マタイ11章16〜30節「人々の期待から自由に生きる」

2020年8月2日

多くの日本人は、「敬虔なクリスチャン」ということばにあるイメージを重ねます。その枠の中にはたぶん株式投資を勧める営業マンは入らないことでしょう。その後、僕は牧師への召しを受けながら、自分の中にある神経症的な不安感を受け入れられずに悩んでいました。柔和で平安な雰囲気を醸し出す牧師像にはとうていふさわしくないと思ったからです。しかし、今は、そのように人々の期待に沿うことができることの虚しさを思わされます。イエスでさえ、「大食いの大酒飲み」と呼ばれました。それは当時の人々の期待を裏切る自由な振舞いの結果でした。しかし、そこにこそ、人々の常識を覆す、真の自由があります。 “マタイ11章16〜30節「人々の期待から自由に生きる」” の続きを読む

創世記2章4節~3章24節「神のようになることの悲劇」

最初の1分が聞きにくくなっています

2020年7月19日

「神がいるなら、なぜ世界にこのような混乱があるのか?」という疑問を多くの人が抱いています。今回の箇所はそれに対する答えが記されます。ただ、そこには更なる疑問として、「神はなぜ禁断の木の実をエデンの園に置いたのか?」が湧いて来ることでしょう。しかし、それこそ私たちの発想が、神のようになったアダムと一体化したしるしとも言えましょう。 “創世記2章4節~3章24節「神のようになることの悲劇」” の続きを読む

マタイ11章1〜15節「新しい創造の中に生かされる恵み」

2020年7月12日

バプテスマのヨハネはヨルダン川で「悔い改めのバプテスマ」を授けていました。それはかつてモーセヨシュアに導かれたイスラエルの民が、約束の地に入って「神の国」を建てるはずであったという原点に人々を立ち返らせるためでした。 “マタイ11章1〜15節「新しい創造の中に生かされる恵み」” の続きを読む

創世記1章1節~2章3節「神のかたちとして、神の神殿なる世界を治める」

2020年7月5日

コロナショックによる不況下で、多くの人は明日の生活に不安を覚えています。しかし、聖書にはこの世界の始まりと目的地の両方が記され、私たちの心の目を近視眼的な視点から解放してくれます。「初めに、神が天と地を創造した……」以降の記事は、創造主の偉大さを指し示し、多くの人々の人生観を変え続けてきました。 “創世記1章1節~2章3節「神のかたちとして、神の神殿なる世界を治める」” の続きを読む

マタイ10章24〜42節「神の真実に信頼する真実な歩み」

2020年6月28日

日本最古の道徳規範として西暦604年に聖徳太子が作ったと言われる十七条の憲法があります。その第一条は「和を以って貴しと爲し、忤(さから)ふこと無きを宗と爲す」です。そして第十七条は、「それ事は独り断(さだ)むべからず、必ず衆とともに宜しく論(あげつら)ふべし」と記されています。 “マタイ10章24〜42節「神の真実に信頼する真実な歩み」” の続きを読む

Ⅱ歴代誌34章8節~36章最後「新しい神殿での礼拝への道筋」

2020年6月21日

私たちは今、新型コロナウィルス感染対策のため、史上初めて礼拝に集まることが困難なばかりか、賛美の声を上げることができない特殊な時間を過ごしています。インターネットを通して、多くの名説教家のメッセージも聞くことができますが、聖書の基本は、一つの場所に集まり、ともに主をたたえ、みことばの朗読をともに聞くという交わりを築くことであることを忘れてはなりません。 “Ⅱ歴代誌34章8節~36章最後「新しい神殿での礼拝への道筋」” の続きを読む

マタイ10章5〜23節「天の御国を今この地に」

2020年6月14日

「神がおられるなら、どうしてこんなことが許されるのだろう」ということが、ときに「キリストの教会」の中でさえ起きることがあります。しかし、周りにいる人々も私たちもそれぞれ固有の痛みや不安を抱えて生きながらも、神の導きの中で問題のただ中に置かれるとき、そこに痛みと同時に、様々な恵みと新たな愛の交わりを体験することができます。 “マタイ10章5〜23節「天の御国を今この地に」” の続きを読む

Ⅱ歴代誌31章1節~34章7節「右往左往せずに神を求める」

2020年6月7日

1904年の日露戦争で日本がロシアに勝ったことは、当時の世界では奇跡と見られました。なにしろロシア陸軍はその約100年前にヨーロッパを支配したナポレオンを打ち負かした世界最強の軍隊でした。当時の国内総生産比較ではロシアは日本の八倍の国力がありました。 “Ⅱ歴代誌31章1節~34章7節「右往左往せずに神を求める」” の続きを読む

Ⅰペテロ2章13〜25節「職場と信仰―不当な苦しみ?受けつつ生きる」

技術的トラブルでメッセージの最後の10分ほどが録音できていません

2020年5月31日ペンテコステ

私が学生のとき何回か集った聖書研究の交わりで、「就職して、明らかに神のみこころに反すると思われる仕事を命じられた時、どう行動すべきか……」ということが話し合われていました。私はそれを聞いて、違和感を覚え、そこに集うのをやめました。 “Ⅰペテロ2章13〜25節「職場と信仰―不当な苦しみ?受けつつ生きる」” の続きを読む