マルコ2章23節〜3章6節「真の安息の回復」

2011年5月8日

「どうしても心が満たされない人たち」という題の本の中に、「苦悩の75%は自分で作り出したもので、それは避け難い25%の苦悩を取り除こうとすることから派生する」とありました。植物は、世話をし過ぎても駄目で、適度にいじめてやらなければ深く根を伸ばすことができないと言われますが、同じように、人の成長にとって苦しみは不可欠です。

ただ、人間の場合は心があるためやっかいで、その苦痛ばかりに目が向かい、それを想像したり、予想したりしながら空回りを起こすことがあります。そして、そのような中で、すでに与えられている恵みを忘れてしまうと、「いつも何かが足りない・・」と思い満足や喜びを永遠に感じることができなくなります。日本の文化はそれを加速させるような気がします。

聖書の中の際立ってユニークな教えである「安息日」こそ、私たちの発想を逆転させるものです。それは、目の前の問題をそこに置いたまま、今ここですでに与えられている恵みに感謝することです。

今日は母の日ですが、ユダヤの伝統的な安息日は母への感謝から始まります。現在もユダヤ人は、金曜日の日没以前に、買い物、掃除、料理から入浴まで、すべての家事労働も終えます。主婦は夕食のすべての準備を終えた上で、日没15分前には二本のろうそくを点火します。家族一同が主への賛美をささげたのち後、「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い」(箴言31:10)ということばをとなえながら母親への感謝を歌います。

その後、一家の長が、安息日の聖別の祈りを導き、食事の感謝の後、家族揃って食事を楽しみます。そして、食事の後に主人以外の成人男性が感謝の祈祷をささげます。それは、単に食事の感謝にとどまらず、エルサレム再建への祈りや殉教者への追悼までもが含まれます。

そして、翌朝は、食事をする前に礼拝に行き、いけにえをささげる代わりに、レビ記などにあるいけにえの規定の書の朗読を聞き、家に帰って、前日に用意された食事を家族で楽しみ、静かに午後を過ごし、また日没の二時間前に礼拝をささげます。

とにかく、毎週の安息日ごとが母の日のようなもので、母はすべての家事労働から解放されます。もちろんその日にはすべての人が、労働をしません。どんなに切羽詰った問題があっても、それを棚に上げて家族団らんのときを過ごすことになっています。まさに安息日は、労働から離れた家族や共同体の回復の日だったのです。

1.「なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか」

「ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。すると、パリサイ人たちがイエスに言った。『ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか』」(2:23、24)という書き出しから安息日を巡ってのイエスとパリサイ人との衝突の記事が記されますが、これはマタイ12章1-8節、ルカ6章1-5節においても、同じように片手のなえた人を安息日に癒したという記事とセットで記されています。

実は、安息日の解釈こそが、聖書全体の福音理解の鍵になっているのです。

律法の中心は「十のことば」(十戒)ですが、そこで最も分量が多いのが安息日の教えです。しかも、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」とは、具体的な教会奉仕の勧めなどに結びつく命令などではなく、「七日目は、あなたの神、主(ヤハウェ)の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──」という労働の禁止です。そして、民数記では安息日にたきぎを集めていた男が石打ちという死刑に処された(15:32-36)ということが記されていますから、ユダヤ人は安息日を守るということに極めて神経質になっていました。

ここでパリサイ人たちは、イエスの弟子たちが「道々穂を摘み始めた」ことを非難しました。これは他人の畑の麦を勝手に摘んだことが問題なのではありません。申命記では「隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない」(23:25)と記されているからです。

彼らが問題にしたのは、イエスの弟子たちの行為が、穂を摘む、脱穀する、もみをふりわける、食事の準備をするという安息日に禁じられている四つの労働行為に相当すると理解したからです。

何とも柔軟性がないとしか言いようがありませんが、この百年ほど前、エルサレム神殿がローマ軍によって包囲され、城壁の前の谷が埋められて行ったとき、ユダヤ人は安息日になるたびに反撃の手を休め、敵の進攻を黙認し、城壁が崩されても祭司たちは平然と礼拝儀式を守りながら殺されていったと報じられています。

まさに安息日を守ることはいのちよりも大切なことだったのです。

そのパリサイ人たちの非難に対してイエスは、ダビデ王がサウルからの逃亡の途中のことを引用しながら、「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家に入って、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか」(2:26)と言いました。

「供えのパン」の規定はレビ記24:9にあり、それは祭司の行動を規定する何よりも大切な書でしたが、それさえも柔軟に解釈されたことがあったというのです。しかも、このときはダビデがサウルからいのちを狙われて逃亡の旅に入ったばかりのときで、このときの祭司の柔軟な対応によってダビデは助けられたのです。

ただ、そのときの祭司アヒメレクはサウルに殺されました。ダビデはこの恩に報いる形で、その息子アビヤタルを後に大祭司に任じました。つまり、この記事とダビデ王国の成立は密接に結びついていますから、パリサイ人は何の反論もできませんでした。

しかも、当時のユダヤ人は救い主の到来を待ち望み、その方を「ダビデの子」と呼んでいましたから、ダビデの行為を律法違反と言うことはだれにもできませんでした。

ですからイエスは、その例を持ち出してパリサイ人たちの杓子定規な律法解釈を正したばかりか、ご自身を「ダビデの子」として位置づけ、ダビデが「連れの者・・にも与えた」ように、ご自身も、「連れの者」である弟子たちに与えていると、弟子たちをかばわれたのです。

2.「人の子は安息日の主です」

続けてイエスは、「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません」(2:27)と言われました。人の欲求には際限がありませんから、なすべき仕事にも際限がなくなります。ですから「仕事をしてはならない」と命じられて初めて堂々と休むことができるという現実があるのです。それは奴隷や女性という社会的弱者にとってどれだけ大きな福音だったことでしょう。

また大切な労働を無制限に美化しないことで、人の存在価値を生産能力で測るようなこの世の価値観を正すことができます。まさに、安息日の教えは、ひとりひとりが、その生産能力に関係なく、神の前で「高価で尊い」存在であることを覚える日だったのです。

ところが、パリサイ人は安息日の規定を、かえって人を苦しめる規定に変えてしまいました。それは、エゼキエル20章などの誤った解釈から生まれました。そこでは、神がイスラエルを繰り返し裁き、最後にはバビロンの手で滅ぼさざるを得なかったのは、「わたしの安息日を汚した」からと繰り返し述べられます。

イエスの時代のパリサイ人たちは、その反省から、「神の国」の実現は安息日を聖なるものとして回復することから始まると信じて、熱心になる余り、人々が安息日をきちんと守っているかどうかを監視する安息日警察のような役目の者までも作りました。その中の何人かがここでイエスに抗議をしたということなのです。

行動が監視され訴えられる社会というのは何と息苦しいことでしょう。ある人が言っていましたが、あのユダヤ人の大虐殺を含め、第二次大戦を通して驚くべき数の人々が亡くなられましたが、実は、その後のスターリン支配下のソ連や文化大革命の中国、ポルポトのカンボジア支配などの共産主義国で命を落とされた方の数は第二次大戦の死者数をはるかに上回るというのです。

共産主義は国民全体を幸福にするシステムとして考えられましたが、そのうちに、共産主義という理想実現の手段として人間を見るようになり、理想に合わせて人間の行動を矯正しようとするシステムを作り上げ、ついには理想達成の邪魔者を平気で殺すようになりました。そして、彼らのほとんどは、国民の相互監視のシステムの中で罪に定められた人です。

しばしば、社会の理想を実現しようと急ぐあまり、枠にはまらない人を矯正したり、排除するようなシステムができることがあります。当時のユダヤにもそれに似た雰囲気があったように思われます。彼らは理想的な安息日を守らせようと急ぐあまり、人間をそれに合わせて作り変えようと頑張っていました。その結果、人を生かすはずの教えが人を殺す教えになったのです。

それに対し、イエスこそは、安息日を本来の姿に戻すことができる救い主であられました。その意味を込めてイエスは、「人の子は、安息日の主です」(2:28)と言われたのではないでしょうか。これは何と、ご自身こそ安息日に何をしてよいか悪いかを判断することができる「主」であるという大胆な宣言です。

パリサイ人たちは神の教えを守ろうと熱心なあまり、「労働をしない」とは、荷物を持ち歩かないこと、筆記用具を持ち歩かないこと、二千キュビット(約1050m)以上の道のり歩かないことなどと細かく決めすぎて、安息日の本来の喜びを見失ってしまうような雰囲気を作ってしまいました。

そればかりか、皮肉にも彼らの子孫たちも、自分たちの国に既に「安息日の主」が来られたのを認めることができずに、安息日ごとに救い主の到来を願う祈りをささげているのです。

3.「安息日にしてよいのは・・いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか」

「イエスはまた会堂に入られた」(3:1)とありますが、ルカの平行箇所では、「別の安息日に、イエスは会堂にはいって教えておられた」(6:6)と記されています。それはイエスが、「ユダヤの諸会堂で、福音を告げ知らせておられた」(ルカ4:44)ことの一環でした。

そして、ここでは特に「そこに片手のなえた人がいた。彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた」(3:1,2)と記されます。彼らには「右手のなえた人」への共感など全くなく、彼を「イエスを訴えるため」の口実を見つける手段としか見ていませんでした。

その律法解釈によれば、イエスの癒しは医療行為であり、安息日に行っても良いのは「お産」や「呼吸困難の場合のいやし」など緊急のものだけで、手のなえた人の癒しなどは安息日に行う必然性がないことでした。

彼らにしてみれば、イエスの癒しのみわざが神に由来するものならば安息日を避けて癒しを行うはずで、敢えて安息日を選んで癒すのは悪霊のわざとしか思えなかったのです。

「イエスは手のなえたその人に」向かい、「立って真ん中に出なさい」と言われます(3:3)。彼は全会衆の注目の的になります。それによってパリサイ人たちの心の闇があぶりだされます

なぜなら、心の優しい人々は彼の苦しみを思いあわれにみに心を動かされたでしょうが、彼らはイエスを訴えることばかりを考え、人を人とも思わっていないからです。そして、「イエスは彼らの考えをよく知っておられ」ながら(ルカ6:8)、敢えて挑発に載られたのです。

その上で、イエスは彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と問います。それは彼らのその人に対する態度こそが、「悪を行うこと」、また「殺すこと」ことに他ならなかったからです。しかし、安息日は、人を苦しめ、裁き、滅ぼすためのものではなく、「善を行い」「いのちを救う」ことのために設けられたからです。

マタイの平行箇所では、「あなたがたのうち、だれかが一匹の羊を持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それを引き上げてやらないでしょうか。人間は羊より、はるかに値うちのあるものでしょう。それなら、安息日に良いことをすることは、正しいのです」(12:11,12)と言われたと記されています。

しかし、このようなイエスの問いかけに対し、「彼らは黙っていた」ままでした。そこで、「イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆き」(3:5)ます。イエスは「怒る」とともに「嘆いて」おられたというのです。

そして、イエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われます。これに応じて、「彼は手を伸ばした」ところ、「するとその手が元どおりになった」という不思議が起きました。これは、この人にとって想像を絶する喜びでした。まさに、イエスのいやしのみわざによって、この日は、この人にとって真の「安息の日」に変えられたのです。つまり、イエスはこの人のために真の意味で安息日を創造してくださったのです。

ところが、「そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた」というのです(3:6)。彼らは何を見ていたのでしょう?彼らには「片手のなえた人」の痛みも喜びもどうでもよいことでした。ただ安息日という規則を守らせることだけに情熱を燃やしていたのです。彼らには義務感はあっても喜びはありません。

しかし、安息日とは、本来、見失っていた喜びを再発見する日ではないでしょうか。人生で果たすべき課題ばかりを見て忙しくしている人は、神のめぐみのみわざを見過ごしてしまいます。そこに信仰の喜びは生まれません。

4.「私は、あなたのみわざを、喜び歌います」

神が「七日目は働いてはならない」と命じられた意味を、出エジプト記では、「主(ヤーウェ)が・・休まれたから・・・」(20:11)と記されています。不思議な理由ですが、神のかたちに造られた者は、神の生き方に習うべきなのです。神は創造のみわざを終えた翌日の「第七日目を祝福し、聖とされた」(創世記2:3)とは、神ご自身が、ご自身の六日間の働きを喜び祝うことに専念されたという意味です。

これは山の頂上で、大きな休みを取り、景色を眺め、食事を広げ、喜び祝うようなものです。ところがせっかく登山をしながら、そこで休むこともできずに下山の心配ばかりするとしたら、どこに山歩きの喜びがあるでしょう。

私たちは休みをとって初めて、自分の歩みが、主によって支えられ、守られてきたことに気がつきます。しかも、そこで自分の歩みを励まし続けてくれた目に見える同伴者の存在を喜ぶことができます。

安息日とは、まさに神と人との交わりを喜ぶ「祈りの日なのです。そこで「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5)という命令が実践されています。

一方、申命記では、「そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる」(5:14)と付け加えられます。日本の丁稚奉公など、最近まで盆と正月しか休みがなかったというのに、今から三千年前の奴隷には、一週間に一日の休みを与えるように命じられていたというのです。これこそ、まさに「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という命令を実行する日でした。

それはまた、「あなたは、エジプトで奴隷であったこと・・・主(ヤーウェ)が・・そこから連れ出されたことを覚える」ためでした。つまり、この日は、主の贖いのみわざを思い起こし、その喜びを社会的弱者と分かち合うための日だったのです。その恵みは家畜にまで及んだというのです。それはまさに「遊びの日」となったことでしょう。

つまり、安息日の教えは、神への愛と隣人愛という、聖書の教えの中心が要約されていると言えましょう。その意味で、真の意味で安息日を守る者は、神の律法を本当の意味で守ったことになるのです。

ユージン・ピ-ターソン氏は、出エジプト的な安息日の守り方を祈り(Pray)に専念する日と呼び、申命記的な安息日の守り方を遊び(Play)に専念する日として興味深く定義しています。

そして事実、安息日の賛歌、詩篇92:4では、「主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたのみわざを、喜び歌います」と表現されます。

これは、まさに、主の恵みのみわざのひとつひとつを黙想して「祈り(pray)」、そして、主を楽器を演奏して(Play)たたえることを指しています。同時にその日は、大人も子供に帰って「遊ぶ」(Play)ことの勧めと言えましょう。そして、この日は、また「新しい天と新しい地」という真の安息を待ち望む日でもありました。

主は世界の完成を、「わたしの造る新しい天と新しい地・・・毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る」(イザヤ66:22,23)と、安息日の完成として描きます。「救い」とは、私たちが既にキリストにある「安息の日」に霊的な意味で招き入れられ、それが広がり、やがて誰の目にも明らかなように実現するということを意味します。私たちは、その安息の完成を、今から喜び祝うことが許されているのです。

すべての人々を豊かにするはずの共産主義の教えが、どうして、これほど悲惨な結果をもたらしたのでしょう。つい、四十年ほど前の日本でも、北朝鮮や中国の文化大革命を理想郷の実現のモデルと礼賛するような大政党や宗教団体がありました。

そして、実際、多くの方々が、それに惑わされて北朝鮮に帰ってゆきました。人間の力で理想を実現しようと急ぎすぎることが、理想に合わせた人間を作ろうとして、人間の生きる力を失わせ、生産力を低迷させ、経済を破綻に押しやりました。人の自由を奪うことの悲惨な結末を私たちは目の前にしています。

イエスの時代の安息日理解も同じような面がありました。そのときイエスは、「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません」と言われました。同じように、ごく稀に、地上の教会の理想を急ぐあまり、人間をその理想達成の手段と見てしまう誤りが教会においても起きることがあります。

私たちもこの教会や私たちの安息日がより豊かになることを願っていますが、それを急ぐあまり、教会が息苦しい場になっては本末転倒です。キリストの教会は、キリストの復活を喜び祝う人々の集まりです。

昔のひとつの共産主義国ハンガリーのブタペストから画期的なイースターの祝い方が世界に広まりつつあります。みなで広場を埋め尽くしながら、キリストの復活を祝うようなダンスをするのです。それはエアロビックス的なフィットネスダンスに似たものです。昔の共産主義指導者の演説を聞く革命広場において、ひとりひとりが満面の笑みを浮かべて、イエスの復活を喜び祝う姿は感動的です。

クリスチャンにとっての安息日は、キリストの復活を祝う日曜日に変わりました。私たちは、日曜日ごとに、身体全体で主の復活を喜ぶことができます。ただ、それがひとりひとりの自主性を殺すことのない神にある真の自由を喜ぶ日とされるように励ましあう必要がありましょう。