Ⅱ歴代誌1〜4章「あらゆる民の祈りの家となるべき神殿建設」

2020年1月19日

私たちは何のために、三千年前のエルサレム神殿のことを学ぶ必要があるのでしょう。モーセが建てた幕屋も、ソロモンが建てた神殿も、「天にあるものの写しと影」(ヘブル8:5) であると記されていますが、私たちは「本物の模型」(同9:24) を知って初めて天の本物を思い浮かべることができます。

黙示録では困難に満ちた世界で生きる信仰者に、天の神殿での礼拝を垣間見させることで、彼らに慰めと希望を与えています。そこでは、「別の御使いが来て、金の香炉を持って祭壇のそばに立った。するとたくさんの(こう)が彼に与えられた。すべての聖徒たちの祈りに添えて、御座の前にある金の祭壇に献げるためであった。香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った」(8:3、4) と記されていますが、今回の箇所でもソロモンは神殿建設に際し、「私は……ただ主の前に香をたく者にすぎません」(2:6) と述べています。

香は聖徒たちの祈り」(黙示5:8) であり、神殿は「あらゆる民の祈りの家」(マルコ11:17) でした。

私たちの教会堂も「あらゆる民の祈りの家」です。私たちの周りには様々な祈りの課題があり、どんなことを祈っても良いのですが、その最終目的は全世界が神の平和 (シャーロム) に満たされることにあります。

1.「主 (ヤハウェ) の民を治めるための知恵と知識を願ったソロモン」

1章1節の「ダビデの子ソロモンは王権を確立した」という中には、列王記第一の1、2章のことが示唆されています。そこではソロモンの兄であったアドニアがダビデの後継者になることを願い、ヨアブもそれを応援して二人がほぼ同時に排除されたことなどが記されていました。

ヨアブが自滅したことは、政権の安定にとって大きな意味を持ちますが、ここでは簡単に、「(ソロモン)の神、主 (ヤハウェ) がともにおられ、彼を並外れて偉大な者とされた」と描かれているだけです。それは神殿建設に焦点を当てるためです。

2-6節ではソロモンが全イスラエルの族長とともに、エルサレムの北北西10㎞ぐらいの町ギブオンに行って、「千匹の全焼のささげ物を献げた」ことが描かれます。

そこには会見の天幕と、主ご自身がユダ部族の「ベツァルエル」に造らせた「青銅の祭壇があった」と敢えて記されています (出31:2参照)。Ⅰ列王記3章2節では、「当時はまだ、主 (ヤハウェ) の御名のために家が建てられていなかったので、民はただ、高き所でいけにえをささげた……ギブオンが最も重要な高き所であったからである」と否定的なニュアンスが示唆されますが、ここではその祭壇は主が指名して造らせたと思い起こさせるように描かれています。

その夜、何と神ご自身がソロモンに現れ、「あなたに何を与えようか。願え」と言われます。そこで彼は、主 (ヤハウェ) ご自身がダビデと結ばれた契約に立ち返りますが、そこで「今、知恵と知識を私に授けてください」と願い、その理由を「この大いなるあなたの民をさばくことができる」ためと述べます。彼はイスラエルを「主の民」と呼びましたが、そこには自分がダビデ契約の後継者であるとの自覚がありました。

それに対して神は彼に、「富も、財も、名誉も、(自分を憎む者たちのいのちを願うという意味での)復讐も、長寿も願わず神が彼を王として立てたという使命を全うすることを願ったことを喜ばれました。古来、権力者は、自分を王に立てた神を忘れ、自分の富、財、名誉、復讐、長寿ばかりを願うことが多かったことが逆に示唆されます。私たちにとっても富、名誉、長寿は大切ですが、それを何のために求めるかが問われます。

それに対し主は、ソロモンが願った「知恵と知識」に加え、「あなたの前の王にも後の王にもないほどの富と財宝と誉れを……与える」と言われます。

つまり、ソロモンの栄華と言われる繁栄は、彼が神から委ねられた民を、神のご意志にしたがって治めることを第一の使命としたことへの報酬であったのです。

1章14節で「ソロモンは戦車1、400台と騎兵12、000人を所有した」と記され、その馬はエジプトとクエから輸入されたと描かれます (16節)。クエとはトルコ南東部のキリキア地方を指し、そのすぐ北のカッパドキアの名には「美しい馬の地」という意味がありますから、そこは当時、名馬の産地であったのでしょう。

興味深いのは、エジプトから輸入された戦車や馬がヒッタイト人のすべての王やアラムの王たちに再輸出されていたということです (17節)。ここに記された価格は当時の相場よりも高い水準であったという研究もあります。それはソロモンが財力を生かして、世界最高水準のものを買い入れ、当時は弱小国に落ちまとまりを欠いていたヒッタイトアラムの王たちにさらに輸出していたということです。これは当時の軍事バランスを作り出すために財力を生かしたという意味だと思われます。

16節では王の財力が、「エルサレムで金や銀を石のように用い」、高価な「杉の木」を安っぽい木と同じように「大量に用いた」と描かれます。

2.「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」

2章1節では、「ソロモンは、主 (ヤハウェ) の御名のための宮と自分の王国のための宮殿を建てることを命じた」と記されます。これは、Ⅰ列王記6章から7章にかけて、ソロモンは神殿以上に自分の宮殿を建てることに力を注いだかのように受け止められかねない記述があったこと(神殿建設に7年、宮殿建設に13年という対比が描かれている)の誤解を正すという意味もあったのかもしれません。

建物の大きさや建設の年限で比較はできません。歴代誌は神殿建設の準備をしたのはダビデであるということを強調しています。ソロモンは神殿と宮殿の建設を一連の工事と考えたのでしょうが、その中心はあくまでも神殿建設です。

2節ではソロモンがそろえた労務者の数が記されますが、その直後の3-10節はツロの王ヒラムへの手紙の内容が記されます。ツロは地中海貿易で栄えた都市国家ですが、その東に広がるレバノンの森林地帯の支配者でもありました。

Ⅰ歴代14章1節では、イエスラエルにおけるダビデの王権が安定したのを知ったツロの王ヒラムはすぐに「ダビデの王宮を建てるため、ダビデのもとに使者と、杉材、石工、木工を送った」と記されています。ヒラムはダビデとの交易が互いの繁栄につながると判断したのでしょう。

そしてソロモンは今、神殿建設に際し、熟練工と木材の提供を求めます。その際4-6節において何よりも強調されるのは、主 (ヤハウェ) の宮でどのような礼拝が献げられるかということです。

第一に、「御前に香りの高い香をたく」こと、第二に「常にパンを供え」ること、第三に「全焼のささげ物を献げる」ことです。全焼のささげ物に関しては、「朝ごと夕ごと、安息日と新月の祭り、主 (ヤハウェ) の例祭に」と、その驚くべき頻度が強調されます。

その上で、「私が建てる宮は偉大なものだ、私たちの神がすべての神々にまさって偉大であるからだ」と記されます (5節私訳)。つまり神殿の偉大(壮大)さが、主 (ヤハウェ) の偉大さを現わすものであると言っているのです。

ただ同時に、「天も、天の天も主をお入れすることはできない」と説明しながら、「私は、ただ主の前に香をたく者にすぎません」と自分を紹介します (6節)。つまり、ソロモンは自分の働きとしての「香をたく」ことを何よりも強調しているのですが、それは詩篇141:2でのダビデのことばとして、「私の祈りが 御前の香として 手をあげる祈りが 夕べのささげ物として 立ち上りますように」と記されているように、イスラエルの代表者として、主 (ヤハウェ) の前に祈ることを王としての最大の使命と理解していることを現します。それが6章では、イスラエルの全ての歴史を包括する壮大な祈りへとつながります。

ソロモンはヒラムへの代価として「小麦二万コル (460万ℓ)、大麦二万コル、ぶどう酒二万バテ (46万ℓ)、油二万バテを提供します」と提案します (2:6)。

Ⅰ列王5章11節では、「ソロモンはヒラムに、その一族の食料として……」記され、これは都市国家ツロが、食料供給の基本を貿易に頼っていたことを意味します。

ヒラムは、「天と地を造られたイスラエルの神、主 (ヤハウェ) がほめたたえられますように」(12節) と自分自身も主 (ヤハウェ) を信じる者であるかのように告白しながら、主の宮と宮殿建設のために協力することを約束し、「判断力に恵まれた熟練工、職人の長フラムを遣わします」(13節) と約束します。

彼の名はⅠ列王記7章13、14節ではヒラムで、そこではナフタリ部族のやもめの子と記され、ここでは「ダンの子孫の女を母とし」(14節) と描かれますが、「ツロの人を父として」いるという点は同じです。歴代誌と列王記ではこのような呼び名の違いやその部族名の違いは頻繁に起きることで、気にする必要もないことと思われます。

15、16節では、ヒラムがまず食料を「しもべどもにお送りください」と丁重に言いながら、それを確認した上で初めて、「私たちの方では、お入り用なだけレバノンから木材を切り、これをいかだに組んで、海路ヤッフェまであなたのもとにお届けします。あなたがそれをエルサレムに運び入れてください」と言っているように解釈できます。

ここにクールなビジネスマンの姿を垣間見ることができるのかもしれません。

17、18節では再び工事労務者の数が「荷を担ぐ者七万人、石を切り出す者七万人、工事指揮者三千六百人」と記されますが、その合計は、「イスラエルの地にいる寄留者全員の人数」と同じでした。

ソロモンはツロの王ヒラムの協力を仰ぎながら、厳しい工事には在留異国人を用いました。Ⅰ列王記9章21、22節では「イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した……しかし……イスラエル人を奴隷にはしなかった。彼らは戦士であり彼の家来であり、隊長であり」と記されます。

それに至る事情はどうあれ、外国人もイスラエルの神、主 (ヤハウェ) の宮の建設に携わったということがここでは強調されていると解釈すべきでしょう。

このときの多くの外国人は強制労働や賃金で働きましたが、終わりの日には、世界中の人々が、ささげ物を携えて主の宮に集まると預言されています (イザヤ66:18-23)。エルサレム神殿は、外国人をも神の民に招き入れる神殿として建設されることがここで示唆されています。

イエスは当時のエルサレム神殿から商売人を追い出した際に、イザヤ56章7節のことばを引用しながら、「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」と言われました (マルコ11:17)。

これはダビデ、ソロモンが外国人の助けを得ながら神殿を建設し、その目的を、主への祈りを献げると言ったことに通じます。

3.「ソロモンは至聖所を造った……これを六百タラントの良質の金でおおった」

3章1節で、主 (ヤハウェ) の宮の建設場所が「エルサレムのモリヤの山」と記されていることは画期的です。そこは創世記22章2節にあるように、信仰の父アブラハムがひとり子のイサクを「全焼のささげ物として献げなさい」と命じられた場所だからです。

それは「神のひとり子」イエスが十字架に架けられることにつながって行きます。そこには、イエスご自身が神殿を完成するという意味がありました (ヨハネ2:20、21)。

3節では神殿の大きさが記されます。それによると本体部分が長さ60キュビト(約26.4m)、幅20キュビト(約8.8m)ですが長さ幅とも幕屋の二倍です (出エジプト26章参照、なお当教会の礼拝堂はモーセの幕屋内部より若干短く、幅が広いが、高さを含め同程度の空間)。

またⅠ列王記6章2節では神殿の高さは30キュビト(約13.2mで幕屋の3倍)と記され、これに三階建ての脇屋をつけて、神殿の壁を梁で支えないで済むように補強されたと記されています (同5-6節)。

また4節では神殿の前に付いている玄関が、神殿の幅と同じ20キュビト(約8.8m)と記され、その幅が記されずに高さが120キュビト(53m)と訳されていますが、原文ではここにキュビトという尺度は記されていません。これはアンバランスな高さなので写本のミスとも解釈されます(ここでは他の部分に関して高さが記されていない)。列王記では高さが記されず幅が10キュビトと記されます。

3章4節終わりから7節にかけて神殿内部が「もみの木の板」が「良質の金でおおわれた」と記されます。「パルワイムの金」とはアラビア半島の北東部産出の金だと思われますが、それは当時の最高の金を使ったことを描いた表現だと思われます。

またその金の壁には「なつめ椰子の木の彫刻」とケルビムが刻まれていたと記されます。なつめ椰子の木は「いのちの木」をイメージさせ、ケルビムと合わせて、エデンの園の「いのちの木への道」が閉ざされたことを思い起こさせるものであったとも解釈されます。

8節には、主の契約の箱が置かれる至聖所の大きさが長さ、幅とも20キュビト(8.8m)と描かれますが、列王記によれば高さも同じの立方体になっており、その内側はすべて純金を着せました。

ここでは敢えて金の量が六百タラントと描かれますが、これは現在の価格では1、000億円余りになります。そこは大祭司が年に一度しか入れない場所ですが、そこに一番のお金がかけられているということが示唆されます。

その中には二つの巨大なケルビム(人の顔と理性、ライオンの手足と大きな鷲の翼を持つ天的な生き物で契約の箱を守る存在)を作り、その翼は至聖所の端から端に達しており、すべて金で覆われていました (10-13節)。

そして14節では「彼はまた、青糸、紫糸、緋糸、および亜麻糸で垂れ幕を作り、その上にケルビムの模様を縫い付けた」と記されますが、これは列王記には記されず、出エジプト記26章31-33節に描かれた「聖所と至聖所との仕切り」の幕との継続性が明らかになります。

なお、至聖所は大祭司が年に一度だけ、命がけで入る場所でしたが (レビ記16章)、イエスが十字架で息絶えられたとき、「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(マタイ27:51) と記されます。

その意味がヘブル10章19、20節では、「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました」と記されます。

15-17節には神殿の前の二本の巨大な柱のことが描かれます。その高さがここでは35キュビト(約16m)と記されますが、Ⅰ列王記7章15節ではそれぞれの高さが18キュビト(約8m)と記されており、ここでの高さは二本合わせたものであるという解釈もあります。

列王記ではその太さは周囲5.3m(直径1.9m)もあったと記されます。各柱にはヤキン(確立する)、またボアズ(力をもって)という名がつけられました (17節)。

4章1節は「彼はまた、青銅の祭壇を作った」と記されますが、これは3章8節から4章10節までの「ソロモンは……造った」という一連の働きの一部です。

列王記では、いけにえを献げる青銅の祭壇の大きさが描かれませんでしたが、ここでは長さと幅は20キュビット(約8.9m)、高さは10キュビット(4.4m)と記されます。先の神の幕屋の祭壇は、長さと幅が各5キュビト、高さ3キュビトとはるかに小さいものでした。

2節では鋳物の「海」が描かれます。それは直径が約10キュビト(4.4m)、深さが5キュビト(2.2m)の巨大なもので、三頭ずつ東西南北に向いた十二頭の牛(イスラエルの十二部族の象徴?)の鋳物の上に置かれました (4節)。

この「」の容量は三千バテというより列王記の二千バテ (46,000リットル) の方が正確かと思われます。ただこれは「祭司たちが身を洗うためのもの」という説明は歴代誌にしか記されません (6節)。

また、次に青銅で移動式の十の「」とその上の「洗盤」が作られました(Ⅰ列王記7:27-37では直径1.8mという大きなもので、「」の五十分の一容量に相当と描かれている)。

ただ歴代誌では、礼拝に焦点が当てられ、「全焼のささげ物に用いるものがすすぎ清められる」ためのという用途が明確に描かれます (同6節)。

7節には「金の燭台十個を規定に従って作り」と記されます(出エジプト記25章31-39節に詳しく形が描かれている)。ただ幕屋には一個しかなかったはずの燭台を十個も作ったということが画期的です。

また8節には「机を十個作り」と記されますが、これはパンを置く「」のことです(先の23-30節に作り方が描かれる)。そこでも一個の机に過ぎなかったものは十個に増やされています。

Ⅰ歴代誌28章15、16節では、ダビデ自身が燭台と机に使う金銀の重さまで詳しく設計図に記していたと描かれていました。これらは、 (ヤハウェ) がイスラエルにご自身の光とパンとを与え続けてくださることを常に覚える「しるし」でもありました。

4章9節には「さらに祭司たちの庭と大庭、およびその庭の戸を造り、その戸を青銅でおおった」と記されますが、6章12、13節では「(ソロモン)はイスラエルの全会衆で、主の祭壇の前に立ち」と、全会衆が大庭に入ったかのように描かれているので、祭司たちが入る「内庭」(Ⅰ列王6:36) と「大庭」がそれぞれ非常に広いスペースであったと思われますが、そのサイズは列王記にもここにも記されていません。

11節では「さらにフラムは、壺と十能と鉢を作った」と記されます。それらはささげものやいけにえを処理するために用いる道具でした。

そして「こうして、フラムは、ソロモン王のために神の宮でなすべき仕事のすべてを完了した」と記され、11-18節までフラムが責任を持った青銅の器具が改めて描かれます。

19-22節には神殿内部の金の器具が描かれますが、その最初の「金の祭壇」とは、「香をたく」ためのもので、至聖所の前に置かれました。ダビデが神殿の設計図を書いた際に、「香をたく祭壇については、洗練された金の重さが示されていた」と敢えて記されていました (Ⅰ歴代28:18)。

さらにその他の宮の中の器具が描かれますが、これらを作ったのはイスラエルの金細工人だと思われます。これらすべてが純金で作られ、驚くほど豪華なはずですが、それについては淡々と描かれます。

イエスは後に、「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ」(マタイ23:27) と言われますが、ダビデ、ソロモンが建てた神殿は、何よりも選ばれた祭司以外は誰も見ることができない神殿内部こそが豪華に飾られていました。

私たち信仰者も、「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(Ⅱコリント4:16) と記されています。

5章1節では「こうして、ソロモンが主 (ヤハウェ) の宮のためにしたすべての工事が完了し……父ダビデが聖別した物……を……神の宮の宝物倉に納めた」と、二代に渡る神殿建設工事が完了したと描かれます。

ダビデは神殿建設の前に、種々の楽器を用いた大規模の聖歌隊を整えました。そして、ソロモンはダビデが主の御霊に示されて書いた設計図のとおり、「私たちの神がすべての神々にまさって偉大」なことを示す「偉大な宮」を建設しました。その際、ツロの王ヒラムや在留異国人の協力は欠かせないものでした。

後にイエスは、内実においてソロモンの神殿にはるかに劣るヘロデの神殿を指して「あらゆる民の祈りの家」と呼びましたが、イザヤ預言にもあるように、エルサレム神殿には、全世界の民を主への礼拝に導くという目的が最初から示唆されていたのです。

ソロモンはそこで「香をたき」祈ることを最大の働きと位置付けました。今、私たちの主イエスは、天の聖所への生ける道を開いてくださいました。私たちがこの礼拝堂で、世界の平和の完成のために祈ることこそ、ダビデ、ソロモン以来の聖徒の責任と言えましょう。


ソロモンの神殿
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