マタイ2章1〜23節「手探りの歩みの中で宇宙大の救いを見る」

2010年12月26日

ローザンヌ世界宣教会議に出席した友人が、「宇宙大で考え、その地域で行動せよ」ということを示されたと言っていました。マタイ福音書におけるイエスの誕生をめぐる記事はまさに、宇宙大の出来事が記されています。それは旧約聖書の要約とも言えるダビデの子の系図から始まり、救い主の誕生を知らせる星の出現、東方の博士の訪問、エジプトへの逃避、バビロン捕囚の思い起こし、そして、ひなびた村のナザレに住むという展開です。

しかも、その経過をよく見ると、イエスの父親となったヨセフは、わけも分からずに時の権力者に翻弄されているようです。御使いも目先の進むべき方向を破滅の一歩手前で、しかも夢で必要最低限のことを語ったに過ぎません。ヨセフは、生まれる子は「インマヌエル(神は私たちとともにおられる)」と呼ばれると聞きましたが、人の目には、「神がともにおられるなら、どうして、こうも苦しく、不安で、見通しのないところを通らされるのか・・・」と見られます。

しかし、イザヤ7章でのインマヌエル預言自体が不思議に満ちていました。そして、インマヌエルの現実は、手探りの人生の中でこそ感じられるということがイエスの誕生の物語を通して明らかになります。

1.「ユダヤ人の王」を拝みに来た東方の博士たち…新しい時代の幕開け…

「イエスが、ヘロデ王の時代にお生まれになったとき」とありますが、ヘロデはユダヤ人と敵対関係にあったイドマヤ人(エサウの子孫)で、ローマ帝国を後ろ盾に、現在のイスラエルをはるかに上回るばかりかダビデ王の時代に匹敵する広大な領土を支配する王として君臨していました。

彼はユダヤ人を手なずけるためエルサレム神殿を大改築し、自分こそが預言された救い主であるかのようにふるまっていました。彼が増改築したエルサレム神殿の荘厳さに関しては、イエスの弟子も、「これはまあ、何とすばらしい建物でしょう!」(マルコ13:1)と感嘆したほどでした。

しかし、そこに神の栄光はありません。それは見かけだけの輝きでした。しかも、ヘロデ自身の権力基盤はローマ皇帝の心ひとつで崩れる危ういものでした。

イエスが、救い主、ダビデの子として誕生するということはヨセフとマリヤ以外にはだれも理解できないことだったと思われます。ところが、このマタイ福音書では、イエスが救い主として誕生したということがはるか東方において知られたと、不思議なことを描いています。

マタイ1章の系図はユダヤ人以外にはほとんど理解できないものだったと思われますが、2章ではそれが世界を変える出来事であるということが報じられます。それが、東方の博士たちの訪問の記事です。

預言者イザヤはかつてシオンの丘に向かい「主(ヤハウェ)の栄光があなたの上に輝く」(60:1)と預言し、エゼキエルは終わりの日に神ご自身が偉大な神殿を建て「主(ヤハウェ)の栄光が東向きの門を通って宮に入ってくる」(43:4)と預言しました。そして、イエスの時代の人々は、新しく生まれる「ユダヤ人の王」とともに「主(ヤハウェ)の栄光」が戻ってくると期待していました。

東方の博士たちはそのような新しい時代の到来を、不思議な星の出現によって知りました。彼らは当時の文化の中心地バビロンの地から来たのだと思われます。かつてユダヤ人はそこで捕囚となっていたので、博士たちは、聖書の預言にも通じていたはずです。

なお、皮肉にも将来的な救い主の誕生を、「ヤコブからひとつの星が上りイスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く」(民数記24:17)と預言したのはモーセの時代の異教の占い師バラムでした。ここに登場する「博士」も占星術師のような存在です。彼らは異教社会の最高の知識人という意味で「博士」と訳すことはできますが、彼らがどこまで聖書を理解していたかは不明です。

バラムも、この東方の博士の場合でも、主導権は彼らの知識や探究心である前に、神ご自身の導きであることを忘れてはなりません。とにかく神は、イエスの誕生の出来事に異教の知識人を招き入れることで、キリストの救いは異邦人に及ぶということを最初から示されたのです。

東方の博士たちは、エルサレムに行けばすべてが分かると信じて来ましたが、そこに栄光の王の誕生のしるしを見ることはできませんでした。それで、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」(2節)と尋ねまわり、それがヘロデの耳にも入ってきました。

その反応として、「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人もヘロデと同じであった」(3節)と描かれるのは、このような問いかけが、エルサレム神殿を建てたヘロデはイスラエルを復興する真の王ではないということを内外に明らかにすることを意味し、エルサレムの権力基盤を崩すことになるからです。

それで祭司長たちは、ヘロデの質問に聖書から答えることはできましたが、その方を拝みに行こうとは思いませんでした。不思議にも、当時の宗教指導者たちは、救い主の誕生を確かめることよりも、自分たちの身の安全を優先したというのです。

預言者ミカ(5:2)は、ダビデの生誕地ベツレヘムに「イスラエルの支配者になる者が出る」と預言していました。そして、その方は、「アッシリヤが私たちの国に・・踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う」と言われていました。多くの人々が救い主の誕生を、この世の出来事を離れた霊的なことかのように考えますが、ミカ書を初めとするすべての預言書は、この地に神の救いが実現することを語っています。東方の博士が、遠い道のりのかけてきたのも、ヘロデがそれを聞いて恐れたのも、現在のクリスチャン以上に、預言を身近に感じていたからです。

救い主は、神の民の敵を滅ぼすことによって世界に目に見える平和を実現すると描かれ、そのとき「彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない」(ミカ4:3)というような完全な平和が実現すると約束されていました。

博士たちはが、その町に近づいたとき、東方で見た星が再び現れ、彼らを幼子イエスのところに導きました。それは、人の知恵による発見ではなく、神の一方的な導きでした。イザヤ書60章では、神がもたらす新しい時代には、諸国の民が、黄金、乳香をたずさえ、神の祭壇にささげると(6,7節)と預言されていましたが、その祭壇はヘロデが建てた神殿ではありませんでした。

彼らは、「家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」とありますが、これは当時、王にささげる最高の贈り物の組み合わせでした。

「乳香」は当時の神殿で用いられる最高級の香料であり、エジプトでは王だけしか使うことが許されませんでした。中世のペストの大流行のときその拡大を止めるような殺菌力を発揮したと言われます。「没薬」はミイラを作る際に大量に用いられ、イエスの葬りの際にも用いられましたが、通常は祭司や貴婦人たちの化粧品や皮膚薬。香料などに用いられました。

それにしても、イエスの最初の住まいは家畜の餌を入れる「飼い葉おけ」で、それは村はずれの洞窟の中だったと思われますが、このときは、博士たちは「家に入って」と記されています。これは、イエスの誕生から二年近く経っていたときのことだからです。

なぜなら、ヘロデ王は、「星の出現の時間」を博士たちから「突き止め」、後に「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を一人残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである」(16節)と記されているからです。少なくとも、この博士たちの訪問は、クリスマスのときよりかなり後のことであるのは明らかです。

真のユダヤ人の王の誕生が、世界の歴史の転換点であることを、異邦人は認めましたが、ユダヤ人の支配階級は自分の身の安全を考え、確かめようともしませんでした。しかし、それは預言者たちが語っていたように、神の栄光がイスラエルに戻って来たことを意味します。それは、ユダヤ人ばかりか異邦人にとっても新しい時代の幕開けを意味したのです。

2.真のユダヤ人の王として、その歴史を再体験した方

博士たちは、「それから夢で、ヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の家に帰って行った」(12節)とありますが、ヘロデにとって、博士たちが自分の前を通りすぎてベツレヘムに向かったことは、途方もないショックでした。彼は、自分の三人の息子さえ、競争者と疑って殺したほどですから、その赤ちゃんを殺すのに躊躇はしません。

それで、博士たちが帰ったあと、主の使いが再び夢の中でヨセフに現れ、「立って、幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を探し出して殺そうとしています」(13節)と言います。

このとき博士たちがくれた宝物がこの長い旅の必要を満たすことができたことでしょう。主はあらかじめ必要を満たした上で、困難な命令を下したのです。そして、「そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた」と描かれていますが、ここに改めてヨセフの従順さが強調されます。

彼としては、何がなんだかわからないまま、ただ、御使いの命じられるままに未知の世界に歩み出しています。

そして、そこで興味深いのは、「これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と言われたことが成就するためであった」と記されていることです(15節)。これは、ホセア11章1節にある記事ですが、それはイスラエルの原点、出エジプトのことに他なりません。

神は、かつて、飢饉の最中、ヤコブ一族をエジプトに逃れさせ、そこで増え広がらせ、新しい民とするためにエジプトから呼び出しました。つまり、幼子イエスのエジプト逃亡は、イスラエルの歴史をやり直す意味があります。それは、イエスこそがイスラエルを代表する王であられる方だからです。

ヘロデは、自分の競争者の息の根を確実に止めようと、博士たちの報告を待っていました。彼はその期待が裏切られたと分かると、「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとりの残らず殺させ」(16節)ます。このときイエスは誕生から二年近くたっていたと推測されたからです。当時の村のサイズからしたら、該当する幼児の数は10人から30人ぐらいでしょうが、ヘロデにとっては心を痛めるほどのことでもなく、また、幼子が平気で遺棄される当時のカルチャーの中では何の話題にもならなかったことでしょう。

しかも、このことが、「そのとき、預言者エレミヤを通して言われたことが成就した」(17節)と解説されているのにはやりきれない気がします。この悲劇も神の御手の中にあって起こったというのですから・・・。

しかし、それがあるエレミヤ31章15節前後の全体の文脈には、暗闇を通しての希望が記されています。そこでは、「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている」と記されていますが、これはイエスの誕生は、神がイスラエルの民の悲しみのただなかに降りてこられたという意味を持っています。

「ラマ」はエルサレムの北八キロメートルにあるベニヤミン族の中心都市で、そこに後にバビロン捕囚として連行される人々が集められました(エレミヤ40:1)。

ラケルはヤコブの最愛の妻でベニヤミンを産むと同時に息絶え、ベツレヘムに葬られました。彼女は悲劇の人ですが、同時に、後に続く祝福の母でもあり、彼女からヨセフが生まれ、それがエフライムとマナセという北王国の中心部族が生まれました。しかし、北王国は滅ぼされ、その民は強制移住させられ、残るベニヤミン族もバビロンに捕囚とされてゆきます。それを彼女は嘆いているというのです。

ただし、エレミヤ書では続けて、「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ・・・あなたの将来には望みがある・・あなたの子らは自分の国に帰って来る」(31:16、17)という希望が告げられます。そればかりか、続けて主は、そこで今、裏切りの民、エフライムに対するご自身のお気持ちを、「わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない」(31:20)と描かれます。

日本で唯一世界的に有名になった神学者、北森嘉蔵は、この不思議なみことばと、先のホセア11章の続きに記されている「わたしはあわれみで胸が熱くなっている」(8節)いうみことばを思い巡らす中から、「神の痛みの神学」という名著を生み出しました。それが拙著、「哀れみに胸を熱くする神」の出発点となりました。それはご自身に背き続ける者のために、ご自身の御子を十字架にかける神の痛みでもあります。

「神が全能ならば、なぜ、この世にこれほどの不条理や悲劇があるのか?」という問いに明確な答えはありません。しかし、「私たちが痛んでいるとき、神もともに痛んでおられる」ということと、「私たちの悲しみには必ず終わりがあり、神は私たちの将来を開いてくださる」ということは明らかです。イエスに信頼する者の人生の不思議とは、どんな苦しみの中にも望みを見出すことができるということにあります。

旧約聖書の二大テーマは出エジプトとバビロン捕囚ですが、マタイは、その両方をホセアとエレミヤの預言をもとにイエスの誕生に結びつけました。そして、それぞれの引用箇所のテーマは、神がご自身の民の苦しみを見ながら、哀れみで胸を熱くし、ご自身のはらわたをわななかせているというものでした。

人間的に見ると、幼子イエスのエジプト亡命も、ベツレヘムの幼児虐殺もサタンの使いとも言えるヘロデの残虐さに翻弄されている悲劇でしかありませんが、聖書全体からすると、それはイエスがイスラエルの王として、それまでの悲劇を生まれるとともに背負ってくださったことを意味します。

それにしても、「イエスがベツレヘムに生まれなかったら、そこの赤ちゃんは殺されずに済んだのに・・・」と思いたくなります。しかし、残念ながら、祝福の傍らで、悲劇も同じように生まれるというのは、この世の現実です。たとえば第二次大戦におけるドイツの敗北は、1944年6月6日の連合軍のノルマンディー上陸作戦で決定的になりました。

しかし、そのときから1945年4月30日のヒトラーの自殺に至るまでの11ヶ月間、想像を絶する犠牲の血が流されています。戦いの勝敗が決まったのはノルマンディー上陸作戦ですが、戦いが終わるのはそれから一年後です。イエスの誕生はサタンの敗北の始まりでした。しかし、それ以降、自分の終わりを知ったサタンは、イエスの救いを見えなくするために、このベツレヘムの幼児殺しに始まりあらゆる手段を尽くしています。

夜明け前が一番暗く感じられるとか、光が強いほど影も濃くなるとも言われるように、イエスの誕生にともなう悲劇は、サタンの最後の悪あがきの始まりです。それは黙示録のテーマでもあります。

3.キリストが支配する新しい時代に入れられている恵み

この悲劇の直後に、「ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った。『立って、幼子とその母とを連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました』」と記されています(20節)。ヘロデは、必死に自分の競争者を殺そうとしましたが、そのとたん、彼自身の命が尽きました。

現在の暦はイエスの誕生を起点にしているはずですが、後に誤差が発見され、降誕は紀元前4年だと言われています。それがヘロデの死の年だからです。しかし、先にあったようにイエスはヘロデの死の二年前には生まれていたと思われますから、するとイエスの誕生は紀元前5年から6年ということになります。

どちらにしても、ヘロデは自分の死の年が、新しい時代の幕開けとなったことを夢想だにしなかったでしょう。神殿を復興したと自負していた人が、もっとも忌み嫌われた人となりました。

ヨセフは家族とともにイスラエルに戻りましたが、そこでは、「アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行って留まることを恐れた」(22節)と記されます。アケラオはヘロデにまさって残酷な王で、ローマ皇帝は後に、民の反乱を恐れてアケラオを王座から退けたほどです。

そして、「夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ち退いた。そして、ナザレという町に言って住んだ」と記されます。

ヨセフは夢のお告げのたびに、それに従っているというのは何とも不思議です。ふと、「どうして、目を覚ましているときに御使いが現れてくれないのか・・・」とも思いますが、それはヨセフの主体的な行動を尊重しているからかもしれません。

人によって、「神がもっと私の進むべき道を明確に教えてくれたら・・・」と願うかもしれませんが、幼子のイエスを保護するという重大な責任を負っていたヨセフでさえ、夢を通してしか語っていただけなかったことを考えれば、神はどれだけ私たちの主体性を重んじているかが分かるのではないでしょうか。

とにかく、彼らが住んだのは辺鄙な田舎のナザレでした。そして、「この方はナザレ人と呼ばれる」という預言は、旧約聖書のどこにも記されていませんが、それは、預言された救い主に関して「彼はさげすまれ…」(イザヤ53:3)と言われていたことを指していることばだと思われます。

これは、ダビデ王国の栄光を復興したと自負していたヘロデ王の栄光と何と対照的でしょう。

本日の箇所では、預言がひとつひとつ成就して行ったことが強調されています。東方の博士たちが贈り物を届けてくれたこともそれに含まれます。それは、ノストラダムスの大予言のように、いつ、どこで、何が起こるかを告げることではなく、神の救いの計画の全体像を知らせることが中心です。

神がご自身の御顔を隠される「のろい」の時代のことは、ずっと以前に警告されていました。その通りのことが起きて、彼らは、「恐怖にとらわれ・・心がすり減り・・種を蒔いても無駄になり・・あなたの力は無駄に費やされる」(レビ26:16-20)、また、「やまいが癒されず・・婚約者を寝取られ、家を建てても住むことができず・・ぶどう畑を作っても、その収穫をすることができない」(申命記28:27-37)という悲惨を味わっていました。

しかし、神はご自身の民をあわれみ、御子キリストによって新しい時代を開いてくださいました。それは、古い時代と対照的に、「彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作ってその実を食べる・・自分で作ったものを存分に用いることができ、無駄に労することがない」(イザヤ65:21-23)という祝福の時代です。

目に見える現実はまだ完成していませんが、イエスとの交わりのうちに生きる者はすでに、そのような御国の民とされています。

ですから、パウロは、「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15:58)と言いました。

それは、キリストにある「いのち」を生きている者は、「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)と確信をもって告白することができるからです。

ヘロデは、政治的には、大王と呼ばれるのにふさわしい業績を残しました。ローマ帝国の信任を勝ち得て広大な国土を治め、神殿を初めとする多くの建造物を後の世に残しました。しかし、彼はそれらをあらゆる権謀術数を尽くしてやり遂げました。それで彼には、信頼できる人がだれもいませんでした。ほとんどの国民から毛嫌いされ、ひとりぼっちで、自分が作ったもので自分を慰めるナルシズムの世界に生きていました。

一方、イエスはまったく無力なようでありながら、何の縁もゆかりもない東方の博士たちの礼拝を受けました。彼らのささげものは、エジプトに下るための資金になりました。全能の神は、赤ちゃんとなりマリヤとヨセフに抱かれて逃亡する道を選ばれました。彼は片田舎で人知れず育ちましたが、父なる神の御手の中で生かされていました。そして、その交わりが私たちにも及びました。

イエスの名が、「インマヌエル」と呼ばれたように、神はたしかに私たちの味方となられ、私たちとともにおられます。それは、具体的には、父なる神が、イエスをマリヤの腕に抱いて守ったように、私たちがこのキリストにある交わり(教会)に包まれて生かされていることを意味します。この目に見える交わりは、やがて実現することが確定している「新しい天と新しい地」のつぼみです。ヘロデと反対に、私たちは交わりに生きるのです。

村上春樹の小説、「ノルウェーの森」の最後の問いかけに、「僕は今、どこにいるのだろうか・・・」というのがありました。人間的に考えると、幼子イエスを守ったヨセフの歩みは、そのような手探りの歩みでした。しかし、彼にはそのような歩みの中で、その時その時に、神の明確な導きと守りを体験していました。

今、私たちのために、「新しい天と新しい地」への道が開かれています。しかし、五年後、十年後のことがどうなるかは、まったく分かりません。しかし、手探りながら、今、ここでなすべき働きは示されているのではないでしょうか。

私たちの前には、今日なすべきことと、永遠のゴールだけが分かっています。しかし、それこそが、ヨセフの歩みであり、すべての神に用いられた人の歩みではないでしょうか。イエスの救いを永遠の観点から宇宙大に考えることが、かえって、目の前においての自分の果たすべき責任として見えてくるのではないでしょうか。

神はこの世界をご自身の平和で満たしてくださいます。私たちはその過程の中にいます。それであれば、私たちの使命はおのずと明らかになります。私たちは今、平和の完成に向けての一里塚を、踏みしめるように召されているのです。