パウロがローマ教会に宛てた手紙では26人の信者が特別な挨拶を受けています。同教会の信者数は立川教会とそれほど変わりはしなかったと思われます。その教会が後に世界の歴史を変えたことは歴史的に否定できない事実です。
この手紙を書いたパウロ、それを持参したフィベを含む28名とその仲間たちと、当教会のメンバーの名を重ねてみてはいかがでしょう。教会とは何らかの制度的な組織である前に一人ひとりの信者の集まりです。
しかもそこでは、女性が決定的な働きを担っていました。小さな群れの中に世界の歴史を変える種の交わりが内包されています。キリストにある交わりの力を見直しましょう。
1.「女性実業家フィベ、家の教会を導く女性プリスカ」
16章1、2節は
1 あなたがたに私は推薦します、私たちの姉妹のフィベを。彼女はケンクレアにある教会の執事(奉仕者)です。2 どうか、主にあって彼女を歓迎してください、聖徒たちにふさわしい者として、具体的に必要なことにおいて、彼女を助けてください。それは彼女が多くの人々の支援者であるからです。そこには私自身も含まれます
と訳すことができます。
ケンクレアとはコリント市の東の港町で、フィベはその教会の女性執事だったと思われます。テモテの手紙第二3章11節には、選ばれる条件として、「この奉仕につく女の人も同じように、品位があり、人を中傷する者ではなく、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません」と記されますが、彼女は信頼されるケンクレア教会の指導者の一人でした。
しかも彼女はパウロを含む「多くの人々の支援者(後援者:a patron)」であるとも紹介されています。その立場はギリシア最初のピリピ教会が紫布商人のリディアという女性実業家の家庭集会から始まったことに似ています (使徒の働き16:11–15)。なおピリピ教会はパウロのギリシア人伝道の最大の支援者であり続けました。
そのような役割をここでのフィベが担っており、パウロはここで彼女を歓迎し、ローマにおける彼女のビジネスを支援するようにと勧めています。女性実業家がギリシア語圏で福音のために豊かに用いられたのです。
16章3–5節は次のように訳すことができます。
3 挨拶します、プリスカとアキラ、キリスト・イエスにある私の同労者に 4 彼らは私のいのち(たましい)のために自分たちの首を差し出して(いのちを危険にさらして)くれました。彼らに私は特に感謝しています、異邦人のすべての教会も含めてですが。5 また彼らの家の教会にも。挨拶します、私の愛するエパイネトに、彼はキリストに献げられたアジアの初穂です
アキラとプリスキラはユダヤ人の夫婦で、天幕作りを職業としていましたが、使徒の働き18章1–3節ではパウロがコリントで伝道したときに彼らの家に一緒に住んで一緒に仕事をしたと記されています。
興味深いのは、雄弁なアポロがエペソに来たとき、彼がヨハネのバプテスマしか知らなかったことを聞いて「プリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した」(同18:26) と記されていることです。アポロは、コリント教会の一部ではパウロ以上の尊敬を集めることになりますが、その彼の信仰を正した夫婦の名において女性の名の方が先に記されるというのは何とも不思議です。
とにかく、そこでもこの箇所においてもプリスキラ(プリスカ)という妻の名が先に記されています。それは妻の方が福音をよく理解し、それを説明する能力に長けていたからと推測することができます。
ただし、コリント教会では女性の声が大きくなりすぎた反動なのか、Ⅰコリント14章33、34節では「聖徒たちのすべての教会で行われているように、女の人は教会で黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません」と記されます。その手紙の最後においてだけはこの夫婦の名が記されるときには「アキラとプリスカ」と夫の名が先行します (同16:19)。
しかしテモテ個人に宛てた手紙 (Ⅱ4:19) では「プリスカとアキラ」という順番になっています。
テモテ第一の手紙では後に述べるように女性蔑視と誤解されるような表現が見られますが、パウロの中では「プリスカとアキラ」という呼び方の方が自然に出て来たのかと思われます。
また彼らはパウロの同労者であったばかりか、原文ではパウロの「たましいのために自分たちの首を差し出してくれた」と記されるようないのちの恩人として描かれています。
そればかりか「異邦人のすべての教会」が彼らに感謝していると言われています。これは食生活の違う普通のユダヤ人夫妻にはあり得ない働きで、彼らがコリントやエペソ、ローマなどで家庭集会を開きながら異邦人伝道に励んでいたからでしょう。そこでは女性の働きが決定的な意味を持つということで女性の名が先行するとも言えますかもしれません。
5節で続くエパイネトという名はギリシア人の名ですが、彼はその家の教会に集っていた「アジアの初穂」としての異邦人クリスチャンだったのでしょう。彼はこの夫婦とともにローマに移住し、ともに家の教会を導いていたと考えられます。
パウロがローマの教会にいる信徒への手紙をフィベという女性実業家に託しています。また彼が最も信頼する家の教会の主催者を「プリスカとアキラ」と女性の名を先行して呼びます。
それは当時としては極めて珍しいことだったのではないでしょうか。この手紙の最後で、女性の働きが輝いています。
2.五つの家の教会と使徒的なリーダーの存在、女性の働きに関して
16章6–9節は次のように訳すことができます。
6 挨拶しますマリアに、彼女はあなたがたのために非常に労苦しました。7 挨拶しますアンドロニコとユニアに、彼らは私の同胞で私とともに投獄されました。また彼らは使徒たちの間でよく知られており、また私より先にキリストにある者となりました。8 挨拶しますアンプリアトに、彼は主にあって私の愛する人です。9 挨拶しますウルバノに、彼はキリストにある私たちの同労者です。また私の愛するスタキスに。
マリアのヘブル語名はモーセの姉で、賛美リーダだったミリヤムに由来します。「彼女はあなたがたのために非常に労苦しました」と特別に描かれます。その詳細は分かりませんが、ローマ教会の草創期のメンバーだったのでしょう。
7節のアンドロニコフとユニアはユダヤ人の夫婦だったと思われます。ここでも「アンドロニコフとその妻」と記される代わりにユニアという個人名が明記されるのは珍しかったのではないでしょうか。実際、ここをユニアスという男性名で記す写本もあるほどだからです。彼らはパウロの同胞で、彼とともに投獄されたという経験を持つ戦友です。
しかも、「使徒たちの間でよく知られており」、パウロより先に信仰に導かれていました。多くの学者は、彼らは主イエスの復活を目撃した500人のうちの二人で、使徒的な働きもしていたと推測します。ですから彼らがローマ教会で大きな影響力を持っていたことは確かです。
なお、アンブリアトに関しては、パウロが「主にあって私の愛する人」と呼ぶような、特別な親しい関係にあったことは確かです。
ウルバノは市民を現わすラテン語名、スタキスはギリシア名だと言われます。彼らもパウロが「私たちの同労者」と呼ぶような人でした。
16章10–12節は
10 挨拶しますアペレに、彼はキリストにあって認められています。挨拶しますアリストブロの家の人々に。11 挨拶しますヘロディオンに、彼は私の同胞です。挨拶しますナルキソの家の主にある人々に。12 挨拶しますトリファイナとトリフォサに、彼女たちは主にあって労苦しています。挨拶します愛するペルシスに、彼女は主にあって非常に労苦しました。
と訳すことができます。
アペレという人はパウロが伝え聞いた有力な信者なのでしょう。これはユダヤ人の名だと思われます。
アリストブロの家の人々とあるのは、当時のユダヤの支配者であるヘロデ・アグリッパ王の弟(ヘロデ大王の孫)のアリストブロを指す可能性があります。彼はローマ書が書かれた紀元57年より8、9年前に死んでいます。
とにかくその有名なアリストブロの家で集会を開いていた人々(奴隷たち)を指すのでしょう。ヘロディオンはその家の出身の自由人となったパウロの同胞のユダヤ人を指しているのかもしれません。
11節bで「ナルキソの家の主にある人々」と記されますが、ナルキソは当時のローマの有名人で大きな出世をしながら、皇帝クラウディオスの死と共に自殺に追いやられた人を指す可能性が高いと見られています。そしてその残された彼の家でのクリスチャンの集まりがあったということだと思われます。
12節のトリファイナとトリフォサというのは二人とも女性の名前です。またペルシスも明らかに女性です。この三人の女性もローマ教会の中で大きな働きを担っていたということだと思われます。
16章13–16節は次のように訳すことができます
13 挨拶しますルフォスに。彼は主にあって選ばれた人です。また彼の母にも、彼女は私にとっても母です。14 挨拶します、アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスに、また彼らとともにいる兄弟たちにも。15 挨拶しますフィロロゴとユリア、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、および彼らとともにいるすべての聖徒たちに。16 挨拶を互いに交わしなさい、聖なる口づけをもって。あなたがたに挨拶をしています、すべてのキリストの教会が。
13節のルフォスは、主にあって選ばれた人と描かれていますが、イエスの十字架をゴルゴタまで身代わりに負わされたクレネ人シモンは「アレクサンドロとルフォスの父」と描かれていました (マルコ15:21)。ですから多くの人々はこのルフォスはクレネ人シモンの息子であったと理解します。
シモンは「田舎から来ていた」「通りかかった」だけの信仰とは無縁の人でしたが、イエスの十字架を代わりに担ぐことになって人生が決定的に変わりました。そして彼の妻はその話を何度も聞いて、十字架の場面をこのルフォスに、またパウロにも語ったことでしょう。ですからここでルフォスの母がパウロにとっても母親的な存在であったと言われています。
イエスの十字架を目撃できなかったパウロにとって彼女は霊的な母になったというのです。
14節のアシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスという五人の名についてはなにも分かっていませんが、「彼らとともにいる兄弟たち」と記されていることからすると、これらの五人を中心とした集会があったのかと思わされます。パウロは彼らの名を記すこと自体を大切に思っていたのだと言えましょう。
15節の「フィロロゴとユリア」とは夫婦であるかと思われますが、ここでも妻の個人名が記されることに意味があります。
また「ネレウスとその姉妹」という呼び方でもう一人の女性がネレウスの姉妹として記されます。最後のオリンパは男性の名だと思われます。また「彼らとともにいるすべての聖徒たちに」という表現から、妻のユリアの献身的な働きによる別の家の教会がパウロの目に留まっていたのかと思われます。
16節では「挨拶を互いに交わしなさい、聖なる口づけをもって」と勧められます。このことばはⅠコリント16章、Ⅱコリント13章、Ⅰテサロニケの終わりにも、またⅠペテロの手紙の終わりにもほとんど同じように命じられています。
これは明確な命令で、日本人はそれを文字通り実行していないことを恥じるべきかもしれません。私たちはともに礼拝する人々を、神にある家族として暖かく受け入れ合うように命じられているのです。
上記には少なくとも五つの場所での集会があったことが示唆されます。アクラとプリスキラの家、アリストブロの家、ナルキソの家、アシンクリトらの家、フィロロゴとユリアの家です。それぞれの家に6名から20名の人々がいたとするとローマ教会には約30人から100人の間だったとも言えます。
しかもここでは26人の個人への挨拶が記されますが、そのうちの9人が特別に重視される女性たちです。この手紙を持参するのもフィベという女性です。この章で、パウロ自身が特別なことばでその働きを評価し、また説明を加えている人々は16人ですが、そのうちの半数の8人が女性であるというのは何とも驚くべきことです。
テモテの手紙第一2章12~15節には次のような女性蔑視とも見られることばが記されます。新改訳2017と並行してカッコの中に直訳的な私訳を記します。少しはトーンが和らいで見えるかもしれません。
12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません(女[妻]が教えることを私は許しません、男[夫]に対して権威をふるうことも)。むしろ、静かにしていなさい(むしろ、静寂のうちにありなさい)。13 アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです(それは、アダムが最初に造られたからです。それからエバでした)。14 そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです(そして、アダムはだまされませんでした。しかし女(妻)だまされて過ちへと導かれました)。15 女は、慎みをもって、信仰と愛と聖さにとどまるなら、子を産むことによって救われます(彼女は救われることになります、子を産むことを通して、もし、真実と愛と慎みを伴う聖さにとどまり続けるとするならです)。
この記述はテモテが牧会をしていたエペソ教会の特別な事情を背景に、パウロが個人的にテモテに命じたことばです。聖書全体を見ると、明らかに女性が指導者として用いられている箇所が数多くあります。ですからこの箇所は他の聖書箇所とのバランスの中で、例外的な文脈の中で理解される必要がありまししょう。ただ永遠の難問の一つではあります。
3.「私は望んでいます。あなたがたが善には賢くあることを、また悪には無垢で(うとく)あることを」
17–20節は次のように訳すことができます
17 兄弟たち、あなたがたに私は勧めます。警戒しなさい、分裂とつまずきをもたらす者たちを、それはあなたがたの学んだ教えに背くものです。彼らから遠ざかりなさい。18 そのような者たちは、私たちの主キリストに仕えてはいません。彼らは自分たちの腹(欲望)になのです(仕えているのです)。彼らは、滑らかな(立派な、評判の良い)ことば、へつらい(雄弁な)のことばをもって、純朴な(純粋な、無垢な)人たちの心をだましています。19 それはあなたがたの従順(コンプライアンス:教えに従う姿勢)が、すべての人々(の耳)に届いているからです。それであなたがたのことを私は喜んでいます。ただし私は望んでいます。あなたがたが善には賢くあることを、また悪には無垢で(うとく)あることをです。20 しかし平和の神がサタンを踏み砕くことになります、速やかにあなたがたの足の下にです。
使徒の働き20章29、30には、先に述べたエペソの教会の長老たちに対するパウロの警告が、「私は知っています。私が去った後、凶暴な狼があなたがたの中に入り込んできて、容赦なく群れを荒らし回ります。またあなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こって来るでしょう」と記されていました。それはこの手紙を書いた直後のことです。
それでここでもパウロは、ローマ教会の人々に、「警戒しなさい、分裂とつまずきをもたらす者たちを」と警告しています。大切なのは、すでに学んだ福音の原点に立ち返ることです。
そして、「彼らから遠ざかりなさい」と勧めながら、彼らの特徴を「主キリストに仕える」代わりに「自分たちの腹(欲望)に仕えている」と記します。「腹に仕える」と同じ表現がピリピ人への手紙3章18、19節で「多くの人が……キリストの十字架の敵として歩んでいます。その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望(腹)を神としています」と記されていました。
「腹に仕える」とは、自分の腹を満たすために珍しい話しをして回ることです。当時のギリシア語圏には巡回哲学者がいました。彼らは詭弁を使った哲学論争を紹介しながら、人々の興味を引き、町から町へと巡り歩いて受講料を集めていました。
ローマ教会の人々の純粋な信仰を聞いた世界中の人々がローマに吸い寄せられるように集まり、パウロやキリストとの弟子たちが語ったシンプルな十字架の福音の代わりに聴衆の知的好奇心を満たす、一見、霊的な話しをすることが警戒されていました。
コリントの教会では、「人の異言や御使いの異言を話す」(Ⅰコリント13:1) ということに人々の関心が向かいました。ローマでは神の知恵を受けて政治的な影響力も持てるようになることが賞賛される可能性があったのかもしれません。
とにかくその共通点はキリストの十字架の意味を理解しないことにあります。十字架は私たちの赦しのための決定的な神の贖いのみわざですが、同時に私たちの生き方を指し示すシンボルでもあります。
そのことをパウロは12章1節で、「ですから、私はあなたがたに勧めます、兄弟たちよ、神のあわれみを通してですが。 あなたがたのからだを献げなさい、神に喜ばれる聖なる生きたささげ物(いけにえ)として。それこそがあなたがたにとって理にかなった礼拝です」と記していました。
イエスはそのことを「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と言われました (ルカ9:23)。それこそ、「腹(欲望)を神」とし、「腹(欲望)に仕える」生き方と正反対です。
そしてこの間違った教えを広める人の特徴をパウロは、「彼らは、滑らかな(立派な、評判の良い)ことば、へつらいの(雄弁な)ことばをもって、純朴な(純粋な、無垢な)心をだましています」と敢えて記しています。
彼らはギリシア哲学で培われた弁論術を身に着けていて、そのことばが敬虔な響きをもって純真で無垢な人の心に響いて来ます。
そしてその理由が、「それはあなたがたの従順(コンプライアンス:教えに従う姿勢)が、すべての人々(の耳)に届いているからです」と記されます。これはローマ教会の人々の教えに従順な姿勢が、彼らにとっての絶好の餌食とされるという意味です。
それでパウロは続けて、「それであなたがたのことを私は喜んでいます」と彼らの姿勢を称賛しながらも、「ただし私は望んでいます。あなたがたが善には賢くあることを、また悪には無垢で(うとく)あることをです」と彼らへの願いを述べます。
「賢く」の原語ははソフォスで、ギリシア哲学で称賛される知恵です。それをパウロは、神の前での倫理的な「善」に結びつけます。
一方でローマ教会の人々の「純朴さ」に似た「無垢な、純粋な」という意味で「悪には無垢で(うとく)あることを勧めます。それは純真な子どもの心と言えます。
なおその内容はイエスが弟子たちに「蛇のように賢く(さとく、思慮深く)、鳩のように素直(無垢)でありなさい」(マタイ10:16) と言われたことばを思い起こさせます。
この背後には、エデンの園で蛇がエバを惑わしたという現実があります。蛇はエバに「それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となる」(創世記3:5) と言いましたが、蛇のことばはまさに、ギリシアの哲学者が目指していた境地と言えましょう。
ここでの問題は、神に逆らって賢くなるということなのです。無神論的な賢さこそが、神の目には最も忌み嫌われる状態です。私たちはその蛇のような賢さをもって、聖書に明記されている善悪の基準に立ち返る必要があります。
ただそのように述べた後で、パウロは「しかし平和の神がサタンを踏み砕くことになります、速やかにあなたがたの足の下にです」(19節) と述べます。そこには、「女の子孫が蛇の子孫の頭を打ち砕く」(創世記3:15) という原始福音が秘められています。
「平和の神」とは、すべての戦いを否定する方ではなく、あなたの足を用いてサタンを踏み砕くというサタンとの戦いに勝利を与えてくださる方です。ですからローマの人々の純朴さは、純粋な祈りとなるときに豊かに用いられます。
大切なのは、「分裂とつまずきをもたらす」ような偽教師が確かに現れることに正しい警戒心を持ち、福音の原点に立ち返り、祈り続けることなのです。
多くの学者はパウロがローマ人への手紙を書いた紀元57年の少し前にマルコの福音書が記され、この手紙の後にマタイ、ルカなどの福音書が記されたと推測します。
当時の教会の中心はエルサレムでしたが、紀元70年のエルサレム崩壊以降は、かなりの時間をかけながら徐々にローマ教会が指導的な役割を果たすようになって行きます。そこでパウロが書いたこの手紙がローマ教会の一人ひとりに決定的な影響力を与え、異邦人に救いの道を開く正統的なキリスト中心の神学がローマから全世界に広がったと考えることができましょう。
手紙は、書く人と同時に受け取る人々の読解力が求められます。多くの人々にとってローマ人への手紙は難解と評価されますが、パウロはここに名を挙げた人々の顔を生き生きと思い浮かべながら、彼らが理解できることばで書いています。
そして彼らがその内容を心から感謝して受け止めたからこそ、そこから世界に広がった現代の教会があります。信仰の基本はパーソナルな出会いにあります。