2008年9月7日
詩篇131篇
都のぼりの歌 ダビデによる
主 (ヤハウェ) よ。私のこころは驕りません。
私の目は高ぶりません。
及びもつかない大きなことや不思議なことに立ち入りはしません。
そうではなく、私は自分のたましいを和らげ静めました。
乳離れした子が、母親のもとにいるかのように。
私のたましいは私のうちで、乳離れした子のようです。
イスラエルよ、主 (ヤハウェ) を 待ち望め。
このときからとこしえに至るまで
2008年9月 高橋秀典訳
突然の首相の辞任表明……だれが予測できたでしょう。私たちの周りに日々予測不能なことが起こります。そのたびに、不安になったり、腹が立ったりと、私たちの心の中に嵐が起きます。そんなとき詩篇131篇が心に迫ります。
1.地上では旅人であり寄留者であることを告白する生き方
詩篇131篇は詩篇120篇から134篇まで続く、15の「都上りの歌」の一つです。イエスの時代のエルサレム神殿には、女性の庭からイスラエルの庭に上がる際に15段の階段がありましたが、それはこの15の歌に対応し、レビ人たちはその階段に並んでこれらの15の詩篇を歌ったという言い伝えがあります。どちらにしても、これらの詩篇の中心主題は、エルサレム神殿への巡礼です。
私たちも「聖なる都、新しいエルサレム」(黙示21:2) を「自分の故郷」、人生のゴールとして受け止め、「はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白」するという巡礼の旅の途中にあります (ヘブル11:13-16)。私たちは今、ここでの生活が、旅の途中にあると思えば、少々の居心地の悪さに耐えることができます。また様々の分からないことがあっても、「やがて分かる」という希望の中で待つことができます。
人が目に見えない神を求める最大の動機のひとつに、わざわいや苦しみを遠ざけたいという思いがあります。神道には、罪や穢れを祓い除くことで健康的な生き方ができるという教えがあります。その起源である古事記には、天照大御神が須佐之男の悪行に心を痛め、天の石屋戸に隠れてしまった結果、全世界に暗やみとあらゆるわざわいが広がった。そこで、神々が相集って祭りをし、天宇受売命の神懸りの踊りに笑い声をあげたとき天照大御神が不思議に思って戸を開け、光が全世界に満ちたという話があります。私たちの中にも、この神話と同じ発想が無意識の中に根付いていないでしょうか。それは、私たちの周りにわざわいが生じるのは、神がご自身の御顔を隠された結果なので、きよめの儀式や悪魔祓いの儀式などで自分の罪や穢れをきよめていただくことで、神の愛が私たちに届くようになり、私たちは幸せになれるという考え方です。そこには、人生を明るく豊かなものにできるかどうかの鍵は、神ではなく人間が握っているという発想があります。そして、何よりも、礼拝とは、神の愛を引き出すための私たちが守るべき儀式と見られます。そこに天の石屋戸の祭りと同じような発想が隠されていないでしょうか。礼拝自体が祝福であるというより、それを守らないと神の御顔が隠されると不安に駆り立てられています。
そこでは、幸いをもたらす神とわざわいをもたらす悪魔という区別が無意識の中にあります。残念ながら、新約を読み間違えて、悪霊と聖霊の役割分担があるかのように誤解する方もいます。しかし、Ⅰサムエル記などには、「主 (ヤハウェ) からの悪い霊がサウルを怯えさせ」、ダビデ立琴を演奏したところ「神の霊(悪い霊)はサウルから離れた」などという記事があります (16:14、23)。つまり、悪霊を送るのは神ご自身であるというのです。そのことから、「主 (ヤハウェ) は殺し、また生かし、よみ下し、また上げる。主 (ヤハウェ) は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするする」(同2:6、7) という告白が生まれます。また、主ご自身が、「わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出せる者はいない」(申命記32:39) と言っておられます。
人は、良い行いをしたら良い結果が生まれ、悪いことをしたら悪い結果が生まれると思うからこそ、善い行いに励もうと思います。ところが、神は、善い人にもわざわいをもたらす方であり、その神のみこころは私たちには捉え難いというのです。しかし、そうであれば、「そんなわけのわからない神を信じることの意味が分からない……」ということになりはしないでしょうか。しかし、人生は生まれたときから死ぬときまで、私たちがどうにもできないことで満ちています。旅人であり寄留者である者は、置かれた場に自分を適用させながら生きるしかありません。人生が本来的に、自分の心がけ次第で楽しく幸せになるはずのものであると思うからこそ、自分の幸せを邪魔するものに腹を立てて生きざるを得ません。しかし、この世界は、本来的に住み心地の良い所ではないということを正面から受け止めると、反対に、毎日の生活の中に、かえって旅人の感動のような喜びを発見することができることでしょう。
2.「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選び……」
詩篇131篇のテーマは、自分に変えられない現実に関して、たとえば、「どうして自分はこの家に生まれたのか……」などと無意味な詮索をやめ、そこに神の愛の御手が働いていたという霊的現実を受け止めるということです。それが、「私は自分のたましいを和らげ静めました」という告白に結びつきます。私の場合、若い頃は自分の出生の環境を、神の恵みとして受け止めることに困難を味わっていました。だからこそ、故郷を離れ、世界に羽ばたくことに憧れを抱き続けたのかと思います。しかし、最近、母が僕の幼児期のことを話しながら、つくづく、「お前のいのちは、神様に守られていたんだね……」と言ってくれました。それが不思議に心に響いてきました。
私は1953年3月に北海道の大雪山のふもとで生まれました。大変な難産で、自宅で僕を産んだ母は、大量の出血を助産師さんに雪で止血してもらいながら、死にかけたとのことです。どうにか命を取り留めた母は、休む間もなく農作業に出ました。ひとり家に置かれた幼児の僕は、泣くばかりでした。
あるとき、声がしないと思ったら、おくるみで鼻と口が塞がり、窒息しかけていました。それで、一歳を過ぎた後の田植えの時期には、父が持ち運びできる小さな屋台を作ってその中に寝せ、あぜ道に置きながら父母は農作業をしていました。ところが、僕は風邪をひいて四十度以上の高熱が続き、喉の奥全体を腫らし、ついには呼吸困難に陥りました。どうにか、30㎞あまりも離れた旭川の市立病院にバスを乗り継いで運ばれました。幸いその分野では北海道一と言われる院長先生に診てもらえましたが、「あきらめてください」と言われるほどの重症でした。
しかし、懇願する母の願いで荒療治が行われました。三人の医者と、何人かの看護師の方のもとで、一歳の僕は逆さにされ、喉が何度にも分けて切開されました。そのたびに大量の血が流れ、脈がストップしたとのことです。しかし、そのたびに母が抱くと、心臓が再び鼓動を始めました。それが何度も繰り返され、命を取り留めたとのことです。その後も、何度も、死ぬ寸前の危険に会いました。そのため発育が極端に遅れ、小学校に入った頃は、三月生まれだったことも相まって、運動も勉強でも「落ちこぼれ」という状態でした。
幼児期の苦しみは、心にもマイナスの陰を落します。また、発育の遅れは、強い劣等感の原因になりました。僕の記憶にかすかに残っているのは、ひとり泣きじゃくる自分の姿です。その後も、何をやっても遅れを取る落ちこぼれ意識を培ってきました。どうにか小学校高学年からめきめきと成績が良くなりましたが、幼児期の心の傷は、僕の心に暗い影を落し続けていました。念願の大学に入り、国費の交換留学で、米国で学ぶことができ、不思議な導きでイエス・キリストを主と告白する信仰に導かれました。そのときの私は、自分の内側にある真の問題には気づいてはいませんでした。ただ、その後の信仰生活の中で、徐々に自分の心の奥底に隠されている何ともいえない不安と向き合いながら、自分はこの不安のゆえにイエスのもとに引き寄せられたのだとわかりました。
しかし、そこで「信仰によって不安を克服しよう!」などと思っても、どうにも変わりようのない自分の不信仰に悩むという空回りが起きて来ました。ところが、自分の人生を「神の選び」の観点から、優しく見直すことができるに連れ、気が楽になってきました。先の市立病院の先生にはその後も助けていただきましたが、「ほんとうによく助かったね……」と感心されたそうです。私たちは誰しも、生かされて、生きています。その過程で命の危険に何度も遭遇します。僕を生かすために、心臓が止まるほどの乱暴な治療が必要でした。しかし、「哀れみに胸を熱くする母」の愛が、僕の心臓を動かしました。そして、今、そのときの母の背後に、「哀れみに胸を熱くする神」がいてくださったことが分かります (ホセア11:8)。私は、神の燃えるような愛によって、目的をもって生かされています。そこでは、私にとってマイナスとしか思えなかった体験も、益として用いられるということが分かってきました
私たちは多くの場合、幼児期に何らかの心の傷を負います。そこから自分を被害者に仕立てる人生の物語を描くことは簡単です。しかし、私たちは、人生の物語をまったく別の観点から、信仰を持つこともできない幼児期から描き直すことができます。それはひとりひとりに創造主が期待しておられる人生の物語です (詩篇139:17、18「心を生かす祈り」参照)。ただしそれは、私たちの主体性が失われ、決められた一本のレールの上を走るということではありません。私の両親は、「私を生かす」ことを第一に考え、先祖が命をかけて北海道に開拓した水田を受け継がせなければならないとは考えませんでした。同じように、神は、私たちの主体性を重んじながら、ご自身を隠すようにして、私たちの人生を導いておられます。ただそのため、神を身近に感じることができず、自業自得の苦しみに会うこともあります。しかし、それは私たちを束縛しようとはされない神の愛の表れなのです。そしてしばしば、神の選びは、苦しみを通して初めて見えてくるという面があります。それは、自分の出生の環境自体を「神の選び」の観点から見直すことです。それをパウロは、「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神はみむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによって、ご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」(エペソ1:4、5) と表現しました。
今、私にはっきりと分かっていることは、自分が神によって選ばれ、生かされ、固有の使命を与えられているということです。それ以外のことは分からないことだらけです。私たちの周りには、「なぜ」と問いかけたくなることばかりがあります。しかし、確かに私は生きています。それは神に生かされているからです。私は、「イエスは私の主です」と告白しています。それは私が創造主なる神によって選ばれたからです。そして、今、目の前に、締め切りのある仕事ばかりか、毎日、いろんな課題が押し寄せてきます。それは、神が私に期待をしておられるしるしです。
3.「及びもつかない大きなことや不思議なことに立ち入りはしません。」
この世の不条理に関し、ヨブ記は不思議な視点を指し示します。ヨブは、神ご自身が、「彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない」(1:8) と評価するほどの義人でした。ところが不思議にも、サタンは、主から、ヨブのすべてのものを奪う許可を与えられ、彼は一日のうちに自分の七人の息子も三人の娘も七千頭の羊も三千頭のらくだも、たちどころに失ってしまいます。そればかりか、足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打たれ、土器のかけらで自分の身体をかくほどに苦しみました。そのとき、彼の妻は、「それでもなお、あなたは自分の誠実を固く保つのですか。神をのろって死になさい」(2:9) と言います。あなたの身近な人も、「教会に行っても何の良いこともないじゃない……」と言うかもしれません。しかしヨブは、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない」(2:10) と答え、神をのろうようなことはしませんでした。
ところがヨブの三人の友人は、ヨブがこのような苦しみに合ったのは、ヨブの側に何か神を怒らせる理由があったはずだと断定し、神の御前にへりくだり、罪を認めて神の赦しを得るようにと勧めました。ところがヨブは、自分の側には神のさばきを受ける理由が見当たらないと必死に自分を弁護し、神のことを、「私の権利を取り去った神、私のたましいを苦しめた全能者」(27:2) と表現し、あくまでもわざわいの原因は、自分の側にではなく、神のみこころにあると言い張り、「私は御前に訴えを並べたて、ことばの限り討論したい」(23:4) とまで言います。
そして、主はヨブと三人の友人との会話を十分に聞いた後で、「主 (ヤハウェ) はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか……わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか……あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか……」(38:2、4、40:8) と言いながら、ただご自身の創造のみわざを思い起こさせます。ただ、主の側からは、このような悲惨の原因となったサタンとの会話のことはお話しになりませんでした。
ところが、ヨブは、苦しみの理由が分からない中でも、主からの直接の語りかけがあったこと自体に満足し、主に対して、「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて摂理を覆い隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を」(42:2、3) と応答します。その後、主は、ヨブの三人の友人が神について誤ったことを主張したことを責め、ヨブにとりなしの祈りを願うように命じます。そして、ヨブが自分を責めた三人の友人のために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされ、所有物を先の二倍に増やされました。これらすべてを通して、ヨブは最後まで、自分がなぜこのような苦しみに会ったのか、また、自分の財産がなぜ再び二倍に増やされたのかの理由を知ってはいません。彼がやったことは、自分の苦しみをただ主に訴え続けたことと、友人のために祈ったことでした。
ここで、主はヨブに、「摂理を暗くするこの者はだれか」と問われましたが、ヨブは自分こそが、「知識もなくて摂理を覆い隠す者」であることを認めました。この「摂理」とは、「はかりごと」(Ⅱサムエル17:14) とも訳されることばで、神がヨブに関してサタンとの会話をした内容がこれに相当します。多くの人は、ヨブが神にもてあそばれているように感じます。しかし、この背景を、ヨブは知る必要がなかったのです。彼は、神ご自身が彼に目を留めておられるということを知り、自分の苦しみの原因が自分の落ち度にあるわけではないということが分かるだけで十分だったのです。しかも、サタンが主 (ヤハウェ) に問いかけたことは、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか」(1:9) ということであり、主がサタンにわざわいを許したのは、ヨブは目に見える祝福を奪われたとしてもなお主を恐れるということをサタンに示すためでした。つまり、主は、ヨブというひとりの信仰者を通して、サタンに勝利の宣言をされたのです。そして、主がこのご計画をヨブにあらかじめ知らせてしまっては、サタンへの勝利にはなりません。なぜなら、ヨブは、自分の都合や利害を超えて、主ご自身を愛し、恐れているということを主は示したかったからです。
ダビデがこの詩篇で、「主 (ヤハウェ) よ。私のこころは驕りません。私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや不思議なことに立ち入りはしません」と告白した背景には、このヨブ記があるのではないでしょうか。人間の罪の始まりは、「神のようになり、善悪を知るようになる」ことを願ったことでした (創世記3:5)。そして、ヨブを世界の中心に置いて見るとき、彼は神とサタンの駆け引きの駒のようにされているかのようです。しかし、この主人公は、神ご自身であり、主はヨブを信頼し、彼に期待することで、ヨブに主をのろわせようとしたサタンに勝利したのです。それはアダムがサタンの使いの蛇に負けたことを逆転させることでした。実際、ヨブ記は世界中の神の民にとって、サタンに対する勝利の歌となりました。事実、福音は、不思議にも、信仰者がわざわいに会えば会うほど広がってきました。それは、目に見えるわざわいを超えた、神との交わりから生まれる平安が、またいのちの喜びが、人々に感動を与えたからです。人はわざわいを恐れますが、しかし、心の底で望んでいることは、愛といのちの交わりではないでしょうか。そのことをパウロは、「死も、いのちも、御使いも、権威ある者も……どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:38、39) と言い切りました。
4.私のたましいは私のうちで、その乳離れした子のようです
ダビデは、「そうではなく、私は自分のたましいを和らげ静めました。それは乳離れした子が、母親のもとにいるかのようです。私のたましいは私のうちで、その乳離れした子のようです」と告白します。「乳離れした子」が、「平安」の象徴として描かれますが、昔は乳離れの時期が非常に遅かったようで、聖書外典Ⅱマカバイ7:27には、母親が息子に、彼のいのちは神の御手にあり、死刑執行人を恐れる必要などないということを勧めながら、「私はお前を九ヶ月も胎に宿し、三年間乳を含ませ、養い」と言っています。またハンナはサムエルが乳離れするとすぐに祭司のもとに渡しましたが、そのとき彼が三歳ぐらいになっていなければ、祭司にとんでもない面倒をかけるだけになったことでしょう。「アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した」(創世記21:8) という記事があるように、それは子どもの成長を喜ぶ機会でした。とにかく、この時期には子どもはひとり遊びができます。多少お腹を空かせても、母親が目の前にいることで安心し、我慢して待つことさえできるでしょう。ただし、それは一朝一夕でできたことではありませんでした。母親は、幼児が泣くたびに、子どもの必要にすぐ答え、乳を飲ませ、安心させて来ました。その積み重ねの結果として、しだいに子どもは、泣いて叫ばなくても、母親が自分を守ってくれるということを感じることができるようになります。つまり、母親の愛情が、子どもの心を安心させてきたのです。
同じように、私たちは自分の心の中の叫びに、母親のように優しく耳を傾けながら、自分のたましいを和らげ、静めることができます。「和らげる」とは、イエスがガリラヤ湖の嵐をしずめ、大なぎにしたような状態 (マルコ4:39) です。また、「静める」とは、「安んじる」とも訳せることばで、目の前に人生の嵐が吹き荒れ、「神よ。どうして!」と叫びたくなるような中ででも、天地万物の創造主がともにいてくださるという霊的事実を信じて、待っていられるような状態です。私たちは自分のたましいの中に沸き起こる嵐や不安の思いに蓋をして、それを押さえ込むのではありません。母親は子どもが泣くときに、たたいて黙らせるようなことはしません。かえって優しく抱擁し、乳を含ませることでおとなしくさせることができます。私たちも、自分のたましいの叫びに、そのように対応する必要があります。
その結果、自分のたましいが、私の中で、乳離れした子のように落ち着いてきます。目の前に多くの問題が山積し、解決の目処が立たないままで、今、このときから、とこしえまで、主 (ヤハウェ) を待ち望むことです。この詩篇は、最初と最後に、「主 (ヤハウェ) 」ということばが記され、乳離れした子が母親のふところにいるように、ヤハウェのふところに包まれているという感じが、今から、永遠に続くという構造になっています。ヤハウェという御名は、主がご自身のことを、「わたしは、『わたしはある』という者である」(出エジ3:14) と紹介されたことばに由来します。それは、主こそが、この世界のすべてのことを御手の中に治めておられるという意味です。その方が、あなたを御子イエスに対すると同じように、「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(ルカ3:22) と語りかけてくださるのです。全能の主があなたの側に立ち、あなたを守り通してくださるのですから、サタンの脅しに怯える必要などありません。「主 (ヤハウェ) を待ち望む」とあるのは、すべての問題は、神のときが来たら解決することが明らかだからです。
この社会には様々な矛盾があります。それに対して、怒りの気持ちをもつのは当然ですが、私たちの行動が怒りに駆り立てられたものになるとき、それは決して、愛の交わりを生み出す働きにはなりません。この世に様々な矛盾があるのは、神が私たちを愛の器として生かす場を残しておられるというしるしなのかもしれません。分かっていることと分からなくてもよいことの区別をつけながら、日々、主から与えられた課題を生きる者でありましょう。
エミー・カーマイケルというイギリスの宣教師が、今から百年ほど前、インドの南端のドノバーという町に住み、はからずも、ヒンズー教の寺院で少女売春をさせられている少女を助ける施設を始めました。それは彼女が、31歳のとき、ひとりの少女を保護したのがきっかけでした。やがてそれは様々な虐待を受けた少女たちを保護し、自立を助ける施設として成長します。彼女は、「なぜ、このようなひどいことが……」という現実に直面し、また地元の人からの迫害受け続けました。しかも、63歳のときには転んで足を骨折し、その後二十年間、自分の部屋から出ることができなくなりました。そのような中で、彼女は詩篇131篇から慰めを受け、次のような詩を記しています。
父なる神さま 私の心にかなうように
みこころを 変えてください と祈りましょうか
いいえ 主よ けっして そのようなことが あってはなりません
むしろ わたしの心が あなたのみこころと ひとつになりますように
はやる思い 切なる願いを 静めてください
痛いほど 激しい思いを やわらげてください
ごらんください わたしの心の 深いところで
さまざまな思いがひしめきあっているのを
それらを戒めてください 主よ
それらを清めてください たとえ火をもってでも
わたしのうちに働いて
みこころを行なう志を 立てさせてください
わたしのうちなる すべてのものが 愛する御方のみこころを
静かに待ち望むことが できますように
そして ついに 満ち足りて 乳離れした児のように
あなたを 仰ぐことができますように