2010年2月28日
私たちは、「どうして、自分ばかりがこんな嫌な目にあわなければならないのか・・・」とつぶやきたくなることが多くあります。しかも、自分の労苦が報われる代わりに、不本意に担わされてしまった責任に対して、不当な非難を受けることがあります。それを警戒するからこそ、私たちは、互いに、責任を押し付けあう傾向があります。イエスの十字架刑はそのような責任のなすりあいの結果として決められました。つまり、自己保身を優先する者が、イエスを十字架にかけたのです。私たちはピラトの姿に自分を重ね合わせることができるのではないでしょうか。一方、不本意に十字架を背負わされたシモンの家は、初代教会の中心になりました。そして、イエスは何よりも、息も絶え絶えに十字架への道を歩まれながら、エルサレムを襲う悲劇のことを悲しんでおられます。不当な苦しみを受けながら、なお、そこにいる人々のことを気遣うイエスの姿、それこそ、私たちに求められる生き方です。
1.「見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません」
「ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め」(23:13)とは、公の判決を下すという意味がこめられています。その上でピラトは、「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪(理由)は別に何も見つかりません」と言いました(23:13)。ここでは、ユダヤ人たちが訴えている内容を、「私があなたがたの前で取り調べた」にもかかわらずと強調し、その訴えを正当化する「理由」を見出さなかった言いながら、彼らの訴えを、正式に根拠のないものと見なしたという公の宣言がなされたという点が強調されています。
確かに、イエスは当時のユダヤの最高議会(サンヘドリン)では死刑判決を受けました。それはイエスが自分を神の右の座に着く者としたという冒涜罪のゆえです。イエスが真に神の御子ではなかったとしたら、彼らの判決は、律法に照らし合わせても正当なものでした。多くの人は、イエスを尊敬すべき人間像の代表にしますが、この世で真に尊敬される人であれば、自分を神と等しくすることはありません。ユダヤ人の視点からしたら、イエスは真に預言された救い主であるか、偽預言者であるかのどちらかであって、「良い人」という判断はあり得ません。しかも、彼が、無力に捕えられているという現実自体が、彼は救い主ではないということを証明しているとも言えます。それからしたら、ユダヤ人の死刑判決はきわめて妥当なものだったとさえ言えます。
ただし、それはローマの法律からしたら極めて宗教的なことですから、それによってイエスを死刑にすることはできません。このときのイスラエルはローマ帝国の支配下にありましたから、イエスが人々の独立運動をあおって反乱を引き起こしたということが明らかにならない限り、イエスを死刑に定めることはできません。
その上で、ピラトは、「ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました」(23:15)と付け加えます。このガリラヤの王ヘロデ・アンテパスは、エドム人の子孫であるヘロデ大王の息子でしたが、一応、ユダヤ人の王として自認していましたが、彼でさえイエスを死刑にする理由が見つけることができなかったというのは、大きな説得材料になります。ですからピラトは、「見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します」(23:15,16)と言います。「死罪に当たることは、何一つしていません」という宣言は、極めて力強い宣言で、「これにて一件落着」と言えるようなものです。
ところが、ピラトはなんとも不思議な判決を下します。ユダヤ人が訴えているような罪が見つからなかったのなら、すぐに釈放すべきなのに、なぜ、釈放する前に、「懲らしめる」必要があるのでしょう。それは鞭打ち刑で、場合によってはそれで死んでしまう人もいるほど残酷な刑でした。この判決は、死刑に相当する罪は見出せないけれども、鞭打ち刑を与える根拠はあると言われているかのようにも思えますが、先に、ピラトは、彼らの訴えの正当性を認めることはできなかったとはっきり言っているのですから、イエスはすぐに釈放されるのが正当なことです。
イスラエルは当時のローマ帝国で最も支配が困難な国であると言われていました。ピラトも自分の不遇を嘆いていたことでしょう。彼はユダヤ人たちが自分の統治の不正をローマ皇帝にいつ訴えられるかと戦々恐々だったのではないでしょうか。ですから、ピラトはイエスを鞭打って、苦しめることで、ユダヤ人の不満が静まることを期待して、鞭打ちを決めたのだと思われます。彼には真理によって判決を下そうという気持ちはありません。そして、そこにユダヤ人たちに付け込まれる余地が生まれたと言うべきでしょう。一歩譲ると、どこまでも譲ることになるということの例です。ピラトは最初の裁判の席で、「この人には何の罪も見つからない」(23:4)と宣言していながら、ユダヤ人たちの訴えに抗し切れなくて、それで裁判を終わりにする代わりにヘロデ・アンテパスのもとに送りました。そして、ここでもユダヤ人の気持ちに一歩譲ることによって、彼らの要求に全面的に屈する道を開いてしまいました。
2.「そしてついにその声が勝った」
それで彼らは、「声をそろえて」、「この人を除け。バラバを釈放しろ」と叫びました(23:18)。マタイによるとピラトは、過ぎ越しの祭りには、「群集のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた」(マタイ27:15)とのことですが、彼はバラバとイエスのどちらかを釈放できるという自分の恩赦の権威を見せながら、人々が明らかな罪人のバラバよりもイエスの釈放を求めることを期待していました。なお、「バラバとは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢にはいっていた者である」(23:19)とあるように、当時の法律からして明らかな死刑囚でした。「暴動」とあるのは、バラバこそ「民を扇動している」(23:5)と言われるにふさわしい独立運動指導者で、その革命運動の中で、人を殺害しなのだと思われます。つまり、罪が明らかな人が釈放され、無罪の人が十字架にかけられようとしているのです。ミッション・バラバというやくざから回心した伝道者の集まりがありましたが、イエスはまさに、そのような社会の闇に住む人に新しい人生を与えるために、身代わりに十字架にかかってくださったということです。
ところで、イエスはつい五日前の日曜日には、群集の歓呼を受けながらエルサレムに入城した人です。ピラトは意外な展開に大変にあわてたのだと思われます。それで、「ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけ」(23:20)ます。ところが、「彼らは叫び続けて、『十字架だ。十字架につけろ』と言った」(23:21)というのです。ピラトが彼らに理解を求めようとするたびに、彼らの要求はエスカレートしています。
そしてここでは、「しかしピラトは三度目に彼らに」向かって、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します」と言ったと記されています(23:22)。本来、彼が正当な裁判をしている自覚があるなら、彼はユダヤ人たちがなんと言おうと、自分の良心に従ってさばきをくだせば良かったはずです。しかし、中途半端に、彼らの好意を得ようとしたために、とんでもないことに巻き込まれてしまいました。彼の優柔不断さが、ユダヤ人の声をますます大きくしてしまいました。
歴史に「もし・・」などと言うことは、不謹慎ではありますが、それでも、もしピラトがもっとクールに、「これにて裁判終了!」と断固として宣告していたとしたら、ピラトはイエスに十字架刑を宣告した張本人という歴史上もっとも不名誉な立場を回避できたかもしれません。ふと、使徒信条で、「主は・・ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ・・・」と告白するたびに、彼を可愛そうに思ってしまいます。自分にもピラトと同じように、人々の好意を得ようと妥協する傾向があるのを知っているからです。
そして、ここで福音記者は、「ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った」(23:23)と描きます。ユダヤ人の声が勝った結果として、ピラトはローマの裁判では本来死刑に値しない人を死刑に定めてしまったのです。そのことが、簡潔に、「ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した」(23:24)と描かれます。ピラトはローマ皇帝の代理として、裁判官の席に着いていたはずなのに、彼は群衆の声に押し切られ、民衆に屈服するようにして、死刑判決を下してしまいました。
そして、これを通して、イエスを死刑に定めたのは、ローマ帝国である前にユダヤ人たちであることが明らかになります。そして、この判決の不当さが、ごく簡潔に、「すなわち、暴動と人殺しのかどで牢にはいっていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた」(23:25)と描かれます。このときユダヤ人たちがイエスの代わりにバラバの釈放を願ったことは彼らのその後の歴史を決めることになりました。バラバはエルサレムで暴動を引き起こして人殺しまでした人です。一方、イエスは、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)と言われて、ローマ帝国への反抗を戒められた方です。このときユダヤ人たちは、救い主と称しながら無抵抗に捕らえられたイエスを退け、剣をもって戦うバラバの生き方を選び取ってしまったのです。
確かに、エゼキエルの預言などを表面的に見ると、神が遣わす新しいダビデのもとでイスラエル国家の独立と繁栄が実現されるはずだと思われました。しばしば、自分で責任をとろうとしない人々は、強いリーダーを求めます。彼らは、ローマ帝国の圧制という現実の中で、自分の責任で可能なことを地道に成し遂げることよりも、目の前の問題をたちどころに解決するという強い指導者に憧れていました。ナチス・ドイツの宣伝大臣だったゲッペルスは、「民衆は上品に支配されること以外に何も望まない」と記していますが、残念ながらそのような面があります。ユダヤ人はこのとき、イエスを退けバラバ的な人を選んだことによって自滅への道を歩みだしたと言えましょう。
人は何よりも、ひとりになることを恐れます。ですから、人々の尊敬と称賛を得られるなら自分の命を賭けることだってできます。そのような英雄待望の雰囲気が、見通しのない無責任な指導者を生み出すのです。
なお、このときのピラトとユダヤ人たちとの対話を、ユダヤ人向けの福音書を記したマタイ27章24,25節では次のように描かれています。「そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群集の目の前で水を取り寄せ、手を洗って言った。『この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。』 すると、民衆はみな答えて言った。『その人の血は、私たちや子供たちの上にかかってもいい。』
このユダヤ人の応答こそ、ユダヤ人のその後の悲劇の原点です。多くのユダヤ人は、この記録に大変な反発を感じます。残念ながら、歴史上、クリスチャンたちがユダヤ人を迫害するのを正当化する根拠に、このマタイの記事が用い続けてきました。もちろん、そのような迫害は決して正当化はできません。しかし、ユダヤ人が、イエスの血の責任を神によって負わされたことは確かです。それがこれから約40年後に起きるローマ軍の攻撃によってエルサレムが滅亡し、神殿が永遠になくなってしまったことでした。しかし、それは、ユダヤ人自身がイエスのことばに逆らい、剣を取ってローマ帝国に反旗を翻したことの結果であり、神のさばきではあっても、同時に、それはユダヤ人が自分でローマ軍を戦いに引き出してしまったというまさに自業自得の自滅でした。
3.「シモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせて・・・」
そして、「彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた」(23:26)とありますが、これはイエスが深夜の裁判と鞭打ち刑で消耗し、体力がなくなっていたことを示しています。クレネ人シモンとしてはとんだことに巻き込まれたと思ったことでしょう。しかし、このように彼の名が、わざわざ記されていることには大きな意味があります。マルコ福音書では、わざわざ、「アレクサンデルとルポスの父でシモンというクレネ人が・・・」(15:21)と、彼がよく知られた教会リーダーの父であったことが示唆されています。そして、パウロは、ローマ人への手紙の末尾の挨拶で、「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく」(16:13)と記しています。このルポスが十字架を負ったシモンの子と同一人物であるなら、シモンの妻は、使徒パウロにとっての母親的存在になっていたことになります。シモンは、不本意にせよ、イエスの十字架を身代わりに負ったことで最も尊敬される人の一人になったのでしょう。
私たちは自分の意に反して、自分が負う必要のないと思われる重荷を負わされることがあります。僕も昨年の福音自由協議会総会で、とんでもないいやな役を引き受けさせられたと感じ、その後、どんどん気分が沈んでゆきました。正直言って、「何で僕がこんな損な役回りを引き受けなければならないのか・・・」と感じていました。しかし、結果的に、そこからまったく予期しない出会いや展開が生まれてきました。気の進まないことでもやらざるを得ない働きが多くあります。だれかが、その嫌な役回りを引き受けざるを得ません。それはクレネ人シモンの立場に身を置くことです。しかし、それが主のための働きであるならば、そこで苦しみ以上の祝福を必ず体験できます。
私たちは、平穏な生活を送るためではなく、他の人々のために困難な課題を背負うためにキリスト者として召しだされました。その召しに従うときに、予期しなかった祝福の世界を見させていただくことができるのです。
4.「エルサレムの娘たち・・・自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい」
そして、「大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った」(23:27)とありますが、ここに至って初めて、「十字架にかけろ」と大声で叫んだ以外の人々の姿が描かれます。その中心は、女性たちでした。ところがイエスは、その女たちに向かって、「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい」(23:28)と、不思議なことを言われました。
それは、このエルサレムがローマ帝国の攻撃を受けて滅びることを、イエスが前もって知っておられたからです。そのことをイエスは、「なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。』と言う日が来るのですから」(23:29)と、言われます。これと似た表現が17章22-37節にもありました。
「そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ。』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ。』と言い始めます」(23:30)と記されていますが、これは、ホセア10章8節の預言の言葉です。この預言は北王国イスラエルの全盛期を築いたヤロブアム二世の時代に、ホセアがまもなくイスラエルは神の怒りによって滅ぼされるということを預言していたものです。全盛期とは、滅亡への入り口であるというのが歴史の皮肉です。
イエスは、この預言との関連で、「彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう」(23:31)と言われました。「枯れ木」とは、いのちのない木のことで、パリサイ人や律法学者などの宗教指導者を皮肉った表現です。「生木」とは永遠のいのちを持つイエスご自身のことです。イエスは目の当たりにエルサレムの滅亡を見ていましたが、イエスとイエスのことばを信じた人々はローマ帝国に逆らうようなことはせず、ローマ軍にエルサレムが包囲される前に逃れることができました。しかし、イエスのことばを軽蔑したユダヤ人たちは、自分たちが神のご計画に逆らっていることも知らずに偽りの信仰に燃え、自滅してゆきました。主は、「枯れ木」に対する神のさばきをありありと見ておられたからこそ、「父よ、彼らをお赦しください」(23:34)と祈られたのです。さばきのないところに赦しの必要などは生まれません。罪に対する神のさばきと十字架の赦しとはセットになっています。神をあなどってはなりません。イエスを救い主として信じない人は、自分の罪によって滅びるのです。
イエスは十字架の苦しみに向かいながら、人々に自分たちの罪のために泣くようにと言われました。自分の罪に泣く者にこそ、イエスの十字架の贖いのみわざが有効になるからです。イエスはそのような真理を前提にして、平地の説教で、「いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから・・・いま笑うあなた方は哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから」(6:21)と言われました。このとき、イエスをあざ笑った者たちとその子たちは、エルサレムとともに滅びました。しかし、エルサレムのために泣いた者は、イエスにある救いを喜ぶ者となったのです。
私たちが不本意な責任を担わされながら、しかも、そこで謂れのない非難を受けるようなとき、詩篇69篇のみことばに自分の心を合わせて祈ることができます。そこでは、「私は盗まなかったものさえも、返さなければならないのですか」(4節)と、神に自分の損な役回りのことで嘆いています。そして、彼は自分の置かれている不遇な状況、孤独感を神に切々と訴えてゆきます。しかし、この詩篇の終わりは、「神を尋ね求める人々よ、あなたがたの心は生き返ります」(32節私訳)という力強い断定で終わります。拙著の詩篇の翻訳と解説を『心を生かす祈り』としたのは、これをもとにしています。私たちは自分で自分に言い聞かせるのではありません。神に向かって嘆く中で、私たちの心に神のみこころを行う力が沸いてくるのです。それこそ聖霊の働きです。不当な苦しみを受けて心が痛むのはきわめて自然なことです。しかし、それを神への祈りに変えるとき、私たちはイエスの御跡に従うことができます。イエスが不当な苦しみにあっているのですから、その弟子である私たちが不当な苦しみに会うのはきわめて自然なことです。しかし、それは決して苦しみでは終わりません。そこには豊かな祝福が備えられています。