ウィルス蔓延のピーク〜詩篇105篇

新型コロナウィルスの蔓延がピークを過ぎているという政府の新型コロナ対策分科会の報告がありました。沖縄の悲惨な状況などを聞くと、「見方が甘すぎはしないか……」と思う方も多いことと思われます。

以前も紹介しましたが下記の東洋経済オンラインが出しているグラフを見ると、確かにピークが過ぎたように見えます。また特に「一人の感染者が平均、何人に感染させるか」という「実効再生産数」のグラフを見ると、東京においては7月初旬から減少傾向が継続しています。全国レベルでは最近数日間の上昇が気になりますが、低下傾向のトレンドであることは間違いないと思われます。


東洋経済オンライン

この外出自粛ムードや恐怖感の蔓延によって、いろんなところにひずみが生まれています。昨年までは当たり前だったことができないことは、人々に様々な精神的な葛藤を生み出しています。よくよく聞くと、そのような事例がたくさんあります。

人々の痛みを聞くというアンテナを巡らしていると、新型コロナの副産物としての痛みが本当に多く聞こえてきます。新型コロナ蔓延のニュースの陰に隠されていた様々な問題がこれからどんどん顕在化してくると思われます。まだ、あまり具体的には書けませんが……

そのような中で私たちクリスチャンは人それぞれの悩みに耳を傾け、その痛みに共感し、ともに祈ってゆくというミニストリーがあると思われます。

僕自身も新型コロナ蔓延が始まった3月から休みをとれない時期が続きました。来週は久しぶりに休暇を取らせていただきますが、静まりの必要を覚えさせられております。

幸い、休暇明けには、「恐怖からの解放者イエスーヘブル人への手紙の私訳と解説」「職場と信仰―“不当な要求”を受けた時」の二冊が、いのちのことば社さんから発行される予定です。

これをもって新しい交わりが広がることを願っています。


以下に詩篇105篇の解説をさせていただきます。問題のただなかにいるときに見過ごされがちなことに心の目を向けるための祈りの導きです。

詩篇105篇7-17、24-26、42節「契約を守られる神」

この詩篇では、一人のアブラハムから神の民を創造し、その子孫をエジプトでの奴隷状態から解放し、約束の地に導かれた、主 (ヤハウェ) のみわざが歌われています。

7節では「この方こそ 私たちの神 主 (ヤハウェ) そのさばきは全地にわたる」と告白されますが、主は全世界を治める(さばく)方ではありますが、旧約ではあくまでもアブラハムの子孫であるイスラエルにとっての神として描かれているということを忘れてはなりません。自分をアブラハムの子孫の立場に置いて読まなければ、聖書の話は心に落ちません。

8、9節では、「主はご自分の契約を とこしえに覚えておられる……それはアブラハムと結んだ契約」と記され、その後、主のみわざが具体的に思い起こされた上で、42節では再び、「これらのことは 主がそのしもべアブラハムへの聖なることばを 覚えておられたからである」と描かれています。これこそ、聖書のストーリーの核心です。

それは、創世記12章2、3節の「あなたを大いなる国民とする……地のすべての部族は、あなたによって祝福される」という約束であり、同15章5、18節にあったアブラハムの子孫が天の星のように数えられないほどに増えるという約束、また、「エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで」の約束の地を与えるという契約です。そして旧約の前半部分にはアブラハムの子孫に約束の地が与えられたという物語が描かれ、新約においては、地のすべての部族がアブラハムによって祝福されるという物語が描かれています。

私は最初、主がアブラハムと結んだ「契約」という観点から聖書を読むことができていなかったため、旧約での残酷な物語や、救いが選びによるという教理にも違和感を覚えました。しかし、この観点から全体を読み出すとすべてに一貫性が見えてきました。

12-15節では、たとえば、アブラハム一族が約束のカナンの地に入りながら、飢饉のためにエジプトに「渡り歩いた」物語が示唆されます。彼は妻のサライを妹だと偽ることで自分の身の安全を保とうとしました。エジプトの「王」は彼女を妻の一人として召し入れましたが、神が王を「戒め」、王は多くの贈り物とともにアブラハムを約束の地に送り出すはめになりました。王からしたら不条理極まりない話ですが、これは神が、アブラハムの不真実にも関わらす、契約を守り通したという神の真実の物語になります。

16-23節ではイスラエルの民が「飢饉」のために避難する過程が描かれます。興味深いことに、「主は一人の人を彼らに先駆けて送られた」(17節) と記されます。それは「ヨセフが奴隷として売られた」ことを指します。兄弟たちから憎まれ、奴隷に売られることなど、あってはならない悲劇です。しかし、主は彼をエジプトの支配者へと引き上げました。

後にヨセフは兄弟たちに、「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました」(創世記50:20) と、兄たちを安心させ、優しく語りかけました。そこにアブラハムへの契約の成就の始まりを見たからです。

24-38節はイスラエルがエジプトから解放される過程が描かれます。その前提で、「主は人々の心を変えて ご自分の民を憎ませ……悪賢く扱うようにされた」(25節) と記されます。ここでも、人々の不真実を通して、契約に対する神の真実が描かれます。

祈り

主よ、あなたの使徒パウロは、「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである」(Ⅱテモテ2:13) と記していることを感謝します。聖書全体を通して、ご自身の契約に対するあなたの真実を見させてください。