2009年10月11日
二十世紀を代表するユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスは、ヒトラーによるユダヤ人絶滅計画を奇跡的に生き延びましたが、意外にも、「ヒトラー経験は多くのユダヤ人にとって、個人としてのキリスト教徒たちとの友愛のふれあいの経験でもあった・・それらのキリスト教徒たちは、ユダヤ人に対してその真心を示し、ユダヤ人のためにそのすべてを危険にさらしてくれた・・・」と語っています。彼はまた、第三世界の飢餓の問題の解決の鍵は、何よりも、神から与えられた、「他者の飢えによって苦しむという能力の贈り物」にかかっているとも述べます。つまり、他者の苦しみを自分の苦しみとし、他者のために自分を危険にさらしたり、不利益を忍ぶというひとりひとりの主体的な隣人愛こそが、神から与えられる救いであるというのです。そして、「救い主」を待ち望むとは、何よりも、「万人の苦しみをわが身に引き受けることができる能力」を求めることに他ならないという趣旨のことを語っています。
この世の多くの人々は、目の前の問題をたちどころに解決できるような能力を求めていますが、それこそが、すべての争いの原因になっていないでしょうか。それは、たとえば、「ダムの工事を止めるべきか、続けるべきか・・」という意見の対立として表されます。しかし、残念ながら、人類の歴史を見るとき、ひとつの問題の解決は、必ず、もうひとつの問題を生み出す原因になってきました。そのような中で、私たちがキリストにあって求めるべき「救い」とは、目の前にはいつも問題があるという現実を前提として、その中で、どのように、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主(ヤハウェ)を愛し」また、「あなたの隣人をあなた自身のように愛する」ことができるかということにかかってはいないでしょうか。そして、しばしば、自分自身に大きな傷を抱えながら生きる人は、その傷の痛みが、神と人とを愛する泉の源となっているのではないでしょうか。「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53:5)とあるように、イエスは「傷ついた癒し人」となって、私たちを癒してくださいました。
1.「しかし、今は・・・剣のない者は着物を売って剣を買いなさい」
イエスは、ペテロが三度ご自身のことを否認すると言われた後、不思議なことを弟子たちに向けて語られます。イエスはまず彼らに、「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか」と聞きましたが、それに対し弟子たちは、「いいえ。何もありませんでした」と答えます(35節)。そこでイエスは、「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい」と言われました(36節)。かつては、弟子たちは伝道旅行に際し、神がイエスに与えた悪霊を制する権威を預けられ、イエスの代理として村々の家々を訪ね、悪霊を追い出し、様々な病を癒すことができ、その結果として、人々から感謝され、旅の必要も満たされました。しかし、これからイエスは、エルサレムの宗教指導者から偽預言者として断罪され、人々からも憎まれるようになります。そのことをイエスは、「あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します」(37節)と言われたのです。イエスは、民衆の救世主から、ユダヤ人の信仰の敵となるというのです。
そのときイエスの弟子たちも、同じように人々から憎まれる、人々から衣食住の支援を受けられないばかりか、不当な攻撃を受けることがあります。そのような中で、イエスは、「着物を売って剣を買いなさい」と言われました。これは、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」(マタイ5:39)との教えと矛盾するように思えます。しかし、考えてみたら当然ながら、弟子の集団には女性も子供もおり、イエスが異端者として裁かれたとき、弟子たちの集団もこの世の権威による当然の保護を受けることができなくなります。そのとき、屈強な男性の弟子たちが、女性や子供たちの盾となって、彼らを守る必要があります。自分に関する限り、無抵抗を貫くことは信仰の当然の表現となりえますが、自分の信仰の家族が不当な攻撃を受けているときに無抵抗を装うのは、卑怯者の振る舞いです。自分の妻や子供が暴力を受けているときに、最低限の自衛の武器を取って戦うのは、神から当然許されていることではないでしょうか。またそれこそが隣人愛の表現にならないでしょうか。なお、これは特に、護身用の短い剣を指す言葉であると言われます。ですから、弟子たちが、「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります」と答えたとき、イエスは彼らに、「それで十分」と言われたのです(38節)。これは弟子たちに自分の家族や隣人を守るという自衛のための最低限の武器を持つことをイエスが認めたということを意味するのではないでしょうか。
ところで、これは教会の歴史の中で、中世のローマ教皇が「二振りの剣」の権威を主張する際の理論的根拠として用いられました。それは、イエスが使徒ペテロに二振りの剣の保有を認めたと解釈するもので、一振りの剣は、教会の霊的な権威、もう一振は、国家による俗的な権威ですが、その両方とも、ペテロの後継者であるローマ教皇にゆだねられているというものです。それを象徴するのが、ローマ教皇グレゴリウス七世はドイツ皇帝ハインリッヒ四世を破門したところ、ドイツ皇帝は、1076年北イタリアのカノッサの門外で、三日三晩裸足で立って赦免を願ったということがありました。それは、当時、教皇とヨーロッパの国王との間での権力闘争があったからです。私たちプロテスタントの流れは、そのようなカトリックの権力志向に、信仰の腐敗の原因があったと解釈します。
しかし、この箇所は、イエスが最後の晩餐に集っていた使徒たちすべてに、「剣のない者は、剣を買いなさい」と言い、彼らがそれを文字通り受け止め、ここには二振りの剣がある、または、二振りしかないという不足を訴えたときに、それで十分であるとイエスが答えたという構造になっています。つまり、文字通り、剣のない者すべてに、着物を売って剣を買うように勧めたわけではないことが明らかです。ただし、同時に、イエスは弟子たちが見せた二振りの剣を、捨て去るように命じてもいないことも明らかです。ですから、イエスの意図は、何より、弟子たちの集団が、この世の法律の保護の外に置かれる可能性があるという危機意識を喚起することにあったと思われます。
ところで、49-51節を見ると、イエスが捕らえられようとするとき、弟子のひとりが(ヨハネ18:10ではペテロであると記されている)、大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とします。しかし、イエスは、「やめなさい。それまで」と言われ、「耳にさわって彼をいやされた」と記されています。つまり、イエスはペテロが剣をすぐに持ち出したことを非難したばかりか、攻撃してきた者の側にすぐに助けの手を伸ばされたのでした。マタイは、このときイエスは、「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」と言ったと記録します(マタイ26:52)。つまり、イエスは、ここで明らかに、武力を問題解決の手段にすることを戒めているのです。後に、スイスの宗教改革者ツィングリがカトリック勢力との戦いを剣で解決しようとして、1531年のカッペルの戦いで命を落としたのを聞いた時、宗教改革者マルティン・ルターは、「ツィングリは剣を取ったので、その報いを受けてしまった。なぜならキリストは、『剣を取る者は、剣で滅びる』と言われたのだから」と、彼が信仰の問題を剣で解決しようとしたと非難しました。
イエスは明らかに、武力によって問題を解決するという発想を戒めておられます。しかし、同時に、剣を保有すること自体を禁止しなかったことも明らかです。つまり、イエスは、国や警察があらゆる武力を持ってはならないという非武装の理想論を言われたのでもなく、また、争いを力で解決するという人間的な現実主義を肯定したわけでもありません。イエスの教えは、ほとんどの場合、人間的な黒白の基準を超えたものになっています。私たちも浮世離れした理想論を主張するのでもなく、この世的な発想に迎合するわけでもない生き方が求められます。
2.「イエスは、苦しみもだえ・・・汗が血のしずくのように地に落ちた」
「それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、『誘惑に陥らないように祈っていなさい』と言われた」(39、40節)とありますが、他の福音記者がゲッセマネの園と呼ぶ場所は、イエスが常日頃、祈りの場として用いておられたところでした。そして、イエスはここで、孤独のあまり弟子たちに祈りの支援を求めたのではなく、弟子たち自身が誘惑に負けることがないように目を覚まして祈るように命じられたのです。そしてイエスは、「弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて」、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と祈られました(41、42節)。イエスは、最初から、「みこころのままに」と祈ったのではなく、「この杯をわたしから取りのけてください」というご自分の願いをまず率直に祈っています。その時の様子が、「すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた」(43、44節)と描かれます。これは、イエスの心に、目の前の苦しみから逃れたいという人間としての思いと、御父のみこころのままに十字架の苦しみを主体的に受け止めようとする思いとの葛藤があったということだと思われます。そして、イエスですら、その葛藤の中で、御使いの励ましを必要とされたというのです。ですから、私たちも、祈りにおいて、自分の葛藤を父なる神に正直に訴えることが大切です。
ただし、イエスの苦しみは、あらゆる人間的な苦しみの次元を超えています。イエスは、「この杯」と言われましたが、これは主(ヤハウェ)がエルサレムの住民を殺し、廃墟とすることを指して、「エルサレム。あなたは主(ヤハウェ)の手から、憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した」(イザヤ51:17)、また、「あなたは酔いと悲しみに満たされる、恐怖と荒廃の杯・・あなたはこれを飲む」(エゼキエル23:33、34)と言われたことを思い起こさせる表現です。
つまり、イエスの十字架は、まず何よりも、神の都エルサレムが神の憤りをうけて滅ぼされるというような激しい苦しみを、たったひとりで引き受けることだったのです。そればかりか、それは私たちにとって、全人類が受けるべき神の憤りを全世界の代表者、王として引き受けることでした。ですから、ここではイエスの苦しみの様子が、「苦しみもだえ・・・汗が血のしずくのように地に落ちた」と描かれます。「苦しみもだえ」という言葉は英語で in Agony と記されますが、これはギリシャ語のアゴニアに由来する言葉で、ギリシャ語聖書にはここにしか出てこない言葉です。つまり、このイエスの苦しみは他に比類のないもので、すべての苦しみの代名詞のようなものなのです。また、続く言葉は、「汗が血のしずくのようになって、地に落ちた」と訳すことができます。これは苦しみのあまり、汗の中に血が混じったような状態になって、それが地に落ちたということを描いているのではないかと思われます。
この姿をヘブル書の著者は、「キリストは人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました」(5:7)と描きます。この、「聞きいれられました」とは、イエスの人間としての願いどおり、十字架の苦しみを避けることができたという意味ではないことは明らかです。これはまず何よりも、苦しみに耐える力が与えられたということです。それが御使いの励ましとして描かれています。そして、後には、復活として表されます。そしてそれは、私たちにも当てはまることです。私たちも、祈りにおいて受けることができる勝利とは、自分の願いどおりに物事が進むということではなく、苦しみに耐える力が与えられ、最終的な肉体の復活という勝利が与えられるということです。
紀元200年頃、テルトゥリアヌスは、キリスト者を迫害するものに対して、「いかにあなた方の残酷さがより手の込んだものになったとしても、それはすべて何の役にも立たない。それはむしろわれわれの宗教の魅力となっているのだ。あなたがたがわれわれを刈り取れば、その都度、われわれの信者は倍加するのである。キリスト教徒の血は、種子なのである」と言いました。ソクラテスが、「悪法も法なり」と言いつつ、毒杯を雄々しく飲み干したように、多くの哲学者たちは、苦痛や死に耐えることを美徳としていましたが、それを実践できる人は稀でした。しかし、無学なキリスト者が、脅しに屈することなく、神と隣人愛に献身している様子は、人々の心に深い感動を与えました。
イエスは、ゲッセマネの園で、十字架の死を先取りして、苦しみもだえました。それは十字架の苦しみの予行演習のような意味があるのかもしれません。しかし、イエスは、父なる神に、ご自分の気持ちを正直に訴えることによって、この恐怖に勝利し、十字架に向かって雄々しく進むことができました。イエスのいのちが十字架上で輝くことができたのは、それ以前に、このゲッセマネの祈りにおいて十分苦しみ、それに勝利を収めたことの結果でした。
3.「起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい・・・今は・・暗やみの力です」
一方、この間、ペテロを初めとする三人の弟子たちは、「悲しみの果てに、眠り込んでしまって」いました(45節)。イエスは、それで彼らに、「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい」(46節)と言われました。ペテロは、目を覚まして祈るべきときに、眠っていた結果として、肝心のときに、イエスのことを三度知らないと否定してしまったのでした。ペテロは自分の内側にあった恐怖心に蓋をしていました。それが居眠りの原因かもしれません。しかし、いざとなったら、それが芽を吹き出し、その恐怖心に圧倒されて、誘惑に負けてしまいました。自分の内側にある恐れの心に蓋をする者は、恐れに敗北します。たとえば、詩篇55篇でダビデは、「私の心は奥底から悶え、死の恐怖に襲われています。恐れとおののきにとらわれ、戦慄に包まれました」(4,5節私訳)と自分の内側の恐怖心をそのまま主に告白しています。しかし、彼はその恐れをまず正直に受け止め、主にあってそれに勝利したその結果として、圧倒的な敵の前でも、恐れ退くことなく、前進し続けることができたのです。
ところで、イエスが捕らえられる直前の様子が、「イエスがまだ話をしておられるとき、群衆がやって来た。十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして、みもとに近づいた」(47節)と描かれます。ユダヤ人の指導者たちは、イエスが多くの民衆から支持されていることから、昼間にイエスを捕らえようとすると暴動になるのではないかと恐れ、夜陰にまみれてイエスだけを一気に捕らえ、無力になったイエスを民衆に見せて、彼らの幻想を打ち砕こうと計算しました。そのため、確実にイエスを捕らえるための内通者を求めていたのです。そして、弟子たちの会計係をしていたユダが、進んでその役を申し出ていました。なぜ、ユダが裏切ったのかは大きななぞです。しかし、イエスがご自分の十字架の死を繰り返し予告するようになったことに、ユダが大きな失望を味わったのが原因ではないかとも推測できます。どちらにしても、イエスは、彼の心の動きを見抜いておられました。それで、彼に、「ユダ。口づけで、人の子を裏切ろうとするのか」(48節)と言われました。
そして先に述べたように、イエスの回りにいた者たちは、「主よ。剣で撃ちましょうか」と問いかけるやいなや、弟子の中で最も気が早いペテロが、「大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とした」のでした(49,50節)。これは、イエスのみこころに明らかに反する行動で、イエスはすぐに、その人の耳を癒してくださいました。これは、大祭司のしもべに対する愛であるとともに、ペテロを犯罪者にしないための配慮とも言えましょう。ペテロは、瞬時に、剣を抜いて打ってかかりましたが、それは決して勇気の現われではなく、恐怖心に駆られた行動ということもできましょう。このようなときに、じっと黙って立ち続けることこそ、最大の勇気の現われです。
そしてイエスは、「押しかけて来た祭司長、宮の守衛長、長老たち」に落ちついて立ち向かいます(52節)。ヨハネは、イエスを捕らえるためにやってきた人々のほうが、イエスの威厳に圧倒され、「あとずさりし、そして、地に倒れた」と描きます(18:6)。そして、イエスは、彼らをまったく恐れることもなく、「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのですか。あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です」(52,53節)と、彼らの卑怯な計画を非難します。
ここでイエスが、「今はあなたがたの時です。暗やみの力です」と言われたのは、イエスが最後の晩餐の終わりに、「しかし、今は、財布のあるものは財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい」と言われた、「暗やみの力」が支配する「今」のときを指します。これは、人間の目には、暗やみの力が、光の子らを圧倒しているように見えるときのことを指します。暗やみの子らは、自分たちの力を勝ち誇っています。そして、私たちの目の前にも、日々、暗やみの力が光の子らを圧倒しているように思える現実が広がっています。
これこそ、すべてのキリスト者を襲う、「霊的な戦い」の現実です。その際、私たちは、人間的な力と方法によっては決して、暗やみの力には対抗できないということをわきまえる必要があります。使徒パウロは、エペソ人への手紙に6章10-18節において、「主にあって、その大能の力によって強められなさい」と命じています。私たちの敵は、悪魔ですから、その策略に対して立ち向かうことができるために、「神のすべての武具を身に着ける」必要があります。そのほとんどは身を守る防具ばかりで、唯一の攻撃の道具は「剣」です。それは、「御霊の与える剣」としての「神のことば」です。そして、暗やみの力との戦いの戦略は、何よりも、「どんなときにも御霊によって祈る」ことです。その模範は、何よりも、詩篇の中に見られます。いつでも、どこでも、御霊の導きを求めつつ、詩篇を用いて自分の心を注ぎだすことが勝利の秘訣です。人間的な解決ではなく、御霊にある解決方法が求められます。
ユダヤ教のタルムードに次のような話があります。三世紀の有名なラビが偶然エリヤに出会い、「救い主はいつおいでになるのですか?」と尋ねます。不思議にも、エリヤは、「行って、救い主ご自身に尋ねなさい」と答えます。それに対し、ラビは、「あの方はどこにおられるのですか」と尋ねると、エリヤは、「あの方はローマの門に・・・全身傷だらけの乞食たちの間におられます」と答えます。ラビはそこに出かけますが、その中に救い主を見つけるのはたやすいことでした。不幸な人々は包帯でくるまれていましたが、その中で一人だけ、傷の手当をするためにすべての包帯を一度にはがすようなことをせず、どんなときにも呼ばれればすぐに応えられるように、包帯を傷口ひとつごとにはがし、手当てが終わった傷口に包帯をし終わるまで、次の包帯は解かずにいました。包帯を巻くだけのいとまでさえも、助けを求める人のもとへの到着が遅れてはならないと心備えをしていたからです。ラビが彼に、「あなたはいつおいでになるのですか」と尋ねると、彼は、「今日にでも」と答えます。そのときラビは、すぐにはその意味が理解できませんでした。しかし、「きょう、もし御声を聞くなら・・・あなたがたの心をかたくなにしてはならない」(詩篇94:7,8)とのみことばを思い起こし、自分自身が今、無力さを抱えたままで、「救い主」の手足となり、行動する必要があると示されました。世の悲惨を見て、傍観者的な議論をする者に、主の救いは見えないのです。
救い主は最終的にこの世界に来られて、世界の問題を解決してくださいます。しかし、それまでは、私たちは、常に自分の傷を抱え、それを治療しつつ、日々、主の呼びかけに応答する責任があります。復活のイエスは、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」(ヨハネ20:21)と言われました。私たちは矛盾と混乱に満ちた世に、イエスの代理として、救い主の代理として、日々、遣わされています。そこで問われているのは、何よりも、世界の痛みを自分の痛みとして感じることができる感性です。パウロは、「御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだのあがなわれることを待ち望んでいます」(ローマ8:23)と語りました。御霊を受けた者は「うめく」というのです。私たちは、まわりに起きている様々な悲劇を聞きながら、その関係者をさばいたり、また、評論家のような議論をしてばかりで、真の意味で、「心の中でうめく」という謙遜さが足りないのではないでしょうか。神は誰より、謙遜な者を、みわざに用いられます。