久しぶりにウクライナの船越先生ご夫妻からの近況報告と祈祷課題です。本当に切実な祈りを必要としています。ただ同時に、そこに主のみわざが進んでいるのも確認できます。
いつもウクライナを覚え、オデッサでの私たちの働きのために祈り、支え続けてくださっていることに心から感謝しています。
4月20日 ロシアはウクライナ各地でさらなる苛烈な攻撃を行なっています。(オデッサでも連日、激しい空襲と火災が続いています。)ロシアが一日も早く侵略と殺戮をやめ、軍を自国に撤退させることを切に願うばかりです。
破壊と死と絶望がウクライナを覆い続ける中、イエス・キリストが死からよみがえられたことを覚え、主の勝利を喜ぶイースター礼拝を4月20日(日)に行うことができました。
そこで私たちの教会では9名が信仰告白することができました(ダニク、サーシャ、インナ、リュバ1、リュバ2、エレーナ、リュダ、マリア、ジナイダ)。
この信仰告白者の中からバプテスマを受けるものたちが起こされることを願っています(バプテスマ式は5月4日を予定しています)。また、信仰告白するものたちが引き続き起こされることを心から願っています。続けてお祈りください。
イースター礼拝では、イタリアを中心に宣教活動をしておられる内村牧師が説教をとりついでくださいました。ルカ24章のエマオへの途上での出来事からのメッセージで、聞くものたちがイエスさまとのエマオへの旅を追体験するかのようなメッセージでした。礼拝が豊かに祝福されたことを感謝します。
礼拝後は交わり会を行いました。私たちの教会の敷地の隣の空き地を使用する許可が市より与えられ、そこを教会が使えるようになりました(今後はおもにユースの活動の場所となります)。そのスペースのオープンも兼ねての交わり会となり、本当に楽しいときとなり、感謝でした。
HOPEソルジャーズ(前線の兵士、病院での負傷兵、帰還兵へのミニストリー)で私たちが関わらせていただいている兵士たちが日曜礼拝に来ることが少しずつ増えています。続けてHOPEソルジャーズの働きが用いられるようにお祈りください。
4月18日(金)にはニコラエフ郊外の兵舎(約200名の兵士たちが駐屯している)を訪問し、イエス・キリストの復活の意味をお伝えすることができました。そこに駐屯している兵士たちの多くは4月末にウクライナ東部の前線に派兵される兵士たちです。彼らが危険な戦場で守られ、最終的に無事に家に帰ることができることを切に願いながら彼らに語り、彼らのために祈りました。
また、私たちの教会から兵役についている兄弟たち(イリヤ兄、サーシャ兄、バディン兄、バーニャ兄)とその家族のためにも続けてお祈りください。
4月22日(火)は、ヘルソン教会(オレグ牧師)とポサド・ポクロフスク教会(アンドレイ・アーニャ)に支援物資をお届けすることができました。
ヘルソン州は、ロシア側が停戦の条件として完全明け渡しを要求しているウクライナ四州のうちの一つです。
ヘルソン住民の多くが、もしも、トランプ大統領とプーチン氏がウクライナ四州明け渡しの話を勝手に進めてしまった場合どうなるかという強い恐れの中にいることをオレグ牧師は話してくれました。
2022年の3月にロシア軍がヘルソンを占領したとき、ロシア兵たちはヘルソン住民たちが自分たちを歓迎するものと思っていました。しかし、実際にはそうならず、多くのヘルソン市民はロシアへの抵抗の意思を示しました(それに対してロシア軍・FSBによってヘルソン市民に対する数多くの非人道的な行為が行われました)。
そして同年11月、ウクライナ軍がヘルソンを奪還したときにヘルソン市民たちが見せた解放の喜びぶりにロシア人たちは怒り、撤退先のドニプロ川東岸から、西岸にあるヘルソン市に向かって容赦のない砲撃を始めました。
その状態が今も続いているのですが、もし、ヘルソンを含めた四州全体がロシア領とされ、西岸のヘルソン市までが再びロシアの支配下に入った場合、そのとき、ロシア軍がヘルソン住民たちをどのように扱うことになるのか、それは想像することさえ恐ろしいものだということを話してくれました。
彼らにとってそれは本当に切実な問題であり(ヘルソンがロシア領とされた場合、多くのヘルソン市民はそこを去らなければならなくなります)、今後、どのような形で「停戦交渉」が進むのか、固唾を飲んで見守っています。主の守りがヘルソンの上に、そしてウクライナの上にあるように、どうか続けてお祈りください。
HOPEニコラエフの働きも続けて祝福され、用いられています。お祈りに感謝します。
水曜日の「迷彩ネットを作る会」も継続し、参加者たちは兵士たちが守られることを願いつつネットを編んでいます。完成したネットは前線の部隊に送り届けられています。
水曜集会では、引き続きダニエル書を学んでいます。4月は5章を学びました。敵軍(メディア・ペルシャ軍)に包囲されている危機的な状況の中で、城内で饗宴を催していたベルテシャツァル王の姿を通して、この危機的な状況の中に置かれている私たちが今受け取るべきレッスンを学びました。5月は6章(ライオンの穴に投げ込まれたダニエル)から、逆境に立たされた信仰者の姿を学んでいきたいと願っています。祝福をお祈りください。
日曜礼拝では1月から始めた「福音とは何かシリーズ」を学んでいます。4月は「何からの救いか」に重点を置いて学びました。5月は「何への救いか」を学びます。続けてこの学びが祝福され、さらなる信仰告白者が起こされるように、祝福をお祈りください。
5月4日(日)はバプテスマ式、11日(日)は「母の日礼拝」を行います。ぜひ、日曜礼拝の祝福を続けてお祈りください。
ウクライナをめぐる情勢が激しく揺れ動き、ウクライナ東部での戦況が厳しさを増し、オデッサを含めた各都市へのミサイル・ドローン攻撃も激しくなっている中、私たち教会がさらに主の恵みによって強められ、主だけを見上げ、主の約束をしっかりと握りしめ、福音の光を輝かせることができるように、続けてお祈りください。
ウクライナのために、そしてオデッサでの私たちの働きのために祈り、支え続けてくださっているみなさまに心から感謝をしています。みなさまの上に主の祝福が豊かにありますように、心からオデッサで祈っています。
船越真人・美貴
以下の詩篇40篇7節には、「巻物の書(聖書)に私のことが書いてあります」と記されています。船越先生のお働きが、また私たちの使命が聖書に書いてあると広い意味で解釈することができます。
詩篇40篇1–11節「巻物の書に私のことが書いてあります」
この詩の6–8節は、意外にも、キリストの贖いのみわざとしてヘブル人への手紙10章5–7節で引用されていますが、その前後を含め次のように記されています。
「雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。『あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました……さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行うために。』……このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです」(ヘブル10:4–7、10)。
この詩の「あなたは私の耳を開いてくださいました」が、ヘブル書では「あなたは……わたしのために、からだを造ってくださいました」と、キリストの受肉を示唆する表現に変えられています。それは、イザヤ50章5、6節にある苦難のしもべとして生きるためでした。
そこでは、「神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった」と記されています。
それは、永遠の神の御子が私たちと同じ「血と肉」を持つ身体となったことで可能になりました (ヘブル2:14)。イエスは貴い血を流し、死んで復活し、天に上り、大祭司となられて、私たちが「大胆にまことに聖所に入ることができる」ようにしてくださいました (ヘブル10:19)。
イエスは十字架に向かいながらこの詩のことばを心から味わっておられました。
1–3節の「主は……私の叫びを聞き、私を滅びの穴から……引き上げてくださった……私の口に……われらの神への賛美を授けられた」とは、父なる神がイエスの十字架上の叫びを聞かれて、復活させてくださったことを示唆します。まさに、「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに……十字架を忍び、神の右の座に着座された」(ヘブル12:2) と記されている通り、イエスは「喜び」を見ながら、苦難に向かって行かれたのです。
9節の「私は大きな会衆の中で、義の良い知らせを告げました」とは、復活のイエスが弟子たちに現れ、そこから全世界に神への賛美が広がったことを意味します。
ここでの「義の良い知らせ」とは、「主に信頼」(4節) する歩みに、主はご自身の義をもって報いてくださるということです。
10節では、私たちを救ってくださる主のご性質が、「あなたの義」「真実」「恵み(契約の愛)」「まこと(偽りのないこと)」と描かれます。イエスの信頼に豊かに報いてくださった神が、あなたの信頼の歩みに報いてくださいます。
ただし、私たちはこの詩を、キリスト預言としてと同時に、キリストの御跡に従うための励ましとして読むべきでしょう。イエスはこの詩にご自身の使命を見出されました。そして、私たちもここに自分の使命と望みを見出して前進することができます。
巻物の書であるこの詩やイザヤ50章は、イエスのことであると同時に「私のこと」でもあります。ですからヘブル書の著者は、それを前提に、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(12:2) と私たちに勧めています。
【祈り】イエス様、あなたがこの祈りをご自身の祈りとされて十字架に向かわれたことを感謝します。同じ「巻物の書」に記されている私自身の歩みを豊かに導いてください。