀元64年にローマの大火の責任をクリスチャンたちに負わせペテロやパウロを殺害した皇帝ネロの場合も同じです。
「彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる」(8:25) とあるように、「横柄で狡猾な」人が絶対権力を握ると、自分が神であるかのように振舞います。アンティオコス四世は自分を「エピファネス」と呼ばせましたが、これは神の顕現を意味することばで、彼は自分をまさに現人神と見させたのです。
彼が一時的にこれほど横暴な振る舞いをすることができたのは、「彼自身の力によるのではない」とあったように、天の神が一時的に許したからに他ならないのですが、彼はその神の神殿に平気で立ち入り、多くの宝物を奪い去りました。
しかし、「人手によらずに、彼は砕かれる」(8:25) とあるように、彼は突然の病に倒れ52歳のとき、あっけなく息を引き取ります。ただ、その直前に、ユダ・マカベオスに導かれたユダヤ人がエルサレム神殿をアンティオコスの軍隊から解放し、神殿を本来の姿に戻すことに成功しています。結局、エルサレム神殿がゼウスの神殿とされ、徹底的に汚されていたのは、たった3年間のことに過ぎませんでした。
そして、「先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから」(8:25)と閉じられます。つまり、この幻の中心は、先の、「二千三百の夕と朝が過ぎるまで」とあるように、神に敵対する権力の横暴が続くのがごく限られた期間であることをさしています。
そして、不思議にこの章は、「私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである」(8:26) で閉じられます。
ダニエルは将来の神殿復興の希望どころか、その先の荒廃のことまでを知らされ、心が乱れ、病気になりましたが、その後、起き上がって、バビロン帝国の王に仕える事務の働きを誠実にこなしたという記事で終わります。
このダニエル8章が、ユダ・マカベオスに導かれた独立運動のときにどのように読まれていたかは明確ではありませんが、それにしても、神の最終的なさばきを語っていることから、彼らの独立運動を励ます方向に働いたことは間違いがないでしょう。
しかし、この箇所の中心は、あくまでも、神に敵対する勢力が力を持って復興された神殿を汚すことがあっても、それは「二千三百の夕と朝が過ぎるまで」という限定的な期間に過ぎず、「横柄で狡猾な王」の支配は、「人手によらずに……砕かれる」ということです。
簡単に言えば、ユダ・マカベオスが立ち上がらなくても、彼は自滅していたということです。歴史に、「もしも」ということはありえませんが、もしもユダヤ人がこのダニエル書の預言の意味を別の形で理解して、武力によらずに抵抗していたとしたら、その後の展開はまったく違っていた可能性もあるのではないでしょうか。
しかし、ユダヤ人は、後に、ユダ・マカベオスのような救世主を持ち望んで、ローマ帝国に無謀な戦いをしかけ、二千年間近くにもわたって約束の地に住むことができなくなったのです。
確かに、このダニエル8章には、ペルシャ帝国の勃興と滅亡、アレキサンダー大王によるギリシャ帝国の劇的な拡大と、その後の四国への分裂と、その後の、神に逆らう横暴な王の出現のことが描かれていることは確かでしょう。しかし、その王は、「人手によらず……砕かれる」(25節) と預言されています。
これは、ユダ・マカベオスによる軍事的な勝利ではなく、傲慢な王に対して神のさばきが下されることを語ったものです。実際、アンティオコス・エピファネスはユダ・マカベオスに打たれたのではなく、神によって打たれ、病気になって死んだのです。ユダの勇気は優れたものでしたが、軍事的な勝利は彼の功績以前に、神ご自身による直接的な介入によるものでした。
パウロは後に、「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち、自分で復讐をしてはいけません。神の怒りに任せなさい」(ローマ12:18、19) と命じています。「神の怒りに任せる」とは、自分に向かって「怒ってはならない」と責めるのではなく、自分の怒りの感情を神に訴え、神のさばきを願うことです。
ユダ・マカベオスは確かに、圧倒的な敵に対しての劇的な勝利を勝ち取って、約三年間にわたって汚されていた神殿をきよめることができました。そしてそれを記念して毎年のユダヤ暦で12月25日に相当する日に光をテーマとしたハヌカ(宮清め)の祭りが行われるようになります (ヨハネ10:22)。
クリスチャンがその祭りをイエスの降誕日に意味を変えたと言われます。それは戦いの指導者の祝勝から平和の君の誕生を祝うという意味への変化です。
しかし、しばしば見落とされますが、紀元前164年のユダ・マカベオスの勝利は一時的なもので、彼は三年後にアンティオコスの後継者の軍隊によって殺されます。彼は死の直前に、ギリシャ人の帝国への対抗策として、当時、地中海世界に支配を広げていたローマ共和国と同盟を結びます。
そして、宮きよめから20年たって戦いの連続の後に、ようやく独立王朝ができますが、その後は、王権をめぐって兄弟どうしが殺しあうような事態が続き、紀元前63年には権力闘争に負けた王自身がローマ軍を招き入れ、ユダヤはローマ帝国の属国になります。
つまり、ユダ・マカベオスが導いた独立王朝は、権力に飢えた後継者たちによって自滅してしまったのです。
イエスはそのような権力闘争の空しさを思いながら、「剣を取る者はみな剣で滅びます」(マタイ26:52) と言われたのです。そして、ダニエルの預言の核心は、聖所を汚すような傲慢な王が出てきても、「二千三百の夕と朝が過ぎる」のを待つとき、「そのとき聖所はその権利を取り戻す」という明確なご計画があるということと、「聖徒の民を滅ぼす」ような横暴な王も「人手によらずに……砕かれる」という、神のさばきの確かさを告げることにありました。
もとよりダニエルは、エルサレムを滅ぼしたネブカデネザルに誠実に仕え、その後のペルシャの王にまで誠実に仕え続けた人間で、自分の神への忠誠のためにライオンの穴に投げ込まれる危険は犯しても、権力者に力で対抗しようなどという思いのかけらもなかった人です。そのダニエルが書いた書を、戦いの正当化のために用いるなどということがあってよいわけはありません。
イエスの時代はダニエル書が誤って読まれていました。しかし、イエスこそは、この書の真の意味を復興し、ご自身の十字架と復活でダニエルの預言を成就された救い主なのです。