19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、「すべての生は苦しみである……生は、まるで振り子のように……苦痛と退屈の間を行き来する……人間がすべての苦しみと悩みを地獄に追放したあとでは、天国にはただ退屈しか残らない」という皮肉を言いました。 “エレミヤ7~9章「悟りを得て主(ヤハウェ)を知るとは?」” の続きを読む
ローマ人への手紙5章12〜21節「いのちにあって支配する」
「死」はすべてのものを失うことのシンボルです。私たちは死において、家族や友人と引き離され、それまで築いたもののすべてを失います。実は、不安に駆り立てられている人は、心の底で「死」を恐れているとも言えましょう。 “ローマ人への手紙5章12〜21節「いのちにあって支配する」” の続きを読む
エレミヤ4章5節~6章30節「これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか」
ヴィクトール・フランクルというユダヤ人の精神科医は、ナチスドイツの強制収容所で、寒さに凍えながら強制労働に駆り立てられていました。そこでふと、愛する妻の面影を思い浮かべ、空想の中で彼女と対話し、彼女の微笑を見ることができました。そのとたん、彼は、彼女の眼差しの中で、人間の存在の意味を、「愛による、そして、愛の中の被造物の救い」であると悟ります。そして、「愛は死のように強い」という雅歌8章8節のみことばの意味が理解できたと書いています。それは伴侶でなくても、父でも母でも、またその他の大切な方の面影でも同じでしょう。人はだれかを愛することで、人生を輝かせることができます。 “エレミヤ4章5節~6章30節「これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか」” の続きを読む
ローマ人への手紙5章1〜11節「神との平和を誇れる幸い」
23歳で大怪我をして死を望んでいた星野富弘さんが、多くの人に希望を与えて78歳で天に召されました。小学校の教科書にも載せられた、
いのちが 一番大切だと 思っていたころ 生きるのが苦しかった
いのちより大切のものが あると知った日
生きているのが 嬉しかった
という詩があります。 “ローマ人への手紙5章1〜11節「神との平和を誇れる幸い」” の続きを読む
エレミヤ1章1節〜4章4節「背信の子らよ。立ち返れ」
エレミヤ書は現代のクリスチャンホームの子にふさわしい福音です。創造主を礼拝する幸いを教えられてきたことは大きな恵みなのですが、心を興奮させるこの世の文化の刺激を受け、信仰生活を空虚で惰性的なものに思え、心が交わりから離れようとすることがあります。表面的に取り繕ってはいても、福音の本質が心に落ちていません。 “エレミヤ1章1節〜4章4節「背信の子らよ。立ち返れ」” の続きを読む
イザヤ58章10節「駅前の路上から小さく始まった、世界に広がる神の国の祝福」(湯本沙友里FVIカタリスト)
2024年4月21日(音声のみ)
ローマ人への手紙4章13〜25節「創造主との対話に生きる幸い」
人はときに、立派な信仰を、「何の疑いもなく、信じ通す」ことと誤解します。そして、今日の箇所でも、アブラハムの「信仰は弱まりませんでした。不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく」ということばを、そのように、アブラハムは目の前の不安な状況に動じることもなく、神への信頼の姿勢を貫いたと誤解されがちです。 “ローマ人への手紙4章13〜25節「創造主との対話に生きる幸い」” の続きを読む
イザヤ66章15~24節「神が創造してくださる礼拝の完成」
預言者イザヤは、イスラエル王国が圧倒的な大国から攻撃を受けるという中で、人間的な解決を求める前に、何よりも神の前に静まり、神に助けを求めることを優先しなければならないと繰り返し強調しています。 “イザヤ66章15~24節「神が創造してくださる礼拝の完成」” の続きを読む
ルカ24章13〜36節「福音の核心としてのイエスの復活」
ロシアのプーチン政権を真っ向から批判して今年2月に死を遂げたアレクセイ・ナワリヌイ氏は、2021年の裁判の際に、「私はかつて過激な無神論者でしたが、今はクリスチャンです。信仰が私の活動を助けてくれます。それは聖書の中に様々な状況の中で、どのような行動を取るべきかが記されているからです」と語りました。特に彼はイエスが山上の説教で、「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです」(マタイ5:6) ということばに支えられていたとのことです。 “ルカ24章13〜36節「福音の核心としてのイエスの復活」” の続きを読む
マタイ26章36〜46節「ゲツセマネの祈り」(寺村幸雄神学生)
2024年3月24日