先日の土曜日夜にNHK ETV特集「昭和天皇 終戦への道~外相手帳が語る国際情報戦~」という番組がありました。
友人の友人の出演ということで、とっても身近に感じさせられました。
再放送が8月21日(木)0:00–1:29 NHK Eテレでありますので、よろしかったら録画してご覧ください。
第二次大戦を終結させたポツダム宣言の受諾にいたる最高戦争指導会議の動きを、当時者であった東郷茂徳外務大臣の手帳から読み解いたものです。
ポツダム宣言の受諾による終戦というと、私たちはすぐに、天皇が軍部の反対を押し切って聖断を下したと聞きます。
しかし、今回明らかになったのは、東郷外相の強い主導によって、六人で構成される戦争指導会議が力を持つように備えられたということです。その六人は、首相、外相、海軍大臣、陸軍大臣、参謀総長、軍令部総長です。陸軍大臣以下の三人は、陸軍出身で徹底抗戦を唱えていた人々、海軍大臣の米内光正は戦争の早期終結のために動いていた人で、外相、首相と同じ見解をもっていました。
議論が三対三で平行線になったとき、天皇は「私は外務大臣の意見に同意である」と言ったとのことです。これは別の記録でも明らかになっています。
つまり、日本の外交努力が破綻していたというのではなく、外務省からの情報をもとに正しい判断が下されたということです。
ポツダム宣言で不明瞭であったのは、天皇制が維持されるかどうかということでした。陸軍指導者はその保証がない限り戦い続けると命をかけて主張していました。
しかし、外務大臣は外務省関係の情報力から、ドイツ占領との明確な違いを見出し、ポツダム宣言の中に、天皇制維持を読み取ることができると主張していました。歴史はまさにその通りになっています。
残念ながら、ポツダム宣言が発表される一日まえに、日本への原爆投下が米国大統領から指示されていたというのが現実です。トルーマン大統領は、日本が簡単には受け入れられない文章を作ることで、原爆投下を正当化したというのが多くの歴史家が認めるところです。
今回も日米の完全交渉を巡って、合意文章が明確になっていないという批判がなされます。現実はよくわかりませんが、文書化できない部分を互いに読み取るということが外交交渉でも大切だと言われます。
今も、ウクライナでの停戦を巡っての協議が進んでいます。しかし、ここでも明記されないことを互いに読み取る外交的な分析力が問われます。
その第一は、徹底的に相手の身になって、相手の文脈の中で考えるという知恵ではないでしょうか。
詩篇72篇では、政治をつかさどる者たちが神の前にどのように祈るべきか、また政治のためにどのように祈るべきかが記されています。
日本の政治や外交力が破綻していたと思われた中で、外務大臣の意見ということで終戦が決まったということに、何とも言えない慰めを見出しました。
戦争終結を天皇から発せられる玉音放送によって戦争終結が全国民に届いたことは確かですが、実がそれが流される直前まで、陸軍の一部のクーデター計画が進められていました(半藤一利著「日本のいちちばん長い日」)。そのクーデターを防ぐために戦っていた文民の政治家や官僚たちがいたことを忘れてはなりません。
私たちは政治家のために祈って行く必要があります。
詩篇72:1–11「神のさばきと義による支配のために」
この詩は詩篇の第二巻の最後のものです。この20節では「エッサイの子ダビデの祈りは終わった」という記述で第二巻が閉じられます。ですから、この詩の標題は、旧版のように「ソロモンによる」ではなく、「ソロモンのために」ダビデが記したと解釈すべきでしょう。それは同時にソロモン以降のすべての王に期待される心構えでした。
1節では「神よ あなたのさばきを王に あなたの義を王の子に与えてください」と祈られます。「さばき」とは、裁判以前に「統治」という基本的な意味があり、神の統治の基準を王が実践できるようにという祈りです。また、「あなたの義」というのも神の正義の基準という意味で、基本的に「さばき」の場合と同じことが祈られています。
その同じ意味のことが2節で、「王」が「義をもって……公正をもって」、「民をさばき」、「苦しむ民を」守るようにと祈られます。それが4節で「王が 民の苦しむ者たちを弁護し 貧しい者の子らを救い 虐げる者どもを打ち砕きますように」と、王の具体的な「さばき(統治)」が、何よりも社会的弱者の保護に向かうべきだと記されます。
商業の発展は貧富の格差を必然的に広げます。たとえば昔から、土地の所有者は地代収入から年率平均5%程度の利回りが期待できる一方で、経済成長はゼロに近いというのが一般的なパターンでした。もしそのような中で地主が地代収入を次々に再投資して土地を広げることができるなら、三十年で資産は4.32倍に増えます(複利計算)。安定した社会では貧富の格差は世代を経るとともに拡大するのが常です(トマ・ピケティ著『21世紀の資本』から)。
伝統的に権力者は大地主や資産家と結びつき易いので、貧しい者の立場は弱くなるばかりです。しかし、本来の政治の使命は何よりも、そのような貧富の格差の拡大の方向を正すことにあるはずなのです。
レビ記25章のヨベルの年の規定では50年に一度、神から受け継いだ土地に戻ることが命じられ平等の実現が保証されていました。義による王の支配は、そのような平等化を目指すことにありました。
3節は様々な訳が可能ですが、ここでは「山も丘も 義によって 民に平和をもたらしますように」と訳されます。イスラエルの山や丘は、北のヘルモン山からの露によって潤い、作物を生み出し、地に繁栄(平和)をもたらします。それは自然現象以前に、この地が神のみこころに添った「義」によって治められているときに、神がそれを約束しておられるからです (レビ26:3、4)。
イスラエルの地は夏の乾燥が激しいため、神の恵みは「時にかなった雨」に現わされますが、神のさばきは天からの雨を止めることで現わされました (レビ26:19)。
それを前提に、神に従う王がもたらす祝福が、6節では「王は 牧草地に降る雨のように 地を潤す夕立のように下って来ます」と記されます。
そして7節では、正しい王の「さばき」のもとにおける「豊かな平和」が祈られます。
8–11節では、ダビデから生まれる王が、全世界を「統べ治めますように」と祈られ、「すべての国々が彼に仕えるでしょう」とまとめられます。イエスこそがこの預言を成就する「ダビデの子」として生まれることになります。そして、今、全世界でイエスが「王たちの王、主たちの主」としてあがめられ、その「愛の国」が広がっています。
【祈り】主よ、イエスが今、「王たちの王、主たちの主」としてこの地を治めておられることを感謝します。私たちがキリストともにこの世界に神の愛を広げられますように。