「どうせ私なんて……やるだけ無駄だ……」という自己嫌悪と絶望感は、多くの人の心の底に巣食っています。また、激しい痛みの中で、人はふと「もう、死んでしまいたい」と願うことがあります。 “エゼキエル16章「生きよ!」” の続きを読む
ローマ人への手紙13章1〜7節「存在している権威は神によって立てられている」
歴史上、様々な独裁国家や横暴な支配者が現れましたが、彼らにとって「存在している権威は神によって立てられている」ということばほど都合のよいことばはありませんでした。それがたとえばナチス・ドイツの政権を多くのドイツのキリスト教会が支持した根拠にもなりました。 “ローマ人への手紙13章1〜7節「存在している権威は神によって立てられている」” の続きを読む
詩篇8篇「人とは、何者なのでしょう」
私たちは小さいときから、「より賢く、より強くなる」ための訓練を積んできました。しかし、人の価値はそのような基準ではかれるのでしょうか? “詩篇8篇「人とは、何者なのでしょう」” の続きを読む
ローマ人への手紙12章14〜21節「善をもって悪に打ち勝ちなさい」
人間関係の悩みは、意外に身近な大切な人との関係から生まれます。使徒パウロが、「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい」と言ったとき、彼にとっての「迫害する者」とは、同胞のユダヤ人でした。 “ローマ人への手紙12章14〜21節「善をもって悪に打ち勝ちなさい」” の続きを読む
詩篇1、2篇「御子に口づけせよ」
昔は、「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ……その人は……ときが来ると実がなりその葉は枯れない。その人は何をしても栄える」という約束が、仕事の成功と結びついて嬉しく思えました。 “詩篇1、2篇「御子に口づけせよ」” の続きを読む
ローマ人への手紙12章1〜13節「巻物の書に私のことが書いてあります」
今日の礼拝で最初に読んだ詩篇40篇6–8節「いけにえも供え物もあなたはお喜びになりません。私の両耳をあなたは開いてくださいました……そのとき申し上げました。『今私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります……みこころを行うことを私は喜びとします。わが神よ……み教えは私の腹の中にあります』」こそ、新約における私たちの礼拝生活を現しています。 “ローマ人への手紙12章1〜13節「巻物の書に私のことが書いてあります」” の続きを読む
エレミヤ51、52章「遠くから……エルサレムを心に思い浮かべよ」
「ユダヤ人は、いつユダヤ人になったのか」(長谷川修一著、2023年NHK出版、1000円)という本が多くの人々に読まれているようです。その答えがエレミヤ書29章10、11節に記された、主の「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしは……あなたがたにいつくしみの約束を果たして……この場所に帰らせる……それはあなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」ということばにあります。 “エレミヤ51、52章「遠くから……エルサレムを心に思い浮かべよ」” の続きを読む
ローマ人への手紙11章25〜36節「人の回心による不思議」
多くの人々は回心の体験と聞くと、「真理を真面目に探究した結果、また自分の人生に深く悩んだ結果、イエス様以外に救いはないということを発見できた」というイメージを抱きがちです。 “ローマ人への手紙11章25〜36節「人の回心による不思議」” の続きを読む
エレミヤ49、50章「失敗の本質に見られる主のさばき」
日本の組織の硬直性を描いた名著に「失敗の本質―日本軍の組織的研究」があります。そこで「成長期には異常な力を発揮するが、持久戦にはほとんど敗者復活ができない。成長期には、組織的欠陥はすべてカバーされるが、衰退期にはそれが一挙に噴出してくる」という結論が記されています。 “エレミヤ49、50章「失敗の本質に見られる主のさばき」” の続きを読む
ローマ人への手紙11章16〜24節「接ぎ木された異邦人クリスチャン」
私たちの教会では、旧約聖書の物語の全体像を理解することに力を注いでいます。数千年前のイスラエルの歴史が、21世紀に生きるアジアの東の島国に生きるクリスチャンに何の関係があるのかと思う方がいるかもしれませんが、今日の箇所では、「あなたが自然によるオリーブの木から切り取られ、自然に反して、栽培された(良い)オリーブに接ぎ木された」(11:24) と記されています。 “ローマ人への手紙11章16〜24節「接ぎ木された異邦人クリスチャン」” の続きを読む