2007年6月17日
「時は金なり」とこの世の常識が教える中で、神は、「週に一日の休み」を勧めるのではなく、命じておられます。それは、人はいつも、時間でも人でも、何かの目的達成の「手段」におとしめてしまうからです。しかし、一方で、「主の日」を「義務を果たす日」としてしまい、喜びを失っている信仰者も意外に多いのかもしれません。主の日を、神にある「自由」と「喜び」の日として、本来の意味を回復させることは、現代の課題でもあるように思われます。
1.「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」
イエスの時代、ユダヤ人たちはローマ帝国の圧制に苦しみながら、ソロモンの時代のような平和と繁栄を待ち望んでいました。そして、預言者エゼキエル20章では、彼らが外国の支配に屈せざるを得ないのは、安息日を汚したことへの神のさばきであると記されていました。それゆえ、イエスの時代の宗教家の関心の中心は、安息日律法をいかに厳格に守るかということであり、イエスの働きを、安息日律法を破壊することとして危険視していました。
ある安息日、パリサイ派のある指導者の家に、イエスは食事に招かれました。そのとき、「みんながじっとイエスを見つめていた」(1節)と敢えて記されます。彼らはわざと、「水腫をわずらっている人」が「イエスの真っ正面」に座るように計りながら、イエスを試したのではないでしょうか。当時の律法解釈によれば、緊急の場合を除いて安息日に病人に癒しを施すことは、「七日目は、あなたの神、主(ヤハウェ)の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない」(出エジ20:10)という主の命令への違反と理解されました。この「水腫」という病は、明日まで待てないものではありませんが、先の「十八年間・・・腰が曲がっていた女」(13:11)の場合よりは、治療の切実性がはるかに高い病です。何とも不思議なことに、彼らの関心は、イエスに難病を癒す力があるかということよりは、イエスが安息日律法をどのように解釈しているかにありました。人は、自分の利害の視点から物事を見るものですが、彼らの目には、難病にかかっている人は、神のさばきを受けてすでに死んだも同然の人でした。しかし、安息日の秩序を守ることは、国の将来に関わる一大事だと思われたのです。私たちの関心にも偏りがありはしないでしょうか。
イエスは、そんな頑なな彼らの気持ちを察しておられました。3節は、「そして、イエスは答えて言われた」とも訳すことができますが、イエスは、律法の専門家やパリサイ人たちの心の声に答える意味で、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」と一般化した質問を投げかけます。それに対して、「彼らは黙って」(4節)いるしかできませんでした。「この病は、緊急性を要しない・・」などと言うのをはばかったからでしょう。彼らは、この人の中に、切実な必要があることに気づいていたからです。ここに彼らの矛盾があります。だいたい、人の癒しの切実性を、その人の痛みの声を無視して判断しようなどとは、傲慢の極みではないでしょうか。あなたも、深い悩みを抱えているときに、「そんなことで悩むのはおかしい・・」などと言われてさらに傷ついたという体験がないでしょうか。感覚はその人固有のものですから、そのような非難は、人格を否定することに等しいことです。
この病の人も、病気の苦しみと同時に、人格を否定されたような深い孤独を味わっていたことでしょう。それでイエスは、その人を癒す前に、しっかりと抱擁します。「イエスはその人を抱いていやし、帰された」というのは何とも感動的なプロセスです。この人はイエスにハグされながら、身体とともに心が癒されたに違いありません。
その上でイエスは宗教指導者たちに、「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか」(5節)と尋ねます。当時の律法学者たちは、家畜が井戸に落ちた日が安息日である場合、「明日まで待つべきだろうか・・」とまじめに議論していたからです。ところがイエスは、そこに「自分の息子が落ちたのに・・・」ということばを付け加えることで、この議論を抽象的な神学論議から、自分にとっての切実な問題に置き換えさせました。当然、彼らも自分の家族のことになれば放置できないはずです。これによって、イエスは、彼らが「水腫をわずらっている人」を家畜以下に扱っているということを示唆したのではないでしょうか。「彼らは答えることができなかった」(6節)という中に彼らの矛盾が明らかになります。
彼らは、安息日は、「・・・をしない」ということに心を集中しながら、「なすべきこと」を忘れていました。出エジプト記では、安息すべき理由を、「主(ヤハウェ)が・・・七日目に休まれたから」(20:11)と記されています。それは私たちが神に似せて造られた者として、神に習うことを意味します。主はその日に、ご自分の創造のみわざをご覧になり、喜ばれたのですが、私たちも同じように、一週間に一度は、静まって神のみわざを思い起こすときが必要です。
一方、申命記では、「自分がエジプトで奴隷であったこと」を思い起こしながら、奴隷にも家畜にも安息を与えることが命じられています(5:14,15)。ですから、安息日は、主の救いのみわざの恩恵を、奴隷や家畜にも分かち合い、彼らを愛する日です。つまり、律法学者こそが、病人に対する無関心によって、安息日を破っていたのです。
詩篇92篇には、「安息日のための歌」というタイトルがついています。そこでは、「十弦の琴」「六弦の琴」「立琴」という三種の琴を用いながら主を賛美することが命じられています。そこでは、「まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません」(6節)と言いつつ、一見不条理に満ちた世界を、全能の神が支配しておられることを思い起こさせています。楽器の演奏は英語でplayと言われますが、安息日は、祈り(pray)の日であると共に、あそび(play)の日でもあります。私たちも安息日が真の喜びの日となっているかを反省すべきかもしれません。
2.「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」
7節は、「それでイエスは、招かれた人々にたとえを話された」と訳すことができます。つまり、これは先の場面の続き、上座から水腫をわずらっている人を見下ろし、またイエスがどうするかをさばきの目をもって見ていた宗教指導者たちへのことばです。彼らは自分こそ上座にふさわしいと思ってしまう人だったからです。それでイエスは、彼らを真っ向から責める代わりに、「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座に座ってはいけません」(8節)という一般論として話されました。そして、その理由を、「あなたより身分の高い人が招かれているかもしれないから」と言われました。当時の家の主人は、身分の高い主賓が遅れてきた場合、既に座っている人を移動させてでも上座に座らせました。その場合、既にそこに座っていた人は、唯一空いている末席に移動せざるを得なくなり、「恥をかく」ことになるというのです(9節)。しかし、反対に、初めから末席についていたら、「満座の中で面目を施す(いっしょに座っている者たちの中で、あなたの栄誉となる)」(10節)というのです。そして、このことからイエスは、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」(11節)という神の国の原理を引き出しました。これはイエスが、当時の宗教指導者に、いろんな場で話していたことでした。彼らは神の国の上席を自分で掴み取るような生き方をしていました。それこそ、神のようになろうとしたアダムの生き方の延長線上にあります。
この記事が滑稽なのは、現代の私たちの目から見たら、イエスこそ最上席にふさわしい方なのに、彼らはそれを知らず、イエスを上座から見下ろしているということです。神がご自身の支配を目に見える形で表されるとき、彼らは自分を恥じ入ることになります。私たちはこのとき敢えて下座に座っておられたイエスの姿に習うものでなければなりません。そのことをパウロは、「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい・・・それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです」(ピリピ2:3,5)と言いました。
ここで「互いに人を自分よりすぐれた者と思う」とは、自分の能力を人より低く見るという意味ではなく、能力の比較などを超えて、ただ人を上座にふさわしい人と見るということです。たとえば、ある小学校のクラスに一時的に知的障害を抱えた子が入ってきたときのことです。最初、子どもの勉強が遅れると苦情を言っていた親たちが、その子の世話を巡ってクラス全体が優しくなり、自分の子たちの表情が明るくなった様子を見て、自分たちの判断を恥じ入ったという実話があります。この場合、その知的障害を抱えた子どもこそ、神の目から見た「すぐれた者」または「上座にふさわしい人」だったのです。「すぐれている」ことの基準を能力で計ろうとすることがすでに堕落です。能力が高い人は、より多く人々に仕えることが求められているのです。イエスは、神と等しい方であったからこそ、「ご自分を無にして、仕える姿を取られた」(ピリピ2:7)のです。どうか、自分の能力を過少に表現するという日本的な見せかけの謙遜さではなく、すでに与えられている能力を最大限に生かして人々に仕える働きをしてゆくことを考えていただきたいと思います。それこそイエスに習う道ではないでしょうか。イエスが、席順の話をされたのは、彼らが自分たちに与えられた能力や権力を、病んでいる人を見下ろしてさばくために用いていたからなのです。
3.「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです」
最後にイエスは、「自分を招いてくれた人」つまり、「パリサイ派のある指導者」のことを意識しながら言われます。それは、「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません」(12節)という驚くべきことばです。食事は交わりの場ですから、招くにふさわしい人を招くのが当然とも言えますが、それは異教徒や無神論者でもしているこの世の発想です。イエスは、そのような交わりを否定したのではなく、神の国の祝宴の姿を思い起こすように招かれたのです。金持ちなどは、招かれたら、招き返すことができますから、そこに神のみわざは現われもしませんし、また期待する必要もありません。しかし、「祝宴を催す場合に、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招く」なら、「あなたは幸い」だというのです(13,14節)。「その人たちはお返しができないので」、「義人の復活のとき」になって、あなたが神ご自身から「お返しを受ける」ことができるからです。それは神の目を意識した奉仕になっていますから、貧しい人のプライドを傷つけることもありません。私たちも、この世的な報酬を期待することによって、神から与えられる「幸い」を受け損なってはいないでしょうか。
イエスを招いた人は、自分は安息日に人々を食事に招くというつとめを果たしていると思ったことでしょう。しかし、彼はその場を、イエスを訴える口実を見つける手段の場におとしめ、また水腫を患っている人を、イエスを訴える手段としておとしめていました。しかし、この日は、苦しんでいる人、病んでいる人をこそ、主賓として招くべきなのです。この主人は、安息日を守ることに熱心なようで、安息日の心を忘れていました。彼が持っていた財産は神から預けられていたに過ぎません。それを正しく用いたときに与えられる恵みの機会を、自分で閉じたのです。
安息日は、すでに与えられている恵み、今ここにある神の国を喜ぶ日です。ところが当時の宗教指導者たちは、安息日を神の国を実現する手段と変えてしまいました。彼らはそれによって、すでに実現している神のみわざを見ることができなくなっていました。たとえば、神はユダヤ人をバビロンの支配から解放するために、その東の異教徒の国ペルシャを動かしました。当時のユダヤ人はローマ帝国の支配の悪い面ばかりを見ていましたが、地中海世界に国境がなくなったおかげで、遠くに住む異邦人が聖書の神を知ることが可能になっていたのです。それも神のみわざでした。そして、実際、イエスの昇天後、パウロはローマ市民としての特権を生かして地の果てまで福音を伝えることができました。私たちのとっての「主の日」も、天国に入れてもらうためのお勤めの日ではありません。神が今、すでに与えてくださっている恵みを、より多くの人に分かち合い、ともに喜ぶ日です。