2017年5月14日
「真の王」とは、どのような存在でしょうか。自分の王権を主張して、人を従わせる人でしょうか。かつてモーセはイスラエルの民が金の子牛を作って拝んだ時、自分の名をいのちの書から消し去っても良いから、その代わりに彼らの罪を赦してほしいと願いました(出エジ32:32)。
昭和天皇が終戦直後マッカーサー元帥を訪ね、「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする……この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」と願ったと言われる話があります。
誰もこの真偽を確認はできませんが、多くの国民が、「あの方なら、そのように言われても不思議はない」と思っています。天皇制について議論はしませんが、日本人が理想とする「真の王」の姿に、そのようなイメージがあることは感謝なことです。
日本国憲法で、「天皇は……日本国民統合の象徴」であると記されています。そして現在の天皇は、ご自身の退位を示唆するに当たった、「被災地訪問等の、象徴としての務めを果たすことが困難に至る事態」について言及されました。一方、天皇の神道的な大祭司として務めを重んじる人々は、象徴としての働きよりも、存在自体に意味があると強調します。
聖書が描く「真の王」の姿こそ、その国民全体のために自分の身を犠牲にする姿です。しかし、多くの人々は、それ以前に、指導者の問題解決能力を求めます。それは最近の各国での民族主義的な指導者が、「一部の悪い金持ちをやっつけたら、問題が解決する」と断言して人気を得ることに似ています。
イスラエルの民がサムエルに「私たちをさばく(治める)王を与えてください」と願った際の王の働きとは、「私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれる」という軍事指導者でした(Ⅰサムエル8:6,20)。イエスの時代の人々が描く「ユダヤ人の王」としての姿も、ローマ帝国の圧政から自分たちを解放してくれる軍事指導者でした。
しかし、イエスが指し示した王の姿とは、民の犠牲になることで、人々を力と力の対決の悪循環から救い出すことでした。
イエスは日本の天皇とは違い、全世界の創造主、全能の神であられましたが、反対勢力を吹き飛ばして物事を推し進める代わりに、人々の苦難に寄り添い、心の中に愛の種を蒔き、愛する心を芽生えさせ、ご自身の愛の国を広げる働きの中に私たちを参画させてくださる方です。
1.「見よ。この人を」(エッケ・ホモ)
ピラトは、イエスが「ユダヤ人の王」であるかどうかを確かめながら、同時に、イエスは決してローマ帝国に反旗を翻す軍事指導者ではなく、ローマ法の基準で死刑にはできないことを理解しました。それが、「私は、あの人には(有罪とする)理由を一つも見いだしません」(18:38私訳)ということばです。これは19章4,6節でも繰り返されます。それにも関わらず、なぜイエスは十字架刑を宣告されたのでしょう?
ピラトは、そこでことばを終えればよかったのですが、自分の権威をひけらかすように、「過越の祭りに、私はあなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、……ユダヤ人の王を釈放しましょうか」と言いながら、イエスを恩赦にするという妥協案を提示します。イエスを無罪とすることも、不当な裁判で死刑にすることも回避できるからです。
しかし、ユダヤ人たちは納得せず、「この人ではない。バラバだ」と言って、ローマ法で死刑がふさわしい強盗バラバを釈放するように叫びました。
ピラトはイエスに、「真理とは何か」(18:38)と尋ねながら、真理に真っ向からそむく判決を下さざるを得なくなります。それにしても彼は無自覚にも「過越の祭り」ということばを使いながら、当初の思惑に反して、本来死刑にふさわしいバラバを釈放することになってしまいました。
そしてイエスは、ローマ法から言えば、バラバがつくべき十字架にかかります。しかし、そこに不思議な神のみこころが現されました。
その後のことが、「そこで、ピラトはイエスを捕らえて、むち打ちにした」(19:1)と余りにも簡潔に記されます。この理由は明白には記されませんが、ピラトはユダヤ人を満足させるため、イエスを苦しめ、辱めた上で、イエスがローマ帝国にとって脅威にもならない、無力な人間であることを人々に分からせようとしたのだと思われます。
当時の鞭には先に鋲がつき、皮膚が破れ背骨が顕にされるほどの威力があり、それによって死ぬ人もいたほどです。ところがこの福音書では、イエスが「ユダヤ人の王」として嘲りを受けた様子ばかりに焦点が当てられます。
ローマ皇帝は月桂樹の冠をかぶりましたが、ローマの「兵士たちは」、それに似た「いばら」で「冠」を編んで、かぶせました。これは嘲りと肉体的痛みの両方を与えるためです。主の頭から血がしたたり落ちたことでしょう。「紫色」は、高貴な人だけの着物でしたが、彼らは古びたマントを見つけ出して着せ(2節)、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と言いながら「イエスの顔を平手で打った」のです(3節)。
彼らはイエスがつい五日前、大勢の群集の歓呼を受けてエルサレムに入城したこと、また、ユダヤを救う王として期待を集めていたことを知っていました。日ごろからユダヤ人たちのテロ活動に悩まされていた彼らは、鬱積した不満の故に、本気でイエスをユダヤ人の王と見たてて、嘲ったとも言えます。
イエスは、黙々とそれに身を任せていました。主の心には、イザヤの預言が響いていたのではないでしょうか。そこには、「神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった……」(50:5-8)と記されています。
イエスは父なる神によって「耳を開かれた」者として、この孤独の中で、神の励ましの声を心で聞いていたと思われます。イエスが神から受けていた使命は、ローマの兵士と戦う代わりに、その侮辱に身を任せることでした。それこそ、真の「ユダヤ人の王」としての姿でした。
その後のことが、「ピラトは、もう一度外に出て来て」、「見なさい。私は彼をお前たちの前に引き出す。そうすれば、私が彼に(有罪とする)理由を見出さないということが分かるだろう」と言います(19:4私訳)。ピラトは、イエスの惨めな姿を見せることで、イエスがローマ帝国に立てつく反逆者でないことを分からせようとしたのです。
そのように言った後、彼はユダヤ人たちの前にイエスをさらしました。それは鞭打たれて消耗し、いばらの冠で血を流し、古びた紫色の衣を着た惨めな姿でした。
そして、「見なさい。この人を」(5節別訳)と言いました。これは、ラテン語では「エッケ・ホモ」と訳され、絵画や音楽のテーマとなってきました。「この人を見よ」と繰り返される讃美歌121番もその一つです。
私たちは、このイエスの姿に、人となられた神、真の王の威厳を見るように招かれています。それを思い起こすたびに、生き方が変わります。
この福音書の1章10、11節では、「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」と記されていましたが、まさにその通りでした。
イエスは真の「神のかたち」としての姿を示してくださいました。それは、目に見えない神を、目に見えるイメージとして現す存在です。
イエスこそは私たちに神の真の姿を見させてくださいました。それは、この世界で人々が互いに傷つけ合い、滅ぼし合っている様子を上から見下ろして、さばきを下す頃合いを見定める代わりに、人々の葛藤や苦しみをともに味わう姿でした。
そのことが14節で、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」と記されていました。人は、自分の都合を優先して生きています。しかし、国民のために自分を投げ出すことができる者こそ「真の王」でした。
2.「イエスは彼に何の答えもされなかった」
ユダヤ人は、イエスの惨めな姿を見ると、ピラトの期待とは反対に、「十字架につけろ!」と激しく叫びました(6節)。それをリードしたのは祭司長たちでしたが、それに群集もすぐに同調します。
彼らはこの五日前には、イエスのエルサレム入城を、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に」(12:13)と、大声で叫んで喜び迎えたのでした。
彼らは力強い「王」としての軍事的な「救い主」を、勝手に待ち望んでいただけなのですが、このときのイエスの姿は、彼らの期待を裏切った敗北者としか見られませんでした。人は、ときに自分の期待を裏切ったと思われる人に、恐ろしいほどに残酷になります。
それでピラトは、ユダヤ人たちが自分たちの手を汚さずに、自分に泥をかぶらせようとしているのを見て、「お前たち自身で彼を引き取り、十字架につけろ。私は彼に(有罪にする)理由を見出さないから」と言います(6節私訳)。
すると彼らは、「私たちには律法があります。そして、律法によれば彼は死に当たります。彼は自分を神の子としたのですから」(私訳)と答えます。彼らは「律法」という言葉を繰り返し、死刑の正当性を主張しますが、同時に、イエスは自分を「神の子」としたということで、ピラトを脅します。
なぜなら、当時、ローマ皇帝こそが自分を「神の子」と称し、それをコインにも刻んでいたからです。ユダヤ人は、イエスの言動は彼らの律法に反するばかりか、ローマ皇帝にも反抗しているものだと訴えたのです。
「ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた」(8節)というのは当然です。彼は、あずかり知らない宗教論議に巻き込まれ、「神の子」と呼ばれる人を十字架刑にするよう迫られています。
彼はイエスの瞳に見つめられて、この方を自分の手で十字架刑にすることを避けたいと、必死に願っていたことでしょう。
しかし、ピラトはその思いを殺し、裁判官としての姿をアピールするように、「あなたはどこの人ですか」と決まりきった尋問を始めます(9節)。
イエスは少し前に、ピラトに対して「真理」(真実)にかなった行動を取るようにと優しく問いかけ、彼が自分の心の闇に向き合うようにと導いておられました。イエスこそが真実の裁判官でした。しかし、ピラトはその愛の語りかけを振り払うように、闇に向かって動き出します。
その上、ピラトは、「イエスが何の答えもされなかった」ことを、自分への侮辱ととらえたのか、自分の「権威」をひけらかしながら、「私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを知らないのか」と問います(10節)。
彼はイエスに、自分の無罪を弁明し命乞いをする姿を期待していたのでしょう。しかし、イエスは嘲りに身を任しても、真の王としての権威を保っておられ、ローマ総督の権威の前にひざまづくことはなさいませんでした。
それは、同時に、真の権威を持つ方を知り、その方の前にへりくだり、信頼しているしるしでした。イエスはこの時、ご自身の心の中で、「彼は苦しんだが、口を開かない……毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」(イザヤ53:7)という預言を味わい、それをご自身が、「主(ヤハウェ)のしもべ」として成就していることを意識していたのではないでしょうか。
ただし、イエスは自分を守るためには無言でも、ピラトのことを思って一転して口を開かれ、「あなたは、わたしに対して何の権威も持っていません。もし、それが上から与えられているのでなければ……。それゆえ、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きな罪がある」と言われました(11節私訳)。
このことばは、ピラトに真に恐れるべき方を指し示すと同時に、ユダヤ人の罪に彼が捲き込まれていることを警告したものです。これによって、一体だれが神の御前でさばきの危機にさらされているかが明らかになります。
3.「見よ。あなたがたの王を。」
ピラトはイエスの聖なる威厳に圧倒されて釈放しようと努力しましたが、ユダヤ人たちは、「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべてカイザルに背くのです」(12節)と脅しました。
これはピラトが最も恐れたことです。ユダヤ人の宗教指導者には、ピラトがどのような政治を行っているかを、ローマ皇帝に報告する道が開かれていたからです。
彼には、正義よりも自分の身の安全を守ることが先決になりました。なぜなら、そのような現地の人々の訴えで、皇帝から毒杯を飲むように命じられた総督は、帝国内にいくらでもいたからです。彼はこのことばに敗北しました。
イエスはピラトに「真の権威」を恐れるようにと忠告したのですが、ピラトにはローマ皇帝という権威しか見えていませんでした。彼がこのときローマ皇帝よりも恐ろしい方を知っていたとしたら、次の行動はとらなかったでしょう。とにかくピラトは、威厳を繕い、公式な裁判の席につき判決を下そうとします。
そして、この日時がここで、「その日は過越の備え日で、時は第六時頃であった」と記されます。これは現在の正午ごろを指します(4:6参照)。
ここに「過越」ということばが再度、敢えて記されるのは、イエスがご自身を「過越のいけにえ」としての、「神の小羊」(1:36)とされることが明らかにされるためです。
そこでピラトはユダヤ人たちに、「見よ(さあ)。あなたがたの王を」と言います(14節別訳)。彼が、「見よ」と言ったのは三度目です(4節では「よく聞きなさい」(または「さあ」),5節では「さあ」と訳されている)。
その時、ユダヤ人たちは、「除け。除け。十字架につけろ」と叫びました(15節)。ピラトは、「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか」と再確認します。それは彼が、ローマ帝国に反抗する「ユダヤ人の王」を十字架にかけたという裁判記録を残したかったからでしょう。
しかし、これは同時に、「主(ヤハウェ)は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」(イザヤ53:6)という預言の成就でもありました。イエスはこの時、真の意味での「ユダヤ人の王」として、彼らの咎をその身に負われました。そしてそれは同時に、全人類の創造主、全世界の王として、私たちの咎をもその身に負われたことを意味しました。
過越の小羊の血が、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から救い出すために用いられたのと同じように、神の御子イエスの血は、私たちを、「悪魔という、死の力を持つ者」の支配、死の恐怖の奴隷状態から解放したのです(ヘブル2:14)。
イエスの十字架刑の判決の理由を、マタイは、「ピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て……『この人の血について、私には責任がない』と言って……十字架につけるために引き渡した」と描きます(27:24-26)。
マルコは、「ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスを……十字架につけるようにと引き渡した」(15:15)と描きます。
ルカは、ピラトが「あの人には、死に当たる罪は何も見つかりません。だから私は懲らしめたうえで釈放します」と言ったことに対し、ユダヤ人たちが「十字架につけるように大声で要求し……ついにその声が勝った……」(23:22、23)と記しています。三つの福音書ともピラトが十字架刑を宣告した理由が、法律的には明確にはされていません。
しかし、この福音書では、イエスがあくまでも「ユダヤ人の王」という「反乱者としての罪名」の故に十字架刑に処せられたと記録されます。それは当時の人々にとっての「王」の理解に従えば死刑の理由になり得ます。
ただしピラトは同時に、イエスがご自身を「ユダヤ人の王」として認めるのは別の意味であると理解し、この罪名が死刑の「理由にならない」と三度も明言していたのです。彼は、この罪名を明記することで、自分がユダヤ人の言いなりになったわけではないと示すと同時に、自分の偽善をも顕にしました。
イエスの心にはイザヤの預言が響いていたことでしょう。それは、「見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる」(52:13)ということばから始まり、「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うように見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった……彼は私たちのそむきのため刺し通され、私たちの咎のために砕かれた」(53:2,3、5)と続きます。
そこには、すべての民の咎の責任を引き受け、苦しみを通して高くされる者としての、真の王の姿が描かれています。
ピラトが皮肉を込めて、「あなたがたの王を私が十字架にかけるのですか」と問いかけたことに対し、祭司長たちはそれを受け入れることが民族的な屈辱と思ったのか、その反動で、「カイザルのほかには、私たちに王はありません」(15節)と言ってしまいました。
これは、「主(ヤハウェ)は王である」(詩篇99:1)という自分たちの告白を否定する暴言です。しかし、これは心の底にある告白でもありました。カイザルを王として認めるとは、この世の力の原理に自分の心をささげるという意味です。
彼らが十字架刑を急いだのは、民衆の心がイエスになびいて、反ローマ革命運動が起こると心配したからです(11:48)。彼らは、身の安全や政治的な立場を守ることで心を一杯にしていたため、イエスの真の姿を見ることができませんでした。
これから約40年後、ユダヤ人たちはローマ皇帝を王と告白することをやめて、武力に頼ってローマ帝国に反旗を翻し、エルサレムは廃墟とされました。皇帝への服従も反抗も、目に見えない神を王とする代わりに、力の原理に頼るという意味で、根は同じです。
この世の政治でも、権力者は刑罰の脅しという公権力を用いて自分たちの意志を全うしようとすることがありますが、同時に、それに対して反抗する人々も、ときに権力者に罵詈雑言を浴びせたり、その人格を否定するためのあらゆる手段を使おうとしますが、それもここに記されたユダヤ人と同じ言葉の暴力に過ぎません。
当時のユダヤ人たちは、真の王を退けることで、自分たちの身にさばきを招き、その苦しみは今に至るまで続いています。しかし、「イエスは私の王です」と告白する者は、その生まれに関わりなく、イエスと同じ「神の子」の立場が与えられます。
今も、神は、「あなたの王はだれですか?」と問うておられます。そして、私たちもイエスとこの世界を共同統治する王として、この世の苦しみを引き受け、この世界に神の平和を広げるという責任を与えられているのです。