ルカ13章18〜35節「神の国に生きる祝福」

神の国の成長ということから、ふとフローレンス・ナイティンゲールの伝記を読んで感動したことを分かち合いました。
たったひとりの女性が、世界の医療の歴史を変えたからです。しかし、それは神のみわざでした。
今日のイエス様のお話は厳しいところがあります。イエス様は、「わたしに向って、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです」(マタイ7:21)とも言っておられますが、それと同じ趣旨のことがここで語られています。しかし、その厳しさの背後に、何ともいえない優しさが込められています。

2007年6月3日

イエスを主と告白し、神の国の民とされることは想像を絶するほどの大きな祝福です。ところが、その喜びを味わうことができていない人が多くいます。その鍵は、「絶えず祈りなさい」という命令と結びついてはいないでしょうか。なぜなら、神の子とされた恵みは、何よりも祈りの生活の中で体験できるからです。その際、私たちはもちろん遠慮することなく何を願っても良いのですが、それ以前に、祈りの基本は神に聴くことにあるのではないでしょうか。

1.「神の国の成長」

イエスは「神の国」の成長を「からし種」や「パン種」にたとえました。「からし種」(19節)は当時の人が育てる植物の中で最も小さなもので「庭に蒔いた」ときも誰も気づかないほどですが、その成長はすさまじく、庭の中で「空の鳥が枝に巣を作る」ほどの木になり、4.6mの高さになるものもありました。また次に、「女がパン種をとって、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました」(21節)と記されます。「三サトン」は約40ℓで、当時焼くことができた最大量、百人分のパンに相当しました。「パン種」はその中で隠れる程小さなものでしたが、これほど大量の小麦粉を膨らませる力がありました。そのように、イエスがこの地にもたらした「神の国」(神のご支配)は、ローマ帝国の片隅で、誰も気づかないほど小さく始まりながら、やがてローマ帝国全体を変える力を持つようになったのです。

たとえば、世界の医療システムを根本から変え、国際赤十字の生みの母とさえ呼ばれるフローレンス・ナイティンゲールは1820年にイギリスの貴族の家に生まれましたが、17歳のときに「神に仕えなさい」という明確な声を聞いたと日記に記しています。そして、22歳の頃「病める者、悲しむ者に仕える」ことを使命と自覚します。しかし、当時の上流階級のしきたりに従い結婚を迫られる中で、ノイローゼになり身体も衰弱し、三ヶ月間寝たきりになります。そして、回復と共に重病に陥った祖母や乳母の看護をする中に大きな喜びを感じます。ただ、当時の英国では、看護の仕事は、身を持ち崩した女が最後に行き着く働きと軽蔑されていました。しかし、諦めず道を進む中で33歳に、ロンドンの婦人家庭教師のための病院の看護婦長に任じられます。そして、34歳で英国がロシヤと戦ったクリミヤ戦争に派遣され、昼夜を問わず傷病兵の看護を続け、多くの人の心を動かし、ついにはビクトリア女王の支援を受け40歳で看護学校を創設、それに習った看護学校はまたたくまに世界に広がります。またその頃、彼女に感化されたアンリ・デユナンが敵味方の境を越えて傷病兵の治療に励み国際赤十字社の発足に至ります。

彼女はいつも完全な看護を求めながらも、かけ離れた現実に忍耐をしつつ、一歩一歩、働きを進めましたが、その心はまさに神に捉えられていたのです。しかし、そんな彼女も、神の求める完全より、自分の完全を性急に求める傾向を反省し、「ああ、主よ。いまも私は、あなたが見ておられる世界の管理を、あなたの御手から奪い取ろうとしているようです・・・」と悔い改めつつ祈っています。彼女は自分を、神の国、神のご支配に服従する「しもべ」として位置づけ、委ねられた仕事を、神の方法で成し遂げるようにと心がけていたからです。そして、そのような謙遜さこそが、多くの人の心を動かしました。私たちは、このような事例を、特別な偉人の記録と見てしまいがちですが、これは人のわざというより神のみわざ、神の国の成長力の証しです。神は、目に見える人を用いられるのです。

2.「狭い門から入りなさい」

その後、「イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられ」(22節)ますが、そこに、「主よ。救われる者は少ないのですか」と問いかける人がいました。当時の人々は、神の国に入れられるのはユダヤ人だけと信じながらも、その中でも、どのような種類の人が入ることができるのかに関して議論していたからです。これは、現代で言えば、たとえば、「福音を聞いたことない人は、どのようにさばかれるのでしょう?」と議論することに似ているかもしれません。イエスはひとりでも多くの人に神の国の福音を伝えようと働き続けておられるのに、彼らは何となく評論家的に神学を議論しているだけで、今、自分が何をなすべきかという問いを忘れています。

それに対してイエスは、「努力して狭い門から入りなさい」(24節)と言われました。これは、「狭い門を通って入るように格闘しなさい」という意味です。そして、イエスはその理由を、「入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから」と付け加えながら、たとえを話します。それは、家の主人が戸を閉めてしまった後で、「ご主人さま。あけてください」と戸を叩く愚かなしもべの姿です(25節)。しもべが主人の戸締りの時間を知らないなどというのは、本来ありえないことで、主人を軽んじ、無視しているしるしです。そのとき主人が「あなたがたがどこの者か、私は知らない」と言うのに対し、「私たちは、あなたの前で、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました」と答えても、「不正を行なう者たち。みな出て行きなさい」(27節)と言われるというのです。つまり、イエスの教えを知っているだけでは不十分で、生活を通してイエスを自分の主人と認めている必要があるというのです。

イエスは、「今、あなたは、わたしの招きに従いますか?」と問うておられます。そして、その時々にあらゆる言い訳ができるからこそ、「・・・格闘しなさい」と命じられたのです。たとえば、「信仰か家族か、信仰か仕事か、信仰か結婚か」などと二者択一を迫られるように感じ悩むかもしれませんが、私たちは常に、イエスに従うという「狭い門」に心を集中しなければなりません。ただ、イエスに仕えることと、家族や仕事や結婚が矛盾することは意外に多くはなく、どっちつかずの中途半端な姿勢こそが、かえって信頼感を損ない、すべてを失わせるきっかけになるのかもしれません。あるご婦人は、夫への気遣いから洗礼を躊躇していましたが、自分の死が近いことを悟って、もう引き伸ばすことができないと決心したとたん、意外にも、ご主人もともに洗礼を受けたいと言い出しました。そして、このように導かれる男性たちは、驚くほど多いばかりか、彼らの多くは後にすばらしい証し人とされています。

ある人がマザー・テレサに、「信仰を捨てなければならないような国で働くことになったらどうなさいますか?」と尋ねたところ、彼女は、「キリストの愛を伝えるためにはどこにでも行きます。私の生命ならいつでも差し上げます。でも、信仰を捨てることはできません」ときっぱり答えたとのことです。また、彼女にとって、イエスへの信仰は、何かを成し遂げるため、また何かを得るための手段ではありません。彼女は自分を「私は神が手に持つペンに過ぎません。文字を書くのは神ご自身です」と言っています。イエスは、彼女のいのちそのものであり、自分のいのちよりも大切な方です。そしてそれはイエスが、すべてのご自身の弟子たちに、問い続けておられることなのです。

イエスは、今、躊躇している人に向って、「あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりとなるのです」(28-30節)と言われました。それは、私たちの信仰生活が、漠然とした聖書知識の上にでも、教会の活動に加わることでもなく、日々、主の問いかけに真剣に向き合うことの積み重ねによって成り立つべきだからです。その意味で、神の御前では、信仰の先輩も後輩も、また偉人も聖人もいません。ただひとりで、あなたは神の前に立つ必要があるのです。

3.「それなのに、あなたがたはそれを好まなかった」

イエスがこのような話をしておられるとき、何人かのパリサイ人が来て、国主ヘロデがいのちを狙っていることを伝えますが、イエスはその権力者を、「あの狐」と呼びます(32節)。彼は、ヘロデ大王の息子で、アンテパスと呼ばれ、自分の利得のためには手段を選ばない冷血さを持ちながら同時に、いつも人の顔色を伺うような臆病者でした。それでイエスは彼をそのように呼んだのです。イエスはその上で、ご自分が権力者の脅しなどを気にすることなく、「きょうもあすも」、必要な働きを続けると言われました(32,33節)。なお、「三日目に全うされます」とは、具体的な期間というより、短いうちに、ご自身が他の「預言者」と同じように、「エルサレムで・・死ぬ」ことを指しています。イエスにとって十字架は、ご自身の働きが全うされることを意味したからです。これは、この世の権力者など恐れる必要がないことを指摘しながら、この地の真の支配者である父なる神だけを見上げて生きるべきことを教える意味があります。実際、いつの世でも、最終的に働きを全うできるのは、きょうもあすも、誠実に生きる人なのですから。

そしてイエスは、「ああ、エルサレム、エルサレム・・・」と、神の都が「荒れ果てたままに残される」ときが来ることを預言します(34,35節)。「めんどりがひなを翼の下にかばうように」とは、当時の農村で、火災の中、めんどりがひなを自分の翼の下にかくまい、自分は焼死しながら、ひなを生き延びさせるという情景を示したものです。それと同じように、イエスは、ご自身が彼らの身代わりとして神のさばきを受けようとしているのに、彼らがそれを「好まない(望まない)」で、自滅に向っていることを嘆いたものです。キリストの十字架は、神の国に入れていただくための最後の唯一の「狭い門」です。この招きを拒絶する者は、自分の罪によって神のさばきを受けざるを得ません。

なお、イエスのことばはこれから四十年後に実現します。エルサレムはローマ軍によって滅ぼされ、神殿も破壊されます。しかし、このときイエスに従った者たちは、ローマ軍が町を包囲する前に町を離れ、イエスに習って「きょうもあすも次の日も進んで」行く先々で神の国の福音を伝え、ローマ帝国をキリスト教国にしてしまいました。

そして、「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」(35節)とは詩篇118:26からの引用で、救い主が歓呼をもって迎えられる様子が描かれています。そのときまで、「あなたがたは決してわたしを見ることができません」とイエスが言われたのは、この後、イエスは、ご自分を歓迎する者にだけ、ご自身が王であり救い主であることを啓示されるという意味と、またイエスが再び栄光を持ってこられるという再臨のときまで、主を見ることができないという両方の意味が込められています。どちらにしてもその中心は、イエスは、「いま、このとき」、ご自身に従う決心をしなければ、あとの機会はやってこないと決断を迫ることにありました。私たちのこころは複雑です。いま、聞いて心が感動するようなことでも、明日また同じ話を聞けば、感動が薄れています。ですから、自分の心に迫りを感じたときに何らかの決断をしなければ、あしたも決断することはできなくなるのです。それは、「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」(ヘブル3:15)と言われている通りです。なお、これは決定的な回心という一回限りのことばかりではなく、私たちの人生の中で日々、繰り返し問われていることでもあります。私たちは一瞬一瞬、この世に従うか、イエスの招きに従うかを問われているのではないでしょうか。

ナイティンゲールは自分の生涯を神に献げようと決心し、父親に向けて次のように書いています。「私にとってすべての真理はふたつのことばにあるように思えます。第一はサムエルのように、「主よ。お話しください。私はここにおります(Lord, here I am)」(Ⅰサムエル3:10別訳)と神に向かって人が言うことばです。そして、第二は、弟子たちが暗い嵐の湖上の舟の中で恐れているときに、イエスが湖の上を歩いてこられ、「わたしだ(エゴー・エイミー、わたしはある)、恐れることはない(Lo. it is I, be not afraid)」と言われたことばです(マタイ14:27、ヨハネ6:20)。どちらのことばも、一方を欠いては完全にはなりません。私はいままでずっと、「主よ。わたしはここにおります」と言いながら、恐れにとらわれてばかりいて、主ご自身が、「わたしだ・・・」と言われる語りかけを聞くことができませんでした・・・・」。

これは、私たちが無謀な冒険心に駆られ、「主よ・・」と静まることもなく動き出し自滅することも避けなければなりませんが、主の招きを聴きながら、恐れにとらわれて立ち止まってばかりいては、神の国に生かされている圧倒的な恵みを体験することもできないという意味だと思われます。主が何よりもご自身の圧倒的な御力を現して下さるのは、私たちが嵐の中で身動きできなくなっているときだからです。そして、それが主の招きの中にある嵐の中なら、たとい一時的に、何もかも失うように思えても、結果的に、あふれるばかりの恵みを受けることができます。