2009年11月15日
ペテロは確かに弟子たちのリーダーでした。カトリック教会の総本山はペテロの墓の上に立っており、ローマ法王はペテロの後継者と呼ばれています。それは根拠のないことではありません。確かに、イエスは弟子のペテロに向かって、「あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの岩(ペトラ)の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)と言われたからです。そのように考えると、ペテロはよほど立派な人間であると思われて当然ですが、よくよく聖書を見ると、ペテロが、まさに救いようのないほどの偽善者、臆病者、嘘つきであることが赤裸々に記されています。彼があなたの友であったなら、「もうあなたなんか、信用できない!」と見放していたかもしれません。しかし、イエスはそんな彼を作り変えてくださいました。そして、主は「不動の者」と変えられた彼の信仰告白の上にご自身の教会を建てておられます。ペテロを作り変えた御霊が私たちに与えられています。私たちはみなペテロの後継者です。
1.主がペテロに与えてくださった誇りと希望
イエスは、最後の晩餐の終わりで、弟子たちに向かって、「あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです」(28節)と言われました。それは、イエスが、彼らの動機がどのようなものであるにせよ、ご自身との交わりの中にあるということ自体を喜んでおられるという意味です。私たちは自分の身勝手さに何度も反省させられることでしょうが、イエスとの交わりの中にいるからこそ、それに気づくことができるのではないでしょうか。人は純粋な動機でイエスに従うというより、従う中で、動機が純粋に変えられるのです。
その上でイエスは、「わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます」(29節)と言われます。キリスト者の生涯は、イエスの歩みの御跡をたどるものですが、そこには十字架の苦しみと同時に、復活と昇天の希望があります。イエスは、弟子たちが引き続き、御名のために苦しむということをご存知であられるからこそ、ここで、明確な報酬を約束しておられます。黙示録では、偶像礼拝の誘惑に命をかけて抵抗し続けた信仰者たちについて、「彼らは生き返って・・・神とキリストとの祭司となり、キリストとともに千年の間王となる」(20:4,6)と約束されています。イエスがここで、「それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです」(30節)と言っておられるのは、このことを指すのだと思われます。イエスは、弟子たちに、この地上の生活での名誉のためではなく、神の国で約束されている名誉のために、この地でのどのような苦難にも耐え、ご自分に従うように命じられたのです。
ペテロは自分がイエスとともに王座に着くという約束を聞いたとき、心が喜びで満ち溢れたことでしょう。そして、そのためにはどんな苦難にも耐えると、「私は命をかけて主に従う」という覚悟を決めたことでしょう。
2.自分の中の恐怖心と向き合っていなかったペテロ
ところがイエスは、その後、ペテロの気持ちをくじくようなことを言います。それが、「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(31、32節)というおことばでした。つまり、ペテロはまず、サタンの誘惑に負けてイエスを裏切り、イエスの祈りによって初めて信仰を保つことができるというのです。しかし彼は、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」(33節)と答えました。彼は他の弟子たちはさておき、自分だけはイエスを裏切ることなど絶対にありえないという確信を抱いていました。しかし、「私は大丈夫!」などと豪語する者ほど危ない人はいません。そのように言う人は、旧約聖書を知っていないことを証明しています。旧約は、どんなに良い教えを受けても、アダムの子孫はそれを実行することができないということを証明するための記述だからです。
それでイエスは、「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います」(34節)と言われました。主はペテロの人間的な誇りを砕こうとしておられます。それは弟子訓練の最終段階です。私たちにとって「誇り」は命より大切です。実際、誇りのない人のことばなど信頼できません。しかし、主のみこころを離れて、「私こそ・・」「私でなければ・・」という思いが先行してしまっては本末転倒です。ですから、しばしば、主は、私たちをご自身の働きに生かす前に、自我を砕くというプロセスをとってくださいます。
イエスはその上でペテロを初めとする三人の弟子たちだけを伴ってゲッセマネの園でお祈りしました。そのときイエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われました(40節)。それはペテロを初めとする弟子たちが誘惑に簡単に負けてしまうということをわかっておられたからです。しかも、イエスご自身は、「弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて」、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と祈られました(41、42節)。イエスは、最初から、「みこころのままに」と祈ったのではなく、「この杯をわたしから取りのけてください」というご自分の願いをまず率直に祈っています。その時の様子が、「すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた」(43、44節)と描かれます。これは、主の心に、目の前の苦しみから逃れたいという人間としての思いと、御父のみこころのままに十字架の苦しみを主体的に受け止めようとする思いとの葛藤があったということだと思われます。イエスですら、その葛藤の中で、御使いの励ましを必要とされたというのです。そして、「汗が血のしずくのように地に落ちた」とは、苦しみのあまり、汗の中に血が混じったような状態になって、それが地に落ちたということを描いているのではないかと思われます。
ところが、その間、ペテロを初めとする三人の弟子たちはイエスとは対照的に、「悲しみの果てに、眠り込んでしまって」いました(45節)。イエスは、それで彼らに、「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい」(46節)と言われました。ルカはこの「誘惑に陥らないように」ということばを繰り返しています。神の御子であられる方でさえ、自分の肉の思いを制するために血の汗を流して祈る必要があったのに、ペテロはそのように真剣に自分の弱さと向き合う必要を感じなかったというのは何とも皮肉です。
そして、ペテロは、目を覚まして祈るべきときに、眠っていた結果として、肝心のときに、イエスのことを三度知らないと否定してしまうことになります。ペテロは自分の内側にあった恐怖心に蓋をしていました。それが居眠りの原因かもしれません。しかし、いざとなったら、それが芽を吹き出し、その恐怖心に圧倒されて、誘惑に負けてしまいました。自分の内側にある恐れの心に蓋をする者は、恐れに敗北します。
そして、イエスが捕らえるためにユダヤ人の指導者たちがユダを案内役として迫ってきたときのことですが、弟子の中で最も気が早いペテロが、「大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とし」ました(49,50節)。ところが、イエスはすぐに、その人の耳を癒してくださいました。これは、大祭司のしもべに対する愛であるとともに、ペテロを犯罪者にしないための配慮とも言えましょう。そこにはローマの軍隊がともにいましたが(ヨハネ18:3)、彼らは自分たちに向かって剣を振り上げるものを容赦はしないからです。ペテロは、かつてイエスに「あなたのためにはいのちも捨てます」(ヨハネ13:37)と豪語しました。確かにペテロは、蛮勇を発揮し、自分のいのちを捨ててイエスを守ろうとしました。しかし、実際は、いのちを救われたのはペテロのほうでした。とにかく、ペテロは、瞬時に、剣を抜いて打ってかかりましたが、それは決して勇気の現われではなく、恐怖心に駆られた行動ということもできましょう。このようなときに、じっと黙って立ち続けることこそ、最大の勇気の現われです。
3.イエスの勇気とペテロの臆病の対比
ゲッセマネの園での祈りを通して、イエスはご自分の内側にある人間としての恐怖心に打ち勝たれました。そして主は、「押しかけて来た祭司長、宮の守衛長、長老たち」に驚くほど落ちついて立ち向かいます(52節)。イエスはこのとき、「今はあなたがたの時です。暗やみの力です」(53節)と言われましたが、人間の目には、暗やみの力が、光の子らを圧倒しているように見えるときがあります。しかし、それは神のご支配に中にあるときでもあります。
そして、「彼らはイエスを捕らえ、引いて行って、大祭司の家に連れて来た」(54節)と記されますが、イエスの一連の行動に表されているように、イエスご自身の方が「時」を支配しておられました。イエスは敢えてご自身の身を差し出され、ユダヤの精神的な最高指導者である大祭司のもとに連れてこられるように仕向けたのです。
一方、「ペテロは、遠く離れてついて行った」(54節)と記されます。ヨハネ福音書によると、このときヨハネも隠れてついてきましたが、彼は大祭司の知り合いなので、すぐに中庭に入り、門の前に取り残されたペテロをも招き入れました。その直後のことが、ここでは、「彼らは中庭の真ん中に火をたいて、みなすわり込んだので、ペテロも中に混じって腰をおろした」(55節)と描かれます。しもべたちや役人たちが炭火を起こして暖まっていたので、ペテロは目立つのを避けるためにもその輪の中に加わったのです。そしてこのとき予期しないことが起こりました。
「すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て」、その上で、「この人も、イエスといっしょにいました」と言ったというのです(56節)。「ところが、ペテロはそれを打ち消して」、「いいえ、私はあの人を知りません」と言ってしまいました(57節)。彼はそこで、身体を暖めながら、心はどんどん冷えて行ったことでしょう。そして、心の底に押し込めていた恐れの気持ちにしだいに圧倒されたのではないでしょうか。
「しばらくして、ほかの男が彼を見て」、そして、「あなたも、彼らの仲間だ」と言ったと記されます(58節)。マタイもマルコも、「ペテロが入り口まで出て行くと」と描いています(マタイ26:71、マルコ14:68)。つまり、ペテロはその場から逃げ出そうとしたというのです。ただし、ヨハネでは、「一方、シモン・ペテロは立って、暖まっていた。すると、人々は彼に言った」(18:25)と記されており、ペテロは一度目にイエスを知らないと言った後も、しばらくそこに留まっていて、その後、立ち去ろうとするとき、複数の人々からイエスの仲間であることを指摘されたということだったと思われます。事実、ヨハネは一度目と二度目の否認の間に、アンナスによる裁判を入れています。これで、イエスの勇気とペテロの臆病さが対比されます。とにかく、明らかになるのは、二度目の否認は、とっさの自己防衛ではなく、反省の時間を十分にとることができた上で、複数の人々からの指摘に対し、断固として、「いや、違います」(58節)とイエスとの関係を否定したのです。なお、マタイの記録では、ペテロは、「誓って『そんな人は知らない』と言った」(26:72)と記されています。これは、神に誓って、イエスの関係を否定したということではないでしょうか。
ペテロはすぐにそこを立ち去ることもできたはずですが、イエスへの愛のゆえに、恐怖心を必死に抑えながらそこに留まり続けました。それ自体は賞賛に値することでしょう。しかし、彼の心は大きく揺れていました。彼は一度目の自分の否認のことばを反省していたことでしょう。ただ同時に、「つい、口が滑ってしまっただけ・・」などと自分を弁護していたかもしれません。彼の心は揺れていました。でも、そこで自分の弱さを見つめ、真剣に神の助けを求めて祈っていたわけではありませんでした。だからこそ、二回目は、一度目以上に断固としてイエスとの関係を否定したのだと思われます。しかし、私たちは、心が揺れるからこそ真剣に祈る必要があるのです。
4.弁解の余地のない裏切り
そして、「それから一時間ほどたつと、また別の男が、『確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから』と言い張った」(59節)と記されます。つまり、二度目と三度目の否認の間にも一時間もの時間があったというのです。つまり、ペテロは、われを忘れたのではなく、自分が語ったことの意味を反芻する時間が十分にありました。なお、このときペテロを訴えている人のことばが「言い張った」とあるように簡単に逃げようのないものでした。事実、ヨハネも、三度目の問いは、右の耳を切り落とされた人の親類からで「私が見なかったとでもいうのですか」(18:26)という厳しいものであったと記します。それに対し、ペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません」(60節)と断固と答えています。このときの答え方を、マタイは、「すると彼は、『そんな人は知らない』と言って、のろいをかけて誓い始めた」(26:74)と記します。これは「私のことばが嘘なら、神にのろわれても構わない」と宣言することです。彼は、イエスばかりか、父なる神をも否認しました。これは、ユダよりもなお罪深い行為であり弁解の余地はありません。ペテロはこの時になって、無節操に大祭司のしもべに切りかかったことを後悔していたことでしょう。ペテロの心の奥底には、救い難いほどの臆病さと不信仰が隠されていたのです。何という絶望でしょう!
イエスは、ペテロを初めとする弟子たち全員に、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません・・・人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います」(マタイ10:33)と警告しておられました。そのときペテロは、「それは私の問題ではない!」と思ったことでしょうが、それが今、深刻な自分の問題になっているのです。
「それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた」(60節)と記されます。まさに、イエスが言っておられたとおりのことになりました。ペテロは、「主よ、ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできています」(33節)、また「たとい、全部のものがあなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」(マタイ26:33)と言ったことばを忘れたのでしょうか。一番弟子であるとの自負心を持った人が、最初につまずいたのです。
ところがそこで、「主が振り向いてペテロを見つめられた」(61節)と描かれています。イエスのまなざしはどのようなものだったでしょうか。それは、決して、「それ、見たことか!お前は、どうせその程度の人間なのだ・・」などとペテロを責めるようなまなざしではありませんでした。なぜなら、イエスは、「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」(32節)と言っておられたからです。ペテロはこのとき、イエスの慈しみのまなざしを見たことでしょう。私たちは、自分の悔い改めとか信仰を見る前に、私たちの信仰を守ってくださるイエスの真実にこそ、常に目を向ける必要があります。私たちは、ペテロが赦されたのは、真剣に悔い改めた結果であるかのように誤解しがちです。しかし、イエスは、ペテロが悔い改めることができるように、事前に彼の問題を指摘し、また彼のためにとりなしの祈りをしていてくださいました。すべてがイエスのみわざでした。
そして、「そのときペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う』と言われた主のおことばを思い出した」(61節)のでした。それは彼のプライドを徹底的に砕く思い起こしでした。「彼は、外に出て、激しく泣いた」(62節)というのです。このペテロの悔いの涙から、バッハのマタイ受難曲のアリアが生まれます。
そこには、イエスに向かっての明確な謝罪を含んだ悔い改めがあったことでしょう。彼はその後、自分の失敗を繰り返し語ったことは確かです。だからこそ、すべての福音書にこのことが詳しく描かれたのです。
しかし、彼はこれによって文字通り、「心の貧しい者(poor in spirit)」とされました。「心が貧しい」とは、謙遜の美徳を指す以前に、「霊的に貧しい人」です。主の救いは、「私は大丈夫」という人ではなく、自分の救い難さを自覚した人にこそ及ぶからです。ペテロはそこでイエスの祈りなしには、自分の信仰がなくなっていたということを心から知りました。それを通して彼は、他の弟子たちの弱さを軽蔑する代わりに、共感できるようになったことでしょう。
ペテロはこの挫折を通して初めて、イエスが「だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32節)と言われた命令を実行できます。彼は、福音を語るたびに、自分の愚かな失敗を証ししました。彼の愚かさと、主のあわれみがセットになって、人を慰め励ましたのです。しかも、それを聞く者は、必ず、ペテロを真の自己認識と悔い改めに導いたイエスの愛を理解します。だからこそ、ペテロの後継者たちは、彼とは反対に、命懸けでイエスへの信頼を貫くことができたのです。つまり、彼の救い難いほどの弱さを通して、どんな人をも造り変えるイエスの真実が証しされました。あなたがどんなに不信仰でも、イエスはあなたを立たせることができるのです。そこには、「主の御霊に生かされる」という、この世のすべての喜びにまさる平安が約束されています。
ペテロは情熱的な人でした。弟子の多くがイエスを離れた時にも、「主よ。私たちが誰のところに行きましょう。あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます」(ヨハネ6:48)と答え、イエスのために命を賭ける覚悟を持っていました。しかし、そこには危険が潜んでいました。彼の出生名シモンは十二部族の一人のシメオンに由来します。彼は怒りに振り回される乱暴さで裁きを受け、ユダ族の間に散らされて住む弱小部族となりました(創世記49:5-7)。シモン・ペテロも剣をむやみに振り回して墓穴を掘りました。本来なら、この後ペテロは弟子の中で立場を失ってしかるべきでした。しかし、イエスは、彼のもろさを見抜いておられながら、彼の熱い思いを喜んでもおられました。
ヨハネは、ペテロが弟子となった経緯を「彼(アンデレ)はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。『あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ「岩」と呼ぶことにします)』」(1:42)と簡潔に記します。ペテロは後に、神は私たちを、苦しみを通して岩のように「不動の者」としてくださる(Ⅰペテロ5:10)と言いました。主は復活後、炭火の前で三度イエスを知らないといったペテロに対し、炭火を起こして朝食を与え、「あなたは、わたしを愛しますか」と三度尋ねます(21:9-17)。それは、彼を名実ともにペテロ(岩)にし、弟子のリーダーとするためでした。これは、エリート部族の名をいただくユダが裏切り者となったのと好対照です。
ところで、サウロは、ユダヤ人のエリートでしたが、パウロ(小さい者)というローマ名によって異邦人の使徒となりました。彼は強靭な意思力の反面、包容力に欠けていました。福音記者マルコなどは一度、パウロから失格者の烙印を押されています。しかし、イエスはパウロに試練を与え、それを通して心の広い器にしてくださったのです。
また、使徒ヨハネは霊的洞察力の鋭い人でしたが、「天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょう」(ルカ9:54)と言いのけるような冷酷さを隠していました。彼はいつも人との距離感を大切にする一方、ちょっと近寄り難いイメージを与えていた人かもしれません。しかし、彼は、「イエスが愛された弟子」と自称するほどに特別な愛を受けることによって、「愛の使徒」とされました。
私たちは誰でも、与えられた才能を感謝し、同時に、その裏に隠された心の闇の部分でイエスに出会うなら、人格が統合され、輝きが生まれます。イエスは、感情の起伏の激しい者を「岩」(ペテロ)と、冷酷者を「愛された者」と、偏狭者を「異邦人の使徒」と呼ばれ、彼らを変えられました。ペテロに最初に語られたように、イエスは、今も「あなたは・・です」と生まれながらの価値を認め、その上で、「わたしはあなたを・・・と呼びます」と言って、新しい名と使命を与えてくださいます。心の闇に絶望する必要はありません。そこは、主ご自身が、忍耐をもって、ご自身の愛を豊かに注いで造り直してくださる部分です。その時、あなたの致命的な弱さが、反対に、まわりの人に、神の愛の豊かさを証しする恵みとされます。神はあなたに期待しておられます。