2010年2月7日
無教会の指導者、矢内原忠雄氏は1920年から37年まで東京大学で、国際連盟に転出した新渡戸稲造の後継者として植民政策の講座を担当、多くの研究業績をあげますが、その平和主義思想のゆえに大学を追われました。しかし、彼は自宅で聖書集会を開き続け、太平洋戦争の最も激しかった時期の1943年10月から45年1月まで、36回にわたってエゼキエル書の講義を続けました。彼は、滅亡に向かうエルサレム王国と、無謀な戦いで自滅に向かう日本とを重ね合わせていたかのようです。彼はその中で、日本は第一次大戦のときまでは、信義を守る国として世界中から認められていたのに、満州国設立から大東亜共栄圏にいたる外交政策を、国際的な信義を無視して自国の利益ばかりを追求していると嘆いています。そして、敗戦の約一年前の集会では、「もしも日本が不幸にして今度の戦争に負けるとすれば・・・それは日本が謙遜を学ぶ非常に良い機会であるわけです・・日本は神の国だから負けることはない・・そういう信念は打破されなければならない。人間的なおごりをもって神国といっているのですから、それは覆されることが必要なのです」と、憲兵に捕らえられて拷問を受けなかったのが不思議なほどのことを命がけで語っています。そして、神国とは、神からの使命を自覚する国であって、その使命を純粋化するために役立つなら、戦争に負けることも神の御旨であるという趣旨のことを語っています。大切なのは、戦争に勝つことでも負けることでもなく、神を畏れ、神の前に正しく歩むことであると命がけで語っています。
これは、まさにエルサレム王国が滅亡するに至る預言者エゼキエルのメッセージそのものです。当時のエルサレムは、その約150年前にアッシリヤ帝国からの攻撃を奇跡的に退けることができたことで傲慢になり、神の都は決して滅びないと豪語しながらも、国際的な信義を軽んじ、神をあざけるような隠れた偶像礼拝に明け暮れていました。エゼキエルは、そのような中で、神ご自身がご自身の都と神殿を破壊する、ただ、それを通してイスラエルの民を謙遜にし、再び彼らの国の栄光を回復させてくださると語っていました。時局に迎合することなく、権力者の傲慢と偽善を非難しながら、同時に、国が謙遜にされた後の希望を語るという矢内原の姿勢は、まさにエゼキエルから学んだものでした。私たちのまわりにも様々な不正や欺瞞があります。人の反発を恐れたり、時の流れにおもねることなく、神の正義がこの地に実現するために命を賭けることができる人が求められています。勝ち負けやこの世的な幸不幸を見るのではなく、神にある永遠の希望に目を向けながら生きる人こそ、神の人です。
1.主の栄光がエゼキエルに現され、エルサレム神殿からは立ち去る
エゼキエル書は、エルサレム滅亡の約六年前、既に故国から遠いバビロンの地に捕囚として流されていた三十歳になったばかりの預言者エゼキエル一人に、突然、「主(ヤハウェ)の栄光」が現されるという記事から始まります。聖書の中に、これほど生き生きと詳しく、主の栄光の様子が描かれている箇所はありません。しかも、これは神の都エルサレムにおいてではなく、遠い異国の異教徒の奴隷のような立場に置かれた、無力で何の奉仕もできない若い祭司に示されたことでした。彼は、他のイスラエルの貴族とともに、五年前に、バビロン軍によって連行されてきました。世の一般の成り行きでは、そのように捕囚とされた民は、その地の権力者におもねりながら、次第に、民族の誇りを失ってしまうことでしょう。何よりも、彼らは、エルサレム神殿で礼拝していたイスラエルの神、主(ヤハウェ)に失望して、強国バビロンの神々を拝み、主の民としてのアイデンティティーを失う危険にさらされていました。
主の栄光は、満ち足りた生活の中においてではなく、夢も希望も失われたような中でこそ、見せていただけるものです。主が、バビロンの地の捕囚の民の中に住んでいるエゼキエルにご自身を現してくださったのは、彼らを神の民の種として守りとおすためでした。彼らから新しいイスラエルの民を再び起こすためでした。
このエゼキエルに見せられた幻と、黙示録でパトモス島に流された使徒ヨハネに見せられた幻とは共通するものがあります。ただ、エゼキエルに見せられた希望の中心は、「イスラエル王国の復興」であるのに対して、ヨハネに示された幻は、「新しい天と新しい地」です。これこそ、旧約と新約の希望の違いでもあります。
そして主は、4章から7章にかけて、エルサレムの滅亡は、イスラエルの神、主(ヤハウェ)の無力さのためではなく、彼らの罪に対する神のさばきであると繰り返して語ります。ただ同時に主は、「しかし、わたしは、あなたがたのある者を残しておく・・・あなたがたのうちののがれた者たちは、とりこになって行く国々で、わたしを思い出そう」(6:8、9)と約束してくださいました。今、ユダヤ人は世界中で奇跡の民と見られています。彼らがあらゆる偶像礼拝をせずに、唯一の神、主(ヤハウェ)だけを礼拝する民として世界中に知られているのは、このエゼキエルの預言が彼らを動かした結果です。彼らの悔い改めがなければ、キリスト(救い主)を待ち望む信仰も生まれませんでした。
8章から11章にかけて、主の霊は不思議なかたちでエゼキエルをエルサレム神殿に連れて行き、隠れてなされている様々な偶像礼拝の様子を見せ、ご自身の聖所さばきを始めると言われました(9:6)。その上で彼に再び、「主(ヤハウェ)の栄光」が現されます。しかし、今度は、主の栄光がエルサレム神殿から離れてゆく様子を彼に見せようとされたのです。このとき、「主(ヤハウェ)の栄光が神殿の敷居から出て行って・・・その町の真ん中から上って、町の東にある山の上にとどまった」(10:18、19、11:23)と記されます。これは、「主(ヤハウェ)の栄光」が神殿を立ち去って、エルサレムの東にある山、オリーブ山に退かれたことを意味します。これによって、エルサレムはもはや、主が真ん中に住まわれる神の都ではなくなりました。そのとき、神殿も神の御住まいではなく、空っぽの家になったのです。神殿とエルサレムが破壊されるのは、そこが神の住まいではなくなった当然の帰結でした。
2.「平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし」
12章から15章ではエルサレムが滅びるときの様子が事前に描かれますが、そこでは同時に、偽預言者たちの活動を厳しく非難しています。当時のイスラエルの預言者たちは、エレミヤなどの滅亡の預言を聞きながらも、そのような主のさばきはすぐに実現することはない、神の都は安泰だと告げ続けていました。それが、神の民から最後の悔い改めの機会を奪い、さらに大きな悲惨を招いたのです。その姿が、「実に、彼らは、平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう」(13:10)と描かれます。
1943年12月に矢内原忠雄は、この箇所から、人々は、役にも立たない弱い塀を築いて、宗教家がそれにしっくいで上塗りをして、それがいかにも役に立つかのように見せているという趣旨のことを語って、当時の国策に協力している宗教家を非難しています。そして、自分が防火隊長に選ばれて、当時の欠陥だらけの防毒マスクや火消しに何の役にも立たないバケツリレーの訓練を指導せざるを得ない中で、当時の防火責任者に向かって、「実際には役に立たないことを、役に立つかのように思わせて演習させておけば、そのときにひどい目に合わされるではないか」と抗議したと語っています。これは、現在のトヨタの欠陥車問題にも通じます。ブレーキが利かなくなることがあるということクレームへの対処を遅らせている中で、世界中でとんでもない信用の失墜を招いています。
また、矢内原氏は、憲兵の目が至る所に光っているような時代に開かれていた集会で、「言いふらしてもらっては困るが、この戦争に日本は勝つことはないと私は思っている・・・信仰的立場から神をないがしろにし、国際的な信義を蹂躙し、偽りをもって国内の政治を満たし暴虐を行うことは、神の喜びたもうところではない」と語っています。彼は、国策に協力してばかりいた当時の日本基督教団の姿に、何よりも心を痛めていたのだと思います。真理を語るべき日本のキリスト教会は、こぞって、「戦争に勝つためにわれわれは一致団結する・・」というようなことを語り続けていました。まさに、当時の日本基督教団こそ、エゼキエルに記された偽預言者の姿そのものでした。
そして、私たちはその日本の教会の子孫としてここにいるのです。当時の感覚からしたら、矢内原忠雄は国賊です。しかし、今、誰もが、彼こそが真の愛国者であったことを認めざるを得ません。日本人は、ほんとうに、いつでもどこでも一致を大切にします。しかし、平安がないのに、平安を語る宗教家ほど危ない存在はいません。ある集団が滅びに向かっているとき、いのちを賭けて、それに警告を発する者こそ、真に神に愛された人です。
3.「悔い改めて、生きよ」
主はエルサレムに対するご自身の思いを、16章6-15節で、「わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいているのを見て・・・『生きよ』と言い、血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ』と言った。わたしはあなたを野原の新芽のように育て上げた・・・わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだ・・・こうして、あなたは金や銀で飾られ・・・あなたは非常に美しくなり、栄えて、女王の位についた・・・ところが、あなたは、自分の美しさに拠り頼み、自分の名声を利用し・・・だれにでも身を任せて姦淫をした」と語っておられます。エルサレムを生かし、繁栄させたのは主ご自身です。ところが彼女は、恩を仇で返してしまいました。
この「生きよ」という主のみことばは、今も、多くの人々に語り続けています。しかし、今も、残念ながら、「困ったときの神頼み。喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、主に対して恩知らずな生き方をする人が多くいます。そのような人に対し、16章59、60節で、主は、「わたしはあなたがしたとおりの事をあなたに返す。あなたは誓いをさげすんで、契約を破った」と、さばきを宣言しながら、すぐに、「だが、わたしは、あなたの若かった時にあなたと結んだわたしの契約を覚え・・とこしえの契約を立てる」と不思議なあわれみの約束をしてくださいました。主は、決して、ご自身の民を見捨てようとして苦しめるのではなく、彼らを立て直そうとして、彼らに訓練を施しておられるのです。
4.むなしい驕りと、主にある誇り
その上で、24章から32章にかけて周辺の国々に対する主のさばきが宣告されます。それは、エルサレムかバビロンに包囲されるときから、滅ぼされた後の時代にまで至る長い期間の預言です。その中で特に、海上貿易で栄えたツロへのさばきの理由が、「あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真ん中で神の座に着いている』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない」(28:2)と記されます。私たちの周りにも自分を神のように誇っている人がいるかもしれません。しかし、彼らの栄光はすぐに消えます。
そして、エジプトがイスラエルの民に偽りの希望を与えたことを、「イスラエルの家に対して、葦の杖にすぎなかった・・・彼らがあなたに寄りかかると、あなたは折れ、彼らのすべての腰をいためた」(29:6,7)と非難します。そして、見掛け倒しの彼らの最後が、「あなたはだれよりもすぐれているのか。下って行って、割礼を受けていない者たちとともに横たわれ」(32:19)と描かれます。イスラエルの民は、神の民として選ばれている者としてのしるしの「割礼を受けて」いながら、主にあるその誇りを忘れて、頼りにもならないエジプトに頼って、国を滅ぼしました。
それに関してパウロは、「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです」(Ⅰペテロ2:9)と語っています。傲慢と誇りとは紙一重です。神を忘れた傲慢ではなく、神に愛されている者としての誇りを大切に、この世の権力者に媚びることなく生きたいものです。
5.「わたしは、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける」
そして、34章23,24節で、主は、救い主預言を、「わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす・・・主(ヤハウェ)であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる」(34:23、24)と告げておられます。イエス・キリストは当時の人々から、「ダビデの子」として迎えられました。そして、その支配の下で、主は、「わたしが彼らのくびきの横木を打ち砕き、彼らを奴隷にした者たちの手から救い出す・・・彼らは二度と諸国の民のえじきとならず、この国の獣も彼らを食い殺さない。彼らは安心して住み、もう彼らを脅かす者もいない」(34:27、28)というイスラエルの平和が実現すると明確に約束されていました。
多くの人々は、イエスの時代のユダヤ人たちは、救い主に誤った期待を抱いていたと思い込んでいます。しかし、彼らの期待は正しいものでした。それはまさにエゼキエルに預言されているとおりのことだったからです。そして、正統的な教会は、十字架にかけられ、死んでよみがえったイエスは、再びこの地に来られると信じています。それは、このような目に見える平和を、イスラエルの地を超えた全世界的なレベルで実現してくださるためです。
使徒ヨハネも島流しにされながら「新しい天と新しい地」のビジョンを見ましたが、それとこの預言には共通点があります。それは、不遇な中で神の民としての誇りを持つことと、救い主がもたらす「救い」は、たましいが肉体から離れて天国に憩うというような現実逃避的なものではなく、神がこの地に目に見える平和を実現してくださるということを信じることです。神の民は、それを信じて、この地で、黙々と、誠実に、主に従い続けるのが使命です。
しかも、主は、そのように私たちを目に見える神の土地に憩わせる前に、私たちを内側から造りかえると約束してくださいました。それが、「わたしは、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる」(36:26、27)という約束です。
しかも、主は、私たちの肉体をも造り変えるとの約束を、37章で生き生きとイメージさせながら、「干からびた骨」に向かって、「見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与える」(37:5,6)と語ってくださいました。
そして、主はさらに、「息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ」(37:9)と大胆なことを言われます。そればかりか、主は、「わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げる・・・わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。わたしは、あなたがたをあなたがたの地に住みつかせる」(37:13、14)と約束してくださいました。私たちは、今、この復活の御霊を受けています。ですから、私たちは死を恐れる必要はありません。たとい、すべてのものを失っても、私たちのうちに主の御霊が住んでおられる限り、すべての祝福を再び取り戻すことができます。
6.神殿の復興と新しいエルサレム
40章からは新しい主の神殿のことが描かれます。その中心は神殿の形や大きさよりも、「主(ヤハウェ)の栄光が東向きの門を通って宮に入ってきた」(43:4)ことにあります。イエス・キリストがろばに乗って、エルサレムに入城してきた時、この預言が成就しました。多くの人々はイエスこそが、地上における主の栄光の現れであることを忘れています。そして、イエスはご自身の十字架と復活によって、エゼキエルの神殿を完成してくださいました。
47章には新しい神殿の敷居の下から湧き水が流れ出て、それが大きな川になり、死海に流れ込んで、そこに非常に多くの魚が住むようになるという不思議が預言されています。そして、川の両岸にはあらゆる果樹が生長すると約束されています。これは、エルサレムが新しいエデンの園になるという預言です。そして、これは黙示録22章では「いのちの水の川」として描かれています。イエスはこの預言を覚える仮庵の祭りの終わりの日に、神殿の真ん中になって、「わたしを信じる者は、聖書が言っている通りに、その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:38)と言われ、エゼキエルの預言が私たちに成就すると言われました。今、私たち自身が、新しい主の宮の一部とされて、私たちの心の内側から、四方の民を生かす、「生ける水の川」が湧き出てきます。それは、聖霊が私たちを小さなキリストに変え、私たちを用いて神の祝福を広げてくださるという約束です。
47章13節以降の、イスラエルに対する土地の分配の約束は、きわめて象徴的なものです。ここに記されている領土の範囲は、民数記34:1-12にあるものと基本的に同じです。その領土の北は現在のシリヤとレバノン南部にまで及びますが、ヨルダン川の東の地は含まれません。ただ、分配の仕方は、その地の特徴を無視した、きわめて機械的なものに感じられます。その意味するところは、主は十二部族を平等に扱ってくださるということにあります。それは私たち一人ひとりが、主から、同じようにかけがえのない存在として見られているということに通じます。
しかも、48章9-22節では、イスラエルの真ん中の土地のことが詳しく描かれます。それは、祭司やレビ人の土地、神殿の土地、新しい神の民の首都とその共有地などです。君主の土地は各部族の土地を侵すことがないように、その東西に割り当てられます。48章30節からは、その真ん中にある「新しい都市」のことが描かれます。それは、四方の長さが2.3kmもある当時のエルサレムよりもはるかに大きな都市でした(48:16)。そして、この町の名は、「主(ヤハウェ)はここにおられる」(48:35)と呼ばれます。それは、今、この教会に適用できる名前でもあります。
その町には、十二部族の名がついた十二の門があります。そして、それは黙示録では、新しいエルサレムの十二の門にそれぞれの部族の名がつけられるとともに、その城壁にはイエスの十二使徒の名が書いてあると描かれています(21:14)。新約の観点からしたら、キリストの弟子こそ「新しいイスラエル」です。現代のイスラエル共和国は、民数記とエゼキエルに約束されている土地の支配権を主張してアラブと争っています。しかし、エルサレムを開いたダビデは、「主(ヤハウェ)は、私へのゆずりの地所」(詩篇16:5)と告白しました。エゼキエルは確かに、目に見える土地への希望を語りますが、それ以上に、それを与えてくださる主(ヤハウェ)に目を向けさせているのです。
新約の観点からは、エゼキエルが預言した新しいダビデ、キリストの支配はイスラエルばかりか全世界に及ぶものです。では、その預言は、もう古いのでしょうか。決してそんなことはありません。矢内原忠雄が、それを日本の敗戦と復興に生き生きと適用させて語ることができたように、この預言は、今の教会に、あなたの会社に、学校に、そしてこの国に適用して考えることができます。ちなみに矢内原氏は、戦後、教授に復職し、東京大学総長にまでなっています。主ご自身が、日本の教会がそろって軍事政府におもねっている中で、政府を批判する彼の集会を守り、速記者を用いてその生々しいメッセージを記録させ、それが戦後公表されたことに感動を覚えます。
そして、その中心とは、私たちはどんなに小さくても、神の民としての誇りを忘れてはならないということです。この世に流されることなく、主の正義を求め、「地の塩、世の光」として生きることが求められています。確かに、最近、私が書いた本のタイトルにもあるように、「正しすぎてはならない」のですが、同時に、「義に飢え渇く者は幸いです」(マタイ5:6)とあるように、私たちは神の正義をこの地において求め続けなければなりません。たとい、私たちキリスト者の群れがこの世においてはどれほど弱く小さな共同体でも、誇りをもって常に、「主(ヤハウェ)はここにおられる」(48:35)と大胆に告白することができます。主がともにおられるとき、私たちは何をも恐れる必要がありません。