創世記22章20節~27章10節「祝福の継承―イサクとリベカ」

2020年10月4日

「機能不全家族」ということばがありますが、アブラハムからヤコブに至る家庭こそ、機能不全家族のようにも思えます。それは、家族関係で深い傷を負って成長している多くの人にとっての慰めとなります。なぜなら、神の恵みはそのような問題を抱えた家庭に豊かに現されているからです。それにしても、主がアブラハムに既に与え、また将来的な成就を約束した子孫の繁栄と土地の所有という主の祝福の継承は、彼やその子イサク、彼の妻のリベカによる信仰の応答がなければ実現しませんでした。祝福の継承のためには、私たちの応答が不可欠とも言えましょう。ただし、これらの家庭に起きたことは私たちにも起きることです。それは時空を超えた反面教師であるとともに、私たちにとっての慰めと励ましにもなっています。

1.アブラハムの神、主 (ヤハウェ) を礼拝し、主に従う

アブラハムイサクを神に献げた後、22章20節以降では「ハラン」(ユーフラテス川上流)に残った兄弟ナホル (11:29-32参照) に多くの子が生まれたことが伝えられます。これは、イサクのための妻を迎える上で大切な前提です。サラがイサクを生んだのは90歳でしたが、その37年後にサラは死にます (23:1)。サライサクを溺愛していたことは想像に難くありません。そして、母の死はイサクにとっても一大事でした。

アブラハムは「サラを葬る」ために、ヒッタイト人のエフロンからマクペラにある洞穴ばかりかそれを含む畑地銀四百シェケルで購入します (23:15、16)。後にエレミヤが主の御告げによってエルサレム陥落の直前にアナトテの畑地を購入した時の値段は銀17シェケルでした (エレミヤ32:9)。またダビデが神罰を避けるために祭壇を築いて全焼のいけにえを献げるための土地と牛の合計の値段が銀50シェケルで、それは後のエルサレム神殿となりました。それからするとエフロンは口先では無料で提供すると言い出しながら (23:10、11)、アブラハムの足元を見るように法外な値段を提示したとも言えます。とにかく、アブラハムは愛妻サラを葬るための土地を、相手の言うままの高い値で買い取ったのです。

アブラハムはこの他にはどんな土地をも所有しませんでしたが、その意味が「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました……約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました」(ヘブル11:9、13) と表現されます。それにしても、この土地が、アブラハムの子孫にとっては途方もなく大きな意味を持ちます。彼の孫のヤコブは、寄留の地のエジプトで息を引き取るとき、息子のヨセフに自分の遺体をわざわざ運ばせてこの洞穴に葬るよう命じ (49:29)、ヨセフは戦車や騎兵を伴ってそれを大々的に実行することによって、約束の地への希望を告白しました。私たちは葬儀において、自分の人生のゴールがどこにあるかを最も力強く証しできるのです。

しかし同時に、「アブラハムは年を重ね……主 (ヤハウェ) はあらゆる面でアブラハムを祝福しておられた」(24:1) と記されます。それは多くの家畜や金銀、奴隷などを所有していたからです。それで彼は息子イサクのために安心して嫁を迎えることが可能でした。そして、神のご計画は「契約の民」を創造することですから、イサクの嫁は「信仰を共有できる者」でなくてはなりませんし、イサクが約束の地を離れることは許されないことでした。それで、「アブラハムは、自分の全財産を管理している、家の最年長のしもべに」、「あなたの手を私のももの下に入れてくれ」と、最も厳かな誓約をさせた上で、ハランに住む兄弟ナホルの家に遣わします (約600㎞)。この誓約は後にヤコブがヨセフに葬りのことを頼んだときと同じ方法です (47:29)。

このしもべは、目的地に着くと、町の外の井戸のところで、「私の主人アブラハムの神、主 (ヤハウェ) よ……私のためにどうか取り計らい……」と祈ります (24:12)。当時の女性の働く姿は水汲みで見られましたが、彼が判断基準とした特徴は、水を求めた際、「お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう」と答える娘でした (24:14)。彼は、らくだ十頭とともに来ていましたから、それができる女性は、働き者で、気が効くばかりか、力持ちです。驚くことに、神はこの具体的な訴えを即座に聞き届け、アブラハムの兄弟ナホルの孫娘、リベカを遣わしてくださいました。神は彼の願いを即座に、期待以上に叶えてくださいました。彼は、それがわかるとすぐに、その場で、「ひざまずき、主 (ヤハウェ) を礼拝」し、主 (ヤハウェ) を再び「アブラハムの神」と呼びつつ、主のめぐみ(ヘセド)まこと (エメト)」をほめたたえます (24:26)。これこそ、彼がアブラハムから習い、習得していた最も大切な習慣でした。彼の旅を成功させる鍵はここにあります。

そして、しもべは、リベカの父ベトエルと兄ラバンに迎えられますが、「私の用件を話すまでは、(食事を)いただきません」(24:33) と言いつつ、単刀直入に本題に入ります。その際、しもべは主の祝福と導きを丁寧に説明しますが、ここではその経緯が冗長とも思えるほどに同じことばで繰り返されます (24:34-48)。それは、主ご自身がすべてのプロセスを導いておられるということの証しです。ですからこの記事は、嫁探しの方法というよりは、私たちの人生のすべての局面に適用できる神のみわざの物語です。私たちも主を礼拝しながら、何が起こるか分からない明日に向かって踏み出す時、結果的に、「主は……私を確かな道に導いてくださった」(24:48) と感謝できるようになります。パウロは後に、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださる方です」と告白しました (ピリピ2:13)。

なお、しもべは、リベカの父ベトエルと兄ラバンに向かって、「あなたがたが私の主人に恵み(ヘセド)とまこと(エメト)を施してくださるなら」(24:49) と遜って願いますが、そこには、主の「恵み(ヘセド) と「まこと(エメト) に応答するようにという迫力が込められているように思われます。ですから、彼らは即座に「 (ヤハウェ) からこのことが出たのですから、私たちは……良し悪しを言うことはできません……(リベカを)お連れください」(24:50、51)と応答しました。このときも「しもべは・・聞くやいなや、地にひれ伏して主 (ヤハウェ) を礼拝」(24:52) しました。この三度目の「礼拝」の後、彼は贈り物を渡し、従者たちと共に飲み食いしてそこに泊ります。

ところが彼は、翌朝すぐにリベカを伴って帰ることを願います。これはあまりに乱暴なのでリベカの母と兄は十日間ほど待って行かせたいと言いますが、しもべは「私が遅れないようにしてください。主 (ヤハウエ) が私の旅を成功させてくださったのですから……」(24:56) と断固として願います。困惑した彼らはリベカの意向を確かめますが、彼女は「はい。行きます」と即座に答えます (24:58)。これは行き先のことを知らずに主の招きに従ったアブラハムの信仰の姿勢と同じです。彼女こそヤコブから始まるイスラエルの民にとっての信仰の母にふさわしい器でした。そして、イサクも、父に屠られるのに身をまかせた従順の模範です。神はアブラハムから信仰の家族を創造しようとされました。その際、信仰の継承は何よりも大切な課題でした。それは、私たちの結婚にとっても同じことです。そこには神から与えられた使命があります。

2.「イサクはエサウを愛していた……リベカはヤコブを愛していた」

イサクがリベカを娶ったのは40歳の時で (25:20)、それは母のサラが死んだ三年後と思われます (23:1、サラの生涯は127年、イサクはサラが90歳の時の子)。それを背景に、「イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。イサクは、母の亡き後、慰めを得た」(24:67) という記事を読む時、イサクが母に心理的に依存し、リベカを母の代わりのように求める気持ちが伝わって来ます。

この後、25章で突然、「アブラハムは、再び妻を迎えた。その名はケトラといった」(25:1) ということばとともに、六人もの息子の誕生が記されます。これがいつかは不明ですが、24章1節の記事から見ても、サラの存命中、イサクの誕生の後の事かと思われます。とにかくアブラハムはサラから生まれる子を跡継ぎにするため、ケトラという別の女性を通して子を儲けることは遅らせていたのでしょう。この中の一人が後で話題になるミデアン人の先祖です。アブラハムはこの六人の息子たちを東方に送り出して「イサクから遠ざけ」ます (25:6)。その後、アブラハムが175で亡くなった様子が、「年老いて満ち足り、息絶えて死んだ」(25:8) と描かれます。そして25章12節から18節までは肉の上でのアブラハムの長男イシュマエルの12人の息子の誕生の事が記されます。後にパウロは、「アブラハムの子どもたちがみな、アブラハムの子孫だというわけではありません……約束の子どもが子孫と認められるのです」(ローマ9:7、8) と記しています。

つまり、アブラハムの子孫とされるのは、血筋ではなく信仰によるという原則が最初から明記されます。とにかく、彼にとっての最大の課題は、肉の上での子孫を増やすことではなく、主への信仰を自分の子孫に確実に受け継がせることでした。そして、彼はたった一人の信仰の子孫しか残すことはできませんでした。しかし、たった一人でも信仰が受け継がれるなら、世界の歴史は変わるとも言えます。

25章19節からは、「これはアブラハムの子、イサクの歴史(経緯)である」という定型句が記され、ここからイサクの子のヤコブの物語りが始まると言えます。ヤコブの誕生もイサクの場合と同じように神の一方的な恵みでした。リベカも「不妊の女」でした。それで「イサクは自分の妻のために(ヤハウェ) に祈ったと記されます (25:21)。イサクはアブラハムの痛みと同時に、それに対する対処も受け継いでいるのです。

その結果、リベカは双子をみごもりますが、胎の中にいる時から二人は争っているので、リベカは (ヤハウェ) のみこころ」を求めますが、主は二つの国があなたの胎内にあり……兄が弟に仕える」と答えられます (25:22、23)。後にパウロは、「その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行なわないうちに、選びによる神のご計画が、行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、『兄は弟に仕える』と彼女に告げられました……これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです」(ローマ9:11、12、16)と記します。私たちの平安も、神の一方的なあわれみと選びを受け止めることから生まれます。私たちは、自分の信仰の不足を測ったり卑下する代わりに、神の選びを感謝すべきです。

なお、リベカはこれをどれだけ真剣に受け止め、夫のイサクに分かち合ったかは不明です。それがなされていたなら、後の悲劇は避けられたはずです。とにかく、ヤコブはエサウのかかと (アケブ) をつかんで生まれます (25:26)。そこにヤコブが長子でありたかったという願いが込められていたと思われます。なお、「かかと」のヘブル語はアケブで、ヤコブという名には、「かかとをつかむ」という意味が明らかにあります。またそこには27章36節でエサウが解釈しているように「押しのける、騙す」という意味があったとも考えられますが、両親がそのような意味で名をつけるとも思われませんから、ヤコブ・エルの短縮形としての「神が守ってくださいますように」という意味が込められていたという解釈がユダヤ人の学者の中にあります。

なお、この双子の誕生は結婚二十年後でした (25:20、26)。本来なら両親は、夫婦のコミュニケーションを築き上げているはずでしたが、実際はそうはなりませんでした。双子の性格は、「エサウは巧みな狩人、野の人であったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた」(25:27) と対照的でしたが、その関係に、何と、イサクはエサウを愛していた。猟の獲物を好んでいたからである。しかし、リベカはヤコブを愛していた」(25:28) という記述が加わっています。これこそ子育ての失敗の原型とはいえないでしょうか。

このような双子の間に、争いが生まれるのは必然です。あるときエサウが疲れきって野から帰ると、「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を食べさせてくれ」(25:30) と、ヤコブが煮ている「レンズ豆の煮物」を懇願しました。「赤い」のヘブル語は「アドム」で、そこからエサウが「エドム」と呼ばれます。それに対しヤコブは、長子の権利を売ってください」と言って、誓約まで求めます (25:31-33)。エサウはそれに応じ、その結論が、「こうしてエサウは長子の権利を侮った」(25:34) と記されます。ヘブル書の著者は彼を、「一杯の食物と引き替えに……長子の権利を売ったエサウのように淫らな者、俗悪な者」と描きます (12:16)。

ただ、これは、エサウの弱みにつけこんで長子の権利を騙し取ろうというヤコブの狡猾さの物語でもあり、アダムとエバが自分を神として、互いの裸を恥じるようになった結果として、その子のカインがアベルを殺すという原初の家族のパターンの繰り返しを見ることができます。父と母が互いのありのままの姿を喜ぶことができなくなった結果は、子供の間にはさらに増幅された憎しみとして現れるというのです。

3.エサウはヒッタイト人の妻二人をめとり、リベカはヤコブと共謀しイサクをだます

26章はイサク独自の物語が唯一記されている箇所ですが、これは25章と27章に描かれたヤコブとエサウの長子の権利を巡る争いの物語に挟まれています。そこにイサクの人柄の長所と欠点が浮かび上がります。まず、イサクもアブラハムのような飢饉に会いますが、ここで主 (ヤハウエ) はアブラハムが飢饉を避けてエジプトに下った例に倣うことがないようにとイサクに現われ、「エジプトへは下ってはならない……この地に寄留しなさい……わたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす」と約束されます (2、3節)。

ところがイサクはペリシテ人の地ゲラルに住む際に、アブラハムと同じ間違いを犯し、美しいリベカを「私の妹です」と紹介します。子は無意識に父に倣うという例です。アビメレクはアブラハムとのことで全能の神がイサクの側におられることを学習していましたので、リベカがイサクの妻であることが分かったとき、「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される」という命令を下し、彼らを保護します (26:6-11)。

その上で、「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。(ヤハウェ) が彼を祝福された」(26:12) という、祝福の継承を見ることができます。ところがペリシテ人はその繁栄をねたんで、アブラハムの時代に掘られ、イサクに受け継がれていた井戸をふさぎ、その地から追い出そうとします。しかし、「イサクはそこを去り、ゲラルの谷間に……住んだ」(26:17) とあるように争いを避けます。その後二度にわたって井戸の権利を侵害されても、争いを避けて移動を続け、三度目に掘った井戸でようやく平安を得ます。その際、イサクは、「今や、主 (ヤハウェ) は私たちに広い所を与え」(26:22) と感謝の祈りを献げます。そして主は、このような姿勢を喜ばれ、「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだと言われ、アブラハム契約を更新してくださり、イサクも父の信仰に倣い「そこに祭壇を築き、主 (ヤハウェ) の御名を呼び求めた」と描かれます (26:24、25)。その後、アブラハムの時と同じようにペリシテの王の側から、「私たちは、主 (ヤハウェ) があなたとともにおられることを、確かに見ました」(26:28) と言いつつ、平和条約の締結を願います。そして、イサクはアブラハムと同様にベエル・シェバで平安を得ます。

ところが、イサクが愛したエサウは、同じ四十歳になると、偶像礼拝に満ちたヒッタイト人の妻を二人も迎えます。これはアブラハムがイサクのために同じ信仰の妻を選ぶことを最大の課題としたのと対照的で、彼女たちは「イサクとリベカにとって悩みの種」となります (26:34、35)。しかも、イサクは年老いたとき、エサウに祝福を受け継がせる前に、ご馳走を食べさせて欲しいと願い、野に猟に行かせます。それを聞いたリベカは、次男ヤコブに計略を授け、長子の祝福を横取りさせます。何と、母と次男が共謀して、父を騙し、長男を出し抜くのです。この悲劇は、イサクとリベカに親密な対話が欠けていたからです。リベカは、神がヤコブを選んでいることを聞いたのですが、イサクはエサウを祝福することしか考えていません。それは、彼がエサウの猟の獲物を好んだからでした。リベカも自分の好みで穏やかなヤコブを愛したのでしょう。

イサクは、従順で平和を愛していた一方、対決を避けて「自分の平安」を守ろうとしたのではないでしょうか。環境に適応することは上手でも、道を開く決断力が乏しいのかも知れません。しばしば、平和を愛するという名のもとに、必要な対決を避け、争いを激化させる人がいます。リベカは自立した、献身の思いが明確な妻でしたが、夫を尊敬してはいません。/span>リベカはイサクにとって、母亡き後の慰めにはなっても、真の意味で、一体の者とはなることはできませんでした。そこからエサウとヤコブの争いが始まります。

イサクもリベカも神を信頼していましたが、「父と母を離れ……ふたりは一体となる」(創世記2:24) ということにおいて失敗しました。これは立派な二人が結婚したら立派な家庭ができるという誤解を正す最高の事例です。夫婦関係がうまく行かないとき、その責任をどちらかに求めがちですが、アダムとエバ以来、何よりも病んでいるのは「関係」なのです。それこそ罪の結果でした。私たちもその原点に立ち返る必要があります。しかし、神のご計画は人間の罪によって無に帰することはありませんでした。ご計画は人の罪のただ中でも進められました。神は機能不全家族を用いて、神の民を創造してくださったという真理を何よりも覚えるべきです。ですから、どんな家族関係にも希望を見出すことができます。同時に、理屈どおりに家族は成長しないので、だれも自分の正しさや信仰を誇ることはできないという現実も覚えるべきです。

それにしても不本意な形とはいえ、アブラハムの祝福は、イサクからヤコブへと継承されます。それは、主の一方的なあわれみと選びの計画によるものでした。ただ、その祝福が人生に現れるためには、信仰による応答が必要でした。アブラハムはその妻サラを葬ることで、約束の地への信仰を子孫に受け継がせました。またイサクの嫁捜しを、しもべに委ねながら、信仰の継承への道を開きました。そして、イサクとリベカにおいても、主のみこころへの従順と祈りの生活は受け継がれました。すべては主の一方的な恵みではあっても、それを受け継ぐには私たちの信仰の応答が必要です。イサクとリベカのようなコミュニケーションの問題があったとしても、信仰が受け継がれるなら、主ご自身による修正が可能になります。しかし、主に従い、祈るという習慣の継承がなければ、主のみこころが現わされる道が閉ざされるのです。